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さよなら、Detritus 再開
Ⅰ
さて、ここまでが羽佐間信二の書いた小説である。
急にそんなことを言われて頭がついていかない者もいるだろうから、もう一度言おう。ここまでは、羽佐間信二の書いた小説である。(ただし、作品に書かれた出来事はほとんど事実だ)
あのあと、羽佐間の正体はすぐに世界中に知られ、居場所も特定された。すぐさま奴はその場から逃げ出し、孤独な戦いに陥る。
私はそのとき、「助けてやろうか?」と言ったが断られた。
……ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな。私はセツナだ。一人称が同じだから分かりにくいが、あんな奴とは違う。グラマラスで、ピッチピチのおねーさんだ。あいつ、私がいくら誘ってものってこなかった。きっと、股間はしおれて溶けてるに違いない。
「いつでもいいぞ。お前が頼めば、私はいつでも魔法を使ってやるよ。何度でもな」
「………」
私は、あいつは絶対に頼み込むと思っていた。
だが、予想外にも、あいつは最後まで私に頼まなかった。
『すまん。一つだけ頼みがある』
頼み込んだのは、本当に最後のときだけだ。
あいつは、赤井新太郎を殺した。
どうやって殺したかって?
そんなのは簡単だ。あいつは、小説を使ったんだ。そう、赤井と同じ手口だ。あいつも、小説を武器にすることで赤井を殺した。どんな小説で殺したかって。これも簡単だ。赤井がやってることに疑問を持たせればいい。
「……ははっ」
あれだけ心酔してるファンなら誰もが思っているはずのことを、あいつは追求した。
それは、あいつもファンだからこそ分かったことだ。
『赤井は、BASARAで人を殺した』
もし、だ。正義のヒーローが人種差別をし、弱い者をいじめたらどうなる?
どう思う?
高潔で、勇敢なヒーローが、罪を犯したら。
どうしようもない最低なことをしたら。
人の命を守るはずのBASARAが、人を殺してしまったら……。
それに気付いたファンは怒り狂い、赤井を殺した。
……そうさせたのは羽佐間だ。羽佐間信二だ。
『俺が、奴を殺した』
私に渡した小説は、あいつ自身が書いたものだ。ネットに公開してファンに読ませたのは違う。どうやら、機械に書かせたものらしい。
(何でも、昔のボーカロイドみたいに機械に小説を書かせるソフトがあるんだとか。表紙にはキャラクターが印刷されたソフト。一部では人気を得ている)
あいつは、機械小説を嫌悪していた。
昔のボーカロイドとは違う。ボーカロイドはいくら仮想といっても、本質は楽器。人の手が入る余地があった。だが、機械小説は違う。設定を少しいじくるだけで、ほとんどの人の手が入らない。本当に、工場生産されたような小説だ。
「………」
だが、彼は使った。
羽佐間が書いた小説は稚拙ではないし、伝わる想いはあると思う。だが、どうしようにも個人的な想いが強すぎて他人には分かりにくい……とは思うが。
あいつが、機械を使ったのはその方が効果的だったからだろうか。。
では、自筆を私に渡したのは何でだ?
「………」
分からない。
あいつが私に頼んだのは、たった一つ。最後の時だけだ。
『赤井の死体に会わせてくれ』
Ⅱ
魔法を使い、私と羽佐間を瞬間移動させ、透明になって建物に侵入した。
「………」
赤井は見るも無惨な姿で転がっていた。
人体のあらゆるところが破損している。酔狂なファンは反転すると最強の敵になった。銃弾が何発も撃ち込まれ、鈍器のようなもので殴られ、砕かれ、血が出て、骨が砕け、肉が飛び散り、死んでいる。
……赤井は死んでいる。
「こんなはずじゃなかった」
羽佐間は言った。
羽佐間の小説は、機械が書いたのとは微妙に違う。機械のはあのあとも詳細に話がつづくし、細かなとこも色々と違いがある。
ともかく、ファンが怒るように書かれていた。
「俺は……ただ、お前に小説を書いて欲しかった」羽佐間が計算し、設定して、そういう小説を機械に書かせた。「おもしろい小説を、書いて欲しかったんだ……」
赤井の死体が運ばれる。
現場はその国の警察や情報機関が担当した。中年の監察官がタンカーのようなもので死体を乱暴に載せて運ぶ。
「貴様、丁重に扱え!」
殴りかかろうとする羽佐間を止めた。
彼は、魔法で拘束されながらも怒声を浴びせ続ける。声も、奴らには聞こえないのに。
「そいつは、お前等に舐められるような奴じゃないんだ! こいつは、世界を救えたんだ! 救えた、はずだったんだ。あれだけ人々を熱狂させて、おもしろいと言わせて……心を奪ったんだ。だから、――だから!」
ここで死ぬべきじゃなかった。あんなこと、すべきじゃなかった。
と、羽佐間は言った。
……あんなことすべきじゃなかった?
