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五章。人間、自分のことは自分では良く判らない物である。

 五章。人間、自分のことは自分では良く判らない物である。


○望○

「――どうしたものか」

 病室から出た僕はタバコを吸いたくなった。お父さんが何か仕事で困難なことがあると吸っていた影響だろうか。

 未成年な自分がするリスクは十二分に理解しているし、薬物系は二度と手をつけないことに決めている。だから、代わりに病院の購買に売っていたココアシガレットを口元に加える。甘みが脳を刺激し、少しだけだが余裕が出てくる。唯莉さんが氷砂糖を咥えることが多いのはこういうことなのかもしれない。

 さておき、僕はタバコに頼りたくなるほど困っていた。僕がしなければいけないことは示されている――お父さんが忘れてしまった平沼君のことを思い出させるということだ。

 一見単純に見える。だが、違う。その前に問題が幾つもある。

「お父さんが忘れた理由が、精神を守るためだろうということが想像つく――思い出させることは精神防壁を取り除き、再びお父さんを苦しめる――それに僕のほうも問題か」

 ココアシガレットを噛み砕きながら、まとめる。

「――全てから逃げる、そっちのほうが現実的な気がするのもあれだね?」

 ……冗談でも言うべきではないね、うん。

「もし、旨くいったら、この街や美怜の前から消えることはありだね?」

 結局、彼女と僕は他人だ。そして僕がこの街にいる理由もない。

 手を見る。あんなにも求めていた家族――お父さんを手に入れたというのに虚無感。嬉しいのは確かだ。泣くほど溢れていた充足感は今はなく、何かがぽっかり欠けている。何故だろうと思う。しかし、答えは出ない。

「望君!」

 病院の入り口、そこで僕を見つけて駆け寄ってくる舞鶴高等学校の制服少女。

 それはアルビノ少女ではない。この前まで敵だった、褐色肌のゲジ眉少女、

「ふう君……体育祭は今さっき、終わったところだと思うが早いね?」

 会計の掛け時計は三時四十五分を示している。予定では閉会式が終って十五分がたっただけである。

「優勝したので全学年の二組が片付けをすることが無くなり、クラス内、打ち上げにも参加せずに急いで駆けつけました。美怜さんのご様子は?」

 彼女は心底心配そうに尋ねて来る。

「あぁ、平沼君が倒れたと言って早退したんだったね? ……ここには居ない」

「どういうことですの? それに先ほど早退する時にも申しておられましたが平沼君て、何かあったんですか? ふうは貴方の事が好きですが、美怜さんのことも好きなのですから――教えて下さいますわね?」

 ふう君が怒ったような曇りの無い強い視線で僕を見てくる。

「僕は先ほど君に助けてもらった、だから対価として全部話そうか、うん、それがいい。先ずは一番大切なことだ――僕は美怜と他人だ」

 本来なら言うつもりは無かった。適当に真実と嘘を混ぜて誤魔化そうとも考えていた。

「要するに、僕が嘘をついて美怜の家族になっていたと言うことだ――双子でもないし、血縁関係すらない」

 ふう君が言葉を失ったように音を発する。仕方ないと思う、僕のことを重度のシスコンだと思っていた筈だ。そして美怜を傷つけられたから、家族を傷つけられたからあそこまでふう君を追い詰めたと思っていた筈だ。理由が無くなれば、その復讐はただの理不尽になる。僕は責められるべきだ。怒りをぶつけて貰い、僕の虚無感を誤魔化して欲しかった。

「これを使って脅すなら、脅したまえ。罵倒でも受け付けよう。さぁ、したまえ」

 また、ひょんなことからここで得た好意を寄せてくれる存在というのも清算したかった。この件が終わって僕が街から未練無く、居なくなれるように。

「――ふうは挫けませんことよ?」

 僕の両方の手を暖かいふう君の手ががっちり掴んでくる。

驚きを隠せない僕は言葉を紡げず、口をポカンと開けるしかない。

「望君が好きな相手との関係が倫理的に狂っておられなくて、貴方を諦めませんわ!」

 そして強い視線と言葉が向けられる。

「――くっ、あはははは」

 僕は笑っていた。ふう君の笑顔が真っ直ぐで、僕の虚無感を埋めてくれた彼女の感情が予想の外だったからだ。

「いやなに、面白いと思って――ありがとう。ココアシガレットはいるかい?」

 きょとんとした眼で僕が笑うのを観てくるふう君を観て、僕は心が軽くなるのを感じた。そして僕は溜め込んでいた設定を彼女に吐き出し始めた。


「――将にシンデレラ計画ですのね」

 病院すぐ近くの川べり。隣に座ったふう君はこちらを向きながら真剣に僕の話しを聞き、最後に納得したように頷きながらココアシガレットを飲み込んだ。

「初めて頂きましたけど、案外いけるものです――さて、家族に認めてもらったという一点ではふうは羨ましい限りなのですが……何故、貴方はそんな悲しそうな顔を?」

「――どうして、皆、僕が悲しみを得ていると思うのかね? 不可解でしょうがないのだが、いつも僕が思ってない感情を想像で言われる」

「おかしなこと言うんですね? 望君は」

 面白そうに笑顔で言われる。しかし、僕には見当がつかない。

「家族に認められたかった者同士、良く判るんです――と言いたい所ですけど、今の貴方は素面ですわ。道化ようともしておらず、さりとて時折みせる表情の無い能面でもない。深刻な顔をしていらっしゃる。長年、欲していたモノが手に入ったのにですわ」

「そんなに変なのかい、僕の今の顔は」

「いつもみている私には判りますわ」

 ふう君は弓なりのゲジ眉で楽しそうに笑う。

「さておき、家族じゃないことを美怜さんにばらして、否定して、捨てた。それだけですのに馬鹿じゃないですの?」

 いきなりの罵倒に再び驚きを得る。恋しているとの言葉とその対象を卑下にする行為がつながらなかったからだ。

「あぁ、馬鹿者さ。言わなくてもいいことを言ってしまった、平沼君に」

「仰ってしまったことに対してではありませんわ。それが貴方の悲しみを生み出しているのにお気付になられないことに対して馬鹿と評したわけですわ」

 ふう君は笑んだまま、ゲジ眉が真っ直ぐになった。

「美怜さんと家族じゃなくなって寂しい、それだけですよね?」

 同意を促される。しかし、僕は応えず、ふう君を見るだけだ。

「それこそ、シスコンだと、好きだと、愛しているだの言っていたのに、否定して、突き放して、そしたら寂しかった。自業自得だというのに気付いてない。いや、それを認めようとしていない。要するに頑固な馬鹿ですわよね?」

 言われ、僕はすぐさま反論しようとする。そもそもにそう好きだと言ったのが嘘だということは言いそびれただけだ。しかし、ふう君の言葉になぜか反論できなかった。

「正論ですよね。反論がありませんもの。さて、貴方はどうしたいのですか?」

 そのまま、質問に持ってかれてしまった。

「――お父さんに言われた通りに美怜を連れてくるだけさ」

 ふう君のゲジ眉が下がり、呆れ顔になる。

「私は家族に言われたことなんか聞いておりません。家族に言われるままに動きたいのなら、どうぞして下さい――改めてお聞きしますわ。貴方はどうしたいのですか? 言い方を変えましょうか。美怜さんとの生活は楽しかったのですか? 答えは要りません。その答えはハイでしかないのですから。そうで無ければ、今、貴方が悩んでいる理由が判りません。親に言われたことをするだけならそんな深刻な表情で悩む必要がありませんもの。ふうに何か、事情を話している暇があるのなら行動をなされますわよね?」

