【30】 白い世界
王子は体がフワフワと浮いている様な感覚の中、真っ暗な世界を漂っていた。どれくらいの時間が経ったのかも分からない。自信の姿すら見えない闇の中で王子は繰り返し、魔女について考えていた。王子はまだあきらめてはいなかったのだ。
「あらぁ、貴方もこんなところを漂っているの?」
突然だった。呑気な女の声が王子に降り注いできた。
「驚かせちゃったかしら? ほら、捕まえた」
王子は漂っていた体を不意に誰かに優しく掴まれたようなそんな気がしていた。温かいその手に包まれて心が安らいだ気がした。
『誰?』
「私は白夢。こんなところに居てはダメよ。一緒に行きましょう?」
『どこに?』
「私の世界」
白夢がそう言うと辺りは一気に明るくなった。王子は眩しさに目を閉じた。
「ようこそ。私の世界へ」
ゆっくりと目を開けるとそこは真っ白な空間だった。色白の肌に、長い茶髪をなびかせた女はニコッと微笑んだ。
そこは部屋ではなくただ空間が広がっていた。そこここに可愛くラッピングされた大きな箱や、ぬいぐるみが散らかされているのが何とも奇妙な空間だった。
『ここは?』
「ここは工場よ? 貴方みたいな人を助けるの」
『……俺は別に助けは必要ない』
「そんな恰好で? 貴方自分の今の姿見た?」
『?』
白夢は木でできた玩具の兵隊から鏡を受け取った。それを王子に向けた。
「分かった?」
王子は驚愕した。叫んだつもりだった。だが声は一切出ておらず、その空間は静かなままだった。
『お、俺!?』
「そうよ。貴方は今、うーん、簡単に言うと魂だけの状態。姿を奪われちゃったからね」
『はぁ?! 姿を奪われる?』
「うん、厳密には違うんだけど、難しいから説明できない。えへっ、ごめんね?」
『どういう事だよ!? 俺は魔女に負けてそれから……』
「その魔女に姿を奪われたのよ。現実世界で人としての姿で留まっていることが出来なくされたの。魂だけの姿で世界に居るのは危険だから、無意識に貴方はあの空間に逃げ込んだのよ。決して姿があるものは入れない場所。ああ、私は別だけどね?」
『……』
「そんな深刻そうな顔しないで? 私は貴方のように困っている人を助けるのが使命なの。だから助けてあげる」
『顔? 顔なんて今の俺に無いだろ? それにどうして君には俺の声が聞こえるんだ? 俺自身、俺の声が聞こえない。直接脳に響く感じって言うか……』
白夢はキョトンとして人差し指を頬に添えた。それから納得したように、ニコッと微笑んだ。
「ああ、だって私魔女だもん!」
『!?』
「しかもかなり高位な魔女。貴方に呪いをかけた魔女なんかとはレベルが違うの! でも他の魔女の呪いを解くことは私には出来ない。直接あの魔女を弱らせて殺すくらいしか私は方法を知らない。私には人を殺すことは出来ないから、そこは期待しないでね?」
『お前! 魔女なのか! 俺がお前を殺す!』
「あんっ、やだ、落ち着いてよ。分かっているわよ? 王子様。魔女殺しが貴方の使命だと思っているのでしょう? でもその力って本当に魔女を殺すものなのかしら? 貴方あの魔女と対峙してその力が使えたのかしら? それに今の人の姿を失った状態じゃ、何も出来ないでしょ? 私が魔女だという事すら分からなかったのでしょ?」
白夢はクスクスと笑いながら王子に問うた。王子は確かに奇妙な夢でも見ている様な感覚に陥っていたが、あの黒髪の魔女の時のように瞬時に白夢が魔女であると認識出来なかったのだ。考えてみればすぐ分かりそうな物なのに、それでも白夢に対して王子の中で警報はならなかったのだ。
『うるさい! 魔女は皆殺すべきなんだ!』
「ダメよー。それは違うわ。ほら、私なんて無害でしょ? 人助けをしているの。殺されては困るわ。貴方に足りないのは見極める力ね」
『お前何を知っているんだ?』
