06:困惑
これだけ続けば、予想はしていた。
玄関の扉を開けると、今日も今日とて奴はいた。
昨日と同じだ。
いや、何故か昨日よりもキラキラしている気がする。
パワーアップした?なんで?
昨日の険しい顔との落差が激しくて、やっぱり恐怖しか感じない。
今日教室に入ったら、英君の机の上にお花が置いてあったらどうしよう……!
「……はあ」
「黄衣、おはよう」
「いい加減にしてもらえませんか?」
妙な経験値を貯めてレベルアップをしていないか?
精神力を回復するアイテムでもあるもだろうか。
そうじゃないとおかしい。
頭がおかしい。
「手を繋がないか?」
「やっぱり頭おかしいんですよね」
おかしいんですか?とは聞かない。
分かっているもの、確認で十分だ。
気を抜いていると手が伸びてきて、私の手をとろうとした。
「あいたっ」
ぺしっとはたき落とす。
何をナチュラルに手を繋ごうとしているのだ。
油断も隙も無い。
何人と繋いだんだ、その手は。
汚れた手め、霊山に登って山頂の湧き水で清めてから出直してこい。
※※※
いつまで付いてくるんだ……。
短い休憩時間、昼休憩。
そして現在、放課後も……。
ずっといる。
張り付いてくる頻度が上がってきている気がする。
そのうち授業も参加して来そうだ。
もしかすると、他の攻略対象の好感度はMAXになって、ハーレムを完成させるには残すは私だけとなったのかもしれない。
「ちょっと、葵!」
階段を降りていると、呼び止められた。
呼び止められたのは私ではなく、付き纏っているゲスだが、つい反応してしまい、自分も足を止めてしまった。
声の発信源は、階段の上にあった。
奴と同じ二年生で、運動神経抜群のツンデレクラスメイト、猫屋敷翠。
緑色のストレートロングに黄緑の瞳。
水曜日に好感度が上がる攻略キャラだ。
彼女にはまだ、覚醒の手紙を渡せていない。
昨日渡したかったのだが、奴から逃げるのに必死で時間がなかった。
彼女は眉をつり上げ、怒りに満ちた顔をしていた。
「どうして昨日来てくれなかったのよ!」
「それは……」
気まずそうに翠から視線を逸らすと、ゲスは伏し目がちにこちらを見た。
……おい、何こっちを見てくれちゃってるの!?
まるで私が原因だといっているようじゃないか!
「……あんたが葵を連れ回したのね!」
ほら、こうなるじゃないか!
「違います!」
「ごめん翠。黄衣は何も悪くないんだ。俺が悪いんだ!」
そうだ、全てお前が悪い!
というか、こちらに仕向けておいて庇うとか……わざとしているのか?
いや、多分何も考えていないと思うけど!
「これなら、いらないのでどうぞ!」
のしを付けてお渡ししますとも。
ゲスの背中を押して差し出した。
ほら、あっちへ行きなさい、しっしっ。
「……」
翠の顔から表情が消えた。
……あ、まずい。
真顔でじいっと私を見ている、正直怖い。
怒っているときより怖い。
何かの地雷を踏んでしまったことが分かった。
心の底からゲスなんていらないので、何の含みも無く『いらないからどうぞ』と渡したが、よく考えれば、そんなことされたら……。
私、凄く嫌な女だ。
『こんな男、いらないから貴方にあげるわ』な、高飛車悪女のようじゃないか!
「あんたね……!」
抜群の運動神経を使い、翠が一気に階段を飛ばして詰め寄ってきた。
その勢いで押されてしまい……。
――あっ
ここが階段であることすっかり忘れ、下がってしまった。
気づいたときには足を踏み外していて……もう遅かった。
自分の身体はすでに傾いていて……。
無理だ、落ちる。
そう覚悟をして、身体に力を入れたが……あれ?
痛みの無い衝撃はあったが、こんなものなのか?
倒れただけのように思うが……。
床は堅いどころか柔らかい。
……柔らかい?
無意識に閉じていた目を開けると、そこには……。
「黄衣。大丈夫?」
以前は見るだけで、ドキドキと胸が苦しくなっていた端正な顔が目の前にあった。
今は……。
「ひいいい!」
違う意味で苦しくなる。
近い! 怖い!
鳥肌を抑えながら慌てて飛び退いた。
階段の下で、床に横たわっている神楽坂葵。
奴は私を庇って、下敷きになっていたようだ。
「あっ、ごめんなさい! 怪我……」
つい条件反射で、嫌がるように離れてしまったが……。
助けてくれた人に対してとる態度ではなかった。
……大丈夫なのだろうか。
「葵! 大丈夫!?」
怪我が無いか確認しようとしたが、翠が駆けつけ、私を押し避けて奴に寄り添った。
起き上がろうとする奴を支え、心配している。
……私の出る幕では無かったか。
翠はひどく焦った様子で、奴の心配をしている。
奴よりも、翠の方が余裕が無いように見える。
「翠、大丈夫だから」
「で、でも……私が飛び降りて行って、あの子に詰め寄っちゃったから、こんなことに……ごめんなさい……」
「本当に大丈夫だよ。大丈夫だから」
奴に優しく言われ、とうとう翠は泣き出してしまった。
優しくされた方が、涙腺を刺激されちゃんだよね。
うんうんそれは分かる、と思うが…………あの、帰っていいですか?
涙を流す美少女に、頭を撫でて慰めるイケメンの図は良い雰囲気が出ている。
……勝手にやっててくれませんかねえ!?
「ほら、翠。怪我もしてないし…………っ」
あれ……?
