【25】 湖の町の銅像の男(8)
「グレイス大丈夫?」
馬車の手綱を操るグレイスを王子は心配そうに見た。グレイスの目の下は薄らと影を作っていた。
「大丈夫よ」
「……それならいいんだけど」
グレイスは王子に微笑んだ。だが王子には到底大丈夫そうには見えていなかったのだ。
「見えて来たわ」
グレイスの言葉に前を向いた王子は、前方に村を確認した。グレイスは馬車を止め駆け足で村に入って行った。王子もグレイスを追うように馬車から降り、今度こそシルビアが見つかることを祈って村に入った。
「シルビア―! シルビア! どこなの?」
グレイスは大声で叫んだ。その声は震えていた。村に人影はなくグレイスの声を聞いている者も居ないようだった。
「誰も居ないな……」
「どうして誰も居ないの?」
グレイスは近くの民家のドアを何軒か叩いた。だが住人は出てくる気配は無かった。グレイスは唇を噛み俯いた。王子はそんなグレイスを見ていられなくて目を逸らした。
「あの……」
突然王子達の頭上から声が降って来た。王子達は驚き辺りをキョロキョロと見渡した。
「あの、上です。後ろ」
二人揃ってばっと顔を上げると、そこには困ったように窓際から王子達を見つめる男の子の姿があった。
「貴方達さっきシルビアって……」
「! シルビアを知っているの?!」
男の子はこくりと頷いた。
「皆今日は祭りだから、準備で広場に居るんだ。だからドアを叩いても誰も出てきませんよ?」
「なら君はどうして家の中に居るんだ?」
「僕は昨日風邪を引いちゃって、まだ外に出ちゃダメだって母さんが」
「ねぇ! それよりもシルビアは? この村に居るの?!」
「居るよ。貴方達はシルビアさんとどういう関係?」
「私はシルビアの母親よ! シルビアは何処なの!?」
グレイスは真剣な眼差しで男の子を見つめた。男の子は口を開け、ぽかんとしてから窓際から姿を消した。
「! 待って!! シルビアの事教えて!!」
グレイスは男の子の居た窓に向かって叫んだ。男の子はその窓から姿を現すことはなかった。落胆し肩を落とすシルビアを王子はじっと見ていた。
そのすぐ後に民家の扉が開いた。姿を現したのはさっきの男の子だった。
「シルビアさんのお母さんなの……? シルビアさんはお母さんはいないって……」
男の子は怪訝な顔でグレイスを見つめていた。
「そうよ。義理の母親だけど。私の息子とシルビアは結婚するはずだったの……」
「そうなの? それじゃあ大変だ」
「何が大変なんだ?」
王子は男の子に近づき男の子の目線に合うようにしゃがんだ。
「ベックが今日、お祭りでシルビアさんに結婚を申し込むって!」
グレイスと王子は顔を見合わせギョッとした。
「で、でもシルビアは断るでしょ? 何が大変なの?」
「シルビアさん、話せないんだ。声が出ないんだ。それにベックはシルビアさんの事絶対お嫁さんにするって言ってた。この村じゃベックは一番強いんだ。一番強い男には従わなきゃいけないんだよ? それに祭りの日だし、普通だったら断れないよ」
「だ、だめよ! そんなの絶対にダメ! シルビアは? シルビアは今何処に居るの!?」
「ベックと歩いてるのを見たよ。僕一人で暇だからずっと外を見てたんだ。広場の方に歩いて行ったよ。もうお祭り始まってるかもしれない。早くシルビアさんを見つけてあげないと」
「ありがとう。でもどうして君はそんな事俺達に教えてくれるんだ?」
「僕、ベックって大嫌いなんだ。強いからって何でもやりたい放題だし。村の為にその力を使うのが本当の強さなのに。シルビアさんはこの村に来たばかりだけど、優しくてとてもいい人だから……。シルビアさんが嫌なら助けてあげて欲しいんだ」
男の子は真っ直ぐに王子を見た。その瞳には曇りがなかった。
「分かった。ありがとう。君はもう家で寝てなよ?」
「頑張ってね? 僕も窓から見てるよ」
ニッと笑うと男の子は家の中へと入って行った。王子は屈んでいた体を起こしグレイスに振り返った。グレイスは両手を胸の前で組み、不安そうな表情をしていた。
「グレイス?」
「どうしようマキナ。もしも、もしもシルビアがもうリカルドの事を愛していなかったら、そのベックっていう人と結ばれる事を望んでいたら……。もうお終いよ……!!」
「グレイス落ち着いて。まだ決まった訳じゃない。シルビアに会おう? ちゃんと確かめよう? グレイスがここまで会いに来てくれたんだ。シルビアだって嬉しい筈だよ?」
