【11】 名家の娘とその恋人について(2)
「頭、いてぇ……」
王子は昨夜の事を思い出していた。まさか酒を二杯飲んだだけで、ここまで酷く残るとは思いもしていなかった。溜め息を吐きもう酒は飲まないと心の中で誓い、部屋を後にした。
「おはようございます。あ、お客さん昨日はよく眠れた?」
朝からニコニコと昨日部屋を案内してくれた女性は王子に話しかけた。
「ああ……」
「酷い顔色ね? 昨日ゴンザレスさんと飲み過ぎた?」
「ゴンザレス?」
「お客さんと一緒に飲んでたおじさんよ。覚えてない?」
「いや、覚えてる」
一夜明けて初めてあの男の名前を王子は知った。
「それより朝食は? まだでしょ? おかゆでも作りましょうか?」
「お願いします」
女性はキッチンに立つと手際良く調理を始めた。しばらくして頭を抑える王子の前に皿を出した。
「どうぞ、召し上がれ?」
「頂きます」
湯気の立つおかゆは口の中に放り込むと優しい味わいで、王子の体に染み渡った。薬草が入っているのか独特の味わいだったが、苦手ではなかった。その味は何だか二日酔いを和らげてくれるようなそんな気がした。ほっと息を吐きながらも王子は食事を勧めた。
「朝は暇そうだな?」
「そりゃそうよ。もう皆発ったわ。この街は夜が忙しいの。朝と昼は私も掃除とか仕込みとか、そういう準備しかやることはないもの。のんびり働けるわ。そういえばお客さんはいつまで居るの?」
「まだ分からない。やることやったら発つつもりだけど……」
「やること?」
「魔女退治」
「あら、珍しのね?」
女性はカウンター越しに皿を拭きながら王子に微笑み掛けた。
「変な奴だと思わないの?」
「そう?」
「昨日のおっさんは信じてないって、俺の事変人扱いしたぜ?」
「まぁ、魔女が居るとは思ってないけど、居ないという根拠もないし……。信じてないような信じているような、どっちでもいいかな? 居たら居たで私には関係なさそうだし」
「ふーん。それでさ名家のお嬢さんが噂してるのは本当?」
「ああ! バンクスさんの所の! 本当よ。魔女かは知らないけれど、彼氏が取られたのはね、本当よ。すごく仲良さげだったのに、急に彼ったら消えちゃって。お嬢さんも可哀想よね……。この店にも何度か一緒に来ていたんだけれど、もう見ないわね」
女性は眉を顰めて残念そうに話した。
「噂自体は嘘ではないんだな」
「そうよ?」
「その、彼が出て行ったのはいつになるんだ?」
「うーん、二か月くらい前かしら? お嬢さんすっかり塞ぎ込んじゃって、それからは家からもあまり出ていないそうよ。元々あまり体も強くないみたいだから、追いかける事も出来ないんでしょうね。可哀想に」
王子が女性と話していると酒場の扉が音を立てて空いた。後ろを振り返って見ると、そこにはゴンザレスが立っていた。
「おう、兄ちゃん。約束通り来たな」
「おはよう。ちょっと待って。すぐ食べるから」
王子はそう言い半分ほど残っていたおかゆを掻きこんだ。すっかりぬるくなったおかゆは食べやすかった。
「そう急がなくてもいいさ。ゆっくり食いねぇ。エリーちゃん、俺にもコーヒーくれよ」
「はーい、ちょっと待ってね」
エリーは王子に背を向けコーヒーを入れた。ゴンザレスにそれを渡すと、洗い物に戻って行った。
「兄ちゃん酷い顔だな」
「二日酔い。もう酒は飲まない」
「そんなに弱かったのか。何か悪い事したなぁ」
「いや、俺も自分がそこまでとは思ってなかったよ。今のうちに知れてよかった」
