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4
職場からの帰り、交差点の信号が青になるとき――書類を受け取った。
誰かと合流して受け取るのではなく、歩きながら、すれちがいざまに荷物や書類を受け取る方法。諜報員の基本すぎて、本にも載っている手口。
人気のない川沿いに着くと、地面を掘って荷物を受け取った。
これもまた、よくやる手だ。昔は日本に来たスパイが人気のない神社などの近くに穴を掘り、そこで荷物の受け渡しをしていた。今じゃ、日本もその方法を真似ている。
袋の中には日本の小説が数冊入っている。
アメリカから来た白人という設定とはいえ、日本の小説をこうまでして手に入れる必要があるのか。上司からは笑われるが、私はどうしても気になるので最善の注意を払う。
また街にもどると、ベンチに座って電話を使った。
腕時計を操作し、空間液晶を機動。表示されたパネルを操作して、上司に連絡した。
『おー、どうしたビール野郎。元気にしてたか』
叔父という設定だ。私は有色人種の楽園になったアメリカから抜けだし、ドイツにやって来た。叔父は未だにアメリカにいるが、幼い頃に私は両親を亡くしたようなので、昔から世話になっていたようだ。
無駄に設定が凝っている。ちなみに、私たちは普通に会話してるように聞こえるが、会話はあるキーワードを元に解読すると、隠されたメッセージが分かる暗号で話している。
『元気にしてますよ。こちらは事件も多いですがどうにか(Hくんは無事に任務を完了しました。報告書も手元に。あとで手紙で送ります)』
ちなみに、その手紙も暗号で書かれている。
『そうか、それはよかった。心配してたぞ(了解した。次に、きみにはあの男を担当してもらう)』
『すいませんね。あー、仕事を忘れて映画見たいですね(いいんですか? こちらとしては、その方が助かりますが)』
『ほう、何が見たいんだ。アメリカ映画か?(なーに、俺が辞めたら次はきみに上になつてもらいたいからな)』
……これは困った。普通の会社なら出世だと大喜びなのに、この仕事じゃ全く喜べない。
『いえ違います。あれはどこの映画でしたか。炭鉱の町が舞台なんですが(私を地獄に落とすつもりですか)』
『おいおい、炭鉱町が舞台なんていくらでもあるぞ(煉獄かもしれんぞ。ふふつ、そうなると、今後の生き方次第で死後が変わるな)』
『その町にはいくつもしがらみがあるんですが、たった一つの芸術がそれを解消してくれるんですよ。ホント、何て名前でしたっけね(そう言うくせに、殺せと命令するんですね)』
この暗号は長文から短い文が浮かび出ることもある。
上司は苦笑したあと、真面目な口調で言った。
『ふむ、興味深い内容だな。名前が分かったら教えてくれ(そうだ。あの男だ。赤井新太郎を)』
『――はい』
赤井新太郎。私の大学時代の親友で、今は小説家として世界でも有名な人物だ。
電話を切ると、私は家へ帰ろうとした。
街はまださわがしく、若者がやかましい。
『差別主義者を許すな! 怒りの鉄槌を!』
彼らは旗を掲げ、高らかに声を上げていた。
『真の平和を! 我々は、マスターアカイの名の下に!』
大名行列のように、若者が街を行進している。
彼らは人種もバラバラで、共通点は若さだけだ。今はタカ派がうるさいのに非常に珍しい。
『BASARAの名の下に! アカイの名の下に!』
列の真ん中の男が、一番大きな旗を掲げていた。
それは、日本アニメのようなイラストが描かれていた。
そのキャラクターは、作中でBASARAと呼ばれている。
「………」
BASARA。
赤井新太郎が書いた傑作中の傑作。世界中で大ベストセラーを記録し、未だに人気は衰えることを知らない。
「BASARA……」
あの小説も、この現実のように様々な思想が交差した。
中にはボランティアや慈愛あふれた行動をする者もいる。だが、ほとんどは目先の正義に囚われ、自分勝手な破壊を起こす者ばかりだった。
BASARAは、そんな奴らを相手に戦った。BASARAはアンチテロリストと呼ばれる。アンチテロリストとは、テロリストだけを狙うテロリストのことだ。
「何が正義で、何が本当か分からなくなった時代だからこそ――あの作品は世界中で愛された。そうなる理由があった」
それなのに――
若者たちがざわつく。彼らは一斉に携帯機器で動画を見た。
私も、彼らから隠れるように路地裏に行き携帯機器で動画を探す。
そこには、赤井新太郎が映っていた。
【世界中の皆様、おっはーい!
