対峙する悪と悪
レイヴン達が王都へ向かっている間、王都は水を打った様な静けさに包まれていた。
かと言って兵の士気が低い訳では無い。これまで頑なに沈黙を守って来た大臣達が一斉に動き出した事で、窮地に追い込まれた現状を打破する刻が近い事を悟ったのだ。
そしてもう一つ、南の街を占拠していた魔物の群れが何者かの手によって殲滅されたとの噂が流れていた事も追い風となった。これは大臣の一人がわざと流した噂だ。
この疲弊し切った現状下において、不確かな情報は悪戯に兵や民の心を乱す事になりかねない。しかし、大臣達の号令で事態が大きく動く今であれば、降って湧いた噂話にも信憑性が持てるという物。
結果として兵の士気は上がり、大臣達は敢えて残り少ない食料を惜しみ無く振る舞う事で体力を付けさせた。
この作戦が失敗すれば、二ブルヘイムは滅び、全て水泡に帰す。正に背水の陣といった様相である。
食料の再分配と兵士の再編成を済ませた大臣達はレイナ姫の眠る部屋の封印に取り掛かっていた。
「魔法が使える者はこれで全員か……」
「姫の眠りを解く為に優秀な魔法使いが何人も犠牲になったからのう」
「今それを言っても仕方あるまい。とにかくこの部屋を安全な状態にするのだ。竜王が一体どんな手を打ったのか分からぬ以上、何があっても良い様に、姫だけは何としてもお守りせねばならん」
「さあ、早く封印をーーーーー」
「な、何だ⁈ 」
「何だこの揺れは⁈」
激しく突き上げる地鳴りに城の窓が次々と割れ、城壁に配置しておいた兵士達の慌てふためく声が聞こえて来た。
「きゅ、急報!!!城内にとてつもなく巨大な魔物が出現しました!此処は危険です!急いでお逃げください!!!」
「何だと⁉︎ 城の結界はどうした⁉︎ 何故魔物が城内に入って来られる⁇ 」
駆け込んで来た兵士の報せを受けた大臣達の顔は一様に青ざめていた。
城には今、地脈を流れる魔力を利用した大規模な結界が張られており、魔物の侵入を防ぐ絶対の防衛策として機能している筈であった。
「城下は?城下の民達はどうなっておる⁈ 」
「城下街には今のところ被害は確認出来ておりません!」
「なんという事だ……まさか直接ここを狙って来るとは!」
「落ち着け!全兵士に通達!城壁の守備に第四、第五歩兵部隊を残し、第一から第三までの部隊の主戦場を城へ移す!何としても城へ侵入した魔物を倒すのだ!」
「ハッ!」
動揺を押し殺してどうにかレイナ姫の眠る部屋を封印する事に成功した大臣達の視線は、竜王から送られて来た手紙へと集まっていた。
全ては竜王の放った矢に託された。
「何としても、何を犠牲にしてでも時間を稼ぐのだ。我々にはもう後がない」
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城の東側にある塔の天辺で周囲の様子を観察していたカイトは、城の混乱が予想よりも小さい事に不満を漏らしていた。
「兵の配置が予想と違うな。それに意外と対応が速い。チッ、何処の誰だか知らないけれど、余計な事をしてくれたものだ……」
大臣達にここまで大胆な策を講じる気力が残っているとは考え難い事だ。であれば、何者かが情報を流した。或は、入れ知恵をしたかだ。それも単なる入れ知恵では無い。疲弊しきった王都に希望を抱かせるだけの確たる何かだ。
悪魔にとって人間の抱く恐怖は良い餌となる。
国を再興するからには本城を壊してしまっては元も子もない。そう思って東塔に出て来た訳だが、これでは面白くない。
「まあいい。いずれにしろ、もう直ぐ陽が落ちる。もうう少しの辛抱だよ、レイナ」
レイナは東塔に巻き付く様にして触手をうねらせていた。
巨体過ぎる体の大半はまだ地中に埋まったままだ。
「さてさて、レイヴンはもう暫くは到着しないだろうし、それまで餌の補給をさせてもらうとしようか」
ーーーーーー愚か者が。
声の人物に気付いたカイトは、わざとらしく大袈裟な礼をとって見せた。
「これはこれは……女王陛下。まさか、お目覚めになられていたとは……しかし、一体どうやって?」
「ここは妾の城ぞ。貴様の好きにさせると思うてか?」
東塔に繋がる通路を歩いて来たのは強固な呪いで眠りについていた筈の女王であった。
レイナの姿から本来の姿に戻った女王は表情の無い冷たい顔は何度見ても気味が悪い。
ごく一般的な観点から見れば、大半の人間が美女だと言うだろう。けれど、カイトには女王から美の欠片も感じられなかった。
カイトにとって美しさとは外見だけを言うのでは無い。肝心なのは魂。高潔で力強い輝きを持たない魂など、どんなに器が美しくとも無価値。
その点、レイナは完璧だ。姿形が醜くなろうとも、その魂の輝きは失われてはいない。寧ろ人間の姿であった時よりも魂は洗練されて唯一無二の輝きを放っていた。
「悪魔崇拝を推し進めたのは妾じゃ。……二ブルヘイムに顕現した悪魔が貴様だけだとでも思うたか?」
女王の背後に現れた三つの影。
いずれもカイトよりも上位の悪魔達だ。ただし、奴等は名を持たない。未だ人間を喰っていないからだ。
「それで?その三体の悪魔がいれば俺を止められるとでも?あまり悪魔を舐めない方が良い。階位だけが悪魔の強さだと思っているのならとんだ勘違いだ」
「クククク……アハハハハハハ!!!愚か者は貴様の方だと言ったであろう!」
「……どういう意味だ」
女王の影が広がると同時、三体の悪魔達は何の抵抗も無く影に喰われてしまった。
人間である筈の女王にそんな芸当が出来る筈が無い。
「妾が眠っている間、何もしていなかったとでも思うか?忌々しい我が娘レイナと貴様が妾を葬ったつもりでいたのなら、それこそ大きな勘違いというもの……」
薄気味悪い笑みを浮かべたままの女王の放つ気配が尋常では無いほどに高まっていく。
「さあ、出て来るがいい!忠実なる妾の僕!妾の軍勢!!!妾の国を奪おうとした愚か者共に思い知らせてやるのだ!この二ブルヘイムが一体誰の国なのかという事を!!!」
女王が高らかに叫ぶと、二つの太陽が沈み、闇が訪れた。
空を覆っていた分厚い雲が晴れ、真っ赤に染まった不気味な月が姿を現し王都を赤く照らしていく。
(赤い月だと?)
