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Lesson5,無謀な勝負の挑み方

 あの時あんなことをするつもりはなかったのに――と、総の一人反省会は終わらない。


 沙雪との勉強デートから一週間、テストも終わって部活動も無事再開。勉強に関しては自慢に聞こえるかもしれないが困ったことはなかったから、それなりにいい点数を取れたのではないかと、総は手応えを感じている。

 ただあの一件が気になって、テストに集中し辛かったのも事実なのだけれど。


 別に下心があって彼女の手を握りしめたわけではなかった。


 総にとって紗雪という後輩は、かなり特別な存在と言っていい。人付き合いをそれほどしてこず、友人関係もあまり深く構築してこなかったため、これほど頻繁に話をする相手というのは天音の他は紗雪くらいだ。

 以前より彼女を知っていたため、天音が彼女に絡んでいた所を助けたのは本当に偶然のきっかけで。紗雪を気になっている存在としていた事実を、天音は知らないはずだが、もしかしたら気づいていたのかもしれない。


 想像以上だったのだ。


 総が思っていたより、彼女は儚げで愛らしく、しかし想像以上に自分よりも自分の意思をしっかりと持った女の子で。優しげで気弱な雰囲気の外見とは裏腹に、芯のある彼女を好ましいと思うのも無理はない。


 いい意味で裏切られたと思った。


 全てをそつなく取り繕う事に慣れていた自分を恥とさえ思えるほどに。

 だからこそ、もっと話してみたい、もっと近づきたいと考えたのは、下心と呼ぶのだろうか。

 勉強を見るのを申し出たのだって、ただ彼女の役に立ちたいと、本当にその程度の気持ちだったけれど、自分でもあんな行動をするとは思っていなかったし、あんな行動をしたこと自体、酷く反省してしまう。

 今は部活動や進路の事で頭が一杯になっているはずのに、なんてことをしているんだと自分を叱咤したくなる。


 自分の甘さにますます嫌悪感を抱きながら、グラウンドに座り込んで足を伸ばし、準備運動をしながらボーッと考えていると、総の目の前に見慣れた男がひょっこりと顔を覗かせた。


「岡田先輩?」


 話しかけてきたのは部活の後輩の笹木健吾だった。


 彼こそが陸上部のエースであり、インターハイ初出場で三位に入賞した実力の持ち主だ。

 実のところ、彼との付き合いは高校入学以前からあり、けれど幼馴染みと言えるほど仲がよかったわけでもない。以前から顔見知りだった程度であるがゆえに、あまり人付き合いをしようとしない総にも気兼ねなく話しかけてくる連中の一人である。


 総にとって笹木という男子生徒はある意味ライバルではあるが、決して嫌いなやつという認識はない。

 素直にコロコロと変わる表情と、人懐っこい性格から、彼を苦手とする人はいないだろう。


 総はおもむろに立ち上がって笹木を見た。笹木は総よりも少しだけ身長が高く、けれども並んだ時に高く見えるのは総の方だ。片足に重心をかけて立つのをクセにしている笹木に比べ、総は立ち姿の姿勢が恐ろしくいいのだ。


「何か用?」


 そっけない言い方は総の素だ。

 紗雪に丁寧な口調で話し掛けているのは、彼女の雰囲気がそうさせる。

 実際、総は紳士でもなんでもない普通の高校生であり、基本的に周囲に対して無関心だ。周囲もきっとそう認識しているはずだし、いけ好かないと総を苦手としている人がいるのも事実である。

