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『BASARA』という小説があった。

 友人が書いたもののため、どうしても客観的に読めない部分があるが、それでも私はこれが一番好きだ。私の読書歴は本当の活字中毒からすれば失笑ものだろうが、それでも、私は言いたい。BASARAが一番おもしろかった。他のどの本を読んでも、私はBASARAを選ぶだろうと。

 何故、一番なのか。何で、BASARAが一番と感じたのか。

 それは、時代の影響もあったのかもしれない。あらゆる思想が壁にぶつかり、行き場をなくし、そのために目先の正義に眩む時代だ。

 何が本当で、何が正しいのか、分からなくなった。

 だから、BASARAは世界中の人々の心をとらえた。

 BASARAにはたくさんのキャラクターが登場し、それぞれ己の信念を抱いて戦う。展開もコロコロ変わり、正しいと思ったものが変わり、間違いと思っていたものが変わり、価値観の判定が困難になる。

 だが、それでもBASARAの主人公は己の信念を貫き、戦う。

 そのひたむきさ、誠実さに読者は感動し、三〇巻を超えるシリーズものになり、日本だけじゃなく世界中で大ヒットした。

 BASARAの作者である赤井新太郎(あかいしんたろう)は時の人となり、一時は映画スターよりも注目されるほど――


   DETRITUS


 1


 空間液晶。

 天井にあるセンサーが空気中の微粒子に映像データを映し出す。水泡がただよい、水草がたゆたう。色合いは新緑の森だが、実際は水槽の中に作られたアクアリウム。擬似的な森。偽りの森。森のように作られた水の中の偽物。ご丁寧に、映像データはデトリタスまで作っていた。

 デトリタス。

 視覚的には雪が降ってるようで、キレイだ。だが、実際は、微生物の死骸や小さな排泄物の集まりで、キレイでも何でもない。

 だが、見た目だけはキレイだ。

 私は思考のリモコンで映像データを消す。余計なものを目にした。


 洗面台に行き、ヒゲを剃って顔を洗い手も洗う。

 リビングに移動し、指を鳴らして空間液晶のテレビを点けた。

『また、あの小説家が――』

 チャンネルを変える。

『今朝、ベルリンで過激団体同士の抗争がありました。どうやら、最初に攻撃したのは十八歳の少年のようで、とある過激団体の男を射殺。その後、団体の本部まで乗り込んだようです。その後、少年の所属していた団体と衝突になり、死者は一〇〇人を越える――』

 私はキッチンで料理をする。米を炊き、みそ汁を作り、卵を焼く。ドイツ人はあまり料理をしないらしい。だから、今私がやっていることは不自然だろう。料理するだけじゃなく、米やみそ汁というチョイスもだ。現代は科学が進んだ二十二世紀。それなりの機器を買えば、自動でしてくれるのも少なくない。

「………」

 それなのに、私は料理を作る。

「いただきます」

 現代は、科学が発展しすぎたために宗教との対立が激しくなった。

『ヨーロッパ各地でこのような事件は頻発しており――』

 ヨーロッパ、アメリカ、いやいや中東もか。多くの人が怒りに燃えた。ロボットやアンドロイド、同性愛者も出産できるips細胞の技術――この空間液晶さえ怒りの対象だ。

 さらに油を注いだのは、アジアやアフリカの経済成長だ。昔じゃ考えられなかっただろうが、今は日本を含む有色人種の企業が世界を動かし、導いている。車も、パソコンも、兵器も、家電も、ファッションも、その他娯楽も、ほとんどが彼らの支配下だ。