 ココアシガレットの箱を奪い、一本を取り出し、ガリガリと噛み砕いていくふう君。何というかお嬢様っぽいというより、野性味が溢れている。

「ようは自分の責任を美怜さんに感じて負い目になっているだけですわね?」

「判ったように、言うね、君は」

「反論がありませんもの。幼い時に帝王学を叩き込まれたふうとしましては無口に力なし、民主主義や自由主義の鉄則ですわ――反論はありますか?」

「――無い、きっとそうなのだろう。今、僕は確かに欠けている」

「その欠けているのを代わりにふうで埋めて見せますわと言えないのがふうですわね。傷の舐め合い嫌いだけで相手を振り向かせようとするのは好きではありませんもの」

「君はやっぱり似ているね、僕に」

 美怜と喧嘩した際に言った僕自身にふう君が被った。傷の舐め合いだけで家族は求めていないと美怜にそう言ったのは確かだ。

「その上で問います、貴方はどうしたいのですか?」

 問われ、僕は手を見る。欠けたのは確かにそれだ。そして、その手を握る。

「手の寂しさを無くしたい。美怜の手を取り戻したい。そして美怜との三年間の家族生活をこれからも送りたい」

「なら、それをするためには?」

「美怜とのごっこ遊びを取り戻す。――でも、それはムリだね」

 状態の回帰が答えだと、そう思い、応えた。そうすれば確かに僕は美怜の居た生活に戻れるとそう思ったからだ。僕の欠けた思いは取り戻せないのか、そう諦めるしかないのかと自問自答が完結してしまう。

「馬鹿ですのね、本当に。それは解決策ではなく、ただの結果的な状況ですわ。そもそもにごっこ遊びである理由はありますか?」

「――義理の家族になったから、そう言って手の平を返せばいいのかね? 否、そんなのは家族ではない。間柄はそうでも、そんなものは家族という存在ではない」

「家族に理想を抱きすぎて溺れておられますわよね。はぁ……」

 ふう君は僕から顔を逸らし寂しそうに川を眺め、何かを悟ったかのように、言ってくる。

「ふうは半分は血のつながった家族、妹、両親、親戚などがいますが――誰もがふう自身を見てくれず、妾の娘のくせに鳳凰寺の頭領長女であるとしてしかみてくれません。家族なんてそんなものですと諦めてるのがふうです。認めて欲しかったけど、無理でした。だから言いました、羨ましいと。そして言いました、私を理解してくれて嬉しいと――そんなことはどうでもいいんです。今、どうしたいかですから」

 ゲジ眉に怒りを浮かべ、再び僕を向いてくる。

「望君は言った。美怜さんの手を取り戻し、家族生活に戻りたいと。それが一番上に来るはずなのに、家族自体が何かを一番上に。貴方は優先順位を間違えていらっしゃる」

 ふう君はこちらにココアシガレットを口に刺し、入れてくる。

「そもそもに貴方の求めている家族に書類上や血縁上や名目上のことなんて、必要あるのですか? 私の形だけの家族よりも貴方達二人のほうがよっぽど家族らしい。ふうはそう嫉妬していましたのに――貴方の気持ちはどこですか?」

「僕の――気持ち?」

 金槌で殴られたような言葉の重みがそのふう君の言葉にはあった。

 今まで家族を求めて生きてきた。そして家族に理想を持っており、お父さんと家族になる願望以外に考えたことも無かった。そしてそれが当然なために、今の感情、美怜と家族になりたいという願望を家族という面目で抑えつけてしまっていた。

「改めて聞きます、何をすればいいんですか? 貴方は何をしたいんですか?」

 ふう君は意地悪そうな笑みを浮かべ、僕を見てくる。

「美怜に会って話す。それだけだ。そしてごっこでも何でもいい、美怜との家族生活を取り戻す。美怜の意見? そんなものは変えてやれば良い、それは僕なら出来るね、うん」

 ふう君はその応えに満足したように頷いてくれる。

「そもそもに僕は家族ではないと否定した。では今まで送ってきた美怜との生活を否定できるかというと否である。そして、今、欠けた気持ちを否定できないのは是である。ありがとう、恐らく君のような女性をいい女というのだろう――こんな馬鹿な僕のために、諭し、励ましてくれた。嫌われる可能性を厭わず、僕に素直にぶつけて来てくれた」

「昔の私ならこんな自己犠牲みたいな真似はしませんわ。そもそもに恨んだ相手の弱みを握ったと内心ほくそ笑んで貶めるためのネタにしていましたでしょうし」

 ニコリとゲジ眉を更に上機嫌に曲げ、こちらを見てくる。

「あなたのことが好きだからですわ」

「っう――それは状況が作り出しただけの感情だと」

「の・ぞ・む・く・ん?」

 ふう君の薄茶色の肌に浮かんだ頬の紅が艶かしい顔を見ていられなくなり、逃げようとするが顔を両手で捕まれ、無理矢理、ふう君の方を向けさせられる。

「あぁ、判ってるとも。経過は関係なく、今の気持ちが大事ということだね?」

「そういうことですの。あと私の勝ちですわね。振り向いてくださいましたから」

 不意をつかれた。その言葉が言われ、ようやく何をされたかを理解したときには、ふう君の柔らかい唇の感触が僕の口元から離れていた。

「ふうのファーストキスですわ。ココアシガレット味でしたわね――全く不思議。前はあんなに気持ち悪かったのに、今はこんなにも愛おしい。望君は?」

 自分のことなのにふう君は面白そうに言う。

「僕は昔感じていた気持ち悪さはないのだが、あのだな……そもそも好意を向けられるのも慣れてない。君をどう扱えばいいか手間取ってるんだ。正直、一方的な洗脳とか、暴力だとか、もっと酷いことは人生の中でしてきてるんだが」

「そうだったんですか――あぁ、なるほど、望君の中ですと私の立ち位置が定まってない、そういう訳ですね。この前のあの表情はそういうことですか?」

「あれはすまなかったね、うん」

「いいんですよ、望君のキスを頂けたのですからふうは上機嫌ですの。それに定まってないのならば、好きな相手というポジションは狙えますし」

 心底嬉しそうに、笑むふう君。その笑顔が眩しく、また僕に向けられていると思うと気恥ずかしく――そして嬉しく感じた。

「さて、望君、やることを決めたのなら行ってきて下さい――お昼のお弁当での勝負が流れてしまったので、今度、三人でデートしましょう」

「そうだね、うん。そうしようか」

 僕は立ち上がる。

「ありがとうふう君。こんな僕を好きになってくれて」

 それだけ言うと、振り向かず走り出した。最優先事項は美怜を取り戻すことだからだ。


 美怜は何処に行ったのだろう?

 先ず、西舞鶴駅だ。白い少女がきた形跡はなかった。駅前のマナイ商店街で聞き込みを行っても、美怜を見た人はいないという。学校まで戻る。しかし、やはり見た人はいない。美怜にプレゼントした日傘が傘立てに置きっぱなしになっていたので回収しておく。

 学校の裏道から愛宕山へと入っていくルートへ。そこからなら、あのアルビノで目立つ美怜が人に見つかっていないというのも納得できる。

 その入り口で足跡を見つける。どうやら、正解のようだ。

 それを追っていくと途中で朝代神社への裏道へ折れていた。。

「家に戻られて、変装されてたら――跡を追えなくなる可能性があるね」

 少し焦りを覚える。日が沈み始めた。

 朝代神社に着く。舞鶴市の産土神社である。正月などのイベント時には人が結構来るが、普段はひっそりとして人が居ない。暗闇になり始めた神社は薄気味が悪い。

 境内から境外へと下る石段の途中、見知った少女が俯きに倒れていた。

「美怜!」

 様子がおかしい。近づくと彼女の息は荒い。顔中が赤くなり、両腕一杯に水ぶくれが沸いている。浅達度二度熱傷程度の火傷だと判断できる。綺麗な肌はその名残は何もない。

 不味い、低容量性ショックが起きているのかと思う。

 彼女が体育祭でいつもより薄着だったことが何よりも不味い。ここまで来るのに汗をかいているために日焼け止めが剥がれてしまった事も容易に想像できる。僕に家族では無いと否定された事実が大きすぎて、自分の体の発するアラームにも気づかなかったのだろう。

