【34】 湖の畔で(2)
昼食後、お腹が満たされた事で眠くなったとエレナは言い、昼寝を始めた。横で丸くなってスヤスヤと眠るエレナの横顔を王子は見つめていた。エレナは幸せそうに眠っていた。短い手を伸ばしエレナの前髪をそっと掻き分けると、エレナはくすぐったそうに声を上げ少しだけ身を捩った。王子は一人表面には出せない笑顔を作っていた。
エレナがぐっすりと眠りに就き王子は暇を持て余していた。初めはエレナの寝顔を見ていたがそれも次第に飽きて来た。
もう一度エレナを見つめて王子は歩き出した。森の中を散歩しようと考えたのだ。散歩をしながら一人で考えたかった。どうして元の姿に戻れなかったのかを。王子は湖に来れば元の姿を取り戻せると思っていたのだった。
もう一度白夢の言葉を思い出していた。白夢は水と月が魔力の源だと言っていたのを王子は思い出した。だとすると、夜の間だけしか元の姿には戻れない事になる。王子は人知れず大きく溜め息を吐いた。まだまだエレナに本当の事は言えないと、そう思ったのだ。
そんな事を思いながら王子は森を歩いた。森は昼間だと言うのにシンと静まり返っていた。王子は少し前からこの森が不気味に思えて仕方なかった。時々生き物の気配を全く感じないのだ。エレナはこんな不気味な森でよく長年生活をしてきたなと感心までしていた。
足を進めると日が差し込み、花が多く咲いている場所に出た。エレナに持って帰ろうかと王子はそこに向かった。色とりどりの花がそこには咲いていた。四つん這いで歩く王子の身長とほぼ変わらないくらいの花畑を歩いた。花の匂いでむせ返りそうになった。
キョロキョロとどの花にしようかと辺りを見回しながら進んで行くと、ふと足元に地面とは違う感覚がして王子はビクッと体を震わせた。何かと思い足の下を見るとそこには小鳥が倒れていた。
小鳥はびくとも動かなかった。王子は自分が踏んづけた事で小鳥を死に追いやったのではないかと血の気が引いた。ドキドキとしながらもその小鳥に手を伸ばした。小鳥は触っても動かなかった。ただ小さな体からはドクドクと鼓動が感じられた。それに温かかった。
小鳥は死んではいなかった。王子はほっと息を吐いた。その小鳥を小さな手で何度も撫でたが反応は一切なかった。王子は不思議に思い首を傾げていた。どうすることも出来なくて、死んだように眠る小鳥をそっと地面に降ろした。今度は踏みつけないように避けて先を進んだ。
黄色い可愛らしい花が王子の目に留まった。それをエレナに持ち帰ろうと思い、その花めがけて足早に進んだ。
花の近くまで行くと尻尾で器用にバランスを取り立ち上がった。短い手を使ってその花を摘んだのだ。エレナは喜んでくれるだろうかと一人考えた。早速エレナの元に帰ろうと振り返った王子はビクリともう一度体を震わせた。
二本足で立ち上がってようやく気付いたのだ。花畑の中には先ほどの小鳥と同じように、地面に何匹もの鳥や、それに小動物が倒れていた。王子は怖くなって後退った。すると足に何か当たった感触がした。恐る恐る振り返ると、そこには灰色のウサギが横たわっていた。
ウサギに手を伸ばしてみたが、起きる気配は無かった。スヤスヤと息を吸い、体を動かしていた。眠っているだけだった。
この花畑には何か睡眠作用のある花でもあるのかと王子は思い、その場を足早に去ることにしたのだった。
不気味な森をエレナの元へ帰る為に進んでいた王子は不思議な事に気が付いた。花畑の中の動物だけではなかったのだ。木の枝に垂れ下るようにして眠るリスや、木から落ちたのだろう、腹を上にして眠るイタチを見た。
蜂や蝶でさえその動きを止めて、死んだように動かなかった。木々のざわめきも一切聞こえてはこなかったのだ。
エレナと家を出た時は普通の森だった。木々はざわめき、所々に動物の気配を感じていた。それがこの数時間で何かが起こったように、皆眠りに就いているのだ。王子は世界に一人取り残されたようなそんな気分に陥った。早くエレナの元に戻りたくて走り出したのだ。
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王子は口に黄色い花を銜えて走っていた。エレナの居る湖を目前にした頃、突然王子の前に何かが飛び出してきたのだ。一旦動きを止め王子は固く目を瞑った。ぶつかると思ったがその衝撃はやってこず、王子は目を開いた。王子を驚かせたその正体は、茶色い鳥だった。数羽の群れだったのだろうその鳥は一斉に空に向かい羽ばたいた。王子はそれを呆気に取られたように見つめていた。
そうしていると森がざわざわとうごめき出したのだ。さっきまでとは違い生命の息吹を取り戻したように森は元の状態に戻った。
再び歩み出した王子はエレナの姿を確認してほっと息を吐いた。エレナの元に足早に向かい、座るエレナの膝に小さな手を伸ばしたのだ。
「あ、シエル。おはよう。何処かに行ってたの?」
あくびをしながらも王子の頭をエレナは撫でた。エレナは今しがた、目が覚めたばかりだった。まだ眠たそうに目を瞬かせながら王子を見つめ微笑んだ。
王子はそんなエレナを見て大きな口を大きく開けた。銜えていた花は地面にポトリと落ちた。エレナはそれを拾い上げていた。
「これ、シエルが持ってきたの? もしかして私に? ふふ、そうだったら嬉しいな」
ニコニコと笑いながらエレナは王子を撫でまわしていた。王子の小さな心臓は早く鼓動を奏でていた。今までの事を思い返していた。いつもそうだった。気付けばそうとしか思えなかったのだ。ドクドクと早鐘を打つ鼓動は止まることはないだろう。王子はまさかそんな筈はない、と思いながらもエレナを凝視していた。




