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【19】 湖の町の銅像の男(2)


 町の中は朝ごはんの匂いで満たされていた。温かい湯気に乗って運ばれてくるその匂いに王子の腹は大きく鳴った。ファランを出てからは、エリーが持たせてくれたパンしか口にしていなかったのだ。三日分の量はあった。美味しいパンだった。だけど温かいご飯には到底敵う物ではなかったのだ。


 王子はこぼれ出そうになる唾液を飲み込み、食事が出来そうな場所を探すことにした。町の中を歩いたが、何軒か看板は見当たるもののどこの店も開いてはいなかった。当たり前だと言えばそうなのかもしれないと王子は思い、肩を大きく落とした。商人すらも寄り付かなくなった町なのだ。そこで商売をしたところで、客が来るとは思えない。


 そう思っても王子の腹の虫は止むことはなかった。意識してしまえば腹はどんどんと空いたように感じられた。それに食べたいと言う欲求も膨れ上がっていた。


 「珍しいねぇ。お兄ちゃんどこから来たんだい? この町の人じゃないだろう?」


 店の前で肩を落とし立ちすくむ王子に老人が声を掛けた。王子は老人に振り向いた。立派な白い髭が印象的な、痩せたお爺さんだった。


 「はい。旅をしていて、丁度この町に辿り着いたんで腹ごしらえをしようと思ったんだけど……」

 「ああ、何処ももうやってないからねぇ。腹が減ってるんだったら家へ来なさい。大した物は無いけどね、少しくらいなら食べさせてあげるよ」

 「本当!?」

 「おお。よっぽど腹が空いているんだねぇ。付いておいで」


 老人は髭を擦り優雅に笑った。王子は思いもよらなかった人の好意に胸が熱くなり、それと温かいご飯にありつける事に感謝し、涙が出そうになった。

 お爺さんの後に付いてゆっくりと歩いた。


 「爺さんはこんな朝早くから何をしてたの? 散歩?」

 「そうじゃよ。健康の為だねぇ。毎朝こうして歩いてるんだよ。ちょっと前までは外に出れば誰かしら会ったのにねぇ、今じゃこの町はガランと人が居なくなっちまったからねぇ……」

 「あのさ、気を悪くしたらごめん。この町は奇病が流行ってるって聞いたんだけど……」

 「ほっほっほ。そうじゃのう。そんな噂も出ているみたいだねぇ」

 「やっぱりただの噂なの?」

 「病気は流行っとらんよ。ただ……」

 「ただ?」


 お爺さんは少し言葉に詰まった。王子は続きが気になり首を傾げた。


 「数人行方不明になってのぉ。それも若者ばかり……。若い者は皆怖がって町を出て行ったんだねぇ。おかげでこの町にはワシみたいな老人や、行く当てのない者ばかりが残ってしもうたわ」

