【5】 少女の日常(1)
「ふぅ。あ、シエル! 見て見て! ほら頑張ったでしょ!?」
額に光る汗を拭い、満面の笑みでエレナはシエルを見た。シエルはのっそりとエレナに近づくとパタパタと尻尾を地面に打ち付けた。
「気に入った? じゃじゃーん、シエル用の扉だよ?」
エレナが両手をひらひらとさせ、紹介したのは玄関の扉に小さく歪に開けられた穴だった。
「後は布で塞ぐだけね。何色の布にしようかなー」
エレナは階段を登り二階の一室に入った。そこはぐちゃぐちゃに物が置かれた部屋だった。棚にはペンキや、くぎなどが無造作に置かれ、床に置かれた箱の中も、やはり無造作に放り入れられたように色々なものが入っていた。
「ああ、あったあった」
エレナの後を追いのっそりと階段を登り、部屋の前に待機していたシエルは口を大きく開けてエレナを見ていた。
「ああ、シエル居たのね? 何その顔? 片付けろって言いたいの? 残念でしたー。これでもこの部屋は片付いてるんだよ? どこに何があるか私には分かるもん」
エレナはその物置部屋を片付ける意思はないとシエルに言い放った。そしてシエルの前にどんと、手にしていた布を置いた。
「どの色がいい? 赤はちょっと派手だよねー。この緑か、黄色か、あ、青なんかも意外といいかもね。シエルの扉だし、シエルが決めていいよ?」
シエルに言葉が通じているのか定かではないが、一応シエルの意見も聞こうとエレナは問いかけた。シエルは口を開けたまま、前足を布に掛けた。
「これ? これがいいの? 分かった、じゃあ緑にしましょう」
エレナはウキウキとその布だけ残し、後の布をまた箱の中に乱雑に放り込んだ。
「シエル、行くよ?」
部屋の中を覗いていたシエルを呼びエレナは階段を下りた。
***
「完璧ね! シエル、ここから抜けられる? 大きさ大丈夫だよね?」
布を取り付けたエレナは自画自賛をしていた。シエルはエレナが問いかける前からスタンバイしていたのか、エレナが空けた穴に体を捻じ込んでいた。
「ちょっと高かったかなぁ?」
体を捻じ込んだシエルは途中で足をバタバタとさせては居たものの、すぐにするりとくぐり抜けた。エレナはその姿を見て、よし、と一人ガッツポーズを取った。
「ふふ、流石私ね! シエル、これから好きな時に外に出ていいんだよ? 家の中だけじゃ退屈でしょ? それに私が居ない時寂しいでしょ? 森でお友達と過ごしていいんだよ?」
もう一度家の中に入る為、穴を潜り抜けていたシエルにエレナはそう言った。シエルはまたも、足をバタバタとさせながら家の中に入った。
「でも約束。陽が暮れるまでには帰ってくること。いい?」
シエルは大きく口を開けた。
「あと、森で暮らしたくなったらそれでもいいから。でも、ある日突然居なくならないでね? 何でもいいの。何か私に合図して? お願い」
「グァー」
シエルはもう一度口を開け、鳴いた。その鳴き声は何度聞いても慣れないとエレナは思った。カエルの潰れた様な声というか、怪獣みたいな不気味な声というか、エレナはシエルをいくら可愛がっているとはいえ、この声だけは受け入れられなかったのだ。
「……シエルがたまに鳴くとびっくりしちゃう。ごめんね。貴方の事大好きだけど、その声はちょっと苦手かも……」
眉を寄せてエレナはシエルに謝った。
「さぁ、ちょっと早いけどご飯にしようか!」
エレナは勢いよく立ち上がり、シエルに笑い掛けた。
「今日はリンゴと、ホウレン草だよー。…………あ、う、何だろ……?」
キッチンへ向かおうとしていたエレナは、急に視界が狭まり、ふらつきそして倒れた。驚いたようにシエルはエレナに駆け寄った。エレナからはスヤスヤと寝息がしていた。
***
「ん……?」
またこの感触だ、とエレナは思い目を開けた。
「おはよー、シエル」
前にもあったようにエレナはシエルに頬を叩かれ目を覚ました。まだ夢見心地のエレナは寝ぼけ眼でシエルを捉え撫でた。
「ふぁーあ。あれ? いつ寝ちゃったんだろ? おかしいなー。確かシエル用の扉作ってて、ああ、疲れてちょっと寝ちゃったのか」
シエルは首を傾げながらエレナを見ていた。
「どうしたのシエル? あ、心配してくれたの?」
シエルを撫でながらふふっとエレナは笑った。
「人間はね、疲れちゃうとね寝ちゃうのよ。ああ、そっか、お腹空いたよね? ちょっと待ってね?」
