予期せぬ再会
薄暗い牢の中でレイヴンは目を覚ました。
(此処は……?)
カビ臭い空気と冷たい石畳。
天井から滴り落ちる水は氷の様に冷たい。
あれからどの位時間が経ったのだろうか。幸い体には異常は見当たらない。
吹き曝しの風が防げたお陰で体力は戻っている。しかし、寒さによる著しい体力の消耗肝は厄介だ。迂闊に外へは出ない方が良いだろう。
おまけにレイヴンは大事な物が無くなっている事に気付いた。
(剣を盗られたか。当然と言えば当然だが……)
あの魔剣は大事な物だ。
しかし、レイヴン以外には扱えない代物。
主と認められた者でなければ触れただけで魔力を吸い尽くされてしまう。
一体どうやって運んだのか分からないが、放っておけば騒ぎになる。
(剣を探さないと。と言っても、今は状況を把握する方が先だな。俺を殺さずに捕らえた理由も気になる)
周囲を見回して見ても、あるのは無人の牢だけだ。
牢の中には薄い毛布が一枚。
空気の通り穴らしきものが壁に空いているが、光は見えない。
(手枷も足枷も無しとはな)
見張りの姿が一人も見えないとは何とも手薄な警備だ。
魔物混じりの力を甘く見ているのかとも思ったが、牢屋の鉄格子を触ったレイヴンはそうでは無いと理解した。
一見普通の鉄格子に見えるが、魔法による結界が施されていたのだ。
(なるほど、不用意に触ると結界が体を焼く仕組みか)
この手の牢屋はレイヴンがまだ奴隷商人の元にいた頃にはよくあった。
あの時は力が無かったのでどうにも出来なかったが、今なら結界があろうと牢を破るのは簡単だ。
(この程度であればいつでも出られる。だが……)
此処へ連れて来られた理由を探る為にも、もう少し様子を見てみる事にした。
しばらく後ーーー
金属が擦り合う耳障りな音を立てて何者かが牢屋へ入って来た。
レイヴンは耳を澄まして気配を探る。
(一人だけ?)
ゆっくりと息を殺す様にして近付いて来る。
足音から察するに、小柄な人物の様だ。
足音はレイヴンがいる牢の前で止まった。
フードを深くかぶった姿は吹雪の中で見た三人組と同じだが、やはり思っていた通り小柄な人物であった。
明らかに挙動不審な動きだ。
フードの人物は、辺りを見回して鍵を取り出した。
どうやらレイヴンを牢屋から出そうとしているらしい。
(……武器を持っていない?)
服から覗いた手は痩せ細り、無数の傷が生々しく刻まれていた。
「待て」
「ひっ!あ、あわわわわ!しまっ……」
「口を塞げ。静かにしろ」
フードの人物は慌てて口を塞ぐと、コクリと頷いた。
「俺を牢から出すつもりか?だが、もしもその事でお前が危険な目に合う可能性があるのなら止めておけ。俺の事は放っておいても問題無い。自分で出られる」
フードの人物は少し戸惑った様な仕草を見せた後、呟くように言った。
「良かった。私の目に狂いは無かった」
「……?」
「私の名前はサラ。貴方を此処から助けます。私の後に着いて来て下さい」
サラと名乗った女性は手早く牢の鍵を開けて、レイヴンに出る様に促した。
「早く」
「やれやれ……」
もう少し様子を見るつもりだったのに。そう思いつつ、レイヴンはサラの目的が気になり始めていた。
入り口に近付くにつれて、肌を刺す様な冷たい風が強くなって来た。
(ん?外から人の気配がする)
レイヴンの前を歩いていたサラも気付いた様だ。
朽ちたドアの隙間から外の様子を伺っている。
