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【21】 湖の町の銅像の男(4)


 リカルドはグレイスが若くして産んだ子どもだった。グレイスの旦那、リカルドの父親はリカルドが物心つく前にはもう家に居なかった。たまにふらっと帰って来ては、ろくに働きもせず、何処で手に入れたのかも分からない少しの金を家にいれた。その後は酒を浴びるように飲み、母親に暴言を吐き、また姿を消す。そんな父親だった。

 リカルドはそんな父親の事を軽蔑していた。母親を哀れに思い、母親を助けようとする心優しい少年だったとグレイスは語った。


 リカルドが働き始めた頃にはもう、父親は家には寄り付かなくなり姿を消した。母親に楽をさせるのだと、リカルドは汗を流して必死に働いた。リカルドは働く事に意義を見出し、楽しそうに毎日を送っていた。リカルドの稼いだ金でグレイスとリカルドは平凡ながらも幸せに暮らしていた。


 そんなある日、リカルドが一人の女性を連れてグレイスの元に帰って来た。働いている先で出会った女性だった。リカルドとその女性、シルビアは愛し合い結婚を約束していた。グレイスもその事を祝福し、三人は一緒に暮らし始めた。

 シルビアは陽気で、その笑顔は太陽のように眩しかった。グレイスの事も気に掛ける優しい娘だった。グレイスは本当の娘のようにシルビアを可愛がり、シルビアもグレイスを慕っていた。何もかもが順風満帆だった。


 ある日シルビアの体に異変が起こった。シルビアは妊娠したのだ。リカルドとグレイスは喜んだ。シルビアも初めての妊娠に戸惑いながらも二人に囲まれ、嬉しそうに幸せそうにしていた。

 リカルドとシルビアは正式にはまだ婚姻を結んでいなかった。事実上は夫婦だった。二人はそれでもいいと言ったが、グレイスがそれではダメだと念を押したのだ。シルビアの体調が安定してから二人は隣町の、国の役所に手続きをしに行くつもりだった。


 シルビアのお腹も少しずつ大きくなり始めた頃、二人は隣町に行く決心をし、グレイスに話した。グレイスは正式に婚姻を結ぶ事を喜んだ。

 グレイスにそう報告をした二人は、散歩に出かけると言い出て行ったのだ。それっきりリカルドは帰ってくることは無くなった。


**


 「前日だったのよ……! 次の日には二人はめでたく夫婦になれたのに。シルビアだって母親になれたのに……!」


 グレイスは顔を覆い泣き出した。


 「……その、シルビアはどうしたの?」

 「ぐすっ、分からないの」

 「分からない?」

 「今、何処に居るのか、私には分からない。彼女は心に傷を負って、それで私の前から消えてしまった。私は息子も、義理の娘も失ったの」

 「ねぇ、辛いとは思うけど、シルビアの事も聞かせて?」


 王子はグレイスの手を優しく握り、彼女の泣き濡れた目を真っ直ぐに見つめた。グレイスは王子に頷き話した。


**


 辺りが真っ暗になっても帰って来ないリカルド達を心配して、グレイスは二人を探しに外へと出た。リカルド達の向かった先、湖に辿り着いたグレイスは目を疑った。

 そこには泣き崩れるシルビアと、シルビアの目の前には息子にそっくりな銅像が佇んでいたのだ。


 グレイスは状況が理解できないままシルビアに駆け寄り、彼女の震える体を抱きしめた。シルビアは泣き止むことは無かった。抱きしめたシルビアの体は酷く冷たくなっていた。

 グレイスは今にも崩れ落ちそうなシルビアを支え家へと連れ帰った。リカルドはどうしたのかとシルビアに問いかけると、彼女は一段と大きな声を上げ泣き出した。グレイスも嫌な予感がした。その頃には町では行方不明になる者が出ていたのだ。リカルドもそうなったのではないかと思い、シルビアを問い詰めた。


 シルビアからの返答はグレイスが思っていた物ではなかった。リカルドは行方不明になんてなっていなかった。銅像に姿を変えられ、あの湖の畔で佇んでいるのだとシルビアは言った。