それは誰に言ったのだろう。赤井に言ったのか。
それとも、自分に言ったのか。
「お前の小説には希望があったんだ。……こんな、どうしようもない世界でも前に進もう……生きて行こうって思わせる希望が……それを、それをお前が、お前がつぶしちゃ、意味ないじゃないかっ」
羽佐間は泣き崩れ、床に膝を突いた。
携帯が鳴っている。どうやら、また新たな事態に発展したらしい。
「おい、悪いニュースだ。どうやら、赤井は死んだあとも計画を企んでいたらしいな」赤井に携帯の画面を見せた。「死んだあと、自動的に公開される仕組みだったらしい。このテキストファイルにはこう書いてある」
これは遺書のようなものです。いずれ僕は死ぬでしょう。いくら万全のように見えても、完全に防ぎきることは不可能です。いつかは死にます。殺されます。
だから、僕は最後におもしろいことを残そうと思います。
みなさん、小説を書いてください。
僕がこれから、どんな死に方をするか予想はできません。でも、きっと何者かに殺されるでしょう。だから、それを題材にして小説を書いてください。
「……あいつは」
「そう、あいつは自分の死さえも小説に使った。……題材にしたんだ」
作品を個人だけのものにするのではなく、他人も許可を得ればその世界観やキャラクターを借りて書いてもいい、という方法。昔、アメリカの小説家でクトゥルーの作者がやったことと同じだ。
赤井の場合は、自分の死を共有化した。
「これから、もっと事態はひどくなるだろうな。この事件がどういう作品にされるか。下手をすれば、第二の赤井が生まれるかもしれない。お前もただじゃ済まないぞ。情報部は辞めさせられたんだろ。流石にかばいきれないって」
「……ああ」
「どうする? 何なら魔法をもう一つ叶えてもいいぞ。こんな状況、もうどうしようも――」
「断る」
ない、と言い切る前に断られた。
私は、羽佐間に見えないように口元を隠して喜んだ。
同時に、唇を噛んで嫉妬した。
「また、芸術が犯されるなら戦うまでだ。情報部とかそんなのはどうでもいい。俺は俺だ。死ぬまで戦うさ」
「何もかも捨てて、か」
羽佐間は、最後の感情も捨てて小説を武器にした。
あいつにとって、芸術は唯一の救いだった。誰にだって大切なものがある。どうしようもなく、ゆずれないものが。宗教がそうだ。科学じゃ人の心は救えない。論理があるからこそちゃんとしたレールがないと絶望を壊すことができず、宗教に負けるのだ。宗教は、この世のめんどくさいことを全て吹き飛ばしてくれる。そう、芸術は一種の宗教なんだ。
「お前は……」
羽佐間は、は懐からペンを取り出して、自分の手を刺した。
「――お前」
「これが、俺の答えだ」
手から血がどくどく流れる。
もう、手は洗わないらしい。
Ⅲ
荒れ果てた都市、腐敗した大地を視界に入れながら、空を見る。
空も、よどんだ灰色をしていて汚らわしい。もう、この世界には美しいものは消えたのか。
……あれから数百年、世界は滅びかけていた。
「ねーねー、お母さん」
私を呼ぶ声がする。
「……何、アンヌ?」
私のジーンズを引っ張る小さな手。
腰にも届かない小っちゃな子。私の娘、アンヌ・ロール。黒い長髪で、さらさらと風にゆれている。肌は雪のように白く、顔もあの子に似ていてかわいらしい。
「あたしも、お母さんみたいに金髪がいいよ。ねえ、魔法でどうにかならない?」
「容姿を変える魔法はおすすめしないな。きみはこのままの方がキレイだよ」
「えー」
私の金髪は、風になびく。
羽佐間信二や赤井新太郎の事件から、長い時間が経過して、今頃になってあいつらのシゲンが見つかった。
「………」
破壊、なんだ。
羽佐間はあのときの社会をブッ壊したかった。赤井も同じだった。
だが、二人は壊し方が違っていたんだ。
羽佐間は大層な夢を見ながらも、自分にできることを見据えて、現実的に破壊しようとした。 だが、赤井は違う。方法なんて考えないで、何から何までブッ壊そうとした。ホント、デタラメだ。
「さよなら」
さよなら、デトリタス。
ただの死骸の集まりもキレイに見えるときがある。不器用な二人が懸命に戦う姿が美しいと思うこともある。少なくても、私はあの二人に想うところはあったよ。だから、さようなら。もう二度と、想うことはないだろう。
私は羽佐間信二の小説を燃やした。そして、BASARAも燃やした。紙は灰という粒子に変わり、空に吸い込まれるように散っていった。
滅びかけた世界に、もう芸術はいらない。
(了)