 抱え起こすと意識を取り戻してくれる。気付いたようだ。

「――だ、れ?」

 眼が見えていないようだ。泣いていた彼女はコンタクトも落としてしまったようだ。

 腕で抱え、家に戻る。朝代神社から美怜を担いでも徒歩二分だ。

 そして風呂場へ。お風呂の温度に冷却水の設定があることは唯莉さんから聞いている。浴室に横たわらせ、桶から細心の注意をしながらゆっくりと冷水を掛ける。水疱の皮を磨りとってしまうと痕が残ってしまうからだ。

 冷水が溜まった風呂の中へゆっくりと美怜を置き、風呂内暖房をオン。生理食塩水系飲料『ヌカリスウェット』の一リッターペットボトルを手渡し、飲むように指示する。

 そして唯莉さんの使っていた書斎へ。美怜ちゃん火傷用と書かれた箱を押入れから取り出す。居間には輸液固定用のスタンドを用意し、戻ると少し落ち着いた様子の美怜がいた。

「美怜?」

 呼ばれた彼女の青紫の眼が様子を見ようと覗き込んだ僕を捉えた。

「よし冷やすのは十分だろう。よっと」

 細心の注意をしながら引き揚げ、椅子に座らせ――蹴られた。 

「良い蹴りだ。うん、大丈夫そうだね。どうやら視覚も戻ったらしいね?」

「違う! 違う! 違う! 何で、私を助けてるの! 私は家族じゃないんでしょ!」

「そんなことは後だ」

「今だよ! 私のことはどうでもいい!」

「――黙ってろ。そして動くな。今は言葉を戦わせるときじゃない――お前に火傷の痕が残るのが嫌なんだよ」

「それはお父さんへの義理立てでしょ! いたっ!」

 不意に動いていた。自分でもなぜ、美怜のおでこにデコピンをしたのか判らない。

 ただ結果的に美怜は黙り込み、こちらの処置に対して協力的になってくれる。

 先ずは輸液だ。火傷の割合十三掛ける美怜の体重四十一キログラム掛ける四=二千百三十二ミリリットルの乳酸リンゲル液の輸液が二次性ショックを防ぐためには必要だ。しかし、これを一気に容れてはいけない。最初の八時間でその半分を、次の八時間でゆっくりと残りの半分を容れる。間違えれば、血圧上昇により腹部、四肢、眼窩などにコンパーセント症候群が起こり、機能障害を一生残す可能性がある。

「左手を、少し痛いが我慢してくれ」

 乳酸リンゲル液のパッケージと点滴用チューブ一式を箱から取り出す。パッケージをタオル掛けに引っ掛けてチューブをセット。火傷と水泡に気をつけながら、静脈を計り、酒精綿で消毒、そして消毒済みと書かれた袋から取り出した針を差し込む。血が逆流してきたのを見、酒精綿を引き、点滴チューブを針とドッキング――滴下を確認し、第一段階の終了だ。美怜の腕を浴場台の上に乗せ、固定する。

「体は冷えていないかい?」

 こくりと頷いてくれる。

「服を――破くぞ」

 鋏を取り出し躊躇わずに体操上着をブラジャーごと破く。これも水疱の皮を磨りとらないようにする配慮だ。

 直接あたっていた所よりはマシだが、その程度だ。水泡も所々に出来ている。下のジャージも破く。幸いこちらは水泡にはなっていない。

 先ずは腕。清潔なタオルで水を丁寧にふき取る。次に抗生物質軟膏を染み込ませた軟膏を皮が破けないように当て、吸湿性パットを重ねる。そしてガーゼで固定。この手順を何度も繰り返す。潰れてばい菌が入ると敗血症を起こす可能性がある。

 自分に美怜の一生の責任が乗っていると思うと緊張する。しかし、やらないわけにはいかない。その緊張のまま、続けていく。そして首元、腹部、胸と続ける。

「終わった――ふぅ」

 ようやく一息だ。輸液をさせたまま、美怜と共に居間へ移動し、コタツへ。輸液パックを固定用スタンドに掛ける。そしてタオルを二つ用意し、一つを美怜に大き目のシャツとパジャマズボンと一緒に渡す。

「体を温めてていてくれ。冷水でかなり冷えている筈だ。暖房もつけておく」

 キッチンで即席卵スープを用意し、美怜に手渡す。生姜、コンソメ、卵で完成だ。

「ふぅ、僕は疲れたから一時間ほど寝る。その間に逃げないでくれたまえ? 流石に今、美怜は外に出たら死ぬぞ? それは辞めてほしい。あと寝るなら自分の部屋で寝てくれ。水泡を潰すと痕になるからね。それも避けたい」

 タオルを被り、畳に横になる。輸液が終わるまでは動けないはずだ。

「気になるようなら、病院だ。その時は付き添うから起こしてくれ。唯莉さんに習った通りに間違った処置はしてないから大丈夫だろう。おやすみ」

 一方的に言うと同時に僕の意識は闇に落ちた。色々あって疲れたみたいだ。


○美怜○

 私は山の中を走り、そして家に戻り、変装をすることで誰にも気付かれずに遠くへ行くつもりだった。その先は決めていない。望から離れたかっただけだ。

 しかし、アルビノは運動会で弱っていた私にそれをさせてくれなかった。

 体中がだるくなり倒れた。痛いと思ったが、石段が冷たくて気持ち良かった。

 そして気を失い、気付くと、私を捨てた望が何故か助けてくれていた。

「――望」

 そんな彼はやるだけやって、言うだけ言って、無防備に寝ている。

 自分のおでこを撫でる。でこピンされた痛みがまだ残っている。

 お義父さんへの義理だと言ったら喰らった。どういうことだったのだろうか。

 彼は私を否定した。家族ではないと。要らないと。そして逃げろと。だから私は逃げた。

「他人なんだよね、私と望は」

 でも、先ほどの彼はどうだろうか。真剣な眼差しで私の体を労わってくれたり、望は叱ってくれた。よく判らない。あの表情に嘘はないようにみえた。

 自身に問う。嬉しいと嬉しくないとで言ってもよく判らない。どっちもだからだ。

 自身が酷い目にあったのも、そこから助けてくれたのも望だ。そして戻ってきてくれたのは嬉しいが、そもそもに突き放したのは望だ。

 彼は森の熊さんでも気取るつもりなのだろうか。よく判らない。

「逃げようかな?」

 しかし、輸液パックをどうするか悩む。スタンドごと持って出るのもありだが『死ぬぞ』と言われている。装備や体調が整っていない今、万が一もの危険は冒すべきではない。実際、体が衰弱しているのは自分でも判る。アルビノの体というのは不便だとしみじみ理解できた。アルビノのキャラクターがゲーム内でバッドステータスがつかないのが不思議で仕方ない。体中がヒリヒリする。