 そんな総に対し、笹木は臆すことなく笑顔を絶やさぬまま話し続ける。


「いや、ボーっとしてるからどうしたのかと。もう皆、スキッピング入ってますよ」


 笹木に指摘されて思わず口をつぐんで周囲を見渡せば、確かに他の部員は次の行動に移っている事に気づかされる。


「ああ、悪い。ちょっと……考え事?」

「あははっ、なんで疑問調なんッスか?」


 何がそんなに面白かったのかは分からないが、ケタケタと愉快そうに声をあげて笑う笹木に対し、総は思わず困った表情を向ける。

 普段は隙のない雰囲気を醸し出す総が、珍しいほどボンヤリしていた事がたまらなく人間らしいと笑ったのだが、笑われた当の本人は気づいていない。


 笹木が嫌味のある笑い方をしているわけでもないのに、少しだけうっとおしく思う自分が情けなくなった。


 こんなにいいヤツなのに、こんなになんでもこなせるいいヤツなのに。

 自分はコイツの存在に腹が立っている。

 笹木さえいなければ、自分だってインターハイに出場するぐらいはできたのに。


 新入生で陸上部に入ってきた笹木が、そのまま一年の時に陸上の予選会に出た事がある。


 差し引かれたのは総だった。

 当時、総がまだ二年生だったからという理由もあったと思う。

 それでもようやく予選会に出られるほどの実力をつけたのに、その権利さえ笹木に奪われて。

 悔しくて泣いた日さえあった。

 もっとコイツが嫌味なヤツだったら――そう何度も思った。

 もっと嫌味なヤツだったら、心置きなく憎むことも出来たのに。


 コイツはコイツで苦労しているのを知っているから。

 どれだけコイツが苦しい思いをしてきたか知っている。

 どれだけコイツが努力してきたか知っている。


 だからこそ自分は無力すぎて、コイツを超えられないと思った。


「なぁ、笹木……」

「なんですか?」


 ポソリと、白線の並ぶグラウンドを見つめながら呟くと、笹木は即座に返答する。


 一度だけ――、一度だけやってみようか。


 悪あがきをしてみようか。


 意味もないけれど。


 理由なんてないけれど。


 頭で考えるよりも先に、行動を起こしたのは初めてだけれど。


「俺と勝負しないか?」


 そう言いながら、ゆっくりと笹木を振り返ると、笹木は少し驚いた顔をする。

 それは当然、走るという勝負だ。

 周囲もその言葉を聞いていたらしく、少しならずかざわめきたつ。

 無謀だとわかってるけれど――無茶なことだと知っているけれど。

 目の前に立つこいつに、挑戦したくなった。


 自己中心的でなんの脈略もない申し出に、驚くのも無理はない。


 断られて当然だとも理解しているけれど、言わずにはいられなかった。


 まっすぐに笹木を見つめると、彼は驚いた表情から一変し、真顔になって総を直視する。


「お願いします」


 その笹木の言葉に、総は少しだけ微笑んで、スタート地点へと向かった。



 ◇◆◇



「マジっ!?」

「うそっ! 私も観に行く!」


 バタバタと慌しくかけて行く女子生徒とすれ違うことが多くなった。

 放課後、久々の部活動でパート練習から第二音楽室へと帰っていく廊下で、そんな会話が耳に入ってきた。

 少しだけ足を止めて、何だろう? と振り返ると、かけて行く女子生徒の言葉に、沙雪は思わず耳を疑った。


「笹木君、ガチで走るってっ!」

「えっなんで?! やだっ、観たい!」

「センパイからの申し出? だって!」

「どういうこと!? 笹木君に挑戦?! ムボーじゃん!」

「岡田って人らしいよ」

「なんで勝負挑んだのー?!」

「わかんないけど、なんかかなり真剣っぽい」

「笹木君の隣を走るなんて、皆嫌がるのにねぇー」

「当然じゃん! 笹木君はインターハイ出場してるんだよっ」

「三年生の意地ってヤツ? 笹木ー調子に乗ってんなよー的な?」

「きゃははっ! なにそれ! 恥ずかしぃ!」


 嘘……でしょう?


 まさか総先輩が?


 頭の中で一生懸命考えても、陸上部に居る岡田という苗字の人は先輩しか思い浮かばない。

 思わず近くの教室に入ってグラウンドを見ると、そこには沢山の人だかりが出来ていて、白線のスタートラインには、笹木と総の二人の姿があった。

 お互いに、足首や手首を回して軽い準備運動をしている。

 そこに居るほとんどの声援は笹木に向けられていて、総に対しては冗談の入り混じった声援が飛ぶ。


「岡田ー! 無理すんなー!」

「笹木手加減してやれよー!」

「岡田やれ! 俺はお前に大穴、ジュース一本賭けてんだ!」

「ちょ、最低! ウケる!」

「笹木君がんばってー!」


 周囲が思うような勝敗を付ける為に総が挑むわけではないと、紗雪にはなんとなく理解できた。

 自分の実力がどこまで通用するかを確かめたいとか、そういうものでもない気がする。


 きっと総は、自分の為に走るのだ。


 沙雪は、そう心の中で必死に皆に呼びかけながら、思わず窓を開いてギュッと手を握り締めて見守った。


 先輩、頑張れ。


 頑張れ先輩。


 スタートラインに顧問の先生がスターターピストルを持ってそこに立つ。

 

 笹木と総は、準備運動を止めて目の前に続く白線を睨むようにして隣同士に立つ。

 周囲は徐々にざわめきを失って、固唾を呑んでそれを見守る。

 先生がピストルを高々と空に向かってあげながら大きな声でスタートを言う。


「位置について!」


 それと同時に二人は小さく礼をしながら『お願いします』と呟いて、クラウチングスタートの体制をとった。


「よーい!」


 刹那――火薬の匂いと共に歓声が沸き起こる。


 先に飛び出したのは総。

 綺麗なフォームでまっすぐとゴールを目指す。


 必死に、何かを追うように――ううん、違う。


 何かを追い越すように――。


 すぐに笹木が総を追い越して、ぐんぐんと差をつけていく。


 笹木の背中を追う総。


 自然に握る手に力が入る。


 頑張って!


 頑張って!!


 ゴールの白線を先に超えたのは笹木だった。


 数秒遅れて、総が白線を踏む。


 息切れを落ち着かせるよう、ゆっくりとゴールの周囲を歩きながら笹木が振り返ると、総は膝に手をつきながら呼吸を整える。


「ありがとう」


 総の唇がそう動けば、笹木は満足したように微笑んだ。


「……負け……ちゃった……」


 誰もいない教室で、沙雪は窓に手を置いたままずるずるとその場にしゃがみこむ。


 何故だろう? 競争したのは自分ではないのに……涙が止まらなくなった。

3/2コピペミスで改行が変な状況になっていたため、修正しました。読みにくい形で掲載して申し訳ございません。

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