勘違い
方角もあやふやな凍て付く氷の大地を歩く影が二つ。
先頭を歩いていたレイヴンはいつもの無愛想な顔のまま。けれど、次第に苛つき始めていた。
後ろをピタリとくっついて歩くミーシャがずっとレイヴンの服を掴んでいて歩き難い。
「もう少しどうにかならないのか……」
「無理です。何度言われても無理な物は無理なんです!」
「……」
ずっとこの調子だ。置き去りにするつもりは無いと何度言っても頑なに手を離そうとしないのだ。
「荷物の中にロープはあるか?」
「ありますよ。大抵の物は全て揃ってますから」
ロープを受け取ったレイヴンは素早くミーシャの体に巻き付けて片方を自分の手に括り付けた。
「えっ……あの、レイヴンさん?私の腕ごと巻いちゃってますけど……身動きどころか、指先に血が通って無いっぽいんですけど……」
「我慢しろ。直ぐに終わる」
レイヴンは身動きの出来なくなったミーシャに近付いていく。
「え?え?え?」
「問題無い。俺に任せろ」
「あ、ああああああの、わ、私、こういうのはちょっと……でもでも!初めてがこういう変わった感じなのもちょっとだけ悪く無いかもなんて思ってみたり、見なかったり……あわわわわわわ……!」
ジッとミーシャを見つめるレイヴンの赤い目に、動揺を隠し切れないミーシャの姿が確認出来る距離まで近付いた時、ミーシャは覚悟を決めて目を閉じた。
「ふむ……まあ、厚手の服が邪魔だが、このくらい縛っておけば大丈夫だろう」
「あ、あの!初めてなのであまり激しいのはちょっと……」
「ん?問題無いと言った。こういうのは過去にも何度かあったから大丈夫だ」
「な、何度か⁈ ま、ままままままさか!エリスさん?それともリアーナさんと⁈ まさか二人同時に⁈ だから縛って……。ああ、お父さんお母さん……私は今日、辺境の地で大人の階段を登ります……」
「何を言っている?黙ってろ。舌を噛むぞ」
突然ミーシャを襲った浮遊感に違和感を感じて目を開けてみると、レイヴンの足と氷の大地が視界に映った。
「へ?」
「起きろ。今回は更に数が多い。少々強めにやる」
ドクンッーーーーーー
魔剣の解放を報せる心臓の鼓動にミーシャは自分の置かれた状況をようやく理解した。
「う、嘘でしょ……」
勘違いしてしまった恥ずかしさよりも強烈な危機感がミーシャを襲って来たのとほぼ同時に、今度は景色がとんでもない速さで流れ始めた。
「うぎゃああああああ!!!は、速ッ……いいやあああああああ!!!」
高速で流れる景色に混じって魔物の血が氷の大地を赤く染めていくのが辛うじて見える。
一撃で仕留めているのだろう。魔物は悲鳴を上げる事も出来ずに死体の山を築いていくばかりだ。
「チッ……どうやら俺を王都へ近付けさせたく無い奴がいるらしい……」
ダストン復活に魔力の大半を持っていかれた状態では思うように体が動かない。
「あ、あわわわわわわ!!!レ、レイヴンさん!これって⁈ 」
「意地でも離れないと言ったのはお前だ。我慢しろ」
「そ、それはそうですけど!!!」
「予定変更だ。少しの間だけ全力でいく」
「ちょ……」
レイヴンの言葉に合わせて魔剣が更なる力を解放する。
心臓の鼓動が高鳴り、黒い霧がレイヴンとミーシャを包んでいった。
「わわわわわわ!」
黒い鎧に身を包んだレイヴンがゆっくりと体を沈めていく。
バサリとレイヴンの背中に生えている翼が風を切る音がした瞬間。ミーシャの目に信じられない物が映っていた。
黒一色であった筈の翼は片方だけ白い翼へと変化していたのだ。
「白い翼……綺麗……」
それは昇格試験の時にリヴェリアが見せた白い翼と同じ輝きを放っていた。
「行くぞ」
「え⁈ あ⁈ いやああああああ!!!降ろしてぇーーー!!!」
魔力を放出する攻撃が使えないなら機動力に任せて魔物を倒せば良い。
実にレイヴンらしい単純な答えだ。
(やはり、これが手っ取り早くて良いな)