「私にはよく判らないよ、私自身も、望も」

 こういうことだ――どうしたものか。


○望○

 眼を覚まし、時計を見ると丁度一時間だ。完璧だと思いながら、起き上がるとこたつにに足を入れた美怜が驚いたような表情で僕を見てくる。

「おはよう、美怜」

 プイッとそっぽを向かれる。何でだろうと思って、先ほど言った事に思い当たる。

「あぁ、そうか、もう喋ってもいいさ――さっきはすまないね」

 そう言いながら、僕は美怜の対面へと回り、こたつへ足を入れる。じんわりと暖かい。

「――さて、何から話そうか。うん、何も考えて無いから話すことが思いつかない。困ったね? 基本コミュ障なのでこういう時に困る」

 正直に話すと、美怜は怪訝な表情だが、視線を向けてきてくれる。どうしたものか。

「さて、聞きたいことはあるかい?」

 相手の質問を聞くことで、テンポとコミュニケーションのきっかけを掴もうとする。

「…………どうして助けてくれたの?」

「そりゃ助けるとも、僕の大事な家族だからさ」

 本音で答えるが向けられるのは疑いの眼差しだ。まぁ、仕方ない、ここからどうやって納得させるかが課題だ。策も仕込みも無い。己の頭脳と口先だけが武器だ。

「さておき、僕は取り戻しにきたわけさ――君を」

「家族じゃないんでしょ、だったら他人だよ!」

 ふう君のおかげでまとまった考えに感謝しつつ、言葉にしていく。

「この三年間、僕は美怜と家族でありたい。これが僕の意思だ。君が認めてくれれば、何であろうと他人がどう言おうと、僕らは家族として生活していける。違うかい?」

 美怜が言葉を失い、こちらをどうしたものかと見てくる。

「――望さん、それは変だよ?」

 ようやく、言葉にしてくれたそれは警戒の色が強い。素直に答えすぎた。

「さんは要らない。他人の評価なんぞ、僕を栄えさせるだけさ――多くの他人が僕から外れていることは理解しているがね?」

 美怜の赤い視線が厳しくて――ぞくぞくしてくる。

「何が目的?」

「目的、あぁ、それは君との生活、その充実と今からの青春をやりなおしたいんだ」

「望さんは私の親や唯莉さんに言われて来ただけじゃないの? そう聞いてるんだよ」

「あぁ、そんな話もあったね。連れて来いと父さんに言われてるけど、そんなことは二の次で、美怜が嫌なら連れて行くつもりは無い。美怜との生活を取り戻すことが今の僕には優先順位が高いからね」

「わけがわからないよ」

「まぁ、僕が君の立場であってもそう思うだろうね」

 意見の目線を合わせる。これは相手を理解しているぞという意図を流し込むことで警戒を解く効果がある。

「お父さんのことが第一だったから今の言葉は信用出来ない、そういうところだろう?」

 こくりと縦に頷いてくれる。

「手が理由だ」

 そう言いながら自分の手をコタツの上に出す。

「順を追って話そう義父が、父さんが息子と認めてくれたんだ」

「――私を認めてくれないのに、望さんのことを――?」

 静かに、それでも力強く反応を返してくれる。

「美怜を連れて来いと言われているので、僕だけでは無いだろう。まぁ、発作でまた倒れるかもしれないけど、その覚悟はしているんだろうね?」

「つまり、家族という義務感を得たから私を取り戻しに来たの?」

 美怜の眼が、唯莉さんに向けていた視線と同じで、こちらに失望を抱いているようだ。

「それはついでだ。本題じゃない。認められたのは嬉しかったし、溢れん出るほど泣いた。僕はついに家族を手に入れることができたんだって――けれども、欠けてたんだ。ふと君の顔が浮かぶと嬉しくなくなった。物足りない、困ったぞと。君が夜、手を繋いでくれた生活はそんなこと無かった。おかしいね? まるで麻薬のように、僕の生活でなくてはならない要素になっていたようだ、恐ろしいね? 君の手は」

「人の手を麻薬のように言わないでよ……」

「事実なのだから仕方ないね? 名付けてミレトニン」

 美怜の視線が冷たくてとても良い感じである。

「――君を突き放したら欠けてしまったんだ。何かというのは僕にも良く判らないから言語化出来ないのだがそれを埋めたい、そう思ったんだ。これは否定出来ない事実だ」

 だから、と一息つき、

「君との家族生活を取り戻したい」

 言ってやる。

「――要するに、望の自分勝手だよね、それ」

 言われ、その通りだと思う。自分勝手にしたいことをぶつけているのが今、現状だ。僕はいつだってそうだ。共感出来ないから、自分をぶつけることしか出来ない。

「自分の私怨を私にぶつけて身勝手に捨てて、無くして自分に必要だと気づいたから、戻ってきた。捨てられた本人の事なんか、全く気にしてない、最低の物言いだよ」

「その通りだと思う。でも、僕は君が家族である必要があるんだ――だから、自分勝手をぶつけることが出来ると甘えてやる」

 僕は責められて当然だ。それでも、と美怜に視線を向ける。

「お前を説得するために、今、対峙している。もう一度、三年間一緒に家族してくれ」

「お断りだよ! だって、捨てたんだよ? 私のことを捨てたんだよ? そんな人をどうやって信用すればいいんだよ! また捨てられないとも保証が無い。私は嫌だよ、唯莉さんに捨てられ、望に捨てられ、また捨てられるのは!」

「謝る。そして捨てない。僕は美怜を捨てない」

「それも嘘なんでしょ!」

 強い否定を受け、考え、試しに言ってみることにする。

「美怜――信用してくれれば許してくれるのかね?」

「やれるものならやってみてよ!」

 売り言葉に買い言葉と来た。

「そしたら許してくれるんだね?」

「いいよ、やってみてよ!」

「間違いないね?」

「くどいよ、ほら早く、出来ないよね? 出来ないから、望はそんな風に繰り返してるんだよね? やってみてよ! ねぇ!」

 急かされる。いや、急かさせた。相手の痺れを切らすことで僕の言葉を求めさせる。

 美怜の眼を見る。赤くなった瞳は感情の高ぶりだ。良い傾向だと思う。自然に笑みがこぼれてくる。人として軸がやっぱりずれている。

「うん、それなら一つの質問で十分だ――答えてくれるね?」

「いいよ、言ってみて」

 身構えても無駄だ、美怜。恐ろしい無表情や暴力で脅してくるなら、非力でも抵抗する。優しい言葉で私を宥めて来たら、そんなものでは信用できないと拒絶する。強い言葉とテンポだけで捻じ込もうとしてきたら中身が無いと否定する――そう思っているのだろう?

「今、君は僕に警戒してくれている。違うかい?」

「へ?」

 質問の意図が読めないようだ。

「どうなんだい?」

 答えを求める。けれども、無言のまま、五分が経った。確かに無言は普通の質問には効果的だ。黙秘権は武器である。でも、この質問はそれすらも凌駕する。

「――ありがとう、君は態度で僕に信用を示してくれた」

 そう言い切ってやる。

「――な、どうしてそうなるんだよ!」

「どうして君は答えなかったんだい? はいでも、いいえでもよかったのに。日本語が嫌ならイエスでもノーでもダーでもニュートでも。それこそ、曖昧な返事でもね? つまりこういうことだ。君は僕に警戒をしていて答えられなかった。その理由は僕に警戒をしなければいけないという確信、すなわち信用が有ったからだ。信用の意味を辞書で調べてもらってもかまわない。確かなものと信じて受け入れること、そう出てくるからね?」

 美怜の眼が見開く。図星のようだ。そもそも、この状況で僕に警戒を持たない訳が無い。あれだけ、くどく言ったのだから。はい、と言われても同じ論法で返していただろう。

「――迷ってただけだよ。望には警戒してないよ」

「君は僕に警戒をする必要は無いと信用してくれたんだね。僕が君にどんなことをしても、危害を加えない――そう信用してくれたんだね? 嬉しいよ!」

 この質問はどう答えても信用しているに帰結するようになっている。それこそ、時間オーバーでもだ。詐欺師の手法に近く、相手に選択権は有る様に見えて実は無い。

「という訳で、証明できたね? さぁ、許してくれ」

「――詐欺だよ、それは!」

 質問自体を無かったことにしたいらしい。そうすれば、美怜が答えると言ったことを反故にしたことも、負けたことも無かったことになる。

「君は言っていた事を反故にするのかね? なら、サービスだ。だいさああああびすだ。もう二つ、論拠を出そう――まず、君は説得されたがってる」

 動揺させたところで本命をぶつけてやる。

「僕が君を信用させる行動を取ることに期待していたに違いない。何故、君は『やってみてよ!』と言ったんだい? 単純に『それでも許さない』と否定すればよかったのにね。僕は三度も確認しているのにね? そしてもう一つは僕の呼び方から敬称がなくなっていることだ。君は小牧君ですら『さん』をつけるのに、僕にはもう付けていない。君は正直な気持ちを僕にぶつけることができる位には、僕を信用している」

