スカッとして来い
意識を失ったレイヴンは何も無い真っ白で音の無い世界で黒い人影と対峙していた。
レイナが魔剣に自分の意識を流入させた時に見たもう一つの影。その正体には全く心当たりが無い。
「ほら、だから言ったのに」
「……」
「私は言ったわ。“貴方の思うままにしなさい” と。だけど、全部壊して終わりだなんて、それが本当に貴方の望みなの?」
「黙れ」
「レイヴン、貴方は何の為にその力を振るうの?」
「黙れと言っている」
「破壊や殺戮は貴方をまた孤独にするだけ。それでは誰も救われない。貴方自身も」
「黙れ!!!」
「思い出しなさい。自分が今まで何の為に戦って来たのかを……」
「俺は……!」
「貴方が伸ばし続けた手を掴んでくれている人がいる事を絶対に忘れては駄目よ。絶対に」
「……ッ!」
真っ白な世界が砕けるとレイヴンの意識が浮上して行った。
「うぅ……」
怒号と悲鳴が飛び交う世界に戻って来たレイヴンはゆっくりと体を起こした。
未だ続く激しい頭痛も先程よりはかなりマシになっている。これであればどうにか動けそうだ。早くあの巨大な魔物をどうにかしないと被害が広がる一方だ。
(くそっ……さっきのは何なんだ)
自分に今何が起こっているのか把握出来ない。ダストンを助ける為に魔剣の力を使ってからというもの、おかしな事ばかりだ。
まるで自分が自分では無い様な感覚。
込み上げてくる形容し難い感情が上手く制御出来ないのだ。
(あの黒い影の女が話しかけて来てからだ……)
大き過ぎる力の制御には多大な集中を要する。少しでも気を抜けば傷付ける必要の無い物や人まで簡単に壊してしまう。
(いや違う!今はそんな事はどうでも良い。いつも通りにやるだけだ)
セス達と行動を共にする事で上手く行きかけていた力の制御が、また困難になって来ている事に不満を感じたレイヴンは頭を振って思考を切り替える事にした。
今は目の前の障害を取り除く事が先決だ。
しかし、魔剣を拾い上げようとしたレイヴンの手は、震えて思うように動かなかった。
指で弾かれ音を立てて落ちる魔剣。
何度拾おうとしても、レイヴンの手は震えるばかりで魔剣を掴む事すら出来なかった。
苛立ちが積もる。時間が無いと焦れば焦るほどに手の震えが酷くなる。
「何故震える!何故だ!くそ!くそ!くそ!!!」
レイヴンは震えの収まらない手を何度も何度も床に叩きつけて叫んだ。
こんな肝心な時に動かない手など要らない。魔剣の力を使わなければレイナを元に戻す事も出来ない。早く皆を、サラ達をこんな生活から解放してやりたい。
「どうして動かない……俺はただ、自分に出来る事をやろうとしているだけなのに……俺にしか魔剣を使えないのに!俺が、俺がどうにかしなくちゃいけないのに!どうして動かないんだ!!!」
血塗れになった手を再び叩きつけようと振り上げた時、レイヴンの元へ小さな影が飛び込んで来た。
「レイヴン駄目!!!」
(クレア⁈ )
飛び込んで来たクレアはレイヴンの振り上げた腕に抱きついて泣いていた。
流れた血がクレアの白い肌を濡らしていく。
「馬鹿野郎!何やってんだ!手がボロボロになってるじゃねえか!!!」
「ランスロットも……」
「なんて顔してやがるんだ。お前らしくもねぇ。急にいなくなっちまうし、一体何があったんだ?」
レイヴンはようやく力を抜いて腕を下ろした。
「手当てしなきゃ!」
クレアが持っていた薬と包帯を使って傷付いた手の治療をしている間、レイヴンはゆっくりと事情を話していった。
「記憶が無いんだ……」
「記憶が?」
「ああ。北の街からの記憶が所々欠けている。ダストンを助ける為に魔剣の力を使ったところまでは覚えている。次に気付いた時にはミーシャがいた。魔物を倒しながら王都を目指した事は覚えているが、次に気付いた時にはこの場所にいた……」
「どういう事だそりゃ……?」
「分からない。ただ、さっきから手の震えが止まらない……どんなにしても止まらないんだ……」
青褪めた顔で震える手を見つめるレイヴンの姿はとても弱々しくて、小さく見える背中は何処にでもいる普通の青年の物だった。
長い付き合いのランスロットも、こんなに弱気なレイヴンを見るのは初めてだ。
感情の揺らぎがここまで激しい物だとは予想していなかった。
けれど、今のレイヴンの姿には思い当たる節がある。
「多分だけどよ……それは“恐怖” ってやつだと思うぜ」
「恐怖だと……?」
恐怖を感じた経験は幼い頃、森へ一人放り出されて生死の境を彷徨っていた時、初めて魔物に襲われた時に感じたくらいだ。
今の様な力を手にするまで、ずっと戦いに明け暮れていた。レイドランクだろうがフルレイドランクだろうが関係無い。そういう相手にすら恐怖を抱いた事は無い。
「分かってるさ。今感じているのは自分自身への恐怖なんじゃねぇか?」
「そんな馬鹿な事があるか。俺は今までそんな事は一度も……」
