【7】 異名を持つ一族
話は少し遡ります。
王子は地面に叩きつけられたような気がした。だがいつまでたっても衝撃は来なかった。衝撃どころか何も感じなかった。感覚を失っていた。“ああ、失敗だ”と思った頃にはもう遅かった。失敗の原因は目に見えていた。王子は愚かだったと、馬鹿だったと自分を責めた。父親の言葉が頭の中で繰り返し響いていた。魔女いう存在に対して、自分は特別だと王子は驕ったのだ。力に頼り切ったのだ。それが何よりも王子の失敗だったのだ。
***
数か月前の事。
とある王国にある、立派なお城の中では、部屋中に響き渡る口論が繰り広げられていた。
「まだ早いと言っておろうが!!」
「いいえ! 早くなどありません!!」
「落ち着きなさい、王子。王に無礼でしょう」
がみがみと先ほどから繰り広げられる口論、もとい口喧嘩は同じ論争を何度も繰り返していた。
「父上は過保護なのですよ!! 私はもう十八になった! 立派な大人だ!」
「ええい! 何を言うか! 十八などまだまだ子どもであろう!? お前もそう思うだろう? 王妃」
「ええ、まだ若いですわ。せめて十九に、いえ二十になってからでも……」
「母上!!」
「あら、やだ。息子の事になると心配で」
「世の男は私よりも若くとも、出兵することもあるのですよ!? それを十八にもなって、一人で国を出ることを許さないとは何事ですか!! よいではありませんか!」
「いかんといったら、いかん! 兄だけでなくお前までも国を出ると言うのか!? 寂しいではないか……!」
「父上……! それが本音なのですね……!?」
「しまった……」
国を出たい王子と、息子を手放したくない過保護な父親との論争は、かれこれ三時間は続いていた。
周りに居た家臣達も呆れたのか、溜め息を吐く者も出始めていた。
「いいですか、父上。いずれ私は外に出るのです。それが今になっただけの事。兄上が帰って来ない以上、私が国を継ぐしかありません!」
「ええい! そのような事は分かっておるわ! 兄王子が帰って来なくなってまだ一年だぞ? もう少し待てんのか?」
「もう一年です! 兄上は何をしているのですか!? いくらお優しい兄上とはいえ逃げ出したとは思えない! 何か已むお得ない事情があっての事です! 私は兄上も探すつもりです」
「うーむ……」
「それに兄上からいくら待っても便りが無いのは、魔女に囚われているからではないですか!? もしかしたら命を奪われたのかもしれません……」
「王子よ、そのような事、言う物ではありません。兄王子は生きています。ただどこで何をしているのかは分かりません。貴方の言う通り囚われの身になっているのかもしれない」
王妃は王子を諭すように静かにそう言った。王妃の顔は暗く沈んでいた。
「母上……。それは母上の勘ですか?」
「ええ、兄王子は生きています」
「貴方の感は良く当たる。なら尚の事! 生きているならば連れ戻すべきです! 囚われの身になっているなら、解放すべきです!」
「ならん! お前まで失う訳にはいかん!」
「父上!!」
という様な感じで論争は続いていたのだ。王子は顔をしかめ王にもの申した。
「父上。王位を継ぐためには魔女を殺す必要が有ります。父上もそうやって王になられた。私も魔女を探しに出ます。兄上がそうしたように、私にも許可を……!」
「王子よ。条件は殺すことではない。見つけるのだ」
「同じ事です! 我らの血に流れる“魔女殺し”の力を使うのでしょう?! 魔女は悪だ! 殺して当然なのです! 兄上はお優しかった。魔女も人間だと、人間を殺せないとそう言っていました! ですが兄上も自分の立場は分かっておられます。魔女を探しに出た以上、国を、民を放って逃げ出したりはしない! 果敢に魔女に立ち向かった筈だ! 私は兄上を誇りに思っています。慕っています。そんな兄上が魔女に囚われているのなら、私は助け出したいのです! 兄上に王位を継ぐ資格がなくなったのであれば、私が兄上の意思を継ぎます。どうか、どうか許可を……!」
