三章。人間、その関係性とは皆で決めるものである。
三章。人間、その関係性とは皆で決めるものである。
○美怜○
最初はちょっとしたことだった。例えば、委員長だからと掃除を押し付けられそうになったり(望が別の仕事を押し付け返した)、ヒソヒソとこちらを見ながら笑う女子がいたり、そんな程度のことだった。でも今は違う。
望、ないし男子である霞さんがいるうちはまだマシだ。けれども、彼らがいなくなると女子は私に聞こえるようにすぐさま悪口を言ってくる。例えば、一人じゃ何も出来ないとか、男に媚びるために体育が苦手に見せているだとか、本当はアルビノというのは嘘だとか、育て親に捨てられただとか、あの赤い目は人の血を吸った後になるだとか。
小牧さんはそんな私の味方で体育でのペアなどで困ることは無い。小学校のころとは違い、見捨てないとまで言ってくれるのは嬉しいし、トイレなど望の目が届かないところでも一緒にいてくれる。反面、迷惑を掛けていると気後れしてしまう自分が居るのは認識している。だから、大丈夫だよ、っと言ってある。
自分が黙っていれば飽きるだろう。そう思い、なるたけ関わらないように、私は目立たないように心掛けていた。先生に言うのも愚策だ。結局、HRで先生が注意を言うだけだ。虐める側はそれらを反応した、利いていると喜ばせる。
ただ日に日にそれは酷くなって今日はついに目に見える虐めに発展した。机の中に悪口の落書きされた紙が詰められていたのだ。程度は低いが、物理的な被害は精神的にダメージを大きく与えてきた。昔の虐めのフラッシュバックもおき、倒れそうになる。それでも、まだ、マシな状況だ、昔よりはマシだと思うことで対抗チェックに成功し、堪える。
そして私はクスクスと笑われる中、それをゴミ箱に捨てる。
「望にこれを話したら優しくはしてくれるだろうけど、原因――目立たせることをやめてはくれないんだよね……きっと」
望は気にする必要は無い、ただのやっかみだとベッドの中で慰めてくれるだろう。彼は優しい言葉をかけてくれるだろう。
けれども、原因である私を目立たせることをやめてくれないのは確信している。
考えている内にふと他人の唯莉さんの顔を思い出し、ムカついた。
「浮かない顔をしてどうしましたか、平沼さん」
そんな中、毎朝、変わらず話し掛けてくれるのは鳳凰寺さんだ。今登校してきた彼女は望のことを毎日聞きに来るのと同じで今日も話し掛けてきた。
小牧さんは日課になった二人分のお弁当の準備や野球部のマネージャーがあるからまだ来てないし、霞さんは朝練が始まりクラスに来るのが遅くなった。望は元々、毎朝の何かの鍛錬の後に来るので、いつも少し遅い。
他人から見ても判るぐらい、私は浮かない顔をしているらしい。
何を話していいものか一瞬だけ悩む。自分が虐められているとは言いたくないし、他人である鳳凰寺さんを巻き込みたくない。
「悪口でも机の中に入れられましたか? そしてふうの事を巻き込みたくない?」
望の話題ではなく、私のことを言われたのは初めてだった。そして心の中を言い当てられたこともあり、ドキリとする。
「図星。顔がそう言ってますわ――それぐらいは目立つものの義務だと、名誉税みたいなものだと、ふうは自身に向けられる事があるそれをそう捉えております」
「――私は、目立ちたくないんです。怖いですから」
心の中を当てられたからか、それとも鳳凰寺さんが彼女自身の境遇を例にあげて理解してくれたからか、気がつくとそう話している自分がいた。
ずっとそう生きてきた。目立つとやっかみや敵意の対象になりやすく、危害を加えられるのが怖い。けれども今はそれが無理だ。何故ならば、
「そうしたいのに、貴方のお兄様はそれを許してくれないと」
その通りだ。自分が目立たないようにしても望の言動が目立つ。自分自身の容姿も目立つ。目立たないということがそもそもに出来なくなっている。更には望はこちらを目立たせるように私に皆の注目を集めることも積極的に行う。
「貴方はお兄様に自由を奪われている。どうして、貴方は反抗なさらないのですか?」
笑顔で問われる。私は自分の考えを整理するので必死だ。
「何度も抗議しました。けれども、望は絶対にその一線だけを譲りません」