 突然の事だったそうだ。シルビア達は手を握り、湖を散歩していたのだ。霧が濃くなってきたと思っていたら、突然目の前に真黒な女が現れた。その次の瞬間には、リカルドは動かなくなっていった。足からどんどん銅に変わっていき、咄嗟にシルビアを守るように彼女を自分の後ろに隠した。リカルドが動かなくなったその次に、シルビアはその真黒な女に睨まれた。だが女は睨むだけでシルビアには何もしなかった。


 女が居なくなった途端霧は晴れた。シルビアは訳も分からずリカルドを見つめた。触れたリカルドは冷たくて動かなかった。シルビアは自分とリカルドに起きたことを理解できずに泣き崩れていたのだった。

グレイスもシルビアの話しが信じられず唖然とした。


 夜が明けた次の日、グレイスはシルビアの悲鳴で目を覚ました。シルビアはお腹を抱えていた。太ももから血が滴っていた。急いで医者に見せたもののシルビアは流産してしまい、それからの彼女は、表情も暗く笑わなくなった。

 しばらく入院することとなったシルビアの面倒をグレイスは見た。毎日シルビアに寄り添った。シルビアは魂が抜けてしまったのではないかと思うほど、やつれて行き言葉も話さなくなった。


 そしてシルビアはある日、病院を抜け出して姿を消してしまったのだ。


**


 「シルビアの産まれた村にも行ったわ。でもそこにもシルビアは居なくて……! あの子には家族が居ないの。私があの子の母親になってあげなくちゃいけなかったのに……。あの子だけでも無事に守ってあげないと、いけなかったのに。私、私、リカルドに何て言えば……」

 「……」


 王子は言葉が出なかった。泣き崩れるグレイスを前に安易な慰めの言葉を掛けることは出来なかった。王子には想像する事しか出来ないのだ。グレイスの苦しみも悲しみも分かってあげることは出来ないのだ。


 「これが、私の知る全てよ。シルビアが居てくれたら、もっと詳しく分かったかもしれない……」

 「ありがとう。辛いことを話させてしまって……」

 「いいの。貴方が助けになれるかもしれないと言ってくれた事、驚いた。嬉しかった。今まで誰も私の話しを、真剣には信じなかった。嘘つきだと罵られた。息子達が出て行った事を認められない私の、自作自演だとそう言われた事もあった」

 「それは……! なんて酷いんだ!」

 「人ってね、怖いものなのよ。仲良くしていたと思っていたのに、次の瞬間には手のひらを返されちゃった。行方不明者の事も私が犯人じゃないかって、町では噂された。仕方ないのよ。皆不安なんだもの。信じてくれる人も居たけど、でも貴方みたいに手を差し伸べてくれる人は居なかったのよ」