王子は真剣に王と王妃の顔を見据えた。真っ直ぐに曇りの無い王子の目に押されたのか、王は怯んだ。王子はその一瞬を見逃しはしなかった。
「だがな……」
「父上!!」
「……分かった。ただし条件付きだ。必ず帰ってくること。無茶はしない事。現状報告を怠らない事。便りを寄こせ。一月に一回はな。それが無いようなら、兄共々我らが探し出す」
「それは……! 父上が国を離れられてはなりません! 誰が民を纏めるのですか?」
「それが嫌だというのなら、無事で居る事だ。……わしはもう息子を二人も行方不明にしたくない。お前の手前、兄王子の事は気にせずにいた。王妃も生きていると言っている。何処かで生きているなら、それだけでも良しとしていた。だがお前まで失っては、そのような事は言えん」
王は今までとは違う、落ち込んだ暗い表情を見せた。目の前に居るのはただの一人の父親であると、王子は思った。ただ純粋に息子の心配をしているだけの父親だと。
「父上……! 父上の気持ちしかと受け止めました。国を出る事許していただきありがとうございます。必ずや兄上を、魔女を見つけ出します!」
「王子よ、自分の目で確かめるが良い。魔女とはいかなるものかを見定めて来い。魔女の力は強大だ。我らの血に流れる力を持ってしても分が悪い。それでも立ち向かうというのか? 気は変わらぬか?」
「父上。男たる者、一度言った事は曲げません。必ずや私が魔女も兄上も見つけ出します。父上と母上を安心させて差し上げます」
「うーむ……。王妃や、この制度は廃止した方が良いのではないか?」
「そうですわね、王よ。心配で寿命が縮みそうですわ。いくら由緒正しき制度とはいえ、気が気ではないわ……」
意気込む王子の目の前で、先ほどの態度とはまた打って変った王と王妃は心配事を話し合った。王子は呆れて頭を抱えた。両親は過保護すぎるのだと。
「……兄上の時もこうだったのか……?」
「何か言いました?」
「いえ、何でもありません。……父上」
「何だ?」
「魔女殺しの力とは一体どういったものなのでしょう? 私は今までその話は聞いたことがありません」
「わしにもよく分からん」
「は? ですが父上は……」
「そうだ。使った。その時が来ればお前にも分かる。使い方もその力の意味も。間違えるな。自分で確かめるのだ」
何ともあやふやな回答に王子は再び頭を抱えた。これではまるで何の当てもなく、方法も分からずにただ闇雲に魔女を探し出し、その後奇跡的に退治するだけではないかと。そんな不確かな方法を王子は信用できなかった。絶対に魔女を殺せるという確証が欲しかった。
「では、魔女の見つけ方は? 何かアドバイスはありませんか?」
「会えば分かる。血が騒ぐ。こいつは魔女だとそう分かる筈だ」
「……何とも曖昧な」
「魔女殺しとはいえ、その程度のものよ。普通の人間と変わらん。期待はするな。力に驕るな。力に頼るな。それでは魔女には勝てんぞ」
「心しておきます」
王子は正直拍子抜けだった。期待していた。魔女殺しという異名を持つ一族。昔からどこか自分は特別なのだと王子はそう思っていた。世界で唯一悪しき魔女と戦える一族なのだと、誇りに思っていた。だが王の話しを聞き、それは幻想だったと王子は気づいた。ただ、人より少し敏感なだけではないかと王子は思った。仰々しい異名の割にショボイ能力だとがっかりした。
それでも王子は行かねばならなかった。兄を探すため、魔女を見つけ出し王位を継ぐ資格を得る為、やるしかないとそう自分に言い聞かせ、城を出る準備を始めたのだった。