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「アキトくん。少し、いいかしら?」
「はい、どうかしましたか?ソフィさん」
アキトと愛華の騒動の数日前、アキトはファドナ共和国王妃であるソフィ=ミユ=アルファルドに呼ばれていた。
「ごめんなさいね?少し散らかっていて。とりあえず、そこに掛けてくれる?」
ソフィに部屋へと招待されたアキトは現代の日本にも無いような純和風の部屋中央付近に置かれていた座布団に座るよう指示を受けた。
ちなみに、『少し散らかっている』というのは謙遜であり、綺麗に整頓されて部屋であった。
「はい。今回はどのような御用件で?」
「アキトくんはいつも固いわね。エレンくんもそうだけど、もうちょっと物腰柔らかくした方がいいわよ?」
ソフィはくすくすと優しく笑いながらそう話を始めた。
「でも、今日は少しくらいは固い方がいいかもね。実は、イリナを英吉利に留学させることになったの。これは王家の子供たちに必ずさせていることなのだけれど…。18歳になると王家の子供には許嫁ができることになるわ。でも、だいたいの場合、相手の方はその時に恋人関係にある人なのだけれど、公的に認められて愛を深めることが易しくなるのだけれど、それを妨げるために王家の子には留学させるの。まあ、これは後付けの理由で、本当の元の理由は色々学んでくるように、ってだけなんだけど」
「それは、どれほどの期間でしょうか」
「丸1年間、よ。そしてその間、許嫁の子には王家の仕事を変わってしてもらうことになっているの。エレンくんが大学で准教授をしていることは知っているでしょう?その彼もなのだけれど相手が留学に行っている間は元の仕事をを休んでもらっているの。イリナがファドナを発つのは2週間後なの。ごめんね、急な話で」
ソフィはそこまで話すとアキトに王家の仕事についての話を始めた。
「王家の具体的な仕事内容だけど、イリナは国王ではないからあまり難しくはないの。それに王政ではないから正直ほとんどないの。詳しくは私の仕事とも違うからシャルルに聞いてくれる?」
ソフィはそう話すとシャルルの部屋へと腰を上げ、アキトを誘導した。
「シャールルー、お母さんだけど入っていーい?ちなみにアキトくんもいるよー」
他愛ない会話をしながらシャルルの部屋へ到着するとソフィはシャルルの部屋の扉をノックするとそう声をかける。
少し間をおいて、シャルルから入室の許可を得るとソフィはアキトとともにシャルルの部屋へ入った。
「珍しいね、お母さんとアキトくんが2人でいるなんて。どうかした?」
シャルルは扉を開けてすぐに声を掛けつつ、2人を部屋へ入れた。
「珍しいかな?アキトくんがこっちに来るまでは時々あってたんだけど…。確かにこっちに来てからは久しぶりかな?」
「はい、そうですね。こちらに来させていただいてからは少し色々ありましたから。前のように学ばしていただくことはなかったですね」
ソフィはアキトの父親の友人であり、アキトはソフィと幼少の頃から会っていた。実際、イリナとアキトはソフィを介して出会い、恋仲になったのである。
だから、ソフィはイリナの恋人がアキトであることはアキトが屋敷に来た当初から知っていたし、初日の娘と夫のやり取りを聞いて笑っていたのだ。
「あー、確かにそうね。ま、今はいいや。それよりシャルル、アキトくんに王家の子の仕事を教えてあげて?」
「はい、了解。お母さんはこれから仕事?」
「ええ、ごめんね」
ソフィは去り際、シャルルに『お願いね?』と言い残して自室へと戻っていった。
「はてさて、アキトくん。正直話すこと分かんないんだけど、どうしよう」
笑顔のままで、困った様相を呈することなく、自分の内心を口に出すシャルルに、アキトは渋々と自分から教えを請うことにした。
「そんなことを言われても困るんだけど…。とりあえず、何をしてるか教えて欲しいかな」
「なるほどね、私たちはそれぞれ1つの都市で自治の手伝いをしているの。だから、正直なところ頼まれたことをしたらいいだけ。それに、代理での担当だからあんまり仕事を振られることはないと思う。…これぐらいで大丈夫?」
「ああ、言われたことだけすればいいと」
「その通り。それじゃ、後はイリナとイチャイチャしてればいいよ、残された時間は」
最後に彼女のことを話に出されたアキトはむせそうになったが、なんとか耐えることに成功した。
「あの……できれば仕事の書類とか見てみたいんだけど…」
「んー、そうだねー…」
シャルルがアキトの提案に迷った様子、というか書類を探す動きを見せる。
その時、シャルルの携帯から可愛らしい音楽が流れ…一瞬にして消えた。
「もしもし、エレン!?どうかしたの!?」
目にも留まらぬ速さで携帯を通話モードにしたシャルルは手振りでアキトに『ごめん』と手を合わせて退出を要求した。
そして、アキトはそれに従い、またシャルルの先ほどの話にも従いイリナの部屋へ向かった。
「エレン、こっちに来てくれるの!?いつ!?期間はどれくらい!?………うん!待ってるね!えへへ、今から楽しみになっちゃった〜。……うん、大好きだよ、エレンッ!」
アキトは後ろの部屋から聞こえてくる『恋する乙女』の声を胸の内に隠し、バレないようにイリナの部屋へと歩みを早めた。
「アキトくん?もしかして、もうあのこと聞いちゃった?」
イリナの部屋を訪ねると、彼女は最初にそう聞いてきた。
「ああ、まあな」
「そっか…」
2人の間に誰も望んでいなかった沈黙が発生した。
そして、それを打開するのはアキトにはできなかった。
「ご、ごめんね?急にこんなことになっちゃって。迷惑…だよね?」
「いや、迷惑なんて思っていないよ。それに謝りたいのは俺の方だ」
「えっ?」
「ごめんな、イリナ。俺、今イリナが止めて欲しいって思ってるんじゃないかって思ってる。でも、もしそうだとしても俺はイリナを止めることはできないんだ…。…ごめん」
アキトの唐突な謝罪にイリナは目を丸くした。
しかし、はっとすると、すぐに自分の心を見せた。
「うん、正直に言っちゃうとアキトくんに止めて欲しい。でもね?私も分かっているの、アキトくんが止められないって。実際、姉さんもそうだったらしいんだけどね?近くに好きな人がいると安心するし、離れたくないって思う。それが長い時間だったらもっとそう思う。でも、私はそれから逃げようとして止めちゃうと私も、アキトくんも弱くなっちゃう、そう思うの」
イリナはゆっくりと、語り出した。
自分の考えを言葉にして紡ぎ出していった。
「それに、たった1年だよ?その間は私もアキトくんもずっと勉強しなくちゃいけない。私は大丈夫、頑張れるから。それに、アキトくんは強いから1年ぐらい、耐えられるでしょ?」
最後にイリナは優しく微笑むとアキトに勢いよく抱き着いた。
彼の胸に顔をうずめると、彼女は力を入れて彼の背中を自分の顔に近付ける。
彼は彼女の名前を呟くと背中に手を回して力を込めた。
「ありがとう、イリナ。俺も頑張るよ」
「うん、頑張ろうね、お互い」
お互いの体が離れると、2人は笑顔でそう言い合った。
「イリナ=ミユ=レン=アルファルド、私は貴女を永遠に愛します」
「アキト=リア=セーフィリック、私は貴方を永遠に愛します」
2人の言葉を最後に、今日この部屋に声は無くなった。