忘れられた街とミートボールパスタ
冒険者の街パラダイムから、レイヴンの足で東へ一日進んだ場所。
深い森の中にひっそりとその街はあった。
「最後にこの街に来てから五年経つのか……」
そこはかつて東のオアシスと呼ばれた街『オーガスタ』
たった一体の魔物の襲撃に遭い、一夜にして滅び、廃墟と化した街だ。
レイヴンが報せを受けて駆け付けた時には、魔物が建物を破壊して住民達も全員殺された後だった。真っ赤に染まった瓦礫の山を見た時、諦めと共に俯いたのを覚えている。
あと半日、一時間、せめて半刻、救援の報せが早ければ……。
(いや、都合の良いもしもだなんて無い)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
瓦礫の山と成り果てた街を歩く。
賑やかだった大通りも、皆が憩いの場として寛いでいた筈の庭園にも、誰一人として生存者の姿はない。
奇妙な事に死体が一つも無かった。
あるのは壁にこびり付いた肉片と、綺麗な模様を描いた石畳みを赤く染める血の跡だけ。
自分の足音がやけに響く。
誰か一人だけでも良い。生きていて欲しい。
そう願いながら生きている人間を探して歩き回った。
そんな事をしても無駄だと分かっている。
この街にはもう人間の気配は無い。
大通りを抜けた先の広場。壊れた噴水の上で立ち尽くす魔物を見つけた。俺はすぐに、その魔物が俺のよく知る女性だと気付いた。
彼女の名前はエリス。
産まれて初めて俺という存在を認めてくれた人。
俺と同じ、禁忌の子。魔物混じりだった。
他人と関わる事を拒絶していた俺に、他人に心を許せるかもしれないと思わせてくれた女性。
けれども、今俺の目に写る彼女の姿には、かつての面影は無かった。
美しい金色の髪も、優しく微笑んでくれた唇も、そっと優しく頭を撫でてくれた白くて綺麗な手も、真っ直ぐ俺を見つめてくれた透き通った瞳も……何もかも醜く変わり果ててしまった。
俺の前に立っているのは一匹の化け物。
街を破壊し、街の人間を喰らい尽くした魔物だ。
「レイ……ヴン…」
化け物の口から溢れたのは俺の名前。
掠れた声に微かに彼女の声色が混じっている。
止めてくれ。
そんな声で俺の名を呼ばないでくれ……
俺が聞きたいのはそんな声じゃ無い……
「私……殺し、ちゃった…皆…止められない、の。…お腹が…空いて……でも、……体が…勝手、に……お願い………」
抜け落ちた髪、醜く裂けた口、住民達を切り裂き赤く染まった手、紅くギラついた目……
彼女の目から滴り落ちる赤い涙が地面を濡らしていく。
微かに残ったエリスの声を聞く度に、彼女と過ごした日々の想い出が蘇る。
受け入れ難い現実を前に足元がグラつく。
認めたくなかった。
エリスは『魔物堕ち』してしまった。
禁忌の子に流れる魔物の血が、体を侵食した末に起きる症状。
それはある日、唐突に訪れる。
一度でも魔物の血が暴れ出したら、それを止める術は無い。
だが、もしも…。もしも、人間の理性を保てたなら、人に戻れる可能性はある。
それは途轍も無く低い可能性。理論的には可能だというだけの机上の空論。成功した話は聞いた事が無い。
(俺はどうすれば良い⁈ 何が出来る⁈どうすれば彼女を…苦しみから解放出来る? 何か手は無いのか⁈)
悍ましい姿となったエリスがゆっくりと近付いて来る。肥大化した体を引きずる度に瘴気を撒き散らしていた。これは魔物の堕ちの末期症状。彼女は、エリスはもう……
(駄目だ。このままじゃ駄目だ! でも、俺には君を………)
放っておけば漏れ出した瘴気から新たな魔物が生まれるだろう。そんな事になれば被害はこの街だけでは済まなくなる。
「お、願い、わた、し、を……殺し、て……ごめんね…レイヴン」
エリスがそう口にしたその瞬間、世界から音が消えた気がした。
頭の中が真っ白になっていく。
もう、見たく無かった。
もう、聞きたく無かった。