「不味いわ。もう見張りが帰って来るなんて……」
入り口のドアの隙間から外を覗くと、フードを被った二人組が此方へ歩いて来ているのが見えた。
腰にはそれぞれ剣が下げれられている。
大した実力がある様には見えない。
しかし、サラでは手に余るだろう。
(仕方ない。はっきりさせておくか)
サラからは悪意は感じない。
けれど、武器も持たずに牢屋に忍び込むとは、計画は随分とずさんだと言わざるをえないだろう。
別に助けるだけなら理由などどうでも良い。
しかし、レイヴンは敢えて目的を訊ねてみる事にした。
「サラとか言ったな。何故俺を助けに来た?」
「シッ!静かに。それは後で話します。それよりも、あの見張りをどうにかしないと……」
「いや、今話せ。納得の行く理由であれば力を貸しても良い」
悪意は感じないと言っても、目的が不明のまま手を貸して厄介事に巻き込まれるのは御免だ。最低限の意思くらいは確認しておきたい。
どうするべきか迷ったサラは少し震えた声で話し始めた。
「助けて欲しい事があるの……。でも、今は理由を話している時間は無い。貴方を騙すつもりは無いわ。信じて欲しい。力を貸して欲しいの」
「助け? 俺が何者かも知らないのにか?」
フードの奥に見えるサラの目は赤い。
魔物混じり特有の目だ。
(手もそうだった。かなり痩せているな。食事を摂っていないのか)
頬は痩せこけ、少し窪んだ目は気味の悪い印象だ。
けれども、真っ直ぐにレイヴンを見つめる目は真剣そのもの。
とても嘘を吐いている様には思えなかった。
(嘘を吐いているわけでは無い、か……)
「ええ。でも、貴方は悪人じゃ無いんでしょう?そうでなかったら、牢から出そうとする人間の身を案じたりしないもの」
サラの答えを聞いたレイヴンは呆れていた。
まさか、本当に知らないで助けたとは思いも寄らなかったのだ。
だが、嫌いでは無い。
「良いだろう」
「え……?」
レイヴンは何食わぬ顔でドアから出ると見張りに向かって歩き出した。
「ちょっと! 何をする気なの⁉︎ 」
サラの叫びなど御構い無しに軽く体を沈めたレイヴンは、見張りに向かって一直線に飛び込んだ。
「貴様ッ! だっ……!」
慌てて剣に手を伸ばそうとするが、時すでに遅し。
次の瞬間には、二人共レイヴンの放った手刀によって意識を断たれていた。
「す、凄い……。あっという間に倒しちゃった」
レイヴンからすれば欠伸が出そうな程ゆっくりとした動きでも、サラにはそう見えなかった様だ。
(あまり大した剣では無さそうだな。まぁ、何も無いよりは手加減し易いだろう)
レイヴンは剣を二本とも拝借した後、見張りの男を二人担いで牢屋へ放り込んだ。
見張りの交代の時間になれば、どの道気付かれるだろう。
それでも多少は時間が稼げる筈だ。
「凄い……凄い凄い凄い!これなら私達助かるかもしれない!」
(大袈裟な奴だな……)
そう思って振り返ってみると、フードのはだけたサラの姿が目に入った。
まだ若いであろうサラの茶色の髪には艶が無く、ボサボサで髪の伸び放題になった頭は、当分手入れをしていない事が一目で分かる程薄汚い。
充分な食事が摂れていないせいだろう。
肌も乾燥し、眼球が異様に目立つ程に痩せていた。
対して先程の見張り達は肉付きが良く、身なりも小綺麗。
サラの小汚い格好とは随分違う。
(一体何が起きている?)