おかゆを食べ干した王子は口元を拭き、水を一気に飲んだ。
「じゃあ、行こうよ。噂を確かめに!」
「違うだろ兄ちゃん、仕事だ」
ゴンザレスもコーヒーを飲み干し、二人は店を後にした。
**
「兄ちゃん、落とすなよ!!」
「分かってるって! ……重っ! おっさんこれ一人じゃ絶対無理だっただろうね」
王子はゴンザレスが荷台から降ろす荷物を受け取りながら一人ぽつりと呟いた。
「じゃあ、兄ちゃん運ぶぞ? 足元気を付けろよ?」
「分かってるって。よいしょ、おっさんこそこけないでよ? そこ段差あるんだからさ」
ゴンザレスと協力して王子は重たい荷物を屋敷の中に運び込んだ。丸い筒状の大きな荷物を抱えながら歩くたびに、汗がにじみ出た。王子の腕もプルプルと震えていた。まともに働いたこともなく、重たい荷物を持った事も無い王子には大変な作業だった。
「ああ、兄ちゃんストップ! そこに置くから」
「あ、うん」
ゆっくりと荷物を降ろし、汗を王子は拭った。やっと終わったと思ったのだ。屋敷の使用人がやって来て、何かをゴンザレスに言っていた。
「じゃあ、兄ちゃん広げるの手伝ってくれ」
「ああ、何したらいい?」
「その縛ってる紐をとりあえず外して、後は広げるだけだ。ただし慎重にな。商品だからな」
「了解」
王子は言われた通り慎重に紐を外し、巨大な一枚の布を広げた。広げてみてあっと驚いた。それは細かく織られた綺麗な絨毯だった。一目見ただけでも高級品なのが分かった。柄は違えど見慣れた高級品に王子はまだ数日しか経っていないのに、城が懐かしくなった。
「どうだ兄ちゃん。いい品だろ?」
「うん、綺麗だね。このお屋敷ってかなり金持ちなの?」
王子はゴンザレスの耳元で囁いた。
「かなりのな? お得意さんなんだよ。ここだけの収入で大分俺は楽できてるんだ。だからこそ適当な品を揃えたり、乱雑な仕事は出来ない。兄ちゃんが手伝ってくれて助かったよ。ああ、後で手伝ってもらったお礼はするよ。少ないけど受け取ってくれ」
「いや、いいよ! 昨日奢ってもらったし、それにここまで連れてきてもらって面倒まで見てもらったし。賃金はおっさんが働いた報酬なんだから、俺は受け取れないよ!」
必死に断る王子にゴンザレスは少し渋い顔をした。王子は旅の資金には充分な額のお金を持って来ている。働くことが目的ではない。王子は庶民の暮らしぶりを昨日知ったばかりで、到底お金を貰う事は出来なかった。きっとゴンザレスも苦労してるいに違いないと思っていたのだ。
「まぁ兄ちゃんがそこまで言うなら……」
「本当にいいから! それよりもレジーナだっけ? どこに居るんだろう? 会えるかな?」
「ちょと待ってな! 最後まで面倒は見てやるよ! おじさんに出来る礼はそれくらいだ!」
ゴンザレスはそう言ってニカっと王子に笑い掛けた。
納品を見て品定めをしていた使用人が二人の元にやって来て、品物代をゴンザレスに払った。使用人は休憩して言ってくれと申し出て二人をサロンへ案内した。
出されたお茶を飲みながら王子は一息ついた。喉がカラカラだった。気付けば二日酔いも消えていた。朝、エリーが作ってくれたおかゆのおかげだろうと王子は思った。ゴンザレスは一息つく王子と違って、何かを使用人に掛けあっているようだった。
「――まぁいいですけど。呼んできます」
使用人はそう言い残し部屋を出て行った。王子はゴンザレスと使用人のやり取り何て聞いてはいなかった。何が? という顔をゴンザレスに向けた。
「レジーナのお嬢ちゃん呼んできてくれるとさ」