翠を心配させないように、怪我をしていないことをアピールしたようだったが、右足を動かせた時に一瞬顔が強ばっていた。
「葵に怪我が無いならよかった」
翠は気が付いていないようだが、奴は妙に汗をかいている気がする。
もしかして、足が痛い?
捻挫したのだろうか。
「黄衣は大丈夫だった?」
「あ、はい……」
私よりも、あなたが大丈夫じゃなさそうですが。
でもそれを口にすると、翠が心配する。
痛い本人が隠しているのだから、あえて言うことでもないか。
「ご、ごめん。二人とも。トイレに行きたくなったから……」
そう言うと、奴はそそくさとトイレの方向に歩き出した。
我慢しているようだが、よく見ると右足を庇って歩いている。
「……私、葵と帰るから。鞄を取ってくるわ」
『だから抜け駆けするなよ』と言いたげな視線を残し、翠は掛けていった。
やれやれ、どうしようかな。
とりあえず奴の様子を見に行こう。
トイレの方に向かって追いかけようとしたのだが、すぐ近くで奴は壁に手をついて止まっていた。
……痛そうだ。
「足、大丈夫ですか?」
「……黄衣、バレてた?」
「はい。……格好つけちゃって」
苦笑いを返して来る表情も、余裕が無いように見える。
「翠はね、以前わざとじゃないんだけど、友達に怪我をさせてしまったことがあってね。それで凄く、自分を責めてるところがあるから……」
「……そうなんですか」
そのことは、ゲームの知識で知っている。
翠が中学生の頃、幼馴染の男の子に仕掛けた些細な悪戯が、大きな事故を引き起こしてしまった。
それは不運な偶然だったけれど、彼は大怪我を負ってしまった。
怪我は治ったけれど、足に後遺症が残り、陸上の短距離選手として活躍していた彼の夢は難しくなっていた。
そのことは、彼自身は頑張って乗り越えようとしていたのだが、翠はそうではなかった。
彼と同じ陸上選手だった翠だが……贖罪の念で、辞めてしまった。
それが彼を怒らせ、二人の間に溝を作った。
その時の記憶が蘇ったのだろう。
だからあんなに狼狽えていたのか。
奴に翠がいないことを伝えると安心したようで、その場にしゃがみ込んだ。
「保健室に行きましょう」
「大丈夫だよ。翠が戻って来るんだろう? 保健室にいたら、心配するから」
女の子に心配を掛けないという姿勢は素敵だと思うが……。
ゲスだと知っていなければ惚れ直していたところだろう。
……こういうところ、好きだったな。
もう、あまり思い出したくはないけれど。
「じゃあ、湿布を貰ってくるので、ここで待っていてください」
『いらない』と口が動くのが見えたが、そんなものは無視だ。
怪我をしたのは私のせいでもあるし。
翠が戻らないうちに貼ってしまえるよう、急いで湿布を貰い、奴の所に戻った。
捻挫したという足首は少し腫れていた。
大したことは無さそうだが、捻挫は目で判断できない。
「帰ったら、ちゃんと治療してくださいね」
「ありがとう、黄衣」
「私こそ、助けてくれたことは、ありがとうございました」
「黄衣に怪我が無くて良かった」
大好きだった微笑みを向けられ、胸になんとも言えないモヤモヤとしたものが広がった。
……私は、この笑顔を憎みきれていないのかもしれない。
許せない……だから、憎まなければいけないのに。
「自分のせいで人が怪我をするくらいなら、自分が怪我をした方がマシです。だから、二度としないでください。余計なお世話です」
……なんか嫌だな。
こんなことばかり言っている自分が。
なんて可愛くない子なのだろう。
「自分が怪我をした方がいいなんて、黄衣は優しいね」
「……っ」
こいつは何を言っているのだろう。
助けてあげたのに、こんな言い方をされて……。
視線を向けると、まだ穏やかに微笑んでいた。
……毒されてしまうのだろうか、この笑顔に。
馬鹿だなあ、自分。
呆れてしまう。
「翠先輩が気に病まないよう、気を配るあなたは……少し、素敵でした」
無意識に言葉にしていた。
こんなこと、言うつもりは無かったのに。
「……」
奴は驚いた顔をしていた。
その顔を見て、気まずくなった。
「嬉しいよ。黄衣が久しぶりに笑ってくれた」
「……え?」
私、今……笑ってた?
だとしたら、気を緩めてしまっている。
悪い傾向だ。
……もっと、壁を厚くしなきゃ。
「ねえ、黄衣。やっぱり、俺は黄衣といたいんだ。もっと黄衣の笑顔が見たい。黄衣のことをもっと知りたいし、黄衣にも俺のことを知って欲しい。……見てくれないかな」
「……そんなこと」
『お断りします』
そう言うつもりなのに……。
「……」
言葉が出なかった。
今も目に映っている微笑みが、私の何かを崩そうとする。
……もう少し早くその言葉を聞けていたなら、私は『はい』と応えられただろうか。
でも……残念なことに、今の私は言えない。
私は意地っ張りなのだ。
それは、時間が過ぎるほど増していって、私の首を絞めるようだけれど。
だから、もっともっと、あなたに思い知って欲しい。
私がどれだけ傷ついたか。
もっともっと頑張って、私の気を引いて――。
……え?
……違う、違う違う、今私……何考えてた。
そんなことは……違う、憎まなきゃ。
関わらないのが一番なのに、気を引いて欲しいなんて、そんな馬鹿な。
「もう構わないでください!」
翠先輩の足音が近づいて来ている。
先に帰ろう。
帰って、リセットするんだ。
ちゃんと明日も憎めるように。