『そもそも、奴らがおかしいのです。奴らは散々、我々に寄生しておきながら、今じゃ我が物顔でヨーロッパを歩き回っている! あの猿どもが!』

 世界中で馬鹿が蔓延した。どの国でも、タカ派が勢力をつけた。

 中にはリベラルを唱えるる者もいた。だが彼らも、対立が厳しくなるにつれて行動が過激になり、やってることは変わらなくなっていった。

『しかし、また日本であった事件が起こるのは許せません。いくら、我々の怒りが正当なものだとしても――』

 朝食を終えたあと、台所で食器を洗い、もう一人の住人のために書き置きをして家を――いや、その前にもう一度手を洗う。

「――っ」舌打ちした。

 それから、外に出た。


 ミュンヘンの地下鉄はクラシックが流れ、ホームも昔のSFのようにシンプルですっきりなデザインをしており、まるで映画の中にいるようだ。

「(流れているのは……ベートーベンの「悲愴」か。いや、どうでもいい)」

 本を読みながら思考する。

 ここを走る電車は古いものばかりで日本では骨董品だ。科学の進歩はお嫌いらしく、空間液晶もない。さらにいえば、電車が来るのが遅い。平気で十分以上も遅刻する。

 予想よりも遅れたが、定刻前には会社に就いた。ドイツのしがない出版社。今の流行はアジアの悪口かタカ派の賛美で、上品とはいえないが本当の仕事のためには仕方ない。

「よっ、ミハエル。また、事件が起きたらしいぜ」

 同僚の男が空間液晶に映し出されたニュース番組を見せる。

 それは、今朝起きた事件だ。

「ああ、知ってるよ。家で見たばかりだ」

「それなら、追加情報。どうやら、襲われた男な。子供連れで歩いていたそうだ」

 どうやら、襲われた男は自分の子供を集会に連れて行っていたらしい。よくある話だ。私のような他人から見れば理解できないが、本人は本当に子供のためを思って連れて行ってたのだろう。

「見ろよ。個人的には同じ白人でも奴らの思想は引いてしまうが……辛いものがあるな」

 空間液晶。

 小さな女の子が泣いていた。

 何度も、おとうさん、おとうさん、と叫ぶ。

「そういうのばかり見ていると辛いぞ」

「分かってるよ」

 友達に忠告したあと、私は手を洗いに行った。

 ここに来るまで読んでいたサルトルの『嘔吐』は、机の中にしまう。


 2


 マリエン広場は観光客が多くてにぎやかだ。

 新市庁舎の仕掛け時計が、十二時を知らせた。観光客は口を開けて鑑賞するが、私は見慣れてるので素通りで昼食を取りに行く。中には私を見て「外人は気にしないんだな」とつぶやくのもいたが、どんなものも慣れれば退屈に決まってる。さらに言えば、ここに住んでる者からすれば、お前等の方が外人だ。

「それに、あれはコレラが大流行したときに病疫を退散させるための踊りだぞ。見た目は陽気そうでもだ」

 ……いや、少し冷静さを欠いているな。気を付けないと。彼らにとって、私はコーカソイドのドイツ人でしかなく、別世界の人間だ。そうでなくはならない。

「………」

 カフェで屋外のテーブル席にすわり、サンドイッチとコーヒーを注文する。

 しばらくすると、一席分離れた向かいの席に白人男性らしい者がすわった。

 彼はプレートにシナモンロールとコーヒーを載せている。そのまま食事をせず、彼は読書に没頭した。懐から取り出したのは、『誰が悪いのか』という本だ。

(確か、設定を入力すると勝手に執筆してくれるソフトから発生した本だったか)

 現代では、自動で曲を作り、作詞し、映像も作り――小説まで書くソフトが開発された。巨匠ほどの名作を生み出してはいないが、個々の平均レベルは高く、悪くはない。だから、下手な作家よりそれらの方が売れる事態になっていた。

