【9】 出発当日
城壁を抜けた先にある大きな橋に王子は一人佇んでいた。朝の空気は凛と澄み渡っていた。少し肌寒さを感じる空気に王子の気は引き締められていった。
「珍しく早いな!」
「おはよう、レノ。旅立つなら早めがいいだろ? 早く出ればどこに行くにしても、その分早く着くからな」
「ちゃんとご両親には挨拶してきたのか?」
「ああ、さっと済ませた」
王子は城を出る前の事を思い出した。王と王妃は寂しくなると、ハンカチを目に当てながらそう言って見送ってくれた。別れを惜しんでいると、いつまでも送り出してくれなさそうな王と王妃にさっと別れを告げ、王子は城を出たのだ。
王子はすぐに戻って来るつもりでいた。兄のように音信不通になるつもりもなかった。行く先々で、王と王妃に便りを出すつもりだった。二人を不安にはさせないつもりだった。王子は王子なりに両親を気遣っているのだ。
「別れくらい惜しんでやれよ」
「すぐまた会えるさ。それよりも何か分かったか? 頼るつもりはないって言っといてなんだけど、手がかりがあれば欲しいんだけど……」
「もっと頼ってくれていいんだぜ? 親友だろ? とりあえず手がかりになりそうな話があった」
「本当か!?」
「ああ、でもあくまで噂だ」
「何でもいいさ! ゼロから始めるつもりだったんだから! そこからでも糸口を見つけられれば十分だよ」
王子は目を輝かせレノを見た。王子一人では何もできなかった。王子は当てもなく、ただふらりと国を出るだけになるところだった。
「あっちの、ほらあの山を二つ越えた先に小さいけど栄えてる街がある」
「あっちの方角は、ファランか?」
「何だ、知ってたのか。どこまでも世間知らずなのかと思ってた」
「そこまでじゃないよ……」
王子は苦い顔をしてレノに笑い掛けた。
「そのファランの名家の娘が魔女に遭ったって騒いでいるそうだ。それが噂になっている。何でも恋人が魔女に魅了されて取られたとか……。恋人は魂が抜けた様に魔女にご執心だとか。……ちょっと嘘っぽいんだよな」
「うーん。確かに。ただ恋人を取られただけなんじゃ……。何か魔女の仕業にしては人間味溢れると言うか、ショボイと言うか……。目的がいまいち分からない。やっぱり人の苦しむ姿が見たいのか?」
「さあな? まぁ、そういう風に力を使う魔女も居るのかもしれないけど、魅了たって普通の人間には出来ないしな。よっぽどの美人じゃないと……。まあともかくその噂の真相を確かめて来いよ! ファランは街道に面しているから、その後の情報も集めやすいと思うぜ?」
「そうだな。とりあえずファランに行ってみるよ」
「悪いな。こんな情報しか集められなかった」
レノは頭を掻きながらバツの悪そうな顔をした。王子はレノの背中をバシッと叩きニッと笑った。
「何言ってるんだよ! 助かるよ。俺一人じゃしばらくウロウロするだけだった。ありがとう、レノ」
「……無事に帰って来いよ?」
「もちろんさ! 一月に一回でもレノにも必ず便りを出す。条件だから。父上や母上も不安にはさせないよ」
「待ってるからな! 手紙もお前が帰ってくるのも!」
「ああ! ありがとう。それじゃあな」
王子は馬に跨り進みだした。橋の上で大きく手を振るレノに、微笑みながら手を振り返して王子は旅に出た。
目指すはファラン。噂の令嬢に会う事に王子は胸を弾ませた。兄の捜索。魔女退治。今までの日常からはかけ離れた世界に、王子は足を踏み入れようとしていた。その事が王子は嬉しかった。
レノや家族、大切な人が今までは傍に居た。だがどこか退屈だった。自分のすべき事も分からず、ただのんびりと日々を過ごすだけだった。それが嫌だった訳ではない。レノと共に居るのは楽しかった。こんな風に離れたくもなかった。両親の愛に包まれているのは心地よかった。
だが自分の存在意義についてはいつも疑問を感じていた。王子は今、産まれて初めて自分の存在を証明する手立てを持ったのだ。初めて為すべき事が分かったのだ。
王子はワクワクしていた。魔女を殺せる確証はない。兄が見つかる確証もない。だが成し遂げなければいけないのだ。周りの期待に応えなければならない。その責任感が王子に存在意義を与えてくれた様な気がしていた。