「貴方の事なら何でも。貴方は王子様でお兄様を探すために国を出たのでしょう? ついでに魔女を殺す事を使命だと思い込み、魔女を探していた。だけれど、いざ魔女と対峙してみればあっけなく負けてしまった。なす術もなくこんなところまで来てしまった。違うかしら?」
『どうして分かる? それも魔女の力か?』
「そうとも言うし、そうじゃないとも言える。だって今貴方は丸裸同然だから。全て見えているのよ? あ、私には貴方の顔も見えるって言ったわよね? 綺麗な銀髪ね?」
『……』
「少しは私の事信じてくれたかしら? 魔女だからって全ての者が悪者じゃないわ。人間と同じよ。貴方はそれを見極めるようにお父様に言われたんじゃないかしら? これはチャンスよ? 魔女を知る唯一のチャンス。私を信頼してみない? 勿論悪いようにはしないわ。貴方の願いを叶えるお手伝いもしてあげる」
『兄さんの居場所を知っているのか!?』
「さぁ、どうかしら? 私が手伝えるのは貴方の求める者の所へ連れて行ってあげる事だけ。それからは貴方がどうにかしなさい? 兄さんを探し出すのも魔女を殺すのも貴方次第よ?」
王子は考えた。目の前の魔女は何を考えているのかと。どうして宿敵でもある魔女殺しの力を持つ自分を助けるなどと申し出るのか。白夢の目的は一体何なのか。王子はもう一度白夢を見た。
「ふふ、疑っているのね? 仕方ないわね、それは。信じるのも信じないのも貴方次第よ? どっちにしても貴方はその姿では何も出来ないのだから、私に誑かされたとでも思っていればいいんじゃない?」
白夢はニコニコと笑顔を絶やさなかった。
『俺が人の姿を取り戻したら、お前を殺しに行く』
「ええ、待っているわ。簡単には殺されないけど。とりあえずは私を信頼してくれたという事でいいわね?」
『他に選択肢が無い』
「藁にも縋る思いってやつね! いいわよ。私に貴方を助けさせて?」
『……お前の目的は何だ?』
「人助けよ。どうしても助けたい人が居るの。でも方法が分からない。だからこうやって沢山の人を助けるの! ヒントが得られるかもしれないじゃない? とは言ったものの、ただの趣味って所も否めないわね? ……貴方にもいずれ協力して欲しいかな」
白夢は初めて笑顔を崩し真剣な顔をした。
『……断る。俺にその義務はない』
「その通りよ。だから貴方には見極めて欲しい。助けるに値するかを」
『俺は魔女を助けたりはしない! お前の願いを叶えるつもりはない』
白夢は王子に悲しそうに笑い掛けた。
「なるようになるわ! きっと上手く行く! さあ、準備よ」
白夢は手を叩いた。すると周りに散らばっていた玩具達がのっそりと動き出した。玩具達は次々と白夢に何かを運んで来ていた。
「うーん、これもいまいち。これもきっと気に入らないわ。もっと他にないの?」
玩具達は皆顔を見合わせ困ったように手を広げた。何十個もの動かない玩具を白夢は却下していたのだ。
一際大きなクマのぬいぐるみが白夢の前に大きな箱を置いた。
「ありがとう。これは違う。これも……。あ! あった! これにしましょう。これならきっと気に入るわ!」
白夢は目を輝かせてそれを抱いた。王子に振り向くとニコッと笑った。王子は次の瞬間には視界を奪われていた。
「よいしょっ、向きはあってるかしら? 見えてる?」
『見えない、何も』
「あらおかしいわね。あ、反対だわ。これで良し。えいっ!」
王子は視界が戻ったと思った途端、自身が消失してしまうのではないかというほど締め付けられた。苦しくて息もろくに出来なかった。魂の状態である王子に呼吸が必要なのか甚だ疑問だが、感覚的にはそういった感じだったのだ。何をされていたのかというと、白夢が王子をギュッと抱きしめていたのだ。
「ちょっと我慢してね? もうすぐ安定するから!」
