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【10】 名家の娘とその恋人について(1)

 「すげー。こんな時間でも人が滅茶苦茶いる……!」


 王子は一人でぽつりと零した。ファランに付いた王子は目を疑った。ファランに付いた頃にはもうとっくに日は沈んでいた。道中は真っ暗で気味が悪いほどだった。それがファランに着くと煌々と灯がともり、街中は活気に満ちていた。

 夜だというのに人々は元気よく商売をし、うるさく騒ぎながら飲んでいた。その光景は王子の居た王都よりもはるかに賑わいを見せていた。

 王子は正直、ファランという街がそこまで賑わいのある街だとは思っていなかった。以前に王子が来た頃は、ここまでの活気はなかったのだ。街道の経由地点であるファランには、沢山の商隊が集まることも知っていた。だが誰もが皆休憩によるものばかりだと王子は思っていた。ファランはそう言った商隊が主に夜に商売を始め、飲みながら情報交換をする街なのだ。夜こそがファランという街を語っている。


 王子は呆気に取られながらも、宿屋を目指した。慣れない長旅で疲れていたのだ。意気込んで出て来たのはいいものの、こういった経験は初めてで右も左も王子には分からない。慣れている者であれば、王都からファランへは朝に出れば昼過ぎには着くのだ。それが王子の手に掛かれば約二倍の時間がかかってしまう。途中分かりやすい筈の道を間違え、事あるごとに休憩を取った結果だった。王子はクタクタになった体にもう少しだと言い聞かせ歩いた。

 ようやく見つけた宿屋の看板に目を輝かせた王子は、足早に近づき馬を繋げ、勢いよく扉を開いた。


 「すみません! 泊まりたいのですが……」


 王子は辺りを見回した。フロントには誰の姿もなかったのだ。


 「すみませーん! 誰かいませんかー?」


 王子は奥に聞こえるように呼び立ててみた。するとバタバタと奥から髪を一つに纏めた女性が現れた。その女性は申し訳なさそうに微笑んだ。


 「ごめんなさいね! 酒場の方がうるさくて聞こえなかったの」

 「酒場?」

 「ええ、うちは一階は酒場で、二階が宿屋。でお客さんはどちらの利用?」

 「泊めてもらいたいんだけど、空いてますか?」

 「空いてるわよ。お一人?」

 「ああ」

 「荷物運びますねー」


 女性は王子の持っていた少ない荷物を持ち、部屋へと案内した。

 二階へと続く階段は古いのか、ギシギシと歩くたびに音がした。二階の廊下もところどころ音が鳴っていた。今まで豪華な城に住んでいた王子には信じられない音だった。


 「大丈夫なのか……?」

 「え?」

 「あ、いや、何でもない……」


 家主が何の心配もしていないのだから平気なのだろう、これが当たり前なのだろうと王子は思った。庶民とはこんな劣悪な環境で暮らしているのかと、勉強になった。


 「はい。この部屋使ってね。これ鍵。お食事は? もう済ましたの?」

 「いや、まだ」


 鍵を受け取りながらニコニコと話す女性に王子は返事をした。


 「それなら、酒場に来て? 美味しい料理振る舞うから!」

 「ああ、腹が減ったし少し休憩したら寄るよ」

 「ちょっとうるさいけど我慢してねー? 旅の人よね? よかったら情報交換とかしてみたら? うちのお客さん情報通が多いのよ。酒場はフロントの奥の扉から入れるから。じゃあ私はこれで。何かあったら遠慮なく声を掛けてね」


 女性は忙しそうにバタバタと階段を下りて行った。ようやく一息吐けると部屋に入った用事は眉をしかめた。

 その部屋には粗末なベッドと小さな机が置かれているだけだった。部屋の間取りも王子が今まで使っていた物よりもはるかに狭い。ただ掃除は行き届いているようで、埃一つ見当たらなかった。もう一度庶民の暮らしは大変なのだと思い、王子はベッドに寝転んだ。寝ころんだベッドからも動くたびにギシギシと奇妙な音がした。


**


 「いらっしゃーい」


 陽気な声に出迎えられて、王子はカウンターに座った。酒場は活気に溢れていて、周りの男たちは大声を上げながら酒を飲んでいた。王子はこういう場は初めてだった。王子は酒を飲まないのだ。レノと行く庶民的な店も、主に食事をするところだったのだ。酒はあれど、それを目的に来る者はいなかった。

 とりあえず食事を済ませて今日は早めに寝ようと王子は思った。


 適当に頼み運ばれてきた料理はどれも、見た事の無いような代物だった。普段は豪華で上品な食事を嗜む王子はまた眉を顰めた。盛り付けはどれも豪快で、皿から溢れんばかりに盛られていた。だが出されたからには食べないと失礼だと、見た目で判断してはいけないと思い、王子は目の前の料理を口へ運んだ。山間の街らしく、キノコや野菜が特に多く使われているようだった。


 「……うまっ!」


 王子は目を見開いた。繊細な味付けこそ無い物の、シンプルかつ豪快な調理法は素材の旨みを引き出しているようだった。王都ではキノコなんて添えられている程度。こんなにも料理の主役になるだなんて王子は思いもしなかった。それにキノコがここまで美味しいとも思った事はなかったのだ。