 王子は自嘲気味に笑うグレイスを見て、奥歯をギリギリと噛んだ。


 「リカルドがああなって、皆不気味がったわ。悪戯にしても趣味が悪いって。こんな、外からも見捨てられた町にはもう居られないって。そうやって皆出て行ってしまった」

 「グレイス。シルビアを探し出そう?」

 「え? でも、シルビアは何処にも……。それにもう私に会いたくないのかもしれない……」

 「それでも貴方はシルビアを探すんだ。リカルドを救うにはそれしかないんだ」

 「どういう、事?」

 「呪いの解き方を俺は知ってる。正直本当か分からない。でも、何もしないよりはマシだろ?」

 「……ええ。そうね」

 「シルビアを探し出そう。シルビアがまだリカルドの事を愛しているなら、彼女にしかリカルドは救えない」


 王子は眉を垂らしながらもグレイスに微笑んだ。グレイスは驚いた顔で王子を見た。


 「シルビアを探し出せばいいのね……?」

 「ああ、信じてくれ。その後で魔女の事は俺がどうにかする」

 「ダメよ! 魔女ももう何もしなくなった! 貴方が危険に身を晒す事は無いわ!」

 「それが俺の役目だから。……そうだね、じゃああまり期待はしないで? ちゃんと役目を果たせるか分からないし」

 「そういう問題じゃないわ! これ以上犠牲者を出してはいけないのよ!」

 「ありがとう。グレイスは優しい人だね。でも俺が勝手にするんだから気にしなくていいよ」

 「でも、でも……!」


 グレイスは心配そうに王子を見つめた。


 「ちょっと整理させてね? その真黒な女が魔女でいいんだよね?」

 「……どうしても魔女に会うのね?」

 「うん」

 「ならせめて私がしてあげられる事、情報を教えてあげる事しか出来ないけど、それが貴方の役に立つなら……」

 「充分だよ」


 王子がニコッと笑うと、グレイスも困ってはいたが、ふっと笑ってくれた。


 「そうね。きっと魔女はその女。シルビアは真黒で見た瞬間に不気味だったって言ってたわ。顔が見えない程長い髪をしていたって」

 「分かった。魔女が出るのは霧が濃くなった時だよね? 場所はいまいち分からないけど……」

 「多分それが合図になってるんだと思う。今までも行方不明者が出た日には、霧が濃くなっていたから。それと魔女は湖の近くに居る。リカルドの事もそうだけど、その後、魔女退治に行くと言って出て行った若者達は湖を目指していたから。それを最後にもう皆逃げ出しちゃったんだけどね?」

 「湖で張っていたらいいのかな?」

 「多分……。それはそうと貴方どうやって魔女と対峙するつもりなの?」

 「その辺は大丈夫! 俺の一族って魔女殺しって呼ばれているんだ!」

 「物騒ね……」

 「あ、そうそう。それでさぁ、俺と同じ銀髪見なかった? 兄さん、何だけどこの町には寄ってないかなぁ?」


 グレイスは首を傾げ考え込んだ。


 「うーん、私は見てないかなぁ……。魔女、霧が出始めたのっていつからだろう……? そうね、半年くらい前だと思う。その以前はちらほら旅の人も商人も寄っていたから、見ていても分からないかも……」

 「そうだよね。それに兄さんなら、そんなもたもたはしてないだろうし……。兄さんが家を出たのは一年以上前なんだ」

 「その頃はこの町はまだこんなんじゃなかったわ。貴方どこから来たの?」

 「王都。だから兄さんが立ち寄るとすれば、距離的に考えても結構前の筈なんだよね」

 「そうね。貴方みたいに噂を聞きつけてやって来るにしても、噂自体が最近広まったみたいだし、そのおかげで町はすっかり廃れちゃった」


 グレイスは大きく肩を落とし項垂れた。


 「そういえばどうやって暮らしてるの?」

 「もう町の人口も減ったからね。今いる人達だけなら食べる物には困ってないわ。この町には湖もあるしね。あの湖の水は綺麗で、作物を育てるのにもいいのよ。皆つつましやかに暮らしてる。今この町に居る人は、本当にこの町が好きな人達だからね、前よりも絆が深くなった気がするわ」

 「そうか」


 グレイスの言葉を聞いて、王子は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。


 「じゃあ早速シルビアを探しに行こう。何か手がかりは無いの?」

 「これ……」


 グレイスは後ろを振り返り、一通のボロボロの手紙を王子に渡した。


 「手紙? ……差出人は、シルビア!?」


 グレイスは驚き目を見開く王子にこくりと頷いた。


 「そう、シルビアが居なくなって、それだけ届いたの。それっきりもう手紙も来なくなったのだけど……。手がかりになるかしら?」


 王子は手紙を開き、目を通した。何度も読まれたのだろうその手紙は、所々涙のシミで濡れて字が滲んでいた。


 「お義母さんいきなり消えてごめんなさい。私は元気だから、心配しないで。それだけ?」

 「ええ、何処に居るのかも、何をしているのかも書かれていない。元気な筈なんて無いのに……」

 「これが届いたのはいつ?」

 「シルビアが居なくなって一週間後くらいよ」

 「誰が届けに来たの? 商人も来ないんでしょ?」

 「……一人だけ、最近まで来ていた商人が居るの。その人が届けてくれたわ」

 「じゃあ、その商人を当たってみよう。その人は何処に居るか分かる?」

 「えっと、私あまり詳しくない……。近くの町の人じゃないみたいだけど」


 王子は困ったように手紙に視線を落とした。


 「……宿屋のご夫婦なら知っているかも……」

 「あ! 爺さん! 人と話すの好きそうだった! じゃあ俺聞いてみるよ! そうだな。一旦戻って、明日シルビアを探しに出よう?」

 「分かったわ。ねぇ、呪いの解き方って……」

 「ん? ああ、そうそう、愛の籠ったキス。それが呪いを解く最強の魔法だ」


 王子はニカッとグレイスに微笑んだ。



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