赤井新太郎だよ。本日、数ヶ月ぶりに新作が出ます。BASARAの新作、ヨーロッパ死闘編です。
お相手は現在絶賛活躍中のゴミクズたち! 人種差別が好きな奴らだよ!】
と、若者たちの歓声が聞こえる。
【みんな、この小説を読んで心を高めてくれ!
そして、自分を信じろ。敵に負けるな。あんな奴らを許すな! ブッ殺せ!】
若者の中には泣き出す者までいた。
赤井は何も特別はことは言っていない。特別なのは、奴が書いた小説だ。
小説、今じゃ奴は小説を出版社から出すのではなく、ネットで無料にして公開している。
「……あの野郎」
小説の内容は、かなり現実味がある。何せ、実在の過激思想団体が登場するからだ。BASARAは彼らと対峙し戦い、ときに苦戦しつつも、勝利する。
小説が公開されているサイトには、BASARAのイラストが載っている。
大きなふきだしに、あいつらをブッ殺そうと書いてあった。
若者たちが叫ぶ。
小説を見た彼らは意気揚々となり、過激団体なんて怖くない、と襲いかかる。
赤井新太郎が犯したのは、立派なテロだ。
奴は小説で民衆を扇動し、襲撃させる。
「………」
いくらその相手が極悪人でも許されることじゃない。彼の小説は世界中で人気を博している。彼だけじゃない、彼の描く小説のキャラクター、BASARAはファンからは英雄のように崇められ――いや、神のように崇拝されている。
……ハーメルンの笛吹き?
いや、それよりもタチが悪い。コッペンベルクの山に連れ込むだけじゃなく、奴は戦えと動かす。
俺たちの手で世界を変えようぜ。
ネットにアクセスが急増し、いくつかサーバーがダウンする。
現実のファンはそれ以上に大フィーバーだ。救世主降臨を目撃した信者でもこれほどにはならないだろう。これを見て私は肝が冷える。
そう、心のどこかで否定したかった。だが、これを見たらもう否定できない。
「芸術には力がある」
人を動かす力が。
そして、人を動かせるなら世界も動かせる。
芸術に感化されて犯罪を犯した奴がいても、ほとんどの者はそいつが悪い。芸術は悪くないと擁護してきた。なるほど、確かに大勢の人が読んでいる漫画から、たった一人犯罪者が出ても他はどうなんだ。そいつだけがおかしいだけじゃないか、と言える。その理屈は正しい。だが、だからって芸術が無力なわけじゃない。芸術には、力があるんだ。漫画を読んで医者になろうとした奴がいるなら、その逆のような道を歩んだ者もいるのでは。だから、これまで多くの国々が利用してきた。プロバガンダ映画、戦意高揚小説、思想をゆがめる漫画――赤井新太郎は、小説を武器にして全世界にテロを起こした。
対象は人種差別や爆弾テロなどを行う者達。ともかく、ありとあらゆる悪を彼は小説で人を動かし、殺した。
「………」
最も過激なのは、独裁国家を相手どったときだ。あいつは、長編小説を三つ書くだけで独裁者を殺した。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
歓声がうるさい。
赤井新太郎。奴は私の親友で、そして――これから殺さなきゃいけない、敵だ。
5
十七年前。
駅から大学までの道を歩いていると、道ばたでぼぉーと突っ立っている男がいた。
「……あぁぁ」
口を開けて、神でも見つけたかのように街路樹を見上げている。
私も、彼につられて街路樹を見た。――何気ない、どこにでもあるような街路樹だ。
昨日、雨が降っていたからか。空気は湿気っていて、そのおかげで太陽の光が眩しく街路樹の枝にぶつかりて――キレイではある。
だが、その程度だ。キレイだが、特別と言えるほどのものではない。
「あぁ……」
だが、男はずぅーと凝視していた。
学生が通る度、彼を見て「気持ち悪い」「いやっ、何あれ」とささやく。小学生や中学生も馬鹿にしていた。それ以外の一般市民も、みんな彼をおかしな奴だと笑った。
だが、彼はそんなの知らぬ存ぜぬと街路樹を見つめていた。
6