「――っ、言葉の弾みだよ、揚げ足だよ、それは!」

 強い言葉だが、意思が篭っていない。どうやら自覚してくれたようだ。

 無意識に発生した言葉に理由付けされると、そうなのだろうと思い始めるのが人間だ。

そもそもに売り言葉に買い言葉は意識して無くても願望や思考傾向が出やすい。そして美怜は会話に関して鋭く、自分の言った事を覚えており、自分の言った意図を当然考える。

 僕はこころの中で安堵の息をつく。どんなことをしてでも、説得すれば良い――そうすれば彼女は受け入れてくれる。それが確認できたからだ。

「君は言った言葉を否定するのかね? 自分の言った言葉を」

「――するよ、望を否定するためなら」

「なら、僕が拒絶したことも否定出来るよね? そうで無ければおかしい」

 今度は論理性で砕きにいく。美怜の間違いを正当化させて、僕が間違えたことも否定しろと言っているのだ。譲歩した分、負い目を感じさせて譲歩を引き出しているともいう。

 今度はだんまりだ。会話における扇動や洗脳を得意とする僕にはとても有効な手段だ。時間が立てば、自覚してくれた意思も誤魔化してしまうかもしれない。

「さて、そんなことはどうでもいい」

 だが、無意味だ。いきなりの否定でいく。ここは押すべきだ。

「家族であろう、そう僕は言う。対して君はどうしたいんだい? 黙っているのなら、肯定とみなしていいと、ふう君に言われたのでね。そういうことにする」

 美怜は、好き勝手言って否定の言葉を引き出し、コミュニケーションへと持ち込もうとしていると思い込むだろう。

「美怜は僕のことが嫌いだ。今までの家族生活だって、嫌で嫌でしかたなかった。そして自分自身が変わったのも仕方なくだ。無理矢理だ。嬉しくない。本当は地味な真っ黒な姿がお気に入りだったし、白いワンピースを買ったのは望を欺くためで仕方が無かった。お弁当も仕方なく作ってた。望に青春を教えると言っていたのも仕方なくだ」

 反対の言葉をぶつけてやる。美怜の表情が驚きに変わる。

「だから、望とは一緒に過ごしたくない。一人で生きていきたい――そうなりたいんだね?」

 同意を求める。しかし、答えは求めていない。

「望なんて居なくなってしまえばいい、そう思うんだね?」

 そう言い立ち上がり、居間からキッチンへ行き、僕は包丁を取り出した。


○美怜○

「望なんて居なくなってしまえばいい、そう思うんだね?」

 望はそう言うと一度立ち、台所へと向かい、戻ってくる。その手には包丁を持っており、私に警戒心を鳴らす。刃物を台所以外で使うのは物騒な発想しか出来ない。

 そしてその包丁を躊躇なく、振りかざして、

「なら、僕がここで死んでも一緒だ」

 自身の腹部へと差し込む望。足から力無く崩れ、うつ伏せに倒れる望。瞬く間に赤い液体が、畳を汚し始める。それはまるでお芝居のようで、現実感がまるで無かった。

「のぞむ?」

 呼んでも反応が無い。

「な、んで?」

 点滴チューブが外れるのも気にせず、近寄り揺さぶるが、反応が無い。顔へ耳を近づけるが息をしていない。仰向けにし、鳩尾左、心臓に耳を当てるが、止まっている。

「――あれ?」

 望の手から赤く染まった包丁が力なく床に転がり、死という文字が頭の中に浮かんだ。

「私が望を否定したからこうなったの?」

 私は何をしていたんだろう。望は私と暮らしたい、そう言っていただけなのに、どうして死ななければならないのか。

「――なんで私が望との生活が楽しくなかったなんて言うんだよ」

 否定しか出来ない事実と共に涙がこぼれた。

「お弁当を美味しそうに食べてくれるから嬉しかったし、あのワンピースも自分に似合うから買ったし、望が変えてくれた今の自分も好きだよ――私が、許さなかったからなの?」

 望が話しかけてくれている間に思っていたことは望の好きにされないように、その一点だけだ。自分が意固地になって望を否定しようとしていただけだ。

「望、ねぇ、起きてよ。起きてよ。本当は嬉しかったんだよ、戻ってきてくれて――だから起きてよ――望の青春を助ける約束もきっちりするから」

 急激に湧いてくるのは罪悪感だ。そして喪失感だ。私のために色々してくれた望。思い返しては消えていく。

「答えなかったのもごめんなさい。コミュニケーションを否定したのもごめんなさい。だから、起きてよ――だから、ねぇ……」

 言葉が嗚咽になる。それでも気持ちを伝えようと、望の左手を両手で掴んだ。

「――っ、ゲフンゲフン」

 突然、咳き込みながら、望の上体が起き上がった。

「自分でやったことなのだが、呼吸を完全に止めるのは辛いね。牛乳一気飲みとは違ってやめていいタイミングがわからないね。どうしたらいいと思う? 美怜」

 そして余裕のある表情で笑ってきた。

「――へ? あれ、刺したよね? その赤いのは?」

 指差すとそこから取り出すのは、空になったプラスチックボトル。

「あ、この赤いのかい? トマトケチャップを腹に仕込んでグサリ。それで、倒れれば自分の体重で広がるという寸法だね? 心音は慌てた状態で服の上から聞こえるものではないよ、うん。ちなみに僕は内臓の向きが逆だから、心臓は右にあるしね?」

 どう反応すればいいのだろう。怒りと安心が同時に湧き出てきて、どうしていいか判らない。抱きつけばいいのだろうか、それとも怒鳴ればいいのだろうか。

「で、今の言葉に嘘は無いね?」

 その言葉で私の感情メーターが振れた。

「ばかぁああああああああああああああああああああ!」

 手が使えない、だから頭を足の裏で蹴り飛ばしていた。弱弱しい力だが、それでもだ。そして呆気なく後ろに倒れる望。

「なんで、そんな、こと、するんだよ! し、んじゃった、かと、おもった、よ!」

 望の手を持ったまま振り回し、感情任せに何度も何度も踏みつけていく。

「美怜を取り戻したいからに決まってるじゃないか」

 言われ、止まる。そして理解した。

「望は馬鹿だね」

「酷い言われようだ」

 否定してこないのは自覚症状があるからだろう。望は上半身を起きあげながら、力無く笑む。自嘲しているようだ。

「でも、嬉しい馬鹿だよ――だって、私を取り戻すためにここまで馬鹿なことをしてくれたんだから。ありがと」

 本当にそう思う。そして片意地張ってた私自身も馬鹿らしくなる。

「何というか、意固地になってたよ、ごめん」

「いや、元々、僕が悪かったんだ。すまない」

 お互いに謝り合い、そして二人で笑い出した。

「望、本当に私と一緒に家族でありたいの?」

「あぁ、そうだとも――二人の進路が分かれるまでは中毒症状を治す気はないね」

 その言葉で嬉しくなる自分がいる。

「美怜は僕と生活をし続けたいと思うかい?」

「勿論――続けたいよ」

 だから、精一杯の笑顔で答えていた。望の頬が緩み子供っぽい印象になる。あぁ、この人は本当に面倒だけど、根は素直な子供なんだな、っと確信する。

「私は言ったんだよ? 依存症だって――だから、私に依存してくれるのは対等でおかしな話じゃないよ――物質で言えば、ノゾミン辺りかな?」

「依存症同士か」

「そうだよ、お互いに家族依存をしてたんだよ。素敵だよね? 他人だった二人が家族になって依存するまでになるなんて」

「僕らにはお似合いか」

 望が楽しそうに言ってくれる。

 ここからが本当のスタートだ。だから、改めて言い直しておく。

「望。高校三年間、二人で家族生活してみようか?」


 次の日、私は念のために市の病院に来ていた。今日は登校日だが、休んだ。掛かりつけの大学病院まで行くには京都市内まで出る必要があり、全身火傷状態だった私には辛い。何かがあった時に望に助けを呼ぶことも出来ない。だから、舞鶴市の病院だ。