起き上がりエレナは寝てしまう前の事を思い出した。シエルとご飯を食べるはずだったのだと。キッチンからリンゴと生のホウレン草を出し、エレナの分のご飯を軽く用意した。木苺のジャムとパンだ。それらをトレーに乗せ、お腹を空かせているであろうシエルの元へ戻った。
「はい。シエルー。お口開けて? ホウレン草だよ? 美味しいよ?」
シエルにホウレン草を食べさせた。ホウレン草をシエルに与えるのは初めてだった。嫌いだったらどうしようとエレナは思ったのだ。シエルはそんなエレナの心配もよそにパクッとホウレン草に噛り付いた。
「良かった。美味しい? ここに置いておくからね? リンゴは後で一緒に食べよう?」
シエルの前に水と共にホウレン草を千切って乗せたお皿を置いた。エレナもお腹が空いていたのか先ほどから、グゥとお腹が鳴っていた。パンにジャムを塗りエレナは齧り着いた。
「あー、シエル今日はお客さんが二人来るよ? この間のウェンディみたいに驚かせちゃダメだよ?」
そうはシエルに言ったものの、シエルはウェンディに何かをしたわけではない。どうしようもない事だったのだ。
「まぁでも二人ともすぐ帰っちゃうだろうから、心配しなくてもいいか」
エレナはそう一人零した。
もぐもぐとパンを食べていると扉をノックする音がした。まだ食べているのにと心の中で思いながらも、エレナは食べかけのパンを置き、扉へ向かった。
「はーい。こんにちはロバーツさん」
「ああ、こんにちは」
「お薬ですね? 出来ていますよ? どうぞ上がってください」
「いや、いいよ。すぐに帰るから」
ロバーツと呼ばれた初老の男性は、申し訳なさそうに手を振った。
「そうですか……。ちょっと待っててくださいね!」
エレナは玄関口でロバーツを待たせ薬を取りに行った。薬部屋に置かれたロバーツの薬を手に玄関に戻った。
「はい、これお薬……」
そこには穴を通ったのだろう、シエルがロバーツと向き合っていた。
「シエル、何してるの? ご飯は?」
シエルはじーっと後ろ足で立ち、ロバーツを見上げていた。ロバーツも不思議そうにシエルを見つめていた。
「この子、あんたのかい?」
「え、ええ。そうですよ? シエルっていいます」
「へぇ、珍しい生き物飼ってるんだねぇ」
ロバーツは興味があるのかじっくりシエルを観察していた。
「……触ってみます?」
「いいのかい!?」
「シエルが嫌がらなければどうぞ」
ロバーツは屈みこみシエルを撫でまわした。シエルは口を半開きにしてじっと耐えていた。
「ほう! 思っていたよりも柔らかい。それに何てなめらかな皮膚なんだ!」
「グェー」
「鳴き声は思っていたのと違うな! 変な声だな君」
シエルを触るロバーツは目を輝かせていた。エレナはこんなロバーツを見るのは初めてだった。ロバーツの事をいつも仏頂面で、何を考えているのかも分からない男性だと思っていた。
「……ロバーツさんは動物が好きなんですか?」
「あ、これは失礼。ああ、動物は好きだよ。癒されるからね。この子は何処で?」
ロバーツはシエルから手を離し、エレナに向きなおった。
「送られてきたんです。面倒を見て欲しいと」
「それはまた……。一体誰から?」
「差出人は分かりませんでした。でも宛名は私になっていたので、間違いで届けられた訳ではなさそうです」
「へぇ。いいね、羨ましいよ。あ、これお代ね。この子は何を食べるんだい?」
「ありがとうございます。野菜とか果物ですよ。丁度今ホウレン草を食べさせていたんです」
「そうか。では今度来る時は手土産に何か持ってくるよ。じゃあね、シエル、また遊ぼう」
ロバーツはシエルにそう言った。シエルはパタパタと尻尾を地面に打ち付けた。
「ありがとうございます。気を付けて」
エレナはロバーツに手を振って見送った。
「知らなかった。ロバーツさんって動物好きなんだ」
パタンとシエルも家の中へ入れて扉を閉めた。あんなに嬉しそうにしているロバーツをエレナは初めて見たのだ。
「シエルのおかげだね。私ロバーツさんってちょっと苦手だったんだ。何を考えているのか分からないし、でもさっきので普通の、おじさんなんだなって思えたよ」
エレナはシエルと共にテーブルに戻り再び食事をした。
「それにしても、シエルって、人が来るのが分かるのー? この間もシエルが私を起こした途端、ウェンディが来たじゃない? 足音とか感知してるの?」
シエルは何も答えずにホウレン草を貪るように食べていた。
「そんなわけないか。たまたまよね?」
パンに噛り付きながらエレナはシエルを見た。