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【23】 湖の町の銅像の男(6)


 ヘンリーの居る町に着いた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。馬も一日中走ったせいか心なしか疲れているようだった。グレイスはそんな馬に干し草と水を与え、町の入り口に繋いだ。


 「ごめんね? 疲れたでしょう? 今日はゆっくり休んでね?」


 グレイスは馬に話しかけ、馬の額を優しく撫でていた。馬はグレイスを見据えて、尻尾をゆらゆらと動かした。


 「グレイス、行こう。ヘンリーを探そう」

 「ええ」


 王子はグレイスを引き連れ町に足を踏み入れた。


 町は所々明かりの灯った民家が並んでいるだけだった。外に人の気配は無く、静かだった。


 「どうしよう。一軒一軒訪ねるにしてもこの時間だし、不審者に思われて追い返されるのがいいところだよな……」

 「マキナ」


 グレイスは王子の服の裾を掴み引っ張った。王子が振り返ると、グレイスは指を差した。グレイスの指の先には食堂の看板が掲げられた一軒の古びた家があった。


 「とりあえずご飯食べない? そこで聞いてみましょうよ?」


 グレイスは恥ずかしそうにお腹を押さえ王子に微笑み掛けた。グレイスのお腹からはギュウっと小さな音がしていた。道中グレイスは持ってきたバスケットには手も触れず、休むことなく馬の手綱を握っていた。王子は一人でグレイスの作って来た昼ご飯を食べていた。グレイスにも勧めたが、お腹が空いていないの一点張りだったのだ。それほどまでに気を張っていたのだろう。

 王子はグレイスをキョトンと見た後、小さく吹き出すように笑った。


 「いいよ。俺も腹が減ったし、何か食べよう?」

 「ごめんね。何だか町に着いたら急にお腹減ってきちゃって」

 「気にしなくていいよ。だってグレイス今日は朝ごはんしか食べてないんだろ? そりゃお腹も空くよ」

 「本当、恥ずかしい……。男の子のマキナよりもお腹を空かせているなんて」

 「俺はだって、グレイスの作ってくれた昼ご飯食べたからさ。あ、美味しかったよ? 卵サンドが特に、卵がフワフワでびっくりした」

 「そう? そう言ってもらえると嬉しわ。リカルドも私の作る卵焼きが好きだったの。シルビアにも作り方を教えたのよ?」

 「そうなんだ。……早く二人が戻ってくるといいね?」

 「うん。マキナ、ありがとう」


 グレイスは寂しそうに王子に笑い掛けた。王子はグレイスの手を握った。握ったグレイスの手は温かかった。


 「大丈夫。きっとシルビアも見つかる。リカルドも元に戻る。それまで、もう少しだけ頑張ろう?」

 「うん」


 グレイスは驚いたように目を見開いた後、嬉しそうに笑った。


 食堂の扉を開くと、そこには数人の屈強な男たちが楽しそうに話しながら酒を飲んでいた。店の中は温かい照明と、美味しそうな匂いで満ちていた。

 グレイスと並んで店のカウンターに王子は座った。


 「いらっしゃい!」

 「こんばんは。お食事のお勧めって何かしら?」

 「食事かい? それだったら家のかみさんの作るハンバーグは絶品だよ! ジューシーで食べごたえもあるって評判さね!」

 「じゃあそれを。マキナは?」

 「俺も同じ物」

 「はいよ!」


 注文をして待っていると、ものの数分で食事は運ばれてきた。大きなハンバーグからは湯気が立ち上り、上に乗せられている目玉焼きはちょうどいい加減に半熟だった。トロリと回しかけられたソースはツヤがあり、見ているだけで食欲をそそられた。王子はごくりと唾を飲み込みフォークを手にした。


 「! うまっ!」


 王子は幸せそうな顔をした。


 「本当ね! ほら、見て見てマキナ。少し押しただけで肉汁が溢れ出てくるわ。お腹が空いていたせいかしら。物凄く美味しい」

 「そうだね。俺、旅に出てからつくづく思うよ。温かいご飯ってそれだけでありがたいんだって。食事何て今まで当たり前のようにしてたし、それに感謝することもなかったけど、こうやって食事にありつける事って素晴らしいんだなってよく思う。グレイスのご飯もとても美味しかった。誰かが自分の為に作ってくれるって素敵な事なんだなって思ったよ」


