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彼が彼女たちと暮らすことが決まってすぐ、彼は姫の部屋の中にいた。
一つ、息を零して彼は彼女の部屋をノックした。
部屋の中から聞こえた許可を示す言葉に、彼はドアをゆっくりと開けた。
「アキト君!いらっしゃいっ!」
アキトと呼ばれた彼は、嬉しそうで子供っぽさも見える彼女の艶やかな腕に包まれていた。
「ちょっ、イリナ!?」
彼女に抱き締められながら、アキトは驚きの声をあげた。
「アキト君?どうかした…?」
よほど彼が心配なのか、今にも泣き出しそうな声と瞳でイリナは彼に尋ねた。
「あっ、い、いや…どうかしたってことはないんだけ、ど…。……とりあえず、ドアは閉めた方が良いと思うんですよ…」
アキトは大きな罪悪感に苛まれながらも、部屋のドアが開放されていることを伝えることに成功した。
その後、彼女は我に返り、自分の行動を恥じて顔を髪色と同じ紅に染めた。
そして、彼女が落ち着いてのこと。
「ごめんね、アキト君。嬉しくってついテンション上がっちゃった」
そう言って、照れた笑いを浮かべるイリナは彼にとって、女神のような存在であることに違いはなかった。彼女はあくまで姫であるが…
「で、俺はどうしてここに呼ばれたんだ?まあ、呼ばれなくても行くつもりだったけど」
彼女に呼ばれ、彼女の部屋に行ったアキトにとってはもっともな質問であった。
「…えーと…。大した用事、じゃあないんだけど、さ……。せっかくアキト君と同じ家に住めるんだから、お喋りしたいなって…。だめ…かな……?」
身を捩らせ、頬を赤らめ、俯きつつも時折彼の目を潤んだ瞳で彼への言葉を紡ぐイリナ
そして、彼女の手は彼の服を掴もうと伸ばされたり、自分の服を持ったりしていた。
「ああ、勿論、っていうか俺からもお願いしたいぐらいだよ」
「そういえば、なんで国王陛下はお怒りだったんだ?」
2人が話し始めてから数分後、アキトは突然王の表情について彼女に疑問を呈した。
彼女が話していた時、彼は王を見ることもなく、内装を観察していたはずだったのだか…。
「あー、アキト君が出た後だったねえ…。パパがあの話をしたのは」
「ん?」
以下回想
「私は彼のことをあまり知りません。正直に言うのであれば、彼に対して警戒しています。ですから、彼をここに住まわせていただけませんか?」
「ああ、私もそれを提案しようと思っていたんだ。後はイリナに確認するだけだったんだが、無用の心配だったようだな」
そう言うと、王は彼に呼び掛け、自己紹介を促した。
「お初にお目にかかります、アキト=リア=セーフィリックと申します」
アキトは王と彼女の後ろに跪き、その名を名乗った。
「初めまして、イリナ=ミユ=レン=アルファルドです。これから、よろしお願いしますね?」
その後、彼は新しい部屋へ荷物を運ぶため、彼の家へと帰って行った。
「イリナ、そろそろ私が怒っている理由が分かったか?」
話題転換と同時に王は声色を変え、厳しい眼で彼女を見下ろした。
「いえ、申し訳ありませんが、何のことか…」
「そうか…。イリナ、私は今怒っている。それは分かるな?」
「はい、もちろんです」
「私は怒っている。その内容はイリナの彼氏についてだ」
王から提示された答えに彼女は無言で頷いた。
「聞くところによるとイリナ、お前は男性と交際しているようだな。それも平民と」
「お父上、今のご発言は差別的ではありませんか?ファドナはあくまで貴族制も王制もありません。私たちは国の象徴であり、平等ですが?」
平民、という言葉に対し、イリナは敏感に反応した。
というのも、彼女は一般市民、王と同じように言うのであれば、平民と同じ学校で教育を受けた。
そもそも、ファドナ共和国は社会福祉と子供への教育に力を入れている。義務教育を初等教育から後期中等教育まで、日本で言えば高等学校までの授業料を全額補償、教科書も無償で支給される。もちろん、国が運営している学校でのみだが。
社会福祉という面では、男女共に育児休暇や出産休暇を国が保障し、年に4回の抜き打ち調査が行われる。
それだけでもファドナ共和国にこういった類のブラック企業と呼ばれるものが少なく、他にも最低賃金や最高労働時間、時間外労働の最高時間などを世界的にも労働者に対して、優しい国である。
彼女は王家という色眼鏡で見られる事を嫌い、平等に接してもらえる事の大切さを高校生の頃から全国民に訴えている。
だからこそ、彼女は実父の言葉に敏感に反応したのだ。
「で、その殿方がどうかいたしましたか?」
「縁を切れ。もう二度と会ってはならない」
王の発言は冷たく、厳しい声によった。
「お断りします。私は現在、その殿方を心から敬愛し、好いています。何故彼との関係を切れと?」
イリナはあくまで毅然とした態度で王に反対意見を呈した。
「しかしだな、イリナ…。お前には婚約者がいるんだ、そのような身で自由な恋愛など__」
「私には私なりの考えがあります!誰を傷付けることはありませんし、誰を不幸にするということもございません!お父上は黙っていて下さい!」
回想以上
「なんで、怒ったんだ?イリナ」
「その方がリアルかなあって、思ったから」
アキトの素朴な疑問はイリナの顎に指を当て、小首を傾げるという仕草によって跡形も無く消え去ってしまった。
「でも、私に挨拶してくれた時のアキト君、カッコよかったなー。凄く凛々しくて素敵だったよ!」
うっとりとしたイリナの表情に魅せられ彼の顔は一気に紅潮した。
その後もイリナはそのことに気が付かなかったのだが、話を彼に向けた時にやっと気付いた。
「あれ?アキト、君?どうかした?」
微笑みながら顔を隠している彼を覗き込んだ。
それは彼にとっての決定打になった。
「うわわっ!アキト君、顔真っ赤だよっ!?大丈夫?熱?熱あるの!?」
彼の思考は完全にストップしていた。ただ、人間というのは素晴らしい生き物であり、感覚だけは直に伝わっていた。
彼の体調を心配したイリナは彼の額に自らの額を合わせたのだ。
要するに、追い討ちを掛けられたのだ。
彼の意識が戻るきっかけとなったのは部屋に向ってくる足音だった。
まず最初に反応したのは彼女だった。
「あっ、アキト君!ちょっと帰ってきて!愛華さんが来る!」
彼の両肩を揺さぶりながらイリナは話し掛けた。
ただの夢心地状態にあった彼はそれだけで十分に夢世界から現世界に帰ってきた。
「ん?どうかしたのか?イリナ」
しかし、夢心地状態の途中では耳は機能していなかったようで、アキトは何のことか、という風に聞き返した。
「愛華さんだって!うちでメイドやってくれてる日本人の愛華さんがこっちに来てるの!!」
尚も彼の両肩を揺さぶりながらイリナは答えた。
しかし、彼は肩と共に頭も揺らされているので、理解は叶わなかった。
結果、双方にとって最も面倒な結果に終わった。