04:ゲームと現実
ストレスでお肌が荒れないよう早めに就寝し、気持ち良く目覚めることの出来た翌日。
私の努力をぶち壊す不愉快な姿が、玄関の扉の向こう、昨日と同じところにあった。
「黄衣、おはよう」
何故だ。
あれだけ拒絶したのに、何も響いていない様子が怖い。キモい。
「これ、昨日買ったんだ。君に似合うと思って。この石が、君の瞳の色と同じなんだ。受け取ってくれないか?」
自信があるのか、嬉しそうな笑顔を浮かべて差し出してきたのはネックレスだった。
シルバーのチェーンに、青い石が嵌められた鍵のモチーフがついている可愛いものだった。
確かに私の好みだった。
それが怖い。
「遠慮します」
「黄衣!?」
『先輩にこんな素敵なものを頂けるなんて、夢のようですっ』とつい飛びついてしまったが、我に返って顔を赤くしながら離れて謝る、なんて展開を期待してのだろうか。
スマホを気にしているから、好感度を確認しようとしているのだろうか。
……朝から嫌な気分になるなあ、無視だ。無視!
「あ、黄衣! 待って、これっ」
「いりません!…………あっ」
しつこく渡してこようとする手を振りほどいた勢いで、ネックレスが地面に落ちてしまった。
シルバーのチェーンは絡まり、鍵のモチーフは無造作に転がっている。
「……」
無言でネックレスを拾い、こちらを見た目は、捨てられた子犬のようなとても寂しそうだった。
こんな目で見つめられたことは、今まで一度も無かった。
見ていたのは、穏やかな微笑みばかり。
……どうしよう。
胸にチクッとした痛みが走った。
単純な罪悪感だろうか、それとも……。
駄目、この目は駄目、見れない。
「……貰ってはくれないんだね」
「頂けません。でも……ごめんなさない」
……逃げなきゃ。
何故だか分からないけど、このままここにいると駄目になってしまう気がする。
何が駄目になるのか、上手く言えないけれど。
振り切るようにそのまま駆け出した。
最低最悪のゲスだって分かっているのに。
あんな奴のやることなんて、なんの重みも無いんだ。
『女の子に贈り物』だなんて、特別なことじゃない。
気にすることはない。
私は、もっと酷いことをされたんだから、あんなことぐらい……!
……そう思うのに。
振り返ったが、奴の姿は無かった。
喜ばしいことなのに……何故か嬉しくない。
まだ胸は苦しい。
痛みが薄れない。
それどころか、悲しそうな顔を思い出すと、胸に突き刺さったものがどんどん深く沈んで行くようだ。
「なんでこんな想いをしなきゃなんないのよ……」
俯いた先に見えるアスファルトに、小さく溜息を零した。
※※※
授業の合間の休憩時間。
この時間は比較的、奴と遭遇する確率が低い。
以前はこの時間に『会えない時間が寂しい』と思っていたことが恐ろしい。
正気になれて、本当に良かった。
朝のダメージは取れていないが、気にしないことにした。
気にしたら負けだ。
あれは『ああいう戦術』なんだと、絆されてはいけないと自分に言い聞かせている。
日直だった私は担任に頼まれ、職員室から教室に、ノートとプリントを運ぼうとしていた。
重さは問題ないが、束ねて積み上げたプリントがずり落ちてしまいそうで歩きにくく、手間取っていると……。
「黄衣!」
「ひいっ」
……奴だ。
現れることは無いだろうと高をくくり、油断していたからか、カサカサと動く黒い嫌われモノのアイツが出てきたような拒否反応を起こしてしまった。
反動で、持っていたものが崩れそうだ、危ない!
体勢を立て直していると、奴が私の手荷物に手を伸ばしてきた。
「手伝うよ」
「結構です!」
なんなの?
朝のことを気にしている様子はない。
私はこんなに苦しんでいたのに……私が馬鹿みたいだ。
乾いた笑いしか出ない、ハハッ。
今は恐ろしいことを言いながら近寄ってくるキモメンから逃げなければ……!
ああもう、殴りたい!
どうしよう、何か策は無いかと周りを見渡すと、近くにクラスメイトの男子を見つけた。
名前……なんだったかな。
凄く普通の子で、真のモブといった感じだ。
短い黒い髪、イケメンでも無く不細工でもなく、派手過ぎず、地味過ぎず……。
まさに『クラスメイトA』だ。
「そこのA君!」
「エー君!?」
声を掛けるとクラスメイトA君は、飛び上がりそうな勢いで驚いていた。
そういえば、話すのは初めてかもしれない?