レイヴンはそっとフードを被せてやった。
「あ……」
サラは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
レイヴンは容姿については興味が無いし、ましてや女の身嗜みの事などよく分からない。
けれど、ミーシャが自分の癖っ毛と熱心に格闘していたり、ユキノとフィオナがリヴェリアの髪を大事に扱っているのを見て、「女は髪を大切にする生き物だ」程度には理解していた。
それが出来ない程の逼迫した状況であるなら、力を貸すくらい訳無い事だ。
この環境では作物を育てるのも、探すのも難しい。
それでもどうにかしなければ餓死してしまう。
「で?これからどうする? 案内してくれ」
「あ、はい!私に着いて来て下さい」
どうやらあの牢屋は街中ではなく、森の中にあった様だ。
中央では見かけ無い種類の植物や木々の間を通り抜けていく。
「足跡がくっきりと残ってしまっている。消さなくて良いのか?」
「大丈夫。激しい吹雪で直ぐに消えてしまうから」
「……」
サラとレイヴンとではそもそも体重が違う。
サラの足跡は小動物が歩いた跡の様に小さく体重も軽い為、深さもそれ程無い。
しかし、レイヴンの足跡は深くくっきりと残っていた。
(世話のかかる事だ)
レイヴンはサラに見えない速度で剣を振り抜き、風圧で周りの雪を巻き上げて足跡を覆い隠した。
「きゃあっ!」
完璧では無いものの足跡はかなり目立たなくなった。
(これで吹雪が来れば綺麗に消えて無くなるだろう)
「凄い風……何だったのかしら?」
「さあな。それより、先を急ぐのでは無いのか?」
「え、ええ。もう直ぐよ」
森を抜けた先にサラの言う目的地はあった。
しかし、深い雪に覆われ家屋が倒壊してしまっている。
とても住人がいる様には見えない。
「こっちよ」
案内されたのは倒壊した廃材を集めた瓦礫の山。
サラは隙間を縫う様にして奥へと進んで行った。
(よく崩れないな)
積まれた廃材には剣や槍で突かれた形跡に、火で燃やされた跡まであった。
この村は魔物に襲われたのでは無い。
同じ人間の仕業だ。
(きな臭くなって来たな……人間同士で何をやってるんだ……)
レイヴンにとって、人間同士の争い程理解に苦しむ物は無い。
魔物の対処だけでも手一杯だというのに、人間同士で争うだなんて馬鹿げている。
そんなに力が有り余っているのなら、もっと他の事に懸命になるべきだ。
「ちょっと待ってて」
雪を掻き分けた下には木製の扉があった。
サラの目的地は地下にあるらしい。
木製の扉を数度叩くと、扉が開いた。
「さあ、入って。此処から地下に降りるの」
「地下? もしかして、地下に住んでいるのか?」
「ええ。村にはもう住めないから……」
「……」
地下は薄汚く埃が溜まっていた。
外に居るよりはマシだが、これではさっきの牢屋と大差無い。
迎えに来ていた住民の持つ松明だけが唯一の明かり。
その明かりに照らされた壁は自然に出来た物では無く、鉱山の内部に掘られた穴によく似ていた。
(驚いたな。こんな手の込んだ罠は冒険者や猟師でも使わない。戦う為の罠か……)
侵入者を警戒しての事だろう。複雑に入り組んだ通路にはいくつも罠が仕掛けてあった。
それも致死性の高い物ばかり。
「着いたわ」
案内してくれた男から松明を受け取り、更に地下へと進む。
鉄の扉を開けた先には広い空間と、簡易な作りの家がいくつもあった。
(地下にこんな場所が……)
人々はサラと同じか、それ以上に痩せ細っており、生気を感じられ無い死んだ目をしていた。
地上にあった村の規模から考えても、やけに人数が多い。
「驚いた? 地下に向かって穴を掘っていたらダンジョンの一角に出たの。そこをなんとか制圧して横穴を岩で塞いだの」
「サラがやったのか?」
「まさか。私のお父さんが仲間の人達と一緒にね」
「成る程」
地下に埋もれたダンジョンがあるとは驚いた。しかも、その一角に住居を構えるとは大胆な事を考えるものだ。
これなら確かに掘る手間は省ける。
しかし、僅かでも瘴気が流れ込めば、立ち所に魔物が発生してしまう。
それだけ切羽詰まった状況なのだろう。
「お父さん! 例の人を連れて来たわよ!」
簡易な家が並ぶ中で一際大きな家に入ったサラが父親を呼ぶ。
「また勝手に外へ出たのか! 外は危険だから出歩くなとあれ程言っておいただろう!」
「良いから早く来て!絶対力になってくれるわ!」
(この声、何処かで……)
レイヴンは家から出て来たサラの父親を見た瞬間に気付いた。
「ほら、お父さん。この人よ! 見張りを武器も使わずにあっという間に倒しちゃったの!」
「見張り? あんな雑魚をいくら倒した…所…で……」
「……」
互いを見つめたまま動かないレイヴンと父親の様子を見たサラは首を傾げていた。
それは予期せぬ再会であった。
記憶を無くした幼いレイヴンを奴隷として買った男。
怪我をしたレイヴンを森へ置き去りにしたきり、再び出会う事は無かった。
「お前……その顔……その目…ま、まさか、三十二号か……⁈ 」