 診断の結果は、問題無いとの事だ。望の適切な処置が功を奏したらしい。潰すと直りは早いが跡が残るとのことだ。ただ、倒れていたのなら早めに病院に来るべきだと怒られた。

 望は学校に行っている。私は家族依存症だけど、だからと言ってベッタリと二十四時間くっついているとか、そういうのはまた別な依存症だと思う。メリハリが家族に依存するということを際立たせるスパイスになる気がする。

 望も付いて来る気はなさそうに、いつもの朝練の後、学校へ向かっていった。ただ、何か困ったことがあったらすぐ連絡しろと言ってくれたので、まるっきり気にしていない訳では無さそうだ。私が出来ることは出来ると、そう信用してくれているのだろう。そして力を借りたいときは貸してくれるだろう。良い家族であると思う。

「お父さんいるんだよね、ここに」

 市内の病院に来た理由はもう一つあった。望に教えられた部屋番号の前に立つ。

「――美怜ちゃん?」

 自分の気持ちに向き合うために立ちながら考えていると声を掛けられた。見れば、そこには唯莉さんがどうやらお父さんのものらしい着替えやらを右手で持って立っており――表情はいつものニヤニヤしているのに何処か警戒の雰囲気が漂っている。

 唯莉さんの拳を見る。望から聞いていた事だが、利き手は固定具が付いていてしばらく使えそうに見えない。そうで無い右手も血が固まった跡が残っていた。

「ここに来たかっただけです」

 ここに来た動機の一つを正直に話すが、怪訝な顔をされる。もう一つの動機の存在がばれている訳ではなく、こちらの意図が読めていないだけのようだ。

「望が教えてくれたんです、ここのこととお父さんの状態を。何をしろとは言って来なかったので、それに対してどうするかは要するに好きにしろということなのでしょう」

「――あの望が? 彼のことを考えれば言わん筈やのに」

「望はどうでもいいようでしたよ? それよりもふうさん――望を好いてくれる女性にどういう顔をして会えばいいのかが重要だと畳を転がってました」

 私は少しイラっとしながら、笑えばいいと思うよ、と望に言っておいた。

「訳が判らん――何があったんや、望に」

「青春しているんだと思います。お父さんに対しての義務よりも自分――例えば青春の優先度が高くなった、それだけだと思います」

 さておき、唯莉さんの表情が警戒のままなのでどうしたものだろうか?

「私がここに来た理由は足長おじさん――お父さんと言う存在の近くにくれば、自分の感情が湧くと思ったんです。けど恐ろしいほど何も湧いていない自分が今は居ます」

 感情を確かめる時に望が見せるように自分の手を見る。何も感じない。

「家族――と言われても望のようにしてくれないと理解してしまっているんだと思います。私のことを忘れているからそれは無いことがもう判ってしまっていて――だったら、この扉の向こうに居るお父さんは現段階では血縁上は家族でも、事実上は他人なんです」

「偉いドライやなぁ? 普通はそこまで言いきれんで?」

 私は変なことは言ったつもりは無い。要するに望の逆なだけだ。

「まぁ、ここで扉を開けてお父さんに会うのは面白いかもしれませんけどね?」

 一つ確認したいことがあったので試しに言ってみる。

 唯莉さんから笑顔が消えた。いつもニシシと笑みを浮かべている彼女にしては珍しい敵意を見せてくる表情だ。そしてやっぱりな、と思う。

「お父さんに対して何かあったら困る――やっぱり、唯莉さんはお父さんに何らかしらの特別な感情か、強い義理を感じているんですね。両方かもしれませんが――どちらにせよ、私を引き取ったのはそれらや私のお母さんに対する義理だったのでしょう?」

 唯莉さんに抱いていた嫌悪が消える。唯莉さんにとって私はそもそもに捨てる、捨てないを論じることが出来る関係じゃなかったのだ。最初から他人同士だった、それだけだ。そこに私が勝手に家族を求めていたのだ。

「他人である私が求めているものに答えられない。そう言い、突き放せばいいだけなのに、色々してくれたのは――優しさですよね? 有難う御座います」

 だから、感謝の気持ちも湧いた。

「――変装道具一式、あれは虐めの回避もありましたが、私のお母さんの面影を隠して、お父さんと会わせようとしてくれようとしたんじゃないですか?」

 どんな形であろうと私のことを考えてくれていたのは確かだ。そして最後には同じように家族を求めていた私と望を家族舞台に立たせることで満足させる形に当て嵌めた。見事にその目論見は当たり、私と望はお互いにお互いへの依存症だ。結果的にも動機的にも感謝していい。

「……せやで。さておき、望が全部説明する必要が出てしまったわけや。ホンマ賢いわ」

 美怜さんが、驚き、そしていつものニヤニヤとした笑顔が戻ってくる。

「でや――その他人行儀な口調は唯莉さんのことを他人と見とるようやな?」

 その通りだ。「はい」とだけ短く答える。私の発言から察する力は、唯莉さんから真似て学んだものだ。これぐらいは汲んでくれると思った。ある意味で信頼しているとも言う。

「なら正直に話そか。美怜ちゃん――あんたは唯莉さんにとってゆり姉の子供という所が限界なんや。よう似とるさかいな? どんなに家族を演出しようとしたところで、唯莉さんにはムリや、そう判断したんや。だから、甘えて貰うことはでけへんかったんや」

「昔の私では他人扱いに薄々気付いてても言い出せませんでした。それでも、そう言われていたら私は何をしていたかも判りません。その話は今聞けて良かったと思います」

 全くもって望のおかげだ。

「聞きたい事があります。お父さんのトラウマの理由です。望も何故、お母さんの面影を見ると発作が起こるのかは知らないようでしたので」

「――美怜ちゃんが生まれる際、ゆり姉が死んでしまったのは言うたな? あの人、大きなプロジェクトを抱え込んでてな、死に目にあえへんかったんや。ゆり姉も、邪魔になったらあかんて言わへんかったしな。得たモノは金と名声と地位、けれどもそれを得るための代償にゆり姉は死に、自分は責められるべきやと脅迫概念をもっとるんや。んで、ゆり姉の形見であるあんたを見ると倒れる――簡単な話や」

「少しだけお父さんを見直しました。ただ、自分勝手な理由――私を見て倒れるのは私がお母さんに似てるから――それこそ代理品みたいに扱っているからだと、そう思い込んでいましたから。望を代理品にしてたぐらいですしね」

「それはあらへん。双子である唯莉さんの方がアルビノであることを除けばそっくりなんやから、それは絶対に無いわ」

 前までの私で言えば、虐めに対してのトリガーみたいなものなのだろう。私のは記憶を改竄するまではいかないが相当辛かったのは確かだ。今もフラッシュバックは起きると思うが、辛いとは思わない筈だ――望がいるから、不安は全部託してしまえばいい。