王子は取り乱すグレイスの肩をそっと抱いた。グレイスは小刻みに震えていたのだ。
「でも、本当にそうかしら? 私はシルビアの邪魔をしに来ただけかもしれないわ」
「グレイス……。考えたって答えは見つからないよ? ちゃんと確かめないと。もしそうだとして、このままシルビアに会わないでそれで貴方は納得できるの? それで本当にいいの?」
「……よくないわ。シルビアがもうリカルドを愛していなくても、それでもちゃんとあの子の口から聞きたい。マキナ、私に付いてきて? お願い!」
「元々そのつもりだよ? さあ行こう」
王子とグレイスは広場に向けて歩き出した。歩いているとだんだんと賑やかな声や太鼓の音、それに美味しそうな匂いが漂ってきた。広場に向かうにつれて人の数は多くなっていった。だがその中にシルビアの姿は無かった。
「そう言えばシルビアってどんな容姿なの? 俺見ても分からないや……」
「髪は赤茶色で肩ぐらいの長さ。目はとてもぱっちりしていて大きいの。美人というよりかは可愛らしい子よ。歳はそうね、貴方より少し上かしら?」
「分かった。赤茶の髪の目が大きい人だね」
「うん、そんなところ」
王子達は話しながらもキョロキョロと辺りを見た。広場に着くと人の数は更に多く、シルビアを探すのも一苦労しそうだった。
「シルビアー!! シルビア! すみません、シルビアを見ていませんか?」
グレイスは周りに居る人にも声を掛け始めたが、誰もシルビアの姿を見ていなかった。
「シルビア! どこなの!? シルビアー!!」
王子はグレイスとはぐれないように近くに寄り添い、辺りを見ていた。ふと一人の女性が王子の目に留まった。
その女性はスカーフで顔を隠していた。顔ははっきり見えないものの体のラインや、出ている腕の細さで王子は女性だと確信した。
「シルビアー!!」
グレイスが探し人の名前を呼ぶとビクッと肩を震わせていた。グレイスがその女性の方を向くと女性は口に手を当て、踵を返し走り去ろうとしたのだ。
「!! 待って!」
「え! マキナ! どこ行くの!?」
王子は止めるグレイスを一人残し、その女性を追いかけた。人を掻き分け走った。女性は小柄なためかスイスイと人を縫い走っていく。王子は必死に追いかけた。見失ってたまるものかと自分に言い聞かせていた。広場を抜け、細い水路に出たところで王子はその女性を捕まえた。そこには村人はいなかった。そうなれば王子が女性に追いつくのは簡単だった。
「……君、シルビアでしょ?」
王子の問いかけに女性はビクッと肩を震わせた。王子の手を振り払おうとしていた腕の力を抜き、おとなしくなった。
「どうして逃げるの?」
女性は何も言わない。静かな空気だけが流れていた。
「ねぇ、君はシルビアなんでしょ?」
もう一度王子は問いかけた。王子の問いかけに女性は口をパクパクとさせて、俯いた。
「……離れろ!!」
怒声がしたと思った次の瞬間、王子は体に鈍い痛みを感じていた。
「――!! うぉお!?」
右半身に衝撃を感じたと思っていると、体はその衝撃に耐えられず、気づけば左側の水路に落とされていた。咄嗟に女性を掴んでいた手は離していたため、女性を巻き込む事は無かった。
「いってぇ……!」
手を付き立ち上がった王子は頭から足先まで、全身びしょびしょになっていた。顔に滴る水を払い王子は突き飛ばされた方を見た。そこにはさっき追いかけていたシルビアと思われる女性を後ろに庇い、王子の事を鋭い目で睨む屈強な男の姿があった。
「お前!! 誰だ!?」
「いや、あんたこそ誰だよ? いきなり人を突き落としてさぁ!! 痛いじゃないか!」
「うるさい! 嫌がる女に何しようとしてたんだ!」
「はぁ?! 何もしないよ! ただ俺はシルビアって人を探してて、で、その人がシルビアじゃないかって聞いただけだ!」
王子はいそいそと水路から這い上がり、水分を含んだ服を絞った。
「マキナ!!」
ちょうどそこへ王子を探していたグレイスが現れた。グレイスは王子を見ると驚いたように目を見開き、王子に駆け寄った。持っていたハンカチを王子に差し出し、心配そうに王子に話しかけた。
「どうしたの!? 喧嘩? 大丈夫? ほら、どこか痛いところはない!?」
「大丈夫、ちょっと寒いだけ」
グレイスは王子の視線の先に居る二人に気付いていないようだった。
「それより、グレイス……」
王子はグレイスの肩を掴みグレイスの体を反転させた。ようやくグレイスも気づいたのか、あ、っと口を開け、その後二人を睨んだ。