私が大学生だった頃、思想紛争が激しく、やたらとやかましい若者であふれていた。
(いや、今も減ったとは言いにくいが)
東京駅爆破事件の後、日本は西洋諸国に過激団体の強制捜査や重要人物の引き渡しを要求した。だが、西側はそれに応えず、長ったらしい理由をつけて拒否。すると、アジアやアフリカの国々、そして日本はブチぎれた。反撃として日本は経済制裁を提案するも、国内ではタカ派が怒り狂い、「生ぬるい、戦争じゃ!」と暴れた。
だが、それに対して異を唱える者もいた。平和主義者。タカ派とは正反対の思想を訴える者達。……しかし、残念なことに違うのは目的だけで、やることは彼らも同じだった。
「この売国者!」
大学に向かおうとする途中、私はカラーボールをぶつけられた。
塗料が服や顔にかかり、洗っても落ちない汚れになる。
「この外人がっ!」「貴様等がいるから日本がダメになるんだ!」「日本から出てけ!」
ハチマキをつけて、血気盛んに叫ぶ若者が私を囲んだ。まずいな、洋服代だけじゃなく、治療費も必要になるかというとき、数名の若者が乱入し、私を守ってくれた。
「てめぇ、一人に対して五人か、いや六人か? 一人じゃ怖くてなにもできないゴミクズがっ」
数はこっちの方が多く、おかげで殴り合いにならず、その場はそれで終わった。
「あ、ありがとうございます」
「いいってことよ。お互い助け合わないとな。ったく、タカ派はみんな死んじまえばいいんだよな」
「………」
その言葉は私にも響いた。
彼は、きっと平和主義者なのだろう。だから私を助けてくれたのだ。だが私は、タカ派と似たような気持ちを抱いている。……父が死んだから。
あのとき、東京駅にいたのだから。
「なあ俺たちと一緒に活動しないか! あんな奴らは野放しにしちゃおけない」
「そうだ、いっしょにブッ殺そうぜ!」
私は、後先考えずに背中を見せて走り去った。
「あっ、おい!」
どっちもクソだった。
どっちも正義を語りながらやることは暴力で、中傷で、でも私はどっちの気持ちも理解できて……それが、苦しかった。
7
半年ほど大学を休んだ。理由は簡単、他の奴らについていけなかったからだ。
「おい、羽佐間。久しぶりに出席かよ」
「随分じゃないの? 遊んでたのかよ」
大学の構内。建物の廊下を知人二人と歩きながら会話する。
ちなみに、羽佐間というのは私の名前だ。羽佐間信二。顔に似合わない日本風の名前。
「あっ、おい。アレ見ろよ。またあいつ、前見ないで歩いて」
「あっ、ぶつかった」
友人が窓の外を指さして笑った。
私は何事かとたずねた。
「お前あんま学校来ねーから知らないんだよ」
「噂になってんだ、あれ。この大学一の変人としてな」
赤井新太郎だった。
一八〇を超える長身だが腹は出てて、顔も丸っこく怖くはない。
ひどく不潔に見えた。髪はぼさぼさで、服はボロボロ。前を向かずに本を読みながら構内を歩いていた。
「うわー、人にぶつかって怒られてる。あらら、無視して去ろうとするから捕まったぞ」
「あーらら。怖い柔道部の面々だよ。かはっ、絞められてやんの」
当時の赤井新太郎は――あ、いや、今もだが、とてつもなく変人だった。
他人を見てないというか、自分しかいないというか。ともかく、我が道を行く男だ。
冴えない外見で、友達もあまり作らず、大学構内ではいつも本ばかり読んでいる。大学の外では街路樹をじっと眺めて気味悪がられ、そのくせ武道のサークルに入部しようとしたりとデタラメである。
「ま、そのときは絞められて断られたがな」
「何でも、小説のためにとか言ってたらしいけどよ」
……小説?
私は詳しく話を聞いた。
「将来は小説家になるんだと。笑えるよな、あんな変人が」
「小説創作研究会ってのにも通ってるらしいぜ? でもよ、これがまた笑えるけど」
おもしろくないんだと、あいつの小説。
友人は言っていた。
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