赤い月に照らし出されて伸びた影は王都を覆い尽くす様に広がり始めた。
やがて影が王都を完全に覆い尽くした。
(これは只の影では無い……!)
騒めく王都に訪れた一瞬の静寂。
影から這い出て来たのは大量の悪魔と魔物だった。
「ひやああああ!ま、魔物が城内に!」
「あ、アレを見ろ!」
「あ、あ、あ、ありえない……魔物に囲まれてる⁉︎ 王都が魔物の群れに囲まれている!」
城内、城下の街、そして城壁の外までも埋め尽くす大軍勢の出現に兵も民も大混乱に陥っていた。
「チィッ……そうか、そういう事か。女王、貴様……魔界とこちらの世界を繋いだな⁈ 一体いつから入れ替わっていた⁈ 」
只の人間には不可能。であれば、女王自身が悪魔となって魔界との扉を開いたとしか考えられない。
だが、女王はそんなカイトの言葉を嘲笑う様に言った。
「ククククク……入れ替わる?まさか、この妾が悪魔にでもなったと?ククククク……これは愉快な事を言う……」
カイトを見据える女王の目は、いつしか魔物混じり特有の赤い目へと変化していた。
「馬鹿な!魔物混じりだと⁈ どういう事だ!貴様の家系に魔物混じりはいなかった筈だ!」
レイナも元は普通の人間。母親である女王を殺害しようとした時に受けた呪いによって今の姿となった。だが、問題はそこでは無い。女王は三体の上位悪魔を自らの体内に取り込んで平然としているのだ。
魔物を操る悪魔が魔物混じりに喰われるなどあってはならない事だ。
「何をそんなに驚いておる?妾は直系では無い。そんな事すら忘れたか?」
「……ッ!」
女王は自らが王として即位する為に魔法を使い、ずっと普通の人間だと偽っていたのだ。
当然、実の娘であるレイナも魔物の血を引いている。
その事が今の今まで露見しなかったのは、女王が使った魔法と同じ物をレイナにかけていたからだ。
「……いくら軍勢を従えようとも、女王である貴様を倒せばそれで終わりだ。レイナ!」
放たれた触手が鞭の様に女王を狙って放たれた。
しかし、影から這い出て来た魔物によって阻まれて女王には届かない。
魔物堕ちした上に数多くの魔核を体内に埋め込んだレイナの力は常識では考えられない高い次元にある。だと言うのに、女王はそれすらも押し返してくる。
「くそ!何故だ⁉︎ 力では此方が勝っている筈だ!」
「愚かな……。どういうつもりでレイナを誑かしたのかは知らぬが、そんな事今更どうでもよいわ。妾の国には必要無い。邪魔者は排除するのみ。共に滅ぶがいい!クククク……アハハハハハハ!!!」
巨大なレイナの体に取り付いた魔物がレイナの体を蝕み始めていた。
もがくレイナを見たカイトは咄嗟にレイナを地中へ逃がそうと叫ぶ。
「くっ……!レイナ!!!今は退く!振り解け!」
だが、巨大になり過ぎたレイナでは体に取り付いた魔物を振り解く事が出来ないでいた。いくら触手を伸ばしても、次から次へと魔物が押し寄せて来る。魔物は次第に数を増し、レイナの体を覆い尽くすまでになっていった。
「くっ!」
再び女王への攻撃を試みるも、魔物や悪魔が盾となって届かない。
「哀れな娘……。その様に醜い姿と成り果てても尚、母である私を殺そうというのですか……母であるこの私をッ!!!」
「逃げろ!レイナ!!!」
激昂した女王の手に出現した巨大な鎌がレイナの体を引き裂こうとした瞬間、赤い雷が轟音と共に降り注ぎ、巨大な鎌を弾き飛ばした。
「誰じゃ⁉︎ 」
(この魔力は……!)
カイトと女王が見上げた先。赤い月を背にして空中で佇む影があった。
全身を黒い鎧で身を包み、手には先程の一撃を放ったであろう赤い魔力を纏った異形の剣。そして、背中には黒と白の美しい翼を携えていた。
「俺の敵は、どっちだ?」