「まぁ、あんたにも会われへんのがほんまに辛かったみたいやしな。唯莉さんとしては、それを後押ししてあげたかったわけや」

「――もし、お父さんが今、私にあったらどうなると思います?」

 もう一つの動機。ここに来れば唯莉さんがいるだろうという想定で質問を考えてきた。

「正直、記憶の具合からは他人にしか見られへんと思う。けど、念のため、会って欲しくはないけんな。これ以上、何かが起きたら唯莉さん、泣いてしまうわ」

「お父さんは私に会いたい、望にそう言っていたようです。ただ、家族としての記憶は無いけれども、思い出すきっかけになればとの意図のようですが」

 そのお父さんの言葉は私の興味を引いている。だから、ここに来た。ただ、少し工夫が必要な気がしてきた。

「あの人らしいわ……それなら止めへんは唯莉さんは」

「ただ、今会う気はありません。また後日、望と来ます」

 唯莉さんは怪訝そうな顔をしながらこちらを見てくる。

「そこで唯莉さん、一つ手伝って頂けますか?」


○望○

「さて、この扉の向こうにお父さんが居るわけだが――」

 確認するように右側の美怜を見る。

「私は大丈夫だよ。会いに行こうって言ったのは私。覚悟と選択肢は既に準備完了だよ」

 ゴールデンウィーク、最後の休み。僕と美怜は病院に来ていた。この日を逃すと、お父さんは仕事のため、関東に帰るとのことだ。だから、二人で来た。

 美怜の肌は段々と良くなってきている。唯莉さんの教えを守ったことが功を奏したらしい。所々に跡は残っているがだいぶ綺麗になった、今はもうガーゼをしていない。ただし、まだ日焼け止めは使えないので、長袖と日焼け避けの傘は欠かせない。美怜曰く、制服以外の可愛い長袖の服があと数着欲しいらしい。そんな彼女の格好は例の白の長袖ワンピースで、やはり良く似合っている。

 眼も幸運なことに障害を残していない。どうやら、一時的な失明は上半身の火傷からきたことらしく、眼に紫外線を当てたのが原因ではなかったのが幸運だったらしい。しばらく何も無い時間、『暇だよ』と僕の部屋に入り浸っていたのは依存症をお互いに認識しあったのもあるが、目を酷使する趣味――ゲームを止められたのもあるようだ。

 唯莉さんは自己責任の念に問われたから、しばらく旅に出るとメールがきた。勝手な予想だが、舞鶴市に潜伏している――そんな気がする。責任を放棄して逃げるような人では……最近、逃げられたね? うん。

「――ま、気楽に行こうか」

 美怜の手を強く握る。

「それ自分に言い聞かせてるよね?」

「僕は緊張はしているさ。けれども、今やるべきことは僕は君に従うだけさ」

 空いた左手でノックをしようとする。

「ちょっと待って」

 学校の指定鞄に手を入れ、美怜が携帯を取り出し、何かをした。

「おーけーだよ」

 何の意図か読めない――が、まぁ、気にすることではないだろう。

「なら改めて、望です――美怜を連れてきました」

 ノックし、開ける。そこにはにこやかな表情で迎えてくれるお父さんが居た。

 倒れるという懸念は無さそうだと安心したが、同時に記憶喪失が続いているという懸念に僕は怒りを覚えていた。

「望、久しぶりだね? そっちのが言っていた少女か――望の良い人だな?」

 言われた美怜は驚いた素振りを見せなかった。

 対して、僕は美怜を連れて来ても思い出して貰えず、どうしたものかと困惑する。また、相変わらず通常時の僕の口調に似ているのでやり辛い事この上ない。

「冗談はさておきだ、僕の娘、そうだな?」

「平沼・美怜です」

 美怜は僕から手を離し、一歩前に出て、そう自己紹介をした。

「白い少女と聞いていたが、本当に真っ白だね? 全く実感が無いが娘か」

 困ったと笑んでくる。

「いつも有難うございます。私の足長おじさんで居てくれて。これが私にくれた手紙です」

 美怜が鞄から取り出すのは手紙の束。美怜宛になっている。

「な・る・ほ・ど、成る程な。会えないことを悔しく思っていることを確かに強く感じている。トラウマだっけ、確かにそれはあったようだ」

 そして興味深そうにそれらを見、一人納得するお父さん。

「――さて、僕に何をして欲しい。平沼・美怜さん」

 美怜はそう言われても悩んだ様子を見せず、毅然としていた。

「望のことも忘れてください」

 美怜は笑顔でそう言い放ち――僕とお父さんが眼を見開いた。

「貴方にとって私はお母さんの代理品でしかないんですよね? だったら貴方なんか要りません。後、望を引き取った理由も無くなりますよね? だったら、望は貴方に必要ない」

 気付く――美怜の表情とは裏腹に眼は赤く変わっている。どうやら怒っているようだ。再び僕の手を握ってくる彼女の手の力も強めだ。

「どういうことだい?」

「簡単なお話だよ。どうして望を引き取る必要があったの?」

「どうしてって――ふむ」

「代理品だよ?」

 美怜の指摘に、僕の心が不快感を得る。どうやら、まだ代理品扱いだと思い込んでいた時の不満が溜まっていたようだ。手が震えた。

 でも、その手を美怜が更に強く握ってくれる。今の僕はお父さんにとってもそうではない。そして僕を僕と認めてくれる美怜がいる。

「――確かに君の代理品だったんだろうな、そう聞いている」

「それなら代理の対象を忘れたのなら必要ないし、私のことを忘れたのなら望のことも忘れなきゃならない。なのに何故貴方は忘れていないの?」

 悩む父さん。それを見て飽きれたように、

「それは代理品以外で望をみていたからだよね?」

「……そうなるだろうな」

「それならば、私を見て倒れる理由から見ればそれは相当オカシイよね? お母さんのことを私を通して見ていた――つまり、お母さんの代理品扱いされていたわけだよね? それだけでないのなら覚えていてもいい筈」

 美怜の持つ手の力が強くなる。

「行こう、望――この人は私にとって他人でしかない」

 そして僕を引っ張り外へ出て行こうとする。

「――っ、待ってくれ、それは違う! それは僕にはどうしようもないことなんだ」

 僕らの背中にお父さんの声が掛けられた。

「私はそれで怒っているわけじゃないんだよ。それを言ったのはただの意地悪だよ。既に唯莉さんから、そうで無いことは聞いてるから――どうして貴方は選択権を私に委ねたのか、それ一点に私は怒ってるんだよ。欠けた部分を取り戻したいのなら、娘になって欲しいとかそう言うのが普通なんじゃないかな?」

 お父さんに隠した顔が悲痛なものになる美怜。

「遠慮をする必要があるの? 気遣いをする必要はあるの? そういう相手に押し付ける甘え同士をすり合せ、お互いにムリが出ないようにする、それが家族だよね?」

 それは僕の言った言葉、僕の家族観に似た物だった。

 美怜の手が僕を更に強く求めてくる。『合っているよね?』と、まるで確認してきているようだ。だから、僕は手を強く握り返すことで『そうだ』とそれに答えた。

「――すまないな。諭されたようで誠意が無い、そう思われても仕方ないと思う――娘であってくれ、頼む」

「『あってくれ』――その言葉が出たから許すよ。ここで『なってくれ』だったら、私は貴方を許さなかった。過去の自分を無いものにして進むなら、足長おじさんでの好意も今までの努力も全部捨てて、元に戻ることは諦めるってことだからね? それならわざわざここに私を連れてきてくれなんて言わないでと返してたよ」

 美怜がお父さんの方を向き、僕もぐるりと回ることになる。

「そう言ってくれた、だから思い出させてあげるよ――お母さんてどんな人だった?」

 そして扉に背をつける美怜は僕と手を繋いで無い方の手で、扉を軽く三回叩いた。

「……覚えていない」

「私は知ってるよ」

 美怜がにこやかに笑う。それと同時に病室の扉が反対側から叩かれた。

「来たみたいだね。お母さんが」

 そして開かれた扉から一人の女性が現れた。長髪の白い女性だった。

 僕と美怜に一度、柔らかに笑い。そしてお父さんに歩みよって行く。

 その人は美怜に良く似た女の人だった。白い髪をしている点もそうなのだが、顔の作りがとても似ており、服装も白いワンピースで美怜と同じだ。緑色の目は柔らかい印象をこちらに与えてくる。しかし、雰囲気か何かから意思の強さを感じ、身長は美怜よりも低く妹でも通りそうなのにとても大人びており、美怜が兎ならこの人は白虎のような猛々しさで――外見との印象を絡めるとチグハグという印象だ。唯莉さんも相当にチグハグではあるが、一層だ。左手は包帯で固定されており、怪我をしているようだ。

