謎の女とレイヴンの魔剣
クレアの放った剣は寸分の狂いも無くレイヴンの魔剣へと一直線に向かう。狙いは一つ。女の手すれすれの場所。
その高い技術は背後から追いかけていたゲイルから見ても感嘆すべき物であった。まだ年端も行かない幼い少女がここまでの剣技を身に付けている事は驚異的。正しく天才というやつだ。
「……ッ⁈ 」
剣先が触れる瞬間に魔剣を覆っていた紫色の魔力が光りクレアの剣の軌道を反らしてしまった。
勢いの付いた剣はそのまま女の体目掛けて進む。
(ダメ!止まれない!)
「そのまま走り抜けろ!」
ゲイルはクレアの背後から振り抜いた剣をクレアの剣に当てて更に軌道を反らした。
これだけの力の差がありながら相手を傷付けまいとするクレアの気持ちを汲んだ形ではあるが、ゲイルには全く理解出来ない。偶然だろうがなんだろうが仕留める機会を前に戸惑うなど愚かな事だ。
「ありがとうゲイルさん!」
レイヴンの背中を追った結果なのか、クレアが元々持っている気質なのかは不明だ。しかし、その感情はいずれ高い障害となる時が訪れる。それは自分だけで無く他者をも傷付ける事になり兼ねない。
半端な覚悟と力では何も通せない。
それこそレイヴンの様な圧倒的な力があってこそ初めて通せる我儘なのだ。
ゲイルにも騎士としの矜恃はある。
しかし同時にゲイルは自分自身の我儘を通せる程には力が無い事を自覚していた。
「戸惑うな!お前は剣の腕前は強くなったが、綺麗事を押し通せる程強くは無い。自分勝手な行動は仲間を巻き込む。肝に命じておけ」
「ご、ごめんなさい」
「クレア、私がお前に教えてやれる事は少ない。しかし、覚えておけ。戦う力だけが強さでは無い。それはレイヴンを見ていれば明らかだろう」
感情を得たレイヴンは更に強くなった。それも完全ではないらしいが、力を振るう目的が今まで以上に明確になった事が要因だと思われる。
剣に重みが増したのもそれが理由だろう。
「お前は下がれ。この場は私とランスロットに任せていろ」
「……はい」
ゲイルの言葉がクレアの心に突き刺さる。
焦っていた事は否めない。それでも、どうしても取り返したい。
あの魔剣は大好きなレイヴンの物なのだから。
クレアとゲイルが一旦離脱した後には既にランスロットが斬り込んでいた。
背中で喚き続けるルナを物ともせずに軽快に立ち回る。
豊富な戦闘経験が活きていると言えば聞こえが良いが、実際のところ余裕は無い。何しろどれだけ手数を増やそうが、ただの一撃も当たらないのだ。
繰り出される高速の剣は適確に魔剣のみを狙っている。弾かれても流れに逆らわず、新たな攻撃の糸口へと切り替えて攻め立てる。それでも女の纏う魔力を貫くには至っていない。
「うわあああああああ!揺れる!揺れる!揺れる!」
「煩いっての!ちょっと黙ってろよ!」
「そ、そんな事言ったって!お、落ちるーー!落ちる落ちる!うわあああああ!」
「ぐえぇ……おまっ、首!首から手を離せこの野郎!」
「やだ!離したら落ちちゃうもん!」
ルナと冗談を交わしながらもランスロットの手元は寸分の狂いも無い。本人は真剣そのものなのに、見ている側からはふざけて戯れている様にしか見えないのがなかなかに滑稽である。
ランスロット自身、ルナを降ろした方が良いのは勿論分かっている。
撤退はしないと決めたが、回避行動に移る際にいちいちルナを拾っている余裕は無いと考えての事だ。
「ちくしょう!全然届かねえぞ!擦りもしねえ!」
女は防御するでも反撃するでも無くただ立ったいるだけ。だというのに、紫色の魔力はランスロットとゲイルがどんなに攻撃しても全て弾いてしまう。
当然二人の攻撃に手加減など無い。
一時は不仲を囁かれたりもしたが、リヴェリアの粋な計らいによって二人の関係は折り合いがついているのだ。互いに手の内を熟知しているが故に、連携の息はぴったりと合っている。
要するにあの女の纏っている魔力が異常なのだ。質量を持った剣撃を弾き返す魔力の圧力などどうかしている。
「ゲイル!一旦離れる!」
「承知した!」
ランスロット達は止む無くまた距離を取って観察して見る事にした。
このまま攻撃を続けても体力を消耗するばかりで話にならない。
「これだけやっても眉一つ動かさないか……」
「嫌になるぜ。俺達の事なんか眼中に無いって面してやがる。黙って見てる分には結構好みなんだけどなぁ」
「お前の好みなど知らん。だが、魔力を吸われているかもしれない話は本当の様だ。最初と比べると随分圧力が減った」
「確かにな。そう言えばルナは平気なのか?全然震えた様子も無かったし」
「気にするの遅いよ!……と、言いたいところだけど。魔剣を解放したレイヴンの前に立っている時に比べたらマシだもん。このくらい平気だよ」
「私も大丈夫。レイヴンで慣れたから」
「どうにもあいつに付き合ってると自分の感覚がどんどん鈍くなってる気がするぜ」
今までであればSランク以上の魔物を相手にすればそれなりに構えたものだ。けれど、今では単騎で挑まない限りレイドランク以上の敵が相手でも平然としていられる様になっていた。
これは間違いなくレイヴンの影響だ。フルレイドランクの魔物すら単騎で倒してしまうレイヴンを間近で見ていると、大抵の敵は大したことないと思えてしまうのだ。
だがしかし、危険な兆候でもある。
