【26】 湖の町の銅像の男(9)
「ベック、ありがとう。貴方が助けてくれなかったら私、あのまま行き倒れて死んでいたわ」
シルビアはベックに微笑み掛けた。
「それでもいいと思っていたの。死んでもいいって。でもそれは違った。お義母さんを一人には出来ない。だから私は帰る。今までよくしてくれて本当にありがとう」
「……シルビア。いいんだ。幸せになってくれ。またこの村に来ることがあれば、いつでも頼ってくれ」
「ありがとう」
ベックに別れを告げシルビアは荷馬車に乗り込んだ。グレイスも見送ってくれたベックに頭を下げ馬車を走らせた。
「それにしても、シルビアが見つかって本当によかったね?」
王子は荷台からグレイスに話しかけた。グレイスは振り向くことなく返事をした。
「そうね。マキナのおかげよ」
「俺は何もしてないよ?」
「ううん! 貴方が助けてくれるって私に言ったから、私も行動を起こせた。こうしてシルビアを探しに出られたの。貴方が表れなかったら私はきっと今もあの町で、毎日リカルドを眺めているだけだったわ。希望も抱けなかった」
「そんな大層な物じゃないよ……」
王子は照れて頬を掻いた。
「あ、そうだ! 俺手紙出したいんだけど、湖の町からじゃ出せないよね?」
「そうね。商人も来ないから、マキナみたいな旅人に任せるしかないし、いつ届くかも分からないわ。何だったら帰りにランダ村に寄りましょうか? そこから出してもらえばいいわ。あの村なら行き交う人も多いし」
「そうしてくれると助かるよ」
「分かったわ。もう手紙は書いたの?」
「まだ。馬車の中じゃ揺れるし、頭の中で文面だけ考えて、後で紙に書くよ」
「そうするのがいいわね」
「お義母さん」
マキナと話すグレイスにシルビアが話しかけた。
「どうしたの?」
「変わりましょうか? 疲れているでしょう?」
「いいのよ」
「でも……」
「じゃあ途中で変わりましょう?」
「分かりました。あの、それと気になっていたんですが、彼は何者?」
シルビアはチラッと振り返り王子を見た。王子は腕を組み、瞑想しながら文章を考えていた。
「旅人よ。私にチャンスをくれたのよ。貴方ともう一度会うチャンスを。それにリカルドを元に戻せるかもしれないって……」
「本当に……? リカルドは元に戻るの?」
「彼が言うにはね? そのためにはシルビア、貴方が必要だったの。貴方のリカルドへの愛が呪いを解く鍵なの」
「私? でも、私何も出来ません。あの時だって、ただ見ている事しか出来なかったのに……」
「貴方は何もしなくてもいいのよ。気負わないで? ただリカルドの事を愛していてくれればそれだけでいいの」
「それなら……。私は今でも変わらずにリカルドを愛しています。お義母さんの事も。逃げ出して本当にごめんなさい。怖かったの。お義母さんは優しいから、それにずっと甘えて何も出来ない自分が嫌だった。お義母さんに迷惑を掛けているんじゃないかって。リカルドはあんな姿になったのに、私だけ無事で……。それに赤ちゃんだってもういない」
「シルビア。貴方が無事ならそれでいいのよ。貴方に何かあれば私はリカルドに顔向け出来ないわ。気にしなくていいのよ。私は貴方の事本当の娘だと思っているの。だからもっと頼っていいのよ」
シルビアは眉を垂らしながらグレイスを見た。
「お義母さん。ありがとう。私ずっとお義母さんにもリカルドにも、合わせる顔が無いってそう思っていました。リカルドは身を挺して私と赤ちゃんを守ってくれたのに、私は赤ちゃんを守れなかった。どんな顔して生きていればいいのかなんて全然分からなかった。赤ちゃんを失って心に穴が開いたみたいだった。ああ、お義母さんもそうなんだって思った。リカルドがあんな風になって、辛くない筈がないんだって。私がああなっていれば、お義母さんの辛い気持ちは全然違ったんじゃないかって。私だけ平然と生きている事が苦しかった」
「シルビア……」
「どんなに罰を望んでも許しを乞うても、私は許されない人間なんだって思っていました。寝ても覚めても、私は苦しみに蝕まれていた。ずっと苦しかった。お義母さんが私を迎えに来てくれて本当に嬉しかった。貴方が私を救ってくれた。もう一度娘にしてくれて、私、許された様な気がした」
「誰も貴方を責めたりなんかしていないわ。初めから許し何て必要無かったのよ。貴方は堂々としていていいのよ。貴方が無事だっただけでも私は嬉しいのよ。貴方が居るから私は耐えられるの。だからもうそんな風に思わないで頂戴」
「ええ、もう大丈夫。お義母さんの傍には私が居ます」
シルビアはニッコリとグレイスに微笑み掛けた。
***
湖の町に戻る道中ランダ村に立ち寄り一泊した。王子は手紙を出していた。レノ宛の手紙の中には、両親へ綴った手紙も入れた。今何をしているのかという報告を綴った。国王、王妃宛の手紙などちゃんと届くか分からなかった。レノならば無事に両親に手紙を届けてくれると信じていた。身分は違えど、レノは王子の親友だ。両親もその事は分かってくれていた。レノからの手紙なら受け取るだろうと思い王子はレノに託したのだ。
シルビアとグレイスは、シルビアが世話をしてもらっていた修道女に会い、お礼を述べていた。もう大丈夫だと笑顔でそう言っていた。
ヘンリーやあの食堂の夫婦の住む町にも立ち寄った。食堂の夫婦は事情を話すと、自分の事のように喜び、また泊めてくれた。それとグレイスの年齢に王子同様に驚いていた。シルビアと並ぶとグレイスは到底母親には見えなかったのだ。歳の近い姉妹というところだった。一泊のお礼を述べて王子達は湖の町へと戻ったのだ。
町は相変わらずシンと静まり返っていて、夕方だと言うのに薄く霧が出ていた。
「おぉ、お兄ちゃん。それにグレイスさんに、あんたはシルビアちゃんかい?」
「爺さんただいま。シルビア、無事に見つけたよ」
「……こんにちは」
シルビアは少し恥ずかしそうにお爺さんに挨拶をした。
「おぉ、おぉ、良かったのぉ。グレイスさんもこれで寂しくないのぉ……」
お爺さんは目に涙を溜めグレイスを見た。グレイスは嬉しそうに微笑み返事をした。
「お兄ちゃん、今日もまた泊まっていくんじゃろ? 家内に言うておくからのぉ、また家に来なされ」
「いいのか?」
「おお、良い良い。待っているからのぉ」
「ありがと爺さん!」
お爺さんは優雅に笑うと家へと帰って行った。王子はグレイス達と目を合わせ、銅像になったリカルドの元へと向かった。