 ……ちなみに、私は嫌いだ。

『Aは襲撃しました』

 男は視線を本に向けている。

 だが、唇が私に見えるように本をやや下にずらしている。唇は『証拠も残らず、完了です』と告げた。

 了解、と私も靴を慣らして返答した。

 靴を一回だとイエス、二回だとノー。

 彼は少し視線を上げて見てきた。

 私は唇を動かし、『では報告書をプランBの方法で渡せ。次の任務は待ち合わせ場所で』と返した。

 彼は、その後、すぐに視線をそらさなきゃいけない。

 だが、しなかった。

『彼は、十四歳の頃から自分が育てた協力者でした』

 どうやら反抗期らしい。

 我々はスパイだ。正確に言うなら、日本の民間組織である「情報部(じようほうぶ)」の欧州担当官である。

『家が貧しくて幼い頃から仕事をしていました。過激団体に入ったのも親が原因で彼は悪くありませんでした。それなのに』

 やることは至って普通。昔から、どこの国でも行われたことだ。

 情報収集、情報操作。そして、破壊工作。

 たまに暗殺。

 今回のように、誰かと誰かを争わせることもする。昔、CIAがやっていたのと同じだ。日本も中野の奴らがやってたし、他にも国内で色々と――いやそれはいい。

『自分は、彼を殺しました』

『直接、殺したわけじゃない』

『余計にタチが悪い』

 確かに。しかし、これが我々の仕事だ。

 彼は、そんな仕事に嫌気が差しているようだが。

 情報部はフィクションによくあるように内閣府直轄の秘密組織ではなく、民間組織である。

 何度もコロコロ変わる政治家じゃ我々の上には立てない。右、左の思想を反復横跳びのように変えられたら、たまったもんではない。

 日本は二〇〇〇年代初頭からアメリカの力が弱まり、自国防衛が危うくなった。

 二〇年代頃にはアメリカはもうウドの大木で、軍備を整えようにも世論が黙ってないし、したとしても周りは核保有国。それならば、と日本は国連との関係性を強め、日本がなくなったら世界中が困るようなシステムを作り上げた。経済と科学技術の支援、専門機関の設立、外交サポート、資金援助――そして自衛隊が国連の管理下に置かれ、日本を攻撃するということは国連を攻撃することになり、もちろん反対する人々も多かったが上手く立ち回り、日本に迂闊に喧嘩を売れないようにした。

 だがそれは、同時に日本の行動も制限させた。

 あらゆる行動に目が入り、どちらの勢力にも協力できない。

 だから、情報部が生まれた。

 当時の日本に危惧した政財界のフィクサーが立ち上がり、情報部を設立した。

 存在は隠匿され、政治家でさえ知る者はごく僅か。その上、資金は豊富で最新鋭の科学技術もあり、バックアップは万全。メンバーも元公安や軍人が多く、一流どころを揃えている。

『後悔しているのか?』

 私は聞いた。

 彼は私を睨みつけたまま、唇を動かさない。

 隠匿されるからこそ、我々のやってることは下劣で、冷酷で、最低だ。

 例えば、の話をしようか。例えば、ある町に貧しい家庭に育った少年がいたとする。最初は何気なく話しかければいい。そして次第に親しくなると飯をおごり、段々とその金をグレードアップさせる。そうなると、もう少年との関係は親密だ。だが、少年に自分の正体をばらすのだ。少年は困った。自分の所属する団体の敵だったのに。これが知られたら自分は処刑される。くそっ、バラされたくなかったら情報を提供しろだと。少年は情報を提供してくれた。何てありがたいことだ。だが残念かな、私たちは少年のような駒をいくつも用意している。だから、いつでも切り捨てられる。


 おー困った。とある団体が凶暴だ。おっと、丁度いい所に使える駒があったぞ。


 少年を様々な方法で脅し、洗脳まがいのことまでして襲撃させた。大変なのは、被害は少年と被害者だけに留まらないことだ。過激団体二つが抗争するのだ。

 あの空間液晶に出ていたのさえ、氷山の一角。

 ホントはもっと死んでいる。

『なるほど、きみの言う通り我々のやってることは最低だな。自分でも思うよ。何てこった、死にたくなるほどのゴミクズじゃないかって』

 だがな、と私は唇を動かす。

『奴らもゴミクズだぞ? 奴らが普段集会で何を言ってるか知ってるだろ。有色人種は劣等人種であり、我々とは大いに異なっており、大変下劣でこの世から排除しなければならない。第三者からしたら、異常な光景だな。だが奴らは、そんなヘイトをデスメタルの歌詞にして垂れ流し、ネットにも流して演説するんだ。その結果が、これまで起きた事件だ。何なら今年起きた事件だけでも一つずつ話そうか。まずは空港で起きた観光客の殺害だな、次に移民の娘を集団で――』

