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【32】 姿(2)

 王子はしばらくの間、目を瞑り人の姿で湖に佇んでいた。湖から出ると畔に腰を下ろし、一人ぼーっと水面を見続けていた。ここを離れれば人の姿ではいられなくなることを、王子は理解した。


 混乱していた頭が冷えてきて、王子はある違和感に気付いた。辺りを見回したがやはり変だと思った。動物の鳴き声も、木々のざわめきも何一つ聞こえないのだ。森はシンと静まり返り、物音ひとつ聞こえなかった。今までも静かな森だとは思っていた王子だったが、こう長い時間何の物音も聞こえないのはおかしいと、気味が悪いと感じた。


 それと同時に王子の体は反応していた。魔女の気配がすることを感じていた。それは嫌な物ではなかった。どう表していいのかも分からないが、魔女が居ると本能が知らせていた。王子に呪いを掛けた魔女とは違う、悪意を感じない気配だった。王子は戸惑った。王子にははっきり分かった。呪いを掛けた魔女は、王子の中での魔女そのものだった。異常なまでの頭に響く警報も納得がいっていた。だが今感じているこの気配は、それとはまったく違うものだった。本能が危険とみなしていなかったのだ。危険では無い魔女なんてこの世に居ると信じたくなかった。魔女は悪だと信じていたかった。


 「……どうなってるんだよ……」


 王子は膝を抱え、顔をうずめた。


 おそらく本能が知らせているのは白夢の気配だろうと王子は思った。湖には白夢の結界が張ってあると言っていた。それに反応しているのだろうと、王子は考えたのだ。とすると、白夢は本人が言ったように害のない魔女という事になる。王子には認められなかった。認めたくなどなかった。


 目を瞑り、考えを逸らそうとした。思い浮かぶのはエレナの事だった。


 「せめて話せればな……」


 王子はぽつりと零した。王子は何度もエレナに話しかけていたのだ。初めは慣れない体のせいもあってか、声など出なかった。初めてあの体で声を発した時、王子はショックを受けたのだ。

 それはまるで奇声だった。エレナでさえ顔をしかめていた。聞いていて心地のいいものとは到底言えない自分の鳴き声を、王子は受け入れられなかった。気味が悪かった。聞いた事もないような声しか出せない今の姿が嫌だった。それでもエレナに何かを伝えたい時は、必死で話した。話しているつもりだった。だが今のあの奇妙な姿では、人の言葉など発することは出来なかった。


 「はぁ……。それでもエレナは良くやってくれてるよ。俺の事を気味悪がりもしないでさぁ。凄いよ……」


 王子は久しぶりに聞いた懐かしい自分の声に耳を傾けた。落ち着いたのだ。今まで当たり前だったこの姿が愛おしくて仕方が無かった。早く元の姿に戻りたいという気持ちはどんどんと大きくなっていった。


 「……期待しても無駄だよな。縋るだけ惨めだ。俺は今あのオオサンショウウオモドキでしかないんだから。……帰ろう。エレナが心配する。エレナを一人には出来ない」


 王子は立ち上がりエレナの家の方へと歩き出した。湖から離れるとどんどん、人の姿は失われていき、未だに受け入れられない醜い茶色の生き物へと姿を変えた。王子は小さな自分の手を見て、悲しそうに口を開けた。


**


 ペタペタと四本の足で森を歩いていると、空は明るくなってきていた。相変わらず森の中は不気味なほど静まり返っていた。王子は時々森の中で立ち止まり空を見ていた。白んで来た空には鳥の姿も無い。気味が悪いと心の中で呟いた。


 エレナの家が見えて来た。エレナの家の周りには動物の巣が何個かあった。その一つウサギの巣を王子は眺めた。草木に隠れてはいるが確かにそこにはウサギの親子が居た。ぐっすりと心地よさそうに眠っているように見えた。ぼーっと口を開けながら王子はウサギを見ていた。

 次の瞬間王子は大きく体をビクつかせた。ぐっすり眠っていたと思ったウサギの親子が急に起き、ガサゴソと草むらを跳ねまわり森の奥へと消えて行ったのだ。バクバクとなる鼓動を抑え王子は溜め息を吐いた。


 気付けば空には鳥が飛んでいた。木々も風に吹かれざわざわと葉を揺らせていた。森の奥からはフクロウか何かの奇妙な鳴き声がしていた。さっきまで気味が悪いほど静かだった森は、息を吹き返したように音を奏でていた。


 王子はエレナがこじ開けた穴を、足をジタバタとさせくぐった。二階で眠るエレナの元へ行こうと階段に向かった。だが階段を上がる必要は無かった。


 「おはよう、シエル。早起きなんだね?」


 階段からは眠たそうにあくびをしながら降りてくるエレナの姿があった。王子は大きく口を開けエレナに朝の挨拶をした。


 「お腹空いたの? ちょっと待ってね? 何がいい? お芋?」


 エレナはキッチンへ向かうとガサゴソと食料棚をあさった。王子は食べられるなら何でもよかった。この体になってからというもの、味にこだわりなどなかった。たいして味など分からなかったのだ。食事の楽しみといえば触感を楽しむくらいだった。


 「はい。どうぞ」


 エレナは切ったサツマイモを皿に乗せ王子に差し出した。王子はそれを丸呑みしていた。


 「ふぁ、眠いなぁ」


 エレナはその横に座りリンゴを向き始め、齧っていた。


 「んー、シエルもどうぞ」


 向いたリンゴの半分をエレナは王子に差し出した。王子はそれも食べた。


 「ゆっくりしたいけど、畑に行かなくちゃね? シエルも来る?」


 エレナは立ち上がり薬草畑へと行く準備を始めていた。王子はエレナの見ていないところで大きく首を縦に振り、エレナの後をそそくさと付いて家を出たのだった。




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