「お久しぶりですね」

 お父さんが口を開けたまま、目を見開く。

「あら、死人を見たような顔をしてどうしました?」

「それはジョークなのか? お母さんが中学時代の姿で来たから吃驚しただけだよ」

「少しだけ背が縮んだだけなのに、酷い人」

 膨れながらお父さんの前に進んでいく。

そして、軽く一回ビンタ、そのまま頬っぺたを抓り上げる。

「悠莉――?」

 お父さんは弱弱しく、でも、確実にその名前を呼んでいた。

 お父さんの狼狽振りにニコニコと笑む悠莉さん。そしてまたビンタ。

「だ・れ・が・あ・ん・た・の・お・も・に・に・な・り・た・い・っ・て・?」

 苛烈な人だというのが感想に浮かんだ。

「ぇえ、全く下らない、下らない。愛が重すぎるって言われたことは唯莉にもあるし、色目を使ってた唯莉を舞鶴湾に沈めたり、愛宕山から転がしたり、北の船に詰め込もうとしたこともあるけれど、重荷になる気はこれっぽちもありませんでしたよ。そもそもに私は貴方についていくと決めていて、その結果を満足に受け入れられない未熟者にする気?」

 そして、お父さんの胸倉をつかみ、揺すりまくる悠莉さん。

「……唯莉、悠莉の変装はやめろ……あ、そうか、そういうことか」

 悠莉さんの笑みがニヤリという擬音が良く似合うモノに変わる。

「思い出せたんやね? 言動、性格、笑い方――あんたが発作を起こす以外の全部を真似れるのは双子である唯莉さんだけや。中高時代、ちょくちょくからかったしな? 美怜ちゃん、あんたの策は当たった。後は自分でやりぃな」

 そしてポケットから氷砂糖を取り出し、口に放り込むのを見てようやく唯莉さんの変装であることに脳が追いつく。

「唯莉さん、有難う御座います――さて、こちらを向いてください、お父さん」

 嬉しそうに美怜が微笑んだ。

「――っ!」

 お父さんの顔が驚きに変わり、そして徐々に、

「す、すま、ない、美、れい」

 苦しみに歪む。そして始まる発作。

「……発作が起きず、物事はハッピーエンド……とはいかんよな――お手並み拝見や」

 軽薄さを消し、唯莉さんは椅子に座る。まだ固定された左手――痛むはずのそれを右手で強く握るのは飛び出さないための自制なのかもしれない。

「お父さん、そう美怜だよ。お母さんでは無く、美怜だよ。お父さんがそう美しく素直であれるように名前をつけてくれたんだよね?」

 僕から手を離し、美怜は前へ一歩進む。

「暴れるってことは思い出してくれたってことだよね? お母さんの事、私の事――だから、ありがとうだよ――そんな状態なのに、私に会おうとしてくれてたんだから」

 暴れだすお父さんの左手を美怜は両手で握り締めようとする――弾き飛ばされる。床に転がりそうになる美怜。火傷はほぼ直っているとはいえ、傷が剥けたら跡になってしまう。だから、僕は美怜を支えるために体が動いていた。

「ありがと――でも、私のことを心配しなくて大丈夫だよ、信用して。暗示とか何にも無くても普通に会える、普通のお父さんへと戻して見せるから――今もお母さんの名前じゃなく、私の名前を呼んでくれたんだから」

 美怜は嬉しさを浮かべ、取り付こうとする。

「判ってたよ、私を代理品なんかで見てないことは――それに唯莉さんが言ったとおり、お母さんはお父さんの重荷になりたくない筈だよ!」

 美怜がまた、突き飛ばされた。今度も倒れないように背中をキャッチし、支えてやる。

 その姿は健気で美しい。なのにお父さんはどうだ? 自分に負け、情けない。

「だから、そんな発作に負けないで!」

 また取り付くが、突き飛ばされる。それを支えた僕は、自分の目的を達するまで前に出ようとするだろう美怜を遮り、前に出る。

「いい加減にしろ、糞親父!」

衝動的に動いていた。何かが弾けたような感情で父の顔を殴り飛ばしていたのは。勝負や復讐以外で人を自分から殴るという行動は初めてだったが、戸惑いは覚えなかった。

「あんたの娘がな! 僕の美怜がな! きっちり言いたいこと言ってるんだ。聞けよ!」

 三度だ。美怜が三度、親父に突き飛ばされた。美怜と唯莉さんが唖然とした表情で見てくる。だから三発は殴っていい。

 二発目。今度は体中のバネを使い鼻に拳を打ち飛ばす。ベッドに倒れふす親父。

「殴ったことなんか無いし、いつも認めて欲しいと思って生きてきた。でも、今は殴り飛ばしてやる! ここに連れて来いと言ったのはあんただろ! 欠けた自分を取り戻すんだろ! それで何をしたかったんだ、あんたは! 錯乱したかったわけじゃないだろ!」

 そうか、怒っているのだ、自分は。お父さんにお父さんらしいところを見せて貰いたい。なのに情けない姿を見せられてやるせないのだ。

「美怜の話を聞いてやれ!」

 ――いや、違う。美怜を蔑ろにする態度に僕は怒ってるんだ。ふう君に誘導され、美怜をさしたる理由も無く虐めていた女生徒達の時と一緒だ。

 三発目でイーブンだ。でも遠慮しない。思いっきり、全体重を込めて右拳を打ち下ろしてやった。お父さんの顔からくちゃっとした音が響き、僕の手に血が飛び散る。

「あんたはしようとしたことまで出来ないのか!」

 そしてその胸倉をつかんだ。

「ぅ――の、ぞむ?」

 突然名前を言われ、驚き、その手を離してしまう。

「……そんな顔、始めてみたな。自分以外のために怒る姿もな」

 前歯が何本か砕け散り、鼻がひしゃげた顔を僕に向け、こちらに言葉を向けてくれる。歯が欠けているというのに、その言葉は余裕がある物言いだ。

「正気に戻ったんですか? お父さん」

「――あぁ、良い気付けになったよ。ありがとう。とても痛くて死んでしまいそうだが――タバコを一服吸いたい。いや、取って置きの葉巻が良い」

「病室は禁煙です。記憶のほうは?」

「ハッキリしてる。でも痛みで記憶が飛びそうだね?」

「我慢してください、自業自得ですから。せめて娘でも見て落ち着いてください――暴れたら、殴ればいいことが判ったので容赦なく殴ります」

「はは、勘弁して欲しいな」

 僕の横に美怜を改めて立たせる。

「――近くで見てもそっくりだな、悠莉に――でも、よく見ると違うね――どっちかというと唯莉の変装の方がそっくりだ。胸が残念なところとか――結局、悠莉は唯莉と違い成長は出来ても、胸のサイズは五十歩百歩だったからなぁ」

「……それゆり姉に怒られるで? 後、流石の唯莉さんも怒るで?」

「ははは、胸のことは唯莉も気を揉んでたな。もういい歳なんだから気にしなくてもいい気がするのだが? 成長出来ないと言う点も、歳から鑑みれば羨ましい限りだ」

「性格だけ戻りすぎてへんか? ゆり姉が逝く前に戻っとらん?」

「地が出てるだけだと思う。悠莉が死んでから、どう生きていくか悩み続けてきたからな? 何だか振り切れたみたいだ。唯莉、色々有難う」

「ええってことや、唯莉さんとあんたの仲やろ? 何か起きたら殴ればええんやな?」

 さておき、とお父さんは青筋を浮かべながら一拍置き、

「――先ずは有難うだ」

 落ち着いた様子で、美怜に笑みを向けた。

「――ぅ」

 美怜の手が僕の手を求め、握ってきた。強張っているのか硬い。記憶喪失や錯乱したお父さんへ一人で立ち向かおうとしたのに――正気になったとたんこれだ。度胸があるのだか、無いのだかと、関心してしまった。

「――私の不安を取り除いて、望」

「勿論だ」

 その手を強く握り返す。

「お父さん、私は美怜――貴方の娘です」


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