レイヴンでは無いレイヴン?
太陽の光の届かない暑い雲の下。
吹き荒れる雪を払い除けながら北を目指している影が一つ。
分厚い防寒具に身を包んだ胸元にはひょっこりと顔を出した鳥がいた。
「うう……最悪ですぅ。マクスヴェルトさん転移先間違えたんじゃないですか?ツバメちゃんも上手く飛べないみたいだし……」
「くるっぽ……」
「大丈夫ですよツバメちゃん。食料と武器とか魔具はリヴェリアちゃんが沢山持たせてくれたのでどうにかなりますよ。多分……。それより此処は一体どの辺りなんでしょう?簡単な地図しか無いからよく分からないですね……」
「くるっぽ!くるっぽ!」
ツバメちゃんが翼で指し示した方向に黒い影が見える。
鞄の中には魔物対策用の魔具がいくつかある。けれど、魔物が複数だった場合、今のミーシャではどうしようも無い。
「い、いきなりピンチですぅ……」
身を屈め息を殺して黒い影が通り過ぎるのを待つ。
視界が悪いのは相手も同じ。幸いこちらが風下だ。このままじっとしていればやり過ごせる。
張り詰めた緊張感。危険な場所にはいつもレイヴンやリヴェリアの仲間達がいた。いつも助けられてばかりのミーシャはいつも申し訳なく思っていた。
(私だって……)
クレアとルナが訓練をしている最中、何もしていなかった訳じゃ無い。
どれだけ頑張っても戦闘が身に付かなかったミーシャは、せめて戦闘の足で纏にならない様に支援に特化した訓練を積んで来た。と言っても、この約一年で体得出来たのは気配を消す方法と薬の調合だけ。とてもクレアとルナの様には上手くいかなかった。
あの二人は文字通りの天才。
リヴェリアとマクスヴェルトが太鼓判を押す驚異的な才能を秘めている。
そんな二人と比べても仕方ないとは分かっていても、一緒にいる為には他に選択肢は無かったのだ。
「ふぁ……ぁあああっくっしょん!!!」
豪快なくしゃみが背後から響き渡った。
「いやああああああああ!!!」
「くくくくくるっぽーーーーー!!!」
心臓が口から飛び出そうな程に驚いたミーシャは恐怖のあまり尻餅をついてしまった。
「あはははは!ごめんなさい。風で髪が悪戯しちゃって。って、大丈夫?」
「ぎゃああああああ!ですぅーーー!私を食べても美味しくありません!私を食べても美味しくありません!美味しく無いんですぅ〜!うわあああああん!最期にクレアちゃんとルナちゃんをもう一度抱っこしたかったですぅ!だから見逃してくださいぃぃ……」
「く、くるっぽ!くるっぽ!」
錯乱して願望垂れ流しのミーシャとツバメちゃんはそれぞれ手と翼で目を覆い隠してイヤイヤと頭を振っていた。
まだレイヴンやクレア達と合流も出来ていないのに、何処かも分からない雪原のど真ん中で最期の時を迎えるなんてあんまりだ。
「別に食べたりしないわよ?貴女、確かミーシャちゃんよね?」
「へ……?」
指の隙間から声のする方を覗き見してみる。
「ええっ⁈ エリスさん⁈ じゃなかった、レイヴンさん⁈ 」
目の前にいたのはエリス先生の姿となったレイヴンだ。腰にはいつもの魔剣がある。
しかし、声も雰囲気もあの時とはまるで別人。それに、話し方も何処か余所余所しい。
「残念。レイヴンだけどレイヴンじゃないの」
「どういう……?」
「いろいろあってね。ほら、立って」
ミーシャは差し出された手を握って立ち上がると、レイヴンだけどレイヴンじゃないという女の人に向かって礼を言った。
「あ、ありがとうございます……」
「くるっぽ」
「その子は精霊ね。この辺りは精霊の召喚に必要な力の磁場みたいな物が弱いから召喚したままだとミーシャちゃんの魔力が無くなっちゃうわよ?」
「ああ!それでずっと怠かったんですね!ツバメちゃんまた後でです」
「くるっぽ!」
ツバメちゃんを帰還させたミーシャは鞄から魔力回復薬を取り出して口に含んだ。
戦闘用の魔法は何も使えないといっても、魔具を使用するのには少なからず魔力が必要だ。こまめに補充しておかないといざと言う時に間に合わない。
「北を目指しているんでしょう?一緒に行きましょうか」
「え、でも。貴女は一体……」
レイヴンが女の姿になった時は顔は違っていても無愛想な顔と雰囲気はそのままだった。けれど、今目の前にいる女の人は……。
「ふふふ。大丈夫、敵じゃないから安心して。それと、何か武器持って無い?私じゃ今の魔剣を扱えないのよ。全然別物になっちゃってるから」
「は、はあ……。一応一通りの武器はありますけど……」
“今の魔剣を扱えない”とはどういう意味なのかよく分からない。
