【28】 真黒な女
夕飯をたらふく食べた王子は用意してもらった部屋で布団に入っていた。だが眠れずに居た。体は疲れているのに脳が興奮して眠れないのだ。今回の事を考えていた。
一体魔女の目的は何だったのか。行方不明者の件もおそらくは魔女の仕業だろう。何故リカルドだけが銅像にされたのか。リカルドとシルビアを引き離す理由は何だったのか。それにシルビアの流産の件は魔女の仕業なのだろうか。レノの言った通り魔女にも出来る事の範囲は決まっているのだろうか。王子には分からないことだらけだった。
今回の件で一つだけはっきりしたことは、レジーナの言っていた魔法は本物だったという事だ。愛の籠ったキスはどんな魔法よりも強いという事だった。
「はぁ……」
王子は溜め息を零し、体を起こした。時計の針を見るとまだ真夜中だった。さっきから何度も時計の針を見ていた。だが時計の針は全く進んでいなかった。王子の眠気も全く訪れる気配が無かったのだ。
王子はベッドから抜け出し窓の外を見た。湖が綺麗に見えていた。こうしていても仕方がないと思った王子は、着替え少し冷える町を散歩しに出たのだった。
「寒っ……」
外は王子が思っていた以上に冷えていた。王子は湖に辿り着くと湖の淵を歩いた。月明かりに照らされた湖は幻想的で綺麗だった。しばらく歩くとリカルドが銅像として立っていた、広場に出た。置いてあるベンチに腰を掛け、初めてこの町にやって来た日と同じように王子はぼーっと湖を眺めた。ただ違うのは銅像の男はもういないというところだけだった。
不思議な湖だった。見ていれば見ているほど吸い込まれそうで目が離せなくなった。丁度満月の夜だった。水面に移った月は真ん丸で、風で湖面が揺れる度に月も歪んでいた。王子は魅せられたように湖に映る月に口を開け見蕩れていた。
「うわっぷ……」
急に風が強く吹いた。木の葉が王子の顔面に当たり吹き抜けていった。王子は口に入った葉っぱを吐き出した。そうしていると気が付けば眼前に一人の女が現れていた。色白な女は黒く長い髪を風になびかせ、夜だというのに黒いワンピースを一枚だけ着て、靴は履いておらず裸足だった。女はちょうどリカルドが立っていた場所で佇んだ。
「――っ」
王子は背筋が凍るような感覚がした。頭の中では警報がうるさく鳴っていた。ドクドクと心臓は早鐘を打ち、血液は沸騰するのではないかと思うほど熱く、早く王子の体内を駆け巡った。王子は立ち上がり身構えた。体中が熱くなっていた。
女はリカルドの銅像が無い事に驚いたのか慌てた様に口に手を当てていた。そして次の瞬間王子の居る方へ振り向いた。長くボサボサな前髪の間からギョロっと不気味なその視線を王子に向けた。王子は瞬間理解した。
「お前が魔女だな!!」
女は更に目を見開くとギリギリと唇を噛み、怒りを表したように王子を睨んだ。辺りは霧に包まれていた。
「……うるさい!!」
「うわっ!」
女は何処に隠し持っていたのか、小さなナイフを王子に投げつけた。王子はそれを交わし、さっと女に近づいた。
「お前、何!?」
「俺は魔女殺しだ! お前を殺しに来た!! 行方不明者の件も、リカルドの件も許すことは出来ない!」
「まただ……!! まただ!!」
王子は女に殴り掛かろうとした。だが女に手が届く少し手前で、弾かれた。まるで見えない壁があるように感じた。王子は驚き突然の事に一瞬体勢を崩した。後ろに倒れそうになった体を踏ん張り、地面に手を付き、前のめりになった。顔を上げ女に視線を戻そうとしたが遅かった。女の姿は無かった。代わりに辺りは一段と濃い霧に包まれていた。自身の足元さえぼやけるほどだった。
「くそっ、どこに行った……!」
「お前ら、嫌い!! 私、悪くない! どうして放って置いてくれないの? 何が悪い?」
霧の中からは女の声が響いていた。
「お前が魔女である限り、お前は悪なんだよ! さっさと姿を現せ!」
王子はそうは言ったものの、何の装備もなく出てきていた。剣や銃で魔女に勝てるとも思っていなかった。自分の力を信じていた。その時が来れば自ずと力は使えるとそう思っていた。だが王子の中に眠る魔女殺しの力は、王子に魔女を倒すためのアプローチを何もしなかった。ただ逃げろと全身に警報を鳴らしているだけだったのだ。
「人間なんて嫌い!! 大嫌い!! 裏切った! 相応の報いを受けろ!」
「何の話しだ?」
「ここの男どこにやった!!? 私の銅像! どこに隠した!」
「リカルドの事か? 呪いを解いただけだ! お前の物じゃない!」
「あの男許さない!! 一緒に居た女も! あの男のせいだ! 裏切り者だ!」
「何の話しだ!? リカルドがお前に何をしたってんだ?」
「あいつが言いふらした! 私、悪くない! 人間達すごく怖い。信用できない!」
「くそっ、何も見えない」
女の声は反響していて居場所が掴めなかった。王子は何も見えない中、身構えつつも霧の外に出ようと動いていた。こちらから女の居場所が掴めない以上、女が現れるその瞬間を待った。
「みーつけたっ」
王子が振り返った時にはもう遅かった。女は王子の背後、厳密には少し地面から浮いたところから襲い掛かった。女は嬉しそうに張り裂けそうな程口角を上げ王子の頬を両手で挟んだ。女は王子と目を合わせた。
「魔女殺し。見た事ある。綺麗な銀髪。前にも居た……」
王子は金縛りにあったように身動きが取れず、眼前で微笑む女を見ていた。
「お前達に魔女は殺せない。魔女の方が強いから。お前達の力弱い。怖くなんかない。ふふっ」
「くそっ……、銀髪、見たって? 俺の、兄さんだ……!」
「ああ、似てる。兄弟そろって間抜け。じゃあお前もさよならだ」
「待て! 兄さんは、どうした……?」
「さよならした。魔女殺し来てしまった。私、もうここに居られない。お前のせい。この湖好きだったのに。もう居られない。最悪。あの男にももう、復讐できない。最悪」
「リカルド、か? 何を、したってんだ?」
「あいつ、裏切った。私を、裏切った。それだけ。綺麗って言ったのに、魔女だと言いふらした。あいつにしか言っていなかったのに……!」
女は怒りを宿した目で王子を睨んだ。
「お前は、魔女だろ?」
「望んでない。魔女じゃない。……でも仕方ない。私、人魚になりたかっただけ。水が好き。泳ぎたかっただけ! でも、人間達、ソレを許さない!! 家族も殺された! 敵意をむき出しにした。怖い。恐ろしい。敵意のある人間は攻撃してもいい。それだけ。それ以外は放って置いても害はない」
「っ! 言ってる、事が、分かんないんだけど!!」
「お前は敵。さようなら」
女は王子の体を強く押した。次の瞬間には女の姿は消えてなくなっていた。地面にぶつかると思い目をきつく閉じた。だがその感覚はいつまでたっても来なかった。
失敗した、しくじった、父親の言う通りだと王子は目を瞑り思った。力に頼ってはいけなかったのだと悔いた。