「貴方達ね!? この子をこんなにしたのは!」
「グレイス。その事はいいから。それよりあの女の人……」
男の陰に隠れていたシルビアらしき女性はまたも口に手を当て、ワナワナと体を震わせていた。
「……シルビア?」
グレイスは訝しげな顔でその女性をそう呼んだ。
「――っ!」
シルビアらしき女性はまた逃げようとした。グレイスは慌てて女性に駆け寄り、女性の手を握った。そしてそっと顔を隠していたスカーフを外した。
「……シルビア」
グレイスは嬉しそうに微笑んだ後涙を流して、シルビアを抱きしめた。シルビアは戸惑っていたものの、グレイスの抱擁を受け入れ涙を流した。
「シルビア……! こんなに痩せて! でもよかった。無事に会えた……」
「……」
シルビアは何かを言おうと口をパクパクと動かしていた。だが声は出ていなかった。
「……あんたらシルビアの知り合いなのか?」
屈強な男は眉間に皺を寄せ、王子に尋ねた。王子はギロッとその男を睨むと頷いた。
「何だ、そうならそうと言ってくれよ。突き落として悪かったな。俺はベックだ」
「……俺はマキナ。で、あの人はグレイス。シルビアのお義母さんだ」
軽く自己紹介を済ませた王子はグレイス達を見た。グレイスは本当に嬉しそうにシルビアを抱きしめていた。王子はベックを横切りグレイス達に近づいた。
「やっぱりその人がシルビアだったんだね?」
「ありがとうマキナ! シルビアよ! シルビアに会えたのよ!」
「初めまして。俺はマキナ。驚かせてごめんね? でもどうして逃げたりなんか……」
シルビアは王子を見つめ首を横に振った。それから口をパクパクと動かし、怪訝な顔をした後俯いた。
「シルビアは話せない」
後ろからベックがそう言った。
「……いつからなの?」
グレイスはシルビアを見つめ問うた。
「……」
「この町に来た頃には話せなかった。筆談で会話をしていたんだ」
答えたのはベックだった。
「可哀想に……。シルビア、私と一緒に帰りましょう? リカルドを助けて欲しいの。貴方にしか出来ない事なの」
「……!」
シルビアは驚いたように顔を上げると目を見開き、もう一度首を横に振った。
「どうして? もう、リカルドの事は愛していない……?」
シルビアは勢いよく首を横に振った。
「……今でもリカルドの事、愛してくれているのね?」
シルビアはようやく首を縦に振った。グレイスの目をじっと見つめ、何かを訴えていた。
「シルビア……。貴方が自分を責めることは何もないのよ? リカルドの事も、赤ちゃんの事も、何一つ貴方は悪くないのよ? 貴方はリカルドに良くしてくれたわ。もしも貴方がもうリカルドの事を愛していなくて、他の男性と結ばれたいと思っているなら、それでもいいと私は思っていたの。貴方の人生なんですもの。貴方がしたいようにすればいいのよ? 何も引け目を感じることはないの。でも、まだ少しでもリカルドの事を思っているのなら、お願い、私と一緒に戻りましょう? もう一度私の娘になって?」
グレイスはそう言うと優しくシルビアに微笑み掛けた。シルビアは顔を歪め、大きな瞳からポロポロと大粒の涙を零した。
「……おか、お義母、さん。私、……帰り、たい」
「そう。シルビア一緒に帰りましょう」
グレイスはもう一度微笑むとシルビアをギュッと抱きしめた。シルビアはグレイスの腕の中で声を上げて泣いた。
「……シルビア」
ベックは切なくシルビアの名前を呼んだ。王子はベックの肩を叩き慰めた。
「シルビアの事好きだったんだろ? 今日プロポーズするって聞いた。残念、だったね」
「……俺は告白する前に振られたんだな」
「うん」
「くそっ……!」
「シルビアはきっと幸せになれるよ? 素敵なお義母さんも居る事だし。それにきっとあんたにも感謝してるよ。良くしてくれたんだろ?」
「当たり前だ! シルビアが幸せになれないなんて許せない! 彼女は幸せになるべきなんだ。ずっと苦しんでる。俺が幸せにしてやりたかった。だけど俺じゃダメなんだな。俺はシルビアの声も取り戻せない……」
ベックは悲しそうにシルビアの事を見つめ続けていた。
「お義母さん、許してください。逃げた、私を、許してください。もう一度、わがままだけど、私のお義母さんになってください」
「もちろんよ。貴方はずっと私の娘よ? 怒って何ていないわ」
「ありがとう……」
シルビアは顔を上げようやく笑った。