一刻も早く、エリスを苦しみから解放してやりたかった。
誰かの絶叫が遠くで聞こえる。
心を引き裂く悲痛な叫びが森に木霊していた。
俺は、この日。エリスを手にかけたーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(エリス……)
オーガスタの街は地図から抹消されている。
この場所は中央からも見放され、忘れられた街だ。
レイヴンは瓦礫と草木に覆われた大通りを抜けて、街の外れにひっそりと建つ半壊した教会へ向かって歩き出した。
教会の裏手には墓地がある。
其処には何千もの墓標が建てられていた。魔物の犠牲になった街の人達の墓だ。
死体は無い。
形だけの墓。
この場所には雑草が生えていない。
草木に覆われた街の中でこの場所だけが手入れをされている。
墓地を通り抜けた先、他よりも少し大きな木の下。
そこに彼女の墓がひっそりと建てられていた。
レイヴンは手紙を取り出し封を開けた。
中に入っていたのは押し花。生前に彼女が好きだった白い花だ。
「やっと来てくれた」
「手紙を……受け取ったからな」
現れたのはリアーナ。
エリスの双子の妹だ。声も姿も彼女と瓜二つ。
あの日、リアーナは教会の地下で気絶していたそうだ。おそらく彼女が魔物堕ちする直前、理性が残っている内にリアーナを気絶させて守ったんだと思う。
彼女を手にかけた後、足にしがみついて泣きじゃくるリアーナを見て我に返った。
右手に残る嫌な感触。
崩れ落ちた肉塊。
その後の事はよく覚えていない。
「嘘つき……。手紙なら毎年出していたもの」
「……」
「でも、ありがとう。来てくれて。もう、来ないのかと思っていたから」
「子供達は元気か…?」
「ふふふ。変わったね、レイヴン」
「変わった? 俺は何も……」
リアーナは俺から押し花を取ると彼女の墓へ供えた。
甘い香りが風に乗って届く。
懐かしい匂いだ。
「ううん。少しだけ雰囲気が柔らかくなった。以前のレイヴンなら、子供達は元気か? だなんて絶対に聞かなかったもの」
「……」
「そうだ。夕食まだでしょう? せっかく来たんだもの。子供達と一緒に食べて行きなさいよ。今夜の夕食はレイヴンの好きなミートボールパスタよ」
一瞬、不敵に笑うリアーナがエリスと重なって見えた。
彼女が生きていたら……だが、もう取り返しがつかない。
「行こうレイヴン! ほら、早く! 子供達もきっと喜ぶわよ」
「あ、ああ………」
(エリス、また来るよ……)
リアーナに手を引かれて行った先は、半壊した教会の地下。
そこでは、リアーナと十三人の子供達が一緒に暮らしていた。皆、親に捨てられた禁忌の子だ。
街や森の中に捨てられた赤ん坊から十歳くらいまでの子供をリアーナが引き取って一人で面倒を見ている。
「あ! レイヴンだ!」
「レイヴンが帰って来た!!!」
子供達に会うのも五年ぶりだ。
流石に子供の成長は早い。中には初めて見る知らない子供もいる。
「ちょっと待ってて! 直ぐに用意するから! さあ、夕食の支度を手伝ってくれる良い子は誰かな〜?」
「私、手伝う!」
「じゃあ、マリはお野菜を洗って」
「俺も!」
「キッドは、そうねぇ……じゃあ水を汲んで来て。力仕事は任せた!」
「おう!」
頼もしく育ったものだ。
子供達もよく言う事を聞いて助け合う事の大切さを理解しているようだ。リアーナはよくやっていると思う。
「リアーナ。その、何か困った事は無いか? 必要な物があれば俺がーーー」
「いらないわ」
リアーナの口から出た拒絶にも似た言葉にドキリとした。
「……」
「どこかの誰かさんが定期的にお金を送ってくれるから、そんなに不自由はしていないの」
「そ、そうか。変わった奴がいるんだな」
「ええ、そうね。変わってる。自分の為に使えば良いのに……」
「……」
「まあ、私がお金を稼ぐ為に働きに出なくても、ずっと子供達の側に居て面倒を見られるから、助かってるけどね。でも、私達が本当に欲しいのは安心感……いつか、私達の内の誰かが姉さんみたいにーーー」
