【36】 知りたくなかった事実
王子はエレナと湖に出かけたあの日から、エレナに対し疑問を感じずにはいられなかった。何度も自分に勘違いだと言い聞かせていた。何度も何度も確かめた。それが偶然だと思いたかった。だが現実はそれが勘違いではないという事を示していたのだ。
あの日から毎晩夜にエレナが眠ると王子は家の外へと出かけていた。森を歩き確かめていた。エレナが眠りに就くと途端、森は静寂に包まれた。木々も動物も命あるものは全て活動を一旦停止し、眠りに就いたようだった。
昼間にエレナが眠ってしまった時にも確かめた。エレナが眠ると空には鳥すらも飛ばなかった。地面には死んだように眠る動物たちが居た。その動物たちが目を覚まし動き出したのを合図にするように、家に戻るとエレナは目を覚ましていたのだ。
そんな間も王子だけは眠りには就かず動いていた。王子にはもう疑う余地は無かった。森の静寂はエレナの眠りと共にやってくるのだ。
思えば初めてウェンディに出会った日もウェンディは不思議な事を言っていた。昼前には出たのにおかしいと。あの小さいながらもしっかりとしたウェンディが、通いなれた道を間違える筈も、意味もなく寄り道をする筈も無かったのだ。ウェンディが来る少し前にエレナは気を失うように眠っていた。あの日ウェンディの服には葉っぱや土が付いていたのだ。ウェンディはエレナに呼応する様に森で眠っていたのではないかと王子は思った。
どう考えても、もう王子の中での答えは出ていた。エレナには不思議な力があった。森を眠らせるだけの力が。そんな事が出来るのはこの世で、王子の知る限り“魔女”しかいないのだ。
考えたくなかった。認めたくなどなかった。エレナが魔女だと王子には思えなかったのだ。何か深い事情があるのだとそう自分に言い聞かせていた。もしかしたらエレナも自分と同じように何かの呪いを受けているのかもしれないと、そう思った。だがそう思うにはエレナは王子とは違い普通だった。それに何かをされた側ではなく、エレナは周囲に影響を及ぼしている側だった。それでも王子は信じたくなかったのだ。王子にとってエレナは眠る回数が多いだけのただの女の子だった。
そんな事を思いながらも王子はふらふらと湖に辿り着いた。もうすぐ満ちようとしている月が湖に映りこんでいた。こんな綺麗な晴れた月夜は久々だった。王子はゆっくりと湖に体を入れた。やはりエレナと来た時と違い、体は自由に動きなんなく泳ぐことが出来た。
『……』
大分泳いだところで王子は止まった。湖面に移る自身の姿を見つめていた。そこには醜い茶色の生物が映りこんでいるだけだった。
『……戻らない』
いくら待っても王子の姿は人の物にはならなかった。王子はがっかりした。ゆっくりと泳ぎ湖から出た。濡れた体を振り水分を払った王子はその場に座り込んだ。目を閉じてもう一度エレナの事を考えた。
「……どうかしたの?」
不意に声が届いた。王子は閉じていた目を開き辺りを見渡した。相変わらず森の中は静寂に包まれていた。
「こっちよ」
声は湖から響いていた。のっそりと体を動かし湖に近づいた。
「こんばんは」
そこには少し心配そうに王子を見つめる白夢の姿が映っていた。
『……』
「その姿の事、まだ怒っているの?」
『どうして戻らない? この間は戻ったのに』
「だって今日は満月じゃないじゃない。貴方の呪いを一時的にでも無効化するほどの魔力が、この土地には今は無いわ。月の力は強いのよ?」
『……そうか』
王子は湖に短い足を浸けて再び腰を下ろした。
「……私に聞きたいことがあるんじゃないの?」
『エレナは……、彼女は一体何なんだ?』
「エレナはエレナよ? 貴方の近くに居て、少し寂しがり屋な女の子でしょ? 違う?」
『そうだけど、そういう事じゃなくて……』
白夢は小さく溜め息を吐いた。
「私から何かを言う事は出来ない。したくないから。私は貴方の知らない事も知っている。でもそれをほいほい教えたって意味ないでしょ? 貴方が自分で気づいて確かめないと意味がない事なのだから。何が本当か決めるのは貴方よ」
『エレナはどうしてあんな風に寝るんだ? 何かの病気なのか?』
「病気じゃないわ。あの子も貴方と同じ」
『同じ?』
白夢は返答を渋っていた。
「同じよ。あの子も理不尽な恨みを買った一人よ」
『……? どうして俺をエレナの元に送ったんだ?』
「初めに言ったでしょ? 貴方達はお互いを望んでいると」
『確かに、望んだ事なんだろうな。過程はどうであれ……。だけど……。こんな事になるなんて』
「王子、決めるのは貴方よ。貴方は自分で見極めてどうするか決めないといけない」
『俺が望んでいるのがエレナなら、エレナはやっぱり……』
王子はキュッと唇を噛んだ。唇など無い体だが確かに王子はその行動をとったのだ。
『エレナは、魔女……なのか……?』
「そうよ」
白夢は真っ直ぐ王子を見据えてそう言い放った。王子は全身を冷たい物が駆け巡る感覚に襲われたのだ。何処かで気が付いていた。だがそれを言葉にし、誰かに肯定された事が受け入れられなかったのだ。
『う、嘘だ……! そんなの嘘だ!!』
「嘘じゃない。事実よ。どうするの? エレナが魔女だと貴方は知ってしまったわ。魔女殺しの力を持つ貴方はエレナをどうしたいの?」
『そんなの……、そんなの信じない!』
「そう。それなら好きにするといいわ。それも貴方が決めた事なら、私は何も言わない」
白夢は少し悲しそうな顔をして王子から目を逸らした。
『どうして、どうしてエレナが、魔女なんだよ。エレナは、あの子はただの……。エレナは、自分が魔女だなんて一言だって言ってない。お前が嘘を吐いているんだろ!?』
「嘘じゃない。エレナは自分が魔女だって知らないもの」
『じゃあ、お前の勘違いかもしれないじゃないか!』
「違う。エレナは魔女よ。自分でも気づいているでしょ? おかしいって思ったから私に聞いたのでしょ?」
『そんな、そんなの……』
「はぁ、魔女だって人間よ」
王子はその言葉にピクリと反応した。王子の兄が、事あるごとに言っていた言葉だった。旅に出る前にレノに投げかけられた言葉だった。
『……その言葉』
「私達も人間なの。少し人と違う力を持っているだけ。それ以外貴方達と何も変わらない。私達にも過去はあるし、何かを思う感情もある。貴方達と何も変わりはしないの。私達魔女はそれを受け入れてもらいにくい存在ではあるけど、でも、人と違う事を理由に冷たくされたり、嫌われたり、勝手にいいように言われたり……。迫害された子だっている。私達が何をしたの? それでも貴方達は私達を悪だと言うの?」
『……』
王子は言葉が出なかった。王子自身魔女は悪だと決めつけていた一人だったのだから。魔女というだけで殺そうと、そう思い旅に出たのだ。
「貴方がまだ魔女は悪だと思うのなら、貴方はエレナを殺すしかない。貴方のその力はそのためにあるのでしょう?」
『……魔女は悪だ。その存在が人を不幸に巻き込むんだ。そうじゃないと、俺は……』
「教えといてあげる。貴方、人の姿に戻れば力を使えるわよ?」
王子はゆっくりと湖面に映る白夢を見た。白夢は無表情で王子と目を合わせると消えてしまった。
『俺は、エレナを……。魔女を……』
王子は満ちかけている月を見上げた。