魔剣に触れても魔力を吸われる様子も無い事から、レイヴンに関係している事には違いないのだから大丈夫。取り敢えず剣で良いだろう。という半ば思考停止な結論を出した。
レイヴンに女性らしい言動や仕草が出来ない事はフローラと一緒に確かめたのでよく知っている。
(レイヴンさんが演技してたら驚きですけど、不器用だからなぁ)
どの道ミーシャ一人ではどうにもならない上、敵では無いと言うのなら信じるしか無い。
ミーシャはマクスヴェルト特製の鞄から剣を取り出して見せた。
「へえ……なかなか良い剣ね。んー……」
「剣じゃない方が良かったですか?」
「そうねぇ、出来ればなんだけど片刃の剣って持ってない?無ければこれを使わせてもらうけど……」
「片刃ですか?確か……あ、ありました!一振りだけですけど、これなら……」
「わお!コレコレ!懐かしい感触だわ!」
女の振る剣は素早く、ミーシャの目では追う事が出来ない。
風を切る音がヒュンと鳴った後、剣を鞘に納める音が心地良く響いた。
やはり別人だ。
体はレイヴンの筈なのに剣筋はまるで違う。
体に染み付いた剣の癖はそうそう変えられる物では無いとリヴェリアが言っていた。であれば、やはり……。
「ちょっと強度が心配だけど、贅沢は言ってられないか。ミーシャちゃんありがとう。借りておくわ」
「は、はい。それは良いんですけど、貴女の事は何て呼んだら?というか……聞きたい事が山程あるんですけど」
「あ。そっか。自己紹介して無かったわね。私は貴女達の事をよく知っているからつい忘れてたわ」
(知ってる?)
「私の名前は……あれ?私って何て名前だっけ?」
「へ?」
ポカンとして見つめ合う二人。
「あー、ちょっと待って!もうちょっと!もうちょっとなのよ!この辺まで出て来てるんだけど……あー!駄目だわ……えっとぉ……思い出せない。何でぇ?」
何でと言われても困る。
自分の名前を思い出せないなんて怪し過ぎる。
「じゃあ、取り敢えずロアさんって呼んで良いですか?エリスさんの名前を勝手に使う訳にはいかないので」
「ロア?あれ?確か知り合いにそんな名前の……。ま、良いわ。どうせもう死んでるだろうし」
「死んでる⁉︎ 」
「あはははは。もう随分昔の事だけれどね。それより、お客さんの相手をしなくちゃ」
ロアが何も無い空間に向かって剣を振り抜くと魔物の悲鳴と共に血飛沫が雪を真っ赤に染めた。
「きゃああああ!」
「この辺りの魔物は姿が見えない上に、気配を探るのも難しいのよ」
「そ、そそそそそんな!どうすれば良いんですか⁈ それじゃ迂闊に動けないじゃないですか!」
姿が見えていた所でミーシャにはどうにもならない事に変わりない。けれど、いきなり襲われるのは流石に御免だった。
今までそうとは知らずに雪原を歩いていたのだと思うとゾッとする。
「大丈夫よ。コイツらはどういう訳か北からしか現れない。それが分かっていれば、取り敢えずの対策は打てるもの。久しぶりだから上手くいくか分からないけど、レイヴンの体ならどうにかなるでしょ。見てて」
剣を鞘に納めたロアは中腰に構えて深く静かに呼吸を整える。
(この構え……)
凍てつく大地の寒さすら生温く感じる程の殺気が放たれる。
レイヴンが纏う殺気とは違う。どちらかと言うとリヴェリアに近い。
この辺り一帯の時間が止まってしまったかの様な錯覚。
ミーシャはピクリとも動かないロアの背中をじっと見つめていた。
ほんの僅かにロアの髪が揺れた瞬間にその時は来た。
「一閃ッ!!!」
眩い光と共に放たれた斬撃が地平線の彼方まで明るく照らしながら魔物を斬り裂いていった。
これはリヴェリアが見せた技『剣気一閃』だ。
しかし、その威力たるや、レイヴンの昇格試験の時にリヴェリアが見せた技の威力を遥かに凌いでいる。
「す、凄い……」
「駄目ね。レイヴンが上手く手加減出来なくて悩むのもよく分かるわ。これじゃ人間相手に使えない。寧ろよくこんな力を制御していられるわね。それに……」
「え?うわっ!剣が!」
ロアの持つ剣は根本から折れて剣先が無くなっていた。
ドワーフ族随一の鍛治師であるガザフが、リヴェリアの要請で作った最高級の武器をたった一振りで折ってしまうなど信じられない。
「ごめんなさいミーシャちゃん。また剣を貸してくれないかしら?」
「は、はひ!!!」
少しだけ悪びれた様子のロアに新しく剣を渡したミーシャは放心状態に陥っていた。
(どーして私って凄い人とばかり会うんだろう……あは、あはははは……)