 「それって、大変じゃない!? 行方不明って……」

 「魔女の仕業かのぉ」

 「!?」


 王子はお爺さんを凝視した。お爺さんは微笑みを絶やさないままゆっくりと歩き続けている。


 「今、魔女って……?」

 「ん? お兄ちゃん魔女を知らないのかい? 魔女は魔女だがねぇ」

 「いや、知ってるけど。ていうか、俺、変人だと思うだろうけど、その魔女を探してるんだけど……」


 お爺さんは髭を擦りながら笑った。


 「ほうほう。面白いお兄ちゃんだねぇ。まぁまぁそう困った顔をなさるな。まずは腹ごしらえじゃ。ほれ、ここがワシの家だねぇ。入りなさい」

 「え、ああ、大きな家だね? お邪魔します」


 王子はお爺さんに招かれ、大きな家の門をくぐった。


 「昔は宿屋をやっていたんだがねぇ、この通りワシも歳じゃし、継ぐ者ももう居らんからねぇ。困ってるなら泊まっていきなさい。部屋だけは沢山あるからねぇ」

 「通りで……。いいの?」

 「構わんよ。久しぶりのお客さんだからねぇ。家内も喜ぶよ。おーい、帰ったぞー。お客さんも居るぞー」


 お爺さんは家の奥の方へと声を掛けた。パタパタと忙しそうにする足音が響き、王子達の前にエプロンで手を拭きながらお婆さんが現れた。王子は軽く会釈をした。


 「あらあら、お客さん! お爺さん帰りが早いと思ったら、まだ何も出来ていませんよ? それにお客さんも大したものは何もないよ? 悪いねぇ。でもゆっくりしていって」


 お婆さんは王子にニコリと笑い掛けた。王子はその笑顔に何だかほっこりとしたような気持ちになり、胸の前で、笑顔で手を振った。


 「いえいえ。こちらも爺さんのご厚意に甘えさせてもらったので。いきなり押しかけてごめんなさい。あ、俺は、えっと、そう、マキナです」

 「そうかい、そうかい。まぁマキナちゃん上がりなさいな。もう少しでご飯の準備出来るからねぇ」


 お婆さんはそう言うとパタパタと台所に掛けて行った。王子は頬が緩んでいた。


 「何か、和むね?」

 「そうじゃろ、そうじゃろ? ワシの家内はのぉ、昔はそりゃ美人でねぇ、気立てもいいしのぉ」

 「爺さん、良い人と結ばれたんだね」

 「ほっほっほ」


 お爺さんは嬉しそうに王子に微笑んだ。



**



 「ごちそうさま! すごく美味しかった」


 王子は満足げに笑顔で老夫婦を見た。老夫婦も嬉しそうに王子を見て微笑んでいた。


 「いやぁ、お兄ちゃんよく食べるねぇ。若者が居るとこう、それだけで活気があるのぉ」

 「そうですねぇ、久しぶりにこんなに食べてもらえて嬉しいと思いましたよ」

 「それはお婆さんの腕がいいからだよ。本当美味しかった!!」

 「やだねぇ、そんな事言われると、次も頑張らなくちゃいけませんね?」

 「ごめん、ごめん、そんなつもりじゃないよ?」

 「いいの、いいの。昔の血が騒ぐって言うのかね? 旅人に精のつくもの食べて欲しいからねぇ」

 「ありがとう」


 王子は老夫婦の好意が素直に嬉しかった。


 「ところでマキナちゃん。魔女がどうこうって?」

 「そうじゃ、お兄ちゃん何をしている人なのかねぇ?」

 「俺は兄を探しているんだ。兄は魔女を探しに家を出たんだけど、しばらくしても帰って来なくて……。行方不明に……」


 王子は老夫婦に商人から聞いた情報と、自分の事情を説明した。勿論、自分が王子であることは隠した。老夫婦は王子の話しを真剣に聞いていて、それでいて王子を思ってなのか辛そうな顔をした。


 「――そういう訳だから、この町の奇病? それとあの銅像の男を調べに来たんだ」

 「そうかい。大変だねぇ。知っている事は教えてあげるけどねぇ、役に立つかどうか分からないねぇ」

 「いやいや! いいんだ。俺が変人じゃないって、話を聞いてくれただけでも充分だから! この町の事教えてくれればそれで充分だから」

 「さっきも言ったがねぇ、奇病というのは全くのでたらめだねぇ」

 「そうだねぇ。商人達の間でそう言う風に噂が大きくなっただけですよ。マキナちゃんは朝にはこの町に居たのかい?」


 お婆さんの問いかけに王子はこくりと頷いた。


 「それだったら分かるわねぇ。霧が濃く出ていたでしょう? 元々はそんなに霧の出る町じゃなかったんだけどね、いつしかあんな風に霧が濃くなっちゃってねぇ」

 「それが不気味だから? それが奇病の噂の正体なの?」

 「そうだねぇ、それもあるけどねぇ、一時期、霧のよく出る日に人が行方不明になっちまったんだねぇ。それが続いたんだがねぇ、ある日一人の男が異形の姿に変わっちまってねぇ、それ以来この有様だねぇ」


 お爺さんは困ったように笑いお婆さんを見た。お婆さんもお爺さんと同じような表情をした。


 「異形の姿?」

 「あの銅像だよ」

 「!? あれはでも、ただの銅像だろ?」

 「それだがねぇ、元はこの町の人間なんだねぇ」

 「嘘だろ!? 俺、朝にあの銅像調べたけど、あれはどう見ても銅像だった! 人間なんかじゃない!」

 「でも事実なんだがねぇ……。ワシらも信じられんよ。質の悪い悪戯だと思いたいがね、あの男も行方不明者の一人なんでねぇ」


 王子は開いた口が閉じなかった。朝に散々見て、触ったアレはどう考えても銅像でしか無かった。不気味なぐらいリアルに作られてはいたが、それが人間だとは思えなかったのだ。


 「……そんな事が出来るのは、魔女だけ……。魔女の仕業……」


 王子は目を見開き、一人ぽつりと零した。


 「そうだねぇ。魔女の仕業なんだねぇ」

 「爺さん達は魔女を信じているのか?」

 「信じるも何も、魔女の仕業だよ。あんな事が出来るのは」

 「若い連中も魔女退治に行って、それで行方不明になったからのぉ。こちらから手を出さなくなれば、魔女は何もしなくなったねぇ。今はあの霧だけだねぇ」

 「……姿は見たのか?」

 「いんや? ワシらは見とらんねぇ。のぉ婆さんや」

 「そうですねぇ、噂には聞きましたけれど……」


 王子は相変わらず目を見開いていた。心臓はバクバクと早鐘を打ち、頭の中はこんがらがっていた。早くも魔女を見つけられた気がしていたのだ。


 「ああ、そうだ。マキナちゃん、グレイスさんの所に行ってみるといいよ」

 「グレイス? 誰?」

 「あの銅像の男、リカルドのお母さんだよ」

 「母親は無事なの?」

 「ええ、そうよ。今もこの町に住んでいるよ」

 「ありがとう! 早速行ってみる!」


 王子は勢いよく立ち上がり、玄関へと真っ直ぐに向かった。玄関の扉を開けたところで、グレイスの家がどこなのか分からない事に気が付いた。一人苦い顔をし、振り返るとそこには同じように苦い顔をしながらも笑う老夫婦が居たのだった。




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