ミーシャを担いだ事で小回りが効かなくとも、急速旋回ならお手の物だ。
スピードに振り回されていた時のクレアがしたように、剣を地面に突き立てて強引に進路を変えてやれば良い。
勢いに乗ったレイヴンは魔物の群れを殲滅しつつ王都へ向かって北上を開始した。
魔物の数が増えれば増える程、目的地に近付いていると分かる。
カイトは王都で会おうと言った。であれば、カイト以外にも魔物を操っている奴がいるという事にもなる。
「悪いな。貴様らが生きていては餌にされるだけだ。一匹も逃がさない……」
気絶してしまったミーシャは気付かない。
この時レイヴンを満たしていた感情がレイヴン自身を苦しめる事になる事を。
レイヴンは知らない。
自分の顔が兜の下で殺す事の快楽に醜く歪んでいる事を。
それは新たな可能性の始まりを告げる変化。
リヴェリアとマクスヴェルトが想定していなかった感情の渦は、出来たばかりの天秤の上で揺れ続けていた。
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一方、レイヴンが凄まじい速度で北上を続けている間。レイヴンを追いかけて王都を目指していたランスロット達は完全に道に迷っていた。
街を出た時には一つしか無かった筈の太陽がいつの間にか二つに増えていたからだ。
「こっち!」
「違うよ!絶対こっちだよ!」
「ルナちゃんこそ、そっちは違うよ!」
そう、ランスロット達は目印となる物が何も無い広大な雪原をクレアとルナの感覚だけで歩いていた。
ようやく出会えたと思ったレイヴンが再び姿を消してからずっとこの調子だ。
「おいおい……頼むぜ二人共。喧嘩するなよな。お前ら二人の感覚だけが頼りなんだぜ?」
「分かってるよ!だけどクレアが!」
「ルナちゃんが!」
「はあ……お前らなあ……」
二人は決して仲が悪いという事は無い。むしろ中央での訓練中は意気投合してまるで姉妹の様に寝起きを共にしていた。
「ふあああああ……レイヴンはあっちよ。二人の指差している方角には魔物しかいないわ」
「お、やっと起きたか。って!また寝てるし!お前本当はずっと起きてんじゃねえのか⁉︎ 」
どれだけ揺れても起きなかったカレンがようやく目を覚ましたと思ったら、レイヴンがいる方角だけ言ってさっさと
「「誰?」」
「お、お前ら今更かよ……ずっと背負ってただろ?コイツはカレン。遠征ばっかやってる冒険者チームの団長で俺とレイヴンの昔馴染みってとこだ」
「「ふーん……」」
「ふーん、って。それだけかよ?」
「「今はレイヴン見つけるのが先!」」
クレアとルナはカレンの事などお構い無しといった様子で、カレンの指し示した方角に向かって歩き出した。
「そんなに息ぴったりなのに何で喧嘩するかねえ……」
ランスロットは遠くなる二人の背中を眺めながら溜め息を吐いた。
クレアとルナ。二人に共通するのは人工生命体である事と、魔物堕ちした状態からレイヴンの力によって救われた事だ。身寄りの無い二人にとってレイヴンの存在は絶対。全幅の信頼を置いている。
だと言うのに当のレイヴンに二度も置いて行かれては、二人が怒るのも無理もない。
「あの二人、普通の人間じゃ無いわよね?どうなってるの?」
「やっぱり起きてやがったな……。ミーシャから聞いてねえのかよ?」
寝ていた筈のカレンはやはりと言うかなんというか起きていた。
ランスロットに運ばせておいて自分はゆっくり休んでいたという訳だ。
「ちょっと話し難そうにしてたから聞いてないわ。いくら私だってそこまで図々しくは無いもの。それよりほら!説明!」
「ったく、しょうがねえなぁ。二人と離れ過ぎると不味い。歩きながら話す。それと、二人はあくまでも人間だ。その事を忘れないでくれ」
全く悪びれた様子の無いカレンに呆れつつも、ランスロットは二人に関する情報を話す事にした。