「ごめん。これ、半分持って、一緒に教室に行って!」
いきなり手荷物を持たされ、戸惑っている様子だ。
少し強引だが、ボヤボヤしているとキモメンに捕まってしまう!
「黄衣!」
「行こう! すぐに!」
追い立てるように進みながら、何とか接触を回避した。
追いかけて来る様子も無く、胸を撫で下ろしていると、荷物を持って並んで歩いていたクラスメイトが話し掛けてきた。
あ、ごめん。
一瞬存在を忘れてた。
「鳥井田さんに、『エー君』って呼ばれるなんて、驚いたよ」
「急にごめんね?」
クラスメイトなのに、名前が出てこないなんて申し訳ない。
あとちょっとで思い出せそうなのだが……!
「い、いいよ。全然! むしろ嬉しいっていうか……。オレも『きいちゃん』って呼んでいい?」
「え?」
何故そうなる、と思った瞬間思い出した。
そうだこの子、伊藤英太って名前だった。
『A君』と言ったのが、『英君』と捉えられてしまったのか。
ミラクルだな、ちょうど良かったのか悪かったのか。
「だ、だめ?」
「いいよ。英君」
「ありがとう! き、きいちゃん!」
照れているのか、はにかんでいる様子が可愛く見える。
それに、クラスメイトと仲良くなれて嬉しい。
私の失礼から始まったけど、上手く収まったし、良かった。
「あっちはいいの?」
「何が?」
「神楽坂先輩、用事があったみたいだけれど」
「いいの。私には無いから」
「そ、そうなんだ」
言い切った私の態度に戸惑ったのか、少し気まずそうに愛想笑いを浮かべている。
つい言ってしまったが、最近まで仲良くしていたことを知っているだろうし、妙な気を遣わせてしまっただろうか。
「喧嘩でもしたの? ここ最近、仲良くしてないね?」
遠慮がちに投げられた質問は、嫌な予感のするものだった。
周りは、私達の変化に気づいている。
……あまり注目されたくないな。
「ご、ごめん! 詮索するようなこと言って。でもなんか、噂になってて」
「噂?」
噂とか、勘弁して欲しい。
噂なんて正しい内容では流れないものだし、面白半分で好き勝手言われるのは不愉快だ。
「きいちゃんと神楽坂先輩が仲良くなくなった、って。実は……野郎連中は喜んでて」
「?」
「あ、きいちゃんって人気あるからさ! なんかさ、この学校の人気ある女子皆、神楽坂先輩のことが好きだから。他の野郎連中にしたら、つまんないっていうかさ……」
私が人気があるというのは初耳だ。
へえ……ちょっと……いや、結構嬉しい。
『でへへ』とにやにや笑ってしまいそうだ。
私も一応、ストーリーのある攻略対象者なのだから、そこそこあっても不思議じゃ無いのかも?
自分のことだからピンとこないが……。
それにしても……男子生徒達が、奴のことを羨ましがっているのも初めて知った。
そういえば、私は奴以外に親しい男友達はいない。
だから耳に入らないのかもしれない。
普通に話はするが、休みの日に会う間柄は奴だけだった。
……なんか嫌だな。
何かが終わった気がする。
『彼氏』なんていらないけど、普通に話せる男友達が欲しいな。
「それにきいちゃん、雰囲気変わって綺麗になったって評判良いよ」
「そ、そうなの!?」
それは嬉しい、凄く嬉しい。
妹あざといキャラから脱却出来つつあるということだよね!?
ツインテール以外でも認めて貰えたと思っていいのだろうか!
「うん! オ、オレも……そう思う」
「本当? ……嬉しいなっ」
「っ!」
嬉しくて我慢出来ず、顔が綻ぶのを我慢出来なかった。
えへへ、照れるなあ。
デレデレしちゃう。
このまま『私と奴と仲が良かった』という記憶も消えてくれたら言うこと無しなのだけれど。
「どうしたの?」
「な、なんでもない!」
何故か英君の顔が真っ赤だ。
もしかして、あまり女子と話をしないのだろうか。
私と一緒だ。
もう奴は『異性』とはカウントしない、ゲスという生物だ。
私の仲の良い男子はゼロだ。
英君とは良い友達になれそうである。
「ん?」
窓の向こうに見える、別塔との渡り廊下。
中腹で停止しているクリーム色の髪に目が止まった。
奴だった。
う、うわあ……。
奴は眉間に皺を寄せて、こちらを睨んでいた。
何見てるんだ、あいつ。
やっぱりキモ。
※※※
本日は火曜日なり。
どうせキモメンは、今日も好感度アップに勤しんでいるのだろう。
今日好感度が上がりやすいのは、お姉様タイプの上級生、辰巳野紫織。
菫色のロングウェーブに、金色の瞳で大人びている。
私が大好きなキャラだ。
実際に見ても美しい、憧れる!