 王子ははにかんだ笑顔をグレイスに向けた。グレイスは頬を少し赤くさせ目をパチパチと瞬かせた。


 「本当に、子どもがもう一人出来たみたい……」


 そう小さく呟くとグレイスはハンバーグを口に含んだ。


 「どうだい? 美味いだろう? 家のかみさんは料理が上手でね、結婚を決めたのも胃袋を掴まれたせいだね」


 店の男は豪快に笑った。


 「とても美味しいわ。羨ましいわ。こんなに美味しいものが作れる人が奥さんなんて」

 「ははっ、そう褒められると恥ずかしいね」


 グレイスがニコッと微笑み掛けると店の男は照れたように頬を掻いた。


 「あのさ、ヘンリーって人この町に居るよね? 俺達その人探しに来たんだけど、家が何処か教えてくれない?」

 「ああ、ヘンリーはこの店の裏側の通りに住んでるよ。だが今は商売に出てるんじゃないかな? ちょっと待ってくれよ。おーい」


 店の男はそう言うと店の奥へと入って行った。男は店の奥からふくよかな女を連れて戻って来た。


 「これ、家のかみさん」

 「あ、ハンバーグめちゃめちゃ美味しいよ!」

 「あらぁ、それはよかった。それでねぇ、ヘンリーさんは今行商に出てるから、今日は帰って来ないわよ?」

 「そうなんですか……」


 グレイスは肩を落とした。


 「あ、そんなに気を落とさないで? 明日には帰って来る筈だから。貴方達宿は? この町に宿屋は無いわ。何だったら家に止まっていく?」

 「さっき着いたばかりだから……」

 「あの、お言葉に甘えてもいいですか? 勿論お金は払いますから」

 「あら、いいのよぉ。ヘンリーさんも帰ってきたらまずこの店でお食事を取る筈だから。貴方達も都合がいいでしょ? それに困ったときはお互い様よ? ねぇ、あなた?」

 「そうだそうだ。泊まってけ! かみさんの料理褒めてもらったしな。大した歓迎は出来ないけど」

 「ありがとう! 助かるよ! ヘンリーに話聞いたらすぐに出て行くから心配しないで」

 「まぁまぁ、ゆっくりしていってね?」

 「ありがとう、本当に」


 王子とグレイスは顔を見合わせて微笑んだ。


**


 次の朝、王子は楽しそうな笑い声と美味しそうな匂いによって目を覚ました。


 食堂を営む夫婦の家はお世辞にも大きいとは言えなかった。二階建ての家の半分は店になっているせいか、居住空間はあまり大きくはない。一階の大半は店で占められていて、二階が夫婦の主な居住空間なのだろう。その居住空間にも資材やらが置かれていて、結局王子とグレイスは一階の店の横のスペースで布団を並べ寝たのだ。


 王子にとって誰かと一緒に眠るのは久しぶりだった。幼い頃に怖い夢を見て両親のベッドに潜り込んだ時以来だった。昨夜はなかなか寝付けなかった王子にグレイスは優しく話しかけてくれた。リカルドやシルビアとの思い出を優しく語るグレイスの声に、母親と居るような安らぎを感じ、王子は眠りに就いたのだ。


 目を覚ました今、横にはグレイスの姿はなかった。使った布団は綺麗に畳まれていた。

 王子も眠い目を擦り、体を起こした。軽く伸びをして服を着替え、グレイスと同じように布団を畳んだ。寝ていた部屋の扉を開けると、そこは食堂で厨房にはグレイスと食堂の奥さんが楽しそうに話しながら何かを作っていた。


 「おはよう、マキナ」

 「おはよう、グレイスに奥さん」

 「もうすぐ朝ごはんが出来るからね? ちょっと待ってて」


 グレイスはそう言うと朝食作りに手を動かした。


 「ここでね、コールニルを入れるとふんわり仕上がるの」

 「へぇ! コールニルを入れちゃうのぉ? 考えもしなかったわ! 覚えとこ、店で出してもいいかしら?」

 「ええ、勿論! 私が作るよりもきっと上手く仕上がるわ」

 「そんな事無いと思うけど。作り方は分かっても、そんな風に綺麗に作れる自信はないわぁ」


 グレイス達は楽しそうに自身の知識を披露しあい、料理のレパートリーを増やしているようだった。王子はカウンター越しにそれを微笑ましく見ていた。グレイスはここ数日間で一番生き生きしているように王子には見えたのだ。


 「あ、マキナ。暇ならご主人起こして来て頂戴? 皆でご飯食べましょう?」

 「そうね。お願いしてもいいかしらぁ? 二階の角の部屋でまだ寝ていると思うから」

 「うん、分かった」


 二階に上がり店の主人を起こし、それから出来立ての朝食を皆で食べた。食事自体はどれもこれも城で出される豪華な物とは違い、素朴な田舎パンやサラダ、グレイスの作ってくれたフワフワの卵焼き、それに町で作っているというハムやソーセージ類だった。だがどれも美味しくて王子は頬が緩んだ。こんな風に大勢でワイワイ話しながら食べるのが新鮮だった。城では兄が居なくなってから一人で食事を取っていたのだ。両親は忙しくゆっくり食事を取る時間もない事が多かった。そんな両親に代わって兄だけはいつも優しく一緒に食事を取ってくれた。王子に構ってくれた。馬鹿な話をしながら取る食事は美味しかったなと、王子はふと思い出した。たまにレノも交えて三人で王都の大衆食堂でワイワイと食事をしたことも思い出した。両親に無断で城を抜け出したのがばれて怒られたりもした。だがそれも楽しかった。


 王子はふと思った。グレイスもこんな気持ちなのだろうかと。突然一人にされた寂しさをグレイスはずっと抱えているのだろうと。


 王子は兄を信頼していた。必ず使命を果たし帰ってくると信じていた。だが兄は一年たっても帰ってくることは無かった。それどころか便りすら無い。自分はそれが不安で寂しいのだと王子は理解したのだ。いくら大義名分を掲げたところで、結局自分は兄が居ない事が寂しいだけなのだと王子は気付かされた。兄を救う為と思って出て来たつもりだったが、自分の為に兄を探しているのだと王子は気づいた。とてもシンプルな理由だった。

 王子はその事に気付き一人クスリと笑った。


 「どうしたのニヤニヤして?」


 グレイスは王子に少し訝しげな表情を向け尋ねた。


 「何でもないよ。グレイス、必ずシルビアを見つけ出そうね?」

 「え、ええ」


 グレイスは困惑した表情で王子を見ていた。王子は優しい顔つきでニッコリ微笑んだ。



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