「リアーナ姉ちゃん! 水汲み終わったぜ!」
「ようし! じゃあ次は皆んなの分のコップとお皿を用意してね」
「任せてよ!」
“姉さんみたいに” リアーナは確かにそう言った。
魔物堕ちは、禁忌の子の誰がなってもおかしくはない。
一人一人、体の中に流れる魔物の血の濃さが異なる。
いつ誰が魔物堕ちするかというのは予測出来ないのだ。
魔物混じりと呼ばれる者達が抱える不安。
ある日突然、自分が化け物になってしまう恐怖が常に付き纏っている。
(今の俺なら……)
旅をする中で一つだけ方法を思い付いた。まだ試した事は無い。しかし、この方法ならば魔物堕ちした人間を元に戻せるかもしれない。だが、それはリアーナには言わないつもりだ。
それを実行した時、今のままの自分である保証は無い。
オルドは “知識” と “きっかけ” をくれた。
エリスは “人間らしさ” と “心” を教えてくれた。
(俺には何が返せるだろうか。もしもその時が来たなら、俺は……)
「ちょっと! 何ぼうっと突っ立ってるの! 夕食の準備が出来たから席に座って! 皆んな待ってるんだから!」
「やーい! リアーナ姉ちゃんに怒られてやんの!」
「こら! キッド! レイヴンをからかわないの!」
あちこち傷んだテーブルには、清潔感のある真っ白なクロスがかけられていた。
自分で食事の出来る子供達はきちんと自分の席に座って待っている。
一番歳上のマリとキッドは、まだ幼い赤ん坊の世話を自ら率先してやっていた。リアーナが子供達の母親代わりとして教育したのだろう。皆んなで協力する事、自分達のおかれた状況を全員理解しているように見えた。
皿に盛られたミートボールパスタの香りが食欲を掻き立てる。
大きさの違うミートボール。子供達が手伝った物だ。
その中に他よりも少し大きなミートボールがあった。多分、リアーナが作った分だ。
「み、見た目は悪いけど、これでも上達したのよ⁈ 味だって姉さんが作った物に負けていないんだから!」
ミートボールパスタはエリスの得意料理だ。
冒険者として仕事を始めた頃、碌な依頼の回って来なかった俺達は、金が無い日々を過ごしていた。肉が入った料理なんて滅多に食べられなかった。貧しかった俺達の唯一の贅沢。
それがエリスの作るミートボールパスタだった。
「それじゃあ皆んな。夕食にしましょう。ちゃんとお祈りをしてからね。今日も一日、皆んなで生きる事が出来た事に感謝を……」
「「「感謝を……」」」
祈りを終えた後は戦争の様な騒がしさだった。
立って歩く者こそ居ないが、今日あった出来事を話したり、明日何処へ探検に行くかの話題で盛り上がっている。
「ごめんね。うるさいでしょ?」
「いや、構わない。こういうのは……嫌いじゃない」
「そう、良かった……」
リアーナの作ったミートボールパスタは絶品だった。
見た目は悪いが、味は確かにエリスが作った物と同じくらい美味しい。とても懐かしい味がする。
リアーナはエリスと違って料理が下手だった。ここまでの味にするのに随分練習したんだろう。
懐かしい味を噛み締めながら、黙々と食べていると、いつの間にか子供達が俺の顔を覗き込んでいた。
「レイヴン……どこか痛いの?」
「男は泣いちゃいけないんだぞ! 泣く奴は弱虫だ!」
「そんな事ないもん! レイヴンは強いもん! キッドよりずっとずうっと強いもん!」
「うるさいやい! 俺だって大きくなったら、レイヴンみたいな強い冒険者になるんだ! レイヴンなんか直ぐに追い越してやるさ!」
「もう! お行儀悪いわよ! 自分の席に戻りなさい!」
リアーナに叱られた子供達が自分の席に戻って行く。
「安心した。まだ、ちゃんと泣けるじゃない……」
リアーナはそれっきり何も言わなかった。
レイヴンは自分の目から溢れて止まらない涙を拭いながら、少しだけしょっぱくなったミートボールパスタを飲み込んだ。