なんとかして、魔の手からお救いして差し上げたい!
紫織の登校時間は早い。
園芸委員でもないのに、中庭に植えられた花に水をあげているのだ。
花と紫織様、最強の組み合わせである。
絶対美としか言いようがない。
紫織様に水を貰ったら、花達も喜ぶだろう。
……そう言えばゲームでは、キモメンがそういう台詞を吐いていたな。
多分現実でも言っているだろう、キモ。
兎に角、紫織の水やりタイムはチャンスだ。
紫織の鞄しかない教室に忍び込み、赤里の時と同じ、写真入りの手紙を鞄に忍ばせた。
鞄を開けたら目に入る位置に入れたので、すぐに気がつくはずだ。
彼女は、大きなグループ会社の社長令嬢だ。
卒業後は大学に進学しながら会社を支え、家に貢献するという夢を持っている。
夢というより、もう目前に迫った現実だ。
環境の変化に備え、心身共に充実させなければいけない直なのだが、彼女も赤里同然キモメンのことで頭がいっぱいになっている。
特に独占欲の強い彼女は、キモメンが他の女の子と話をするだけでも嫌う。
キモメンにばかり目がいき、他のことが散漫となっている状況を、近しい者は危惧しているようなのだが、そんなことはおかまいなしだ。
手紙にも、『貴方のことを、本当に大事に思っている人たちを大切にしてください』と添えたのだが、あの言葉は届くだろうか。
※※※
「ふう」
ゲスから身を隠し、無事に今日の授業が終わった。
前世のことを思い出してから、妙に緊張感漂う生活を送っている。
疲労感で肩を下げながら身支度をし、教室を出た。
友達が遊びに行こうと誘ってくれたが、校内で油断していると身が危険だ。
有り難い誘いを泣く泣く断り、一人昇降口を目指した。
頭の中は、紫織様のことでいっぱいだ。
写真と手紙だけでは足りないかもしれない。
ゲームの知識を生かし、何か手を打った方が良いように思えた。
「そこの貴方!」
「え?」
突如背後から投げられ声に、驚きつつ振り返った。
そこには、実にタイムリーな人物、菫色の髪の女神が腕を組んで立っていた。
「紫織先輩っ」
ああ……やっぱり美しい!
輝いている!
私の前に、女神が降り立った!
「貴方ね。葵を困らせているのは!」
「え?」
「身を引くように見せて、彼の気を引こうとしているのはお見通しよ」
「そ、そんな……!」
なんということだ、手紙の効果が全く見られない。
というか……女神がここまで邪悪に侵食されているとは!
ある程度予想はしていたけれど、こうやって目の当たりにするとダメージが大きい。
お願いします、残念美人にならないで……!
「そんなつもりはありません! 信じてください!」
「信じられないわ。今まであんなに葵の周りをちょろちょろしていたというのに、急に心変わりするなんておかしいもの」
「それは……」
確かに、その通りだ。
納得して貰える説明を出来る自信がない。
『前世の記憶が蘇ったから』なんて、信じて貰えないだろう。
言葉が見つからず、口を開くことが出来ない。
ああ……でも、なんとか分かって貰いたい!
「彼に向かって、『愛してない』と言えるかしら」
「言えます!」
「そうでしょう、言えな……え?」
私は即答した。
それに関しては迷いなど無い、光の速さで即答だ。
今度は紫織先輩が黙る番になった。
美しい顔を顰め、訝しんでいる。
「紫織!? 黄衣!? そんなに睨み合って……やめるんだ、二人とも……!」
信じて欲しくて紫織先輩を見つめていると、とんちんかんなことを言いながらキモメンが登場した。
キモい。
今日好感度が上がる紫織の近くにいるのは危険だったか。
『俺のために争わないでくれ』と言いたげな表情をしているが、本当に薄ら寒い。
木枯らしが吹いているのかと錯覚する程寒い。
「葵っ……」
ああ、なんということだ……!
麗しの女神、紫織様も薄ら寒い劇場に参加してしまった。
『恥ずかしいところを見られてしまった……でも。貴方を取られたくないの!』とでも言っているような切なげな瞳でキモメンを見ている。
あのー……これ、私は参加しなくていいですよね?