萎縮せずに全力が出せるのは良い。問題は実力が伴っている訳でも無いのに危機感が麻痺してしまう事にある。
「クレア、気をつけろよ?平気っつっても俺達が強くなった訳じゃ無いからな」
「うん。分かってる」
クレアはレイヴンの事となると周りが見えなくなる。
身寄りの無いクレアにとって、レイヴンは唯一の家族だ。先走る気持ちは分からないでも無い。ただ、レイヴンについて行くつもりなら厄介事は覚悟しておかなければならない。
だからこそランスロットやユキノ達は、何があっても良いように自分達の知識や技を惜しみなくクレアに教えたのだ。
けれどクレアには経験が足りない。そこさえどうにかなればレイヴンの旅にもついて行けるだろう。
「あれ見て!女の人の様子がまた変わった!」
どれだけ剣を狙っても反応の無かった女は声にならない絶叫を上げ、振り上げた剣を氷の大地に突き立てた。
氷が砕け、大地に亀裂が走る。
桁違いに凄まじい衝撃が津波の様に大地を揺るがしていく様は圧巻だ。
「な、何だ何だ⁈ 今度は何をするつもりだ?」
「これはあの女の力か⁈ クレア!警戒を怠るな!」
「はい!」
だが女はゆっくりと魔剣から手を離すと、そのまま唐突に姿を消した。
強大な魔力の反応は消え失せ、女が立っていた場所には足跡だけが残されている。
何が起こったのか全く分からない。
女が何をしたかったのかもそうだが、もしもこの北の大陸に同じ様な力を持つ者が複数存在しているとしたら自分達だけでは旅を続けるのが難しくなる。
ランスロット達は周囲を見渡して警戒を強める。
「何で?気配が完全に消えた……」
「まだ油断は禁物だ。ルナ、何か感知出来るか?」
「何も。どうやら本当に立ち去ったみたい」
氷の大地には何も見当たらない。
この中で最も索敵に優れたルナが言うのなら問題無いだろう。
「そうだっ!レイヴンの剣!」
「駄目だよクレア!触ったら魔力を吸われてしまうから」
「で、でも……」
「ルナの言う通りだぜ?そいつはとんでもなく魔力を吸いやがる。前にレイヴンに届けた時なんか危うく死にかけたからな」
「無謀な」
「仕方なかったんだよ。まあ、とにかくそういう事だ。レイヴンを見つけた時に意識を失っていたくないだろ?」
「う、うん。分かった……」
レイヴンの剣を囲むようにして腰を下ろした面々は今後どうするか話し合う事にした。
出来る事なら場所を移したい。けれど、せっかく見つけたレイヴンの魔剣をこのままにしておく訳にもいかず、途方に暮れていた。
「前途多難だな。もし仮にこの地の魔物が我々の手に負えない程に強力なのであれば、これ以上先へ進むのは止しておくべきだ」
「まあそう結論を急ぐなって。北の調査はマクスヴェルトがある程度やってる。それに今回はクレアとルナがいるんだ。俺達に手に負えない魔物がいるのなら報告があるだろう?」
「ならばあの女は何だ?明らかに異常だ。どう考えても我々の手に負える相手ではない。今回はどういう訳か立ち去ってくれはしたが、もしも本格的な戦闘になっていたら手も足も出ない。それこそレイヴンを見つける前にこちらが全滅しては本末転倒だ」
ゲイルの言い分は最もだとランスロットも思う。
あんな奴にまともに相対出来るのは知りうる限りでは三人しかいない。
「だから結論を急ぐなって。俺の勘だけどな、多分さっきの奴が今回の厄介事の原因の様な気がするんだよ」
「レイヴンがいない事と何か関係があるの?」
「多分な。レイヴンがこんな所に大事な魔剣を捨てたとは考えられねえ。まあ、大事にしてたかは微妙だけどよ……」
レイヴンが剣を使う理由は魔物の素材を傷付けない為だ。それ以外に理由があるとすれば魔剣の力そのものだ。
「僕の心臓が使われてるんだから大事にしてるに決まってるよ!」
「わ、悪かったって。とにかく、あの女が何か関係しているのは間違いない。それに、最初に指し示した方角にレイヴンがいるとしたら、あながち敵じゃあ無いのかもしれないしな」
「どうだかな。それなら何故魔剣を持つ必要があった?まさかレイヴンに届けるつもりでも無いだろうに」
「あ、それなら一つだけ仮説があるよ」
「仮説?」
ルナは突き立てられた魔剣を指して説明を始めた。
「最初に魔剣を見つけた時、魔剣の反応はとても弱かったよね?でも、今はあの女の人の魔力を吸ってレイヴンが持っている時と変わらないくらいの魔力が充填されてるんだよ」
「持ったは良いけど、魔力を吸われ過ぎて動けなかっただけなんじゃねえか?」
「それなら手を離せば済む」
「だからさ、わざとそうしたんじゃないかって事だよ。レイヴンが魔力を失ってるとかそういう状況だとしたら?魔力を充填して僕達に届けさせようとしていたとしたら?」
「まあ、考えられなくも……いや、やっぱりそれは無いな」
「どうして?結構辻褄合ってると思うんだけど?」
状況だけを見ればルナの言う事も分かるし、辻褄的には問題無く聞こえる。けれど、大事な事を忘れている。
「ルナの意見は辻褄を合わせてるだけだ。考えてもみろよ。レイヴンだぜ?どうやったらそんなに弱らせられるんだよ?レイドランクの魔物の群れ数千体が相手でも平気な顔してそうだろ?」
「失礼な奴だな。それだけ相手にしたなら俺でも多少は疲れる」
「「「「………は?」」」」
ランスロットが振り返ると、そこにはいつもの無愛想な顔をしたレイヴンが立っていた。