抱きしめつづける白夢に抵抗も出来ず、為されるがままだった。
「はい。大丈夫。貴方の新しい体よ? ほら、可愛いでしょ?」
白夢にまたも鏡を向けられた王子は絶句した。
『!!』
「気に入った? 気に入った? すごく可愛いわよ?」
『何だよこれ!? 気味が悪い!』
「ええー、そんな事無いわよ」
『今すぐ戻せ!』
「それは無理。体を与えられるのは一度だけだもの。私には奪う力はないしねー?」
『最悪だ……』
「大丈夫よ、可愛いから」
白夢は王子の新しい体を撫でた。王子は放心したように自身の茶色い小さな手を見つめた。
「箱用意しないと……」
白夢がそう零すと、白夢の肩をトントンと叩く者が居た。
「カカシさん!!」
白夢の背後に立つカカシは、麦藁帽を深く被り口は張り裂けそうな程大きく、しかも縫われていた。小奇麗な衣服は特に大きな赤いマフラーが目を引いた。シャツには丁寧に人間で言うと心臓の辺りに、ハートマークをあしらったピンクの布が不細工に縫い付けられていた。そこには手書きで「♡3-X♡」と書かれていた。
白夢は不気味なカカシを見るなり嬉しそうに抱き付いた。カカシも折れそうな細い足で踏ん張り、白夢を抱きしめていた。
「箱を持って来てくれたの?」
カカシは頷き、手に持っていた可愛らしい箱を白夢に渡した。その箱には大きく「4-L」と書かれていた。
「優しい……! とても気が利くのね? じゃあ、あの子を箱に詰めて送りましょう」
『……!! 何するんだよ! 離せ!!』
カカシは王子を抱き上げ箱に詰めようとした。王子はカカシの腕の中で必死にもがいた。慣れない体は上手く動かすことは出来なかったが、暴れる分には問題が無かった。カカシは暴れる王子を物ともせず、箱に押し入れると深く被った帽子を少しずらし王子を見つめた。王子の頭をポンポンと優しく撫でると、カカシは箱から離れた。
「暴れないでね? 求める者の所へ送ってあげるから。その箱に入っていれば安心よ? 他の魔女にも見つからないから。あ、あとこれ。着いたら渡してあげて? 貴方のその体についての説明書。それと何か困った事があれば、私に話しかけてね?」
『はぁ? 話しかける?』
「そう私の事を思って、私の名前を必死に呼ぶのよ?」
白夢はクスクスと笑いながら、そっと手紙を箱の中に入れた。
「じゃあ気を付けてね? 最後に私からプレゼント」
白夢は王子の手を取ると箱の中で立たせ、その大きな口にキスをした。王子は驚き固まった。カカシはそれを見て顔のパーツを動かし、怒ったような表情を作った。
「魔除けのお呪いよ? もう他の魔女の呪いには掛からない。と言っても脆いからすぐ切れちゃうかも。油断はしないでね? って、きゃっ! カカシさん!」
白夢が王子に説明をしていると、白夢のすぐ後ろにカカシが現れ王子を鋭く睨んだ。そして白夢の体を抱きしめると、服の裾から藁であろう細い管を出し、それを器用に操り白夢を拘束した。
「あっ、ダメよ。ちょっと待ってぇ? まだあの子も見てるのに……! あ、カカシさん!! そんなとこ触っちゃダメよぉ。くすぐったい」
王子はギョッとし、目を見開き心の中で叫んだ。一体カカシなんかと何してるんだよ!? と。
「あん、じゃあね? 元気でね? 子どもは見ちゃダメよ?」
白夢がパチンと指を鳴らすと王子の入っている箱は閉じ、綺麗にラッピングされた。真っ暗な箱の中に閉じ込められても、白夢の艶やかな声は聞こえていた。王子は小さな手で頭を抱えた。
ゴウンゴウンという音に合わせて箱は揺られた。箱の中は快適そのものだった。熱くもなく寒くもなく、それに息も苦しくなかった。箱の中だというのに圧迫感も無く、振動も感じなかった。王子は真っ暗闇に眠気を誘われ、そのまま眠りに就いた。
次に目を覚ますと、そこには不安そうに王子を見つめる女の子の姿があった。