「お前、最近その魔剣をよく使う様になっただろ。俺は魔剣なんて使った事ねぇから、よく分からないけど、今頃になって魔剣の力を受け入れるのが怖くなったんじゃないか?」
「……」
「でも、レイヴンはずっと……」
「まあな。でも、違うんだ。これは慣れが生む恐怖ってやつだ。今まで当たり前にしか思っていなかった事が急に恐ろしい事をしていると感じる事がある。例えば、そうだな……」
それは武器を手にする誰しもが一度は経験する感情。
初めて武器を手にした子供が親に連れられて狩に行ったとする。
当然、全てが初体験。やる事なす事、全部に精神を張り詰めてなきゃいけない。獲物を仕留める時だってそうだ。慣れない武器に初めて味わう命を絶つ感触。気持ちいいものじゃない。けれど、それも最初の内だけだ。必死になって何度も狩の回数をこなして行く内に当たり前になる。感謝とかそういう気持ちを忘れるって事じゃ無い。行為そのものが当たり前になるという意味だ。
そして、当たり前を繰り返す内……それも唐突に気付く。
自分がやっている事の重さに。
自分が手にした力の大きさに。
それは成長の証。
新しい力を手にした責任を実感する瞬間。
「そういうのは大抵、慣れて心に余裕が生まれた時になるんだ。ふと我に返って思い返す。その時に感じるのが……」
「それが恐怖だと……?今感じている震えもそれが原因だと?」
ランスロットは無言のまま頷いて話を続けた。
「狩に使う武器と魔剣とじゃあ全然違うけど、つまるところはそういうこった。お前が感じてるのは正にそれだ。そして、その心に出来た余裕を持て余してると俺は見たね」
「それじゃあ、レイヴンはもう剣を持てないの?」
クレアの何気ない疑問にレイヴンの体がビクリと震える。
「ごめんなさい……」
「いや、いい。手が震える理由が分かっただけでも十分だ。お前が謝る必要は無い」
心の余裕が生んだ恐怖。
ならば、この震えはどうすれば良いというのか。
「まあ、本来なら?じっくりと慣れろって言うとこだけどよ。今までがむしゃらに戦って来てたんだ。今更手加減したって疲れるだけだろ?だから、余計なこと考えずに思いっきり暴れて来いよ。スカッとして来い、スカッと!そうすりゃ、不安なんか一発で吹き飛ぶぜ!」
ランスロットがレイヴンに投げかけた予想外の言葉。
だが、無責任にすら聞こえる言葉にレイヴンは救われた気がしていた。
レイヴン自身、ずっと抑えて来た力を自ら解き放てと言う大胆な言葉を受けて、レイヴンは笑いが込み上げて来るのを抑えられなかった。
「くくくく、あはははははは!!!」
「レ、レイヴン⁈ 」
「お、そんな笑い方も出来るんじゃねぇか。ちゃちゃっと終わらせて飯にしようぜ」
何ともランスロットらしい。
レイヴンが力の制御を誤るなどとは微塵も思ってはいない。
レイヴンだって、皆の自分を見る目に宿る“怯え” に気付いている。
『お前の様な魔物混じりが、万が一にも魔物堕ちしようものなら、一体誰が止められる?頼むから大人しくしていてくれ』
別に言葉にしなくとも、そう考えている事くらい手に取るように分かるのだ。
どんなに親しく話していても、そういった怯えが無意識に目の奥に宿っているのが見える。それは仕方の無い事だし、自分だって魔物堕ちしないで済むのなら、こんな特別な力なんていらない。
(言ってくれる。やってやろうじゃないか……)
レイヴンの手の震えはいつの間にか止まっていた。
「えっ、レイヴン……?」
レイヴンはクレアを抱きしめた。
こんな自分について来てくれる。
もう、ぐだぐだと悩むのは止めだ。
今までがそうであった様に、これから先もがむしゃらに進めば良い。
制御だの手加減だなどと考えるのも止めだ。
力づくで捻じ伏せる。
「ありがとう。もう大丈夫だ。俺はまだ戦える。よく見ておけ。いつか、もしもいつか……俺がーーーーーー」
周囲の騒音が一層激しくなり、南門の辺りで火柱が上がるのが見えた。おそらく、あの中心にいるのはカレンだろう。
兵士達の勇ましい声が此方まで響いて来る。
「ランスロット……感謝する」
「別に。俺はスカッとして来いって言っただけだぜ」
「ふふ、そうだったな。ルナの所まで戻ったら王都全域に結界を張る様に言ってくれ。結界が張られたのを確認出来次第、攻撃を開始する。精々スカッとさせて貰う事にする。加減は無しだ」
「任せとけ。じゃあ、また後でな」
「ああ、また後で」
「レイヴン……さっきの……」
「クレアもランスロットと一緒にカレンの傍へいろ。アイツならどうにかしてくれる」
「うん……分かった」
剣を拾い上げたレイヴンを確認したランスロットとクレアは、カレン達の元へと急いだ。
「さて、お前には随分と余計な気苦労をさせられたな。今まで便利な剣だと思っていただけだったが、これからは違う。力を貸せ。俺がお前の主だ」
ーーーーードクンッ
レイヴンに応える様に魔剣の鼓動が王都に響いた。