「本当に!? ありがとう、おっさん」
「いいってことよ。俺は次の街に行かなきゃならんが、一人で帰れるか? すぐ終わりそうなら待っててやるけどよ?」
「いいよ! 街の外れでもないし、歩いて帰れるさ! おっさんは仕事してくれ。迷惑かけて悪かったな」
「いやいや、兄ちゃんには感謝してるんだ。ただ働きさせて悪かったな」
「とんでもない! また会ったらよろしくな? その時は魔女の情報知ってたら教えてくれ」
王子はゴンザレスにニコリと笑い掛けた。ゴンザレスは困ったように王子を見た。
「その話本気だったのか。酔った勢いと思ってたが」
「本気、本気。後、兄さんも探してるんだ。行方不明でね。俺と同じ銀髪見なかった? 自分で言うのも何だけど、顔もどことなく似てると思うんだけど。あ、兄さんの方がちょっと垂れ目かな?」
「そりゃ大変だな。すまねぇな。そう言った青年は見ていない」
「そうだよな。まぁ気長に探すさ! 焦っても空回りするだけだしな」
「ははっ! 兄ちゃん明るいねぇ。……参考になるかは分からんが、この街道を南に行った所に湖の綺麗な村がある。何でもそこで奇病が発生したとか……。俺達みたいな商人はもう誰もその村には近づかない。考えにくいがもしかしたら……」
「魔女かもしれない」
「まぁ、魔女なんて嘘だろうけどな?」
「いや、いいんだ。そういう事でも手がかりになる。俺にはとりあえず虱潰しに、噂の真相を確かめる事しか出来ないしね?」
「あんま、危ない事はするなよ?」
「ああ、ありがとう!」
王子はもう一度眩しいくらいの笑顔を向けた。その時扉が開き一人の女の子が部屋に入って来た。小柄なその女の子は少し顔色が悪いように王子には思えた。
「レジーナお嬢ちゃん、久しぶりだな。体はいいのかい?」
「ええ、平気よ。ああ、ゴンザレスあの絨毯素敵だわ。気に入った。また何か欲しいものがあればお父様に言って貴方に頼むから」
レジーナはそう言い柔和にゴンザレスに笑い掛けた。
「ああ、何でも言ってくれ。取り揃えて見せるぜ」
「ありがとう。で、そこの彼が私と話したいって?」
「そうそう。酒場で出会ってな。いい少年だ。何でも魔女を探しているらしい」
レジーナは王子に目をやった。王子は軽く会釈をして見せた。
「まぁ! 本当?! ようやく私の話を信じてくれる人が現れたのね!」
レジーナは嬉しそうに王子に近寄り手を握った。
「初めまして、レジーナよ。で、何が知りたいの? 何でも聞いて?」
レジーナは柔らかい視線を向けて王子を見つめた。
「魔女の話しを……」
「助けてくれるのね!?」
「え? いや、まだそうとは言ってないよ」
「じゃあ助けてくれないの?」
完全に話しはレジーナが主導権を得ていた。王子が何か言う前にレジーナは遮ったのだ。そしてウルウルとした瞳で王子の事を見つめた。
「お嬢ちゃん、そいつは話しを聞きに来ただけなんだ」
「ゴンザレス、もう用は済んだのでしょ? 帰っていいのよ?」
レジーナは今までとは違い棘のある口調で冷たくゴンザレスに言った。王子は聞き間違いかと思い、目の前に居る病弱そうな女の子をもう一度見た。レジーナは顔色の悪いなりに、ニコニコと微笑んでゴンザレスを見ていた。
「おっさんありがとう。でもおっさんの予定もあるし、俺一人でも大丈夫だよ? 居てくれたら嬉しいけど、でも悪いしな……」
「力になってやれなくて悪いな」
王子は眉を寄せ残念そうにゴンザレスを見た。ゴンザレスも困ったように頭を掻き、一言王子に言い残し、その場を去って行った。