『やめてください』

『聞きたくないのか? いや、聞く度胸もないのか?』

 私は笑みも浮かべず、唇を動かした。

『確かに、我々の仕事は最低だ。だがな、奴らも最低なんだ』

 ようは、ゴミ同士のつぶし合いだ。どっちも反吐が出るほどのゴミクズなのに、どっちも自分なりの正義を持ち、戦う。

 皮肉なのは、どっちの正義も共感できるだけの理由があることだ。

『彼らにも理由はある。この国は専門家が多い国だ。何気ない清掃さえ、専門家が行う。それ以外は清掃の業務に就けない。何て非効率だって思うだろ。誰でも働けるようにすれば効率がよくなる。だがな、ここはそういう国なのだ。文化なんだ。だからこそ、失業は大問題なんだよ。過激団体のほとんどは失業者だ。彼らは我々のせいで職を失った。移民だけじゃない、日本を含む有色人種の企業が彼らの産業を圧倒し、奪ってしまった』

『それを知った上で、あなたは戦えと言うのですか』

『そうだ』

 私は続きを語る。

『確かに理由はある。だがな、だからって何をしてもいいわけじゃない。そんなの子供でも分かる。彼らの行動はどんな理由があっても認められない』

『だから、倒せと』

『違う。倒すは正確ではない、消すんだ』

 唇を動かす。

『もうこれ以上、日本を壊されたくないからな』

 東京駅爆破事件。

 私が子供の頃に起きた事件だ。

 日本は火薬さえ大量に集めるのは大変だが、犯人達は最新鋭の科学を駆使し、世界中の仲間と情報を交換・共有し、武器を現地で製造、そして事件を起こした。犯人の正体は、西洋圏の過激宗教原理主義者。神の教えに従い、有色人種を殺せという奴らだ。日本はアジアの中では西洋圏との関わりが強く、国連とのつながりも強化されたため、外交のパイプ役を担うことが多くなった。だから、彼らにとっては、敵の代表としてふさわしかったのだろう。

 当時は大騒ぎとなり、連日マスコミがにぎわい、日本政府も怒り狂った。

 私の親戚や知人――父も、あのとき東京駅にいた。

『お前は、またやられてもいいのか?』

 彼は、間を空けたあとまた本の中に視線をもどした。

 手元はひどくふるえていた。私は彼のことを詳しく知らない。知ってるのは上層部だけで、私は経験豊富といえどまだまだ中間の者だ。彼と大して階級差もない。

 だが、おそらくは似たような境遇だろう。私はドイツ系アメリカ人を父に持ち、日本人の母を持つハーフだ。日本は国際化が進んだとはいえ、主流はアジア系である。白人のように肌が白く、彫りが深い者は少ない。さらに西洋との衝突もあるため、いらぬ恨みを買うことも多い。

「………」

 だからこそ、誰よりも日本人であろうとし、日本を守ろうとした。彼も、そんな一人ではないのか。――純粋な願いだったからこそ思うのだろう。自分がやってることは正しいのか。

「正しくなんてない」

 ぼそっと言ったが、彼は聞こえたらしい。ピクッと反応して――だが、こちらに顔を向けず、そのまま席を立った。

「………」正しいものなんて何もない。あるのは思想と行動だけ。思想と行動はベクトルだ。ただそれだけでしかないのに、ベクトルの向きや角度で衝突が起こる。

 殺し合いになる。

『こちら、フランスから中継をお送りします。また過激団体の事件がありまして。どうやら、今回の事件はある人物が関与しているらしく――』

 私も懐から本を取り出し、読もうとした。題名は『ゴドーを待ちながら』。だが、時間はあっという間に過ぎてしまい、途中で本を閉じてしまう。

 プレートを店にもどすとき、屋内の空間液晶でニュースが映し出されていた。

 また人が死んだらしい。

「――しかも」あいつの仕業だ。

 次に、ニュースはベルリンに変わる。

 親が死んだのは一人だけじゃない。他にも数名子供がいたらしく、カメラの前で泣いていた。そして、恨みをぶつけていた。

「………」

 私は店を出た。


 3


 職場にもどる。

 私は仕事をはじめる前に、トイレに入って手を洗うことにした。

 個室に入っていた同僚がトイレから出て、またしばらくしてもどってくると声を上げた。

「――うおっ、ミハイル! お前、どんだけ手を洗ってんだよ」


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