「紫織先輩の誤解を解くのに、ちょうど良かったです」
木枯らしを止めるべく、口を割って入った。
紫先輩に一歩、また一歩と近づきながら話し掛ける。
『何を言われるのか』と、身構えている紫織先輩の目の前で足を止めた。
「私、この人のことは、なんとも思っていません。だから言えます。『こんな人、愛していません!』 気を引くためにやっているわけでもありません。むしろ私は、この人より……紫織先輩の方が好きですっ!」
「えっ」「え?」
二人の声が重なった。
きょとんとした表情も同じだ。
おのれゲスめ、紫織先輩と『お揃い』なんて許さないぞ。
「私……先輩のような、優雅で凜々しい女性になりたいんです!」
「はい?」
無礼を承知で紫織先輩の手を取り、目でも訴えた。
私、貴方に憧れています!
「先輩には、素敵な紫織先輩のままでいて欲しいんです! でも、最近は……」
そこでゲスの方に視線を向けた。
『こいつのせいで、何か間違っていませんか?』という意味を込めて。
「先輩の『本当に大事なもの』ってなんですか?」
「……え?」
「先輩。今、先輩は……自分を誇ることが出来ますか? 先輩のことを、本当に大事に思っている人達を、大事にしていますか?」
「!?」
聡明な紫織先輩のことだ、周りが心配している今の状況をどこかで分かっているはず。
奴に告白をしようとしていた私は、偉そうに言える立場じゃ無いけれど、どうか目を覚まして欲しい。
「素敵なペンダントですね」
「!」
掴んでいた手をそっと下ろしながら、紫織の首にかかっていたペンダントに目を向けた。
私はこのペンダントが何か、前世知識で知っている。
この紫水晶のペンダントは、彼女の母から受け継いだものだ。
最初の所有者は紫織の祖母で、グループの創始者だ。
祖母が『後を継ぐ息子を支えてやってくれ』と、嫁いできた母に贈り、今度は母が『父さんを支えるのは貴方よ』と紫織に贈ったのだ。
紫織の大切な人達の想いが篭もったペンダントだ。
「紫織?」
キモメンが紫織に声をかけるが、彼女は動かない。
ペンダントをギュッと握りしめ、俯いている。
朝の手紙もきっと見ているはずだ。
お願い、思い出して、周りが貴方を心配していることに気づいて。
暫く思案しているように俯いていた先輩だったが、小さく息を吐くと、私達に背を向けた。
「葵……ごめんなさいね。今日のところは、帰らせて頂くわ……」
申し訳なさそうに微笑むと、そのまま紫織先輩は去って行った。
これで完全に目が覚めた、ということはないかもしれないが、彼女の中に何かを残せたはずだ。
少なくとも、今日はもうゲスと過ごすことは無いだろう。
紫織様なら大丈夫、そう信じたい。
今週の好感度アップを阻むことが出来ただけでも大きな成果だ。
「黄衣、どうして……俺のこと……。理由を聞かせて……」
穏やかな気持ちで紫織先輩を見送っている私の隣で、ゲスは項垂れた様子で立ち尽くしていた。
ふふ……女神は去った、私の勝利だ!
気分が良い今なら、少しくらい話してやろう。
「あなたの言葉に、『心』が無いことに気がついたからです」
本当は、『私を攻略しようとしているのは知っているんだぞ! このゲスが!』と罵ってやりたい。
でもそれはしない。
奴の事情なんて、知りたくない。
転生なのかどうかしらないけど、スマホを使って私達を攻略していることは確かだ。
そのことを追求すると、その説明を聞かなければいけなくなる。
そんなこと、聞きたくない。
「あなたは、本当に私を見てくれていましたか?」
「もちろん!」
嘘だ。
お前が見ていたのは、『情報』。
それは『私』ではない。
「じゃあ……私が金曜日以外、何をしていたかご存知ですか?」
「……え?」
本当に私を見てくれていたのなら、スマホを見ないで答えて。
……スマホを見ても無駄だけど。
そこには載っていない、データにない私を、あなたが見た私を教えて。
「……そ、それは……」
奴の目は、小さな画面の中を泳いでいた。
「……もういいです」
やっぱり馬鹿だな、私。
少し期待をしてしまった自分がいた。
涙なんて出ない。
薄ら笑いしか出来ない。
「ま、待って、黄衣!」
「触らないでください!」
引き留めようとする腕を、強く払いのけた。
「そろそろやめませんか?」
「黄衣……」
「……そんなんじゃ、誰もあなたのことを見なくなりますよ?」
今は学校で、『ゲーム』を楽しめば良い。
でも、学校を卒業したら……その先、未来はどうするの?
情報ばかり見ていたら、ちゃんと人と向き合って生きていかなければ、きっと誰もいなくなる。
気づけば一人、なんてことになるかもしれない。
ちゃんと向き合えない人と家族になろうなんて、誰が思うの?
奴は瞬きも忘れ、固まっていた。
口も開かない。
気遣ってやる義理は無い。
そのまま放置して立ち去った。