今日を生きる
中央都市にそびえる王宮にやって来たリヴェリアは衛兵の横を何食わぬ顔で通り抜け、正面の扉から堂々と中へ入って行った。
煌びやかな調度品の数々が、などどいう事は無い。
扉を潜った先はただの真っ白な空間。
天井も床も壁も白一色。
その一番奥に見える扉の向こうに目的の人物がいる。
「何度来ても慣れないな。少しは可愛らしい小物でも置けば良いのに」
それは何気無く呟いた一言だった。
「げっ……!」
瞬きした次の瞬間には、白い部屋一杯に可愛らしいヌイグルミが置かれていた。
「数が多ければ良いというものでは無いだろうに……」
リヴェリアは足の踏み場も無い程に積み上げられたヌイグルミを掻き分けて、どうにか扉へたどり着いた。
扉を開ける鍵は王家直轄冒険者の証。
首から下げた証を扉の前に翳すと、扉は自動的に開いた。
部屋がある筈の場所には一面の緑が広がっており、その中央に巨大な木があった。
木は何処までも高く伸び、天辺の辺りは雲に覆われていて見る事が出来ない。
「レーヴァテイン」
『はっ。第八までの封印術式を解除します』
いつもであれば、リヴェリアの力の解放に難色を示すレーヴァテインが素直に力の解放を受け入れた。
リヴェリアの姿は闘技場で見せた時と同じ。
金色に輝く長い髪、背中には白い翼が生えていた。
「やはりこちらだと力の制御が楽だな」
『それでも竜化現象は進みます。あまり長い時間は……』
「ああ、分かっておる」
リヴェリアは翼を広げ木の天辺を目指して飛翔した。
風を割き、雲を突き抜けた先にあったのは、木の枝を利用して建てられた村。
どういう仕組みなのか、村には小川が流れ、田畑は美しい黄金色に輝いている。
「懐かしいな。私が地上に降りてから数百年ぶりか……」
村で遊んでいた子供達はリヴェリアの姿に気付くと家の中に入って隠れてしまった。
(私の事を知らないのも無理は無いか)
リヴェリアは翼をたたみ、村で一番大きな家に向かう。
長い間戻る事の無かった村は、何もかも当時のまま。
まるで時が止まってしまっているかの様な錯覚を覚える。
(うぅ……やはり気が重い)
ドアをノックして返事を待つ。
「入れ」
重々しい声にリヴェリアの体がビクリと震える。
何度聞いても慣れない。
「し、失礼します」
普段のリヴェリアからは想像も付かない様な上ずった声。
きっとユキノ達が聞いたら目を丸くして驚くか、腹を抱えて笑うかのどちらかだろう。
(いや、両方かもしれんな。とても見せられん……)
暖炉の前に座っていた老人が手招きする。
「こちらへ来て座れ」
「は、はい!」
老人の目の前に座ったリヴェリアは、恐る恐る様子を伺う。
しわくちゃの顔からは時の流れを感じる。
けれどその奥から覗く鋭い眼光は、記憶の中にある姿と何も変わっていない。
きっと此処へ来た目的はバレていると思って間違い無い。
そういう人だ。
長い沈黙の後、老人が口を開いた。
「リヴェリア、お前の後悔は未だ拭えていないようだな」
(……来た)
やはり、此処へ来た目的を理解している。
「分かりません。ですが、新たな可能性が得られました。私はそれに賭けてみようと思っています。それでも駄目なら次はーーー」
「リヴェリア。次など無い」
「どういう意味でしょうか?」
心臓の鼓動がやけに大きく響いている様な気がする。
「次とは何だ? お前はまた後悔の日々を過ごしたいのか? あの閉ざされた世界の中で、いったい幾たび次を考えた?」
そんなもの数えた事も無い。
この数百年という長い年月の間、次を考え無かった日など無い。
「愚かな……。だからお前は後悔から脱け出せんのだ。新たな可能性? 笑わせるな。そんな物はお前が見ようとしないだけで、手を伸ばせばそこら中にある。今のままではそれすら掴めまい。お前の後悔の果てには後悔しか待っていない」