 パクパクと口と手を動かす王子を見て、周りに居た男が話しかけて来た。


 「おう! 兄ちゃん! いい食いっぷりだね!」

 「美味い!」

 「そうだろ? そうだろ? この店の料理はこの街でも一、二を争う。兄ちゃん酒は飲まねーのか?」

 「酒はあまり飲んだことがない。あまり得意でもない」

「そりゃぁ、勿体ねー。兄ちゃんの食いっぷりは見ていて気持ちがいいねー。おじさんが一杯奢ってやるよ!」

 「いや、申し訳ない。遠慮するよ」

 「いいから、いいから! ここの酒も美味いぞ?」


 王子は断ったものの、男は王子に酒を勧めた。王子は断り切れずに一杯だけならと酒を飲むことにした。


 「! 美味い!」

 「兄ちゃんやっぱり分かる口だねぇ」

 「癖が無くて飲みやすいな!」


 ごくごくと酒を飲み干した王子に男はもう一杯と勧めた。


 「いやぁ、兄ちゃんの食いっぷり、飲みっぷり気持ちがいいねぇ! 兄ちゃん旅人かい?」

 「ああ、貴方は何をしている人?」

 「俺か? 俺は街から街へと商品を売り歩いてんだ! 大したもんじゃないがな」

 「ほう。商人か。なぁ、知っていたら教えてくれないか?」

 「おう! 何でも教えてやるよ! 何が知りたいんだ?」

 「魔女ってどこに居る?」


 王子の顔は赤くなっていて、目も何処か焦点が合っていなかった。男はそんな王子を見て笑い出した。


 「はははっ、兄ちゃん面白いねー! 魔女なんている訳ないじゃないか!」

 「いやいや、それがさぁ、いるんだよ! おっさん何か知ってんじゃないの?」


 王子も笑いながら男に問いかけた。


 「おじさんは魔女は信じてないんだよ。そんなのおとぎ話だ! 兄ちゃんももういい歳だろう? そんなの信じちゃいけないよ!」

 「むっ、嘘じゃないんだぜ? それにこの街に出たって聞いたぜ?」

 「ああ、レジーナのお嬢ちゃんの戯言を信じたのかい? そりゃまた、可哀想に……。まぁあのお嬢ちゃんが言うには魔女らしいぜ?」

 「その話聞かせてくれよぉ! 俺、その話確かめるためにわざわざ、こんなとこまで来たんだ! おっさん教えてくれ!」

 「なんだ、そんな事調べに来たのか? 物好きだねぇー」

 「だろ? 俺もそんな事の為にここに行けって言われて困ってんだ。助けてくれよ」

 「兄ちゃん可哀想な奴なんだな。よし、おじさんの知ってること教えてやろう」

 「サンキュー! オヤジ! あんたいい奴だな」


 ケラケラと笑いながら王子は男の手を取った。王子は酒一杯で完全に酔っていたのだった。


 噂の発信者はレジーナというこの街の名家の娘だった。レジーナは先日付き合っていた男を魔女に盗られたのだ。それっきり男はその魔女に心奪われ、魔女の元を離れなくなって、ついにはレジーナに会う事すらしなくなったのだ。レジーナはその事がショックで立ち直れないでいた。元気を失くし、明るく笑っていた表情はいつも曇りがちになっていったのだ。

 レジーナは仕切りに魔女のせいだと街の人にも言いまわっていた。だが街の人はレジーナがショックでおかしくなったのだと思い、レジーナを哀れな目で見て、避けるようになった。レジーナは完全にこの街から浮いた存在になっていたのだ。


 「おじさんは街の人間じゃないからね、このぐらいしか知らない。レジーナのお嬢ちゃんも可哀想にな。恋人を取られたんじゃその相手を魔女だと言いたくもなるさ」

 「本当に魔女かもしれないぜ?」

 「ははっ、あり得ないだろ。魔女なんて存在してない! 男も男だよ。レジーナのお嬢ちゃんもとんでもねぇ男に引っかかったもんだ! 見る目が無かったんだろうな。もともとあのお嬢ちゃん、気性が荒いって言うか、わがままだから俺はあんまり好きじゃないんだけどよ、でもちょっと可哀想だな」

 「ふーん……」


 王子は興味無さそうに酒を一口飲んだ。


 「ちょうど明日荷物を届けに行くんだが、兄ちゃんよかったら一緒に来るかい?」

 「え、いいのか?」

 「ああ、ただし手伝ってくれよ? おじさんももう歳なんだ。重たい物下ろすのが辛くてね。兄ちゃんが手伝ってくれりゃ大分楽になるんだが……」

 「何だ、そんな事なら手伝うよ。酒も奢ってもらったし?」

 「よしっ! じゃあ交渉成立だな! 俺よりお嬢ちゃん本人に聞くのが一番早い」

 「そうだなー」

 「明日の朝八時にこの酒場集合だ」

 「分かった」


 王子は締りのない顔で男に笑い掛けた。王子は明日の朝八時にこの場所に来る、という事だけを回らない頭に叩き込んで、部屋へと戻った。



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