「そんな事は! 今度こそ私は……!」
老人はリヴェリアが喋ろうとしたのを、手を上げて遮った。
此処では老人が絶対。
リヴェリアは唇を噛みしめる様にして口を閉じた。
「今まで何を見て来た? お前がずっと見て来たかの者が、生き様でもって見本を示してくれておるというのに……情け無い話よのう。お前は指揮官としてなら優秀やもしれん。先見の明もある。だが、今を生きていない。いつもいつも明日の事、未来の事ばかり。それでどうして己の後悔を拭えようか」
「……」
リヴェリアには返す言葉が見つからなかった。
『今を生きていない』
その言葉の意味するところは重く、リヴェリアの心にのしかかる。
「共に生きよ。見守る事だけが救いでは無い。同じ景色を見ずして、可能性などと軽々しく口にするな。お前のその目で見るべきは未来では無く今。あの者の背中を思い出せ。今日という日を見つめた者だけが、明日という日を手にする事が出来る。手を掴んだなら歩み寄れ。その先、どんな結末を迎える事になったとしても、そこに後悔など無いと知れ」
「はい……」
何も反論出来ない。
言われた通りだ。
手は掴んだ。
後は歩み寄らなければ駄目だ。
レイヴンはいつだって今日を生きている。
何もせずただ待っているだけの人間に、明日という日が来ない事を知っている。
そう、明日が来るとは限らないのだ。
夜、目を閉じて眠りにつく。
そして朝日と共に目を開ける。
そんな当たり前の明日という日を掴む為にレイヴンは足掻き続けている。
「閉ざされた世界にかけられた魔法は解いてやる。だが、分かっておろうな? 」
「はい。あの……」
「話は終わりだ」
「はい……」
リヴェリアは深いお辞儀をして家を出た。
リヴェリアが居なくなった後、老人は深い深い溜息を吐いた。
先程までリヴェリアを目だけで抑えていた空気と威厳を保っていた面影は無い。
「ふぅ……」
「ダンお爺ちゃん」
「おお、ミアか」
別の部屋から入って来たミアという女性は大人の姿になったリヴェリアに良く似ていた。
違うのはおっとりとした雰囲気だけだろうか。
「折角あの子と久し振りに会ったのに、どうして引き留めなかったんです?私も色々お話ししたかったのに」
「仕方あるまい。あんな思い詰めた目を見てしまってはな。じゃが、あのお天馬娘が良くここまで……」
「だったら、そう言ってあげれば良かったじゃありませんか」
「そうはいかん。まだ駄目じゃ!あの子が自分の気持ちに蹴りを付けるまではな。厳しくせねば」
「あんなに沢山のヌイグルミまで出してあげたのに?それもとっても嬉しそうに」
「うっ……!あ、あれは断じて儂では無い!」
久し振りにリヴェリアが戻って来るので浮かれていたなどと知られたく無いダンは、あくまでもシラを切った。
本当は村の皆にもリヴェリアの帰りを告げ、宴の一つでも催してやりたいところだ。けれど、そうもいかないのだ。
「ふふふ。次はいつ会えるかしら?また何百年も待つのは嫌ね」
「いや、今度はそう長く無い。リヴェリアとマクスヴェルトの小僧の願いでかけたこの魔法は、一度使ったら二度目は効果を発揮しない。もう後戻りは出来ん。それはリヴェリアも分かっておる」
「あの子にかけた魔法は?」
「それは……折を見て儂から話す」
「そう……」
リヴェリアの記憶はダンが厳重に封印している。
後悔に暮れ泣き止まないリヴェリアを見かねて記憶の一部を書き換えたのだ。
それでリヴェリアの壊れそうな心を救えるのなら仕方の無い事だと思った。
けれど、その事が障害になろうとしているのなら真実を思い出させる必要がある。
「儂はリヴェリアに嫌われておるからの……」
「そんな事無いと思うわ。また昔みたいに戻れるわよ」