私は望に対してこれを通すことが出来ずにいる。元々、誰に対しても強くは言えない自分だが、望に対しては物怖じせず何でも言える。女子から言われたことを話し、私を目立たせるのをやめるように強く言った。でも、彼は頑なにそれを拒んだ。
毎晩、不安な私を慰めてくれるが、それだけだ。彼自身は私の虐めなんて気にも留めていないのかもしれない。そう思うほど、何もしてくれない。
ふと、それが他人として私を扱っていた唯莉さんに被った。私を捨てた唯莉さんと同じように望もそれほど私を気にしていないのではないか。
「あなたも家族のおもちゃ――人形ですの?」
それは真摯な口調だった。まるで鳳凰寺さんが自分に問いているような感じも覚えた。
鳳凰寺さんが何を言いたいのか判る。家族の思うままに動くキャラクターなのか、意思のあるプレイヤーなのかということだ。私はそれに明確な答えを持たない。
「……でも、望は私に家族の温もりをくれる」
確かに一番の問題点は彼が家族だということだ。やっと手に入れたそれを手放したくない、という気持ちがブレーキをかけている。彼は家では優しい。
「貴方はそれを得るなら今の生活に我慢を強いられてもいい。他人から虐められるような生活でもいいと? そもそもに、何故、望君は貴方を目立たせようとしているのですか? 貴方のその反応が楽しくてやっているのでは?」
思い出されるのは霞さんにする望の構図。それはいじめっ子といじめられっ子の構図。それに気づいた時の感情も一緒に思い出された。
否定しようとする。けれども、それを強く否定するだけの材料が無く、言葉にならない。
「虐めっ子の理論と一緒なのでは?」
自分の考えていることが言われた。
「良く考えたほうがよろしいですわよ? 貴方は今、岐路に立たされていらっしゃる。お兄様に言われるがまま、人形のままであって家族というものにしがみ付き、皆に敬遠される。虐めが発展するかもしれませんわね。またはお兄様を跳ね除け、元の自分に戻り、平穏な生活を手に入れる――というのが大まかな所では?」
鳳凰寺さんは、綺麗な長い金髪を指ですくい、巻きつけ、遊ぶ。
「――ふうとしては家族なんてのは、血の繋がりしか感じられませんし、認められず、ただ束縛されるぐらいなら一人で生きていける強さを持つのが一番だと思いますが」
それはきっと望なら出来るだろう。でも、私には無理だ。私は強くなんていない。皆の注目を集める容姿はあってもそれだけだ。話術も、勉学も、何もかも望には劣る。現実世界でステータス画面が見れれば一目瞭然だろう。
そもそもにそんな能力的なこともあり、望をやりこめることも出来ない。
「よく考えてみてくださいね? 相談事があれば、気軽に電話でもメールでもどうぞ」
そう言うと鳳凰寺さんは一枚の紙を置き、去っていった。
私はこの話を望に話すことが出来なかったし、この紙を見せることも出来なかった。これまで鳳凰寺さんのことを望に言えなかった通りに。
私は望と寝ている間もずっと鳳凰寺さんの言葉が頭から離れなかった。
次の日、学校に行くと、上履きが無くなっていた。
クラスに靴下で行くと珍しく先に来ていた望がこちらに手を振ってきた。
「おっと、マイシスター、上履きならここだ」
そう言い鞄から取り出してくるのは新しい上履き。
「なんで新しいのを持ってるか聞いていい?」
「隠す輩がそろそろ出ると思ってね。机の落書きも消しといたし、黒板に書かれた相合傘は派手にしておいがふっ!」
黒板と言われ見たらそこには望、美怜はラブラブと誰かが書いたモノに、明らかに望の筆跡で家族愛とは素晴らしいものだと追加された文字が書かれていた。だから、反射的に手が出てしまった。怒りゲージが抑えきれなかった。
「ひゅーひゅー、お二人とも夫婦喧嘩ですか?」「いやねぇ、家族同士でなんて」
悪意ある言葉の投げかけ。何人からもの、野次。吐き気。
虐めという単語が浮かぶ。フラッシュバックが起き、動悸が激しくなり涙が滲んでくる。目の前が真っ暗になり倒れそうになる。
「誰かの扇動で女子が嫉妬心を煽られたりして、美怜を虐めてもいいという空気が出来ているだけだ。君はそんな中、良く耐えている、良い子だ」
望の声が左耳から聞こえ、私の両肩が何かに押さえられた。
「けれども、その扇動者――いや、この場合は虐めている女子達の助長だな――にとってそれは面白くなく、こういう物質的な行動を他の女子に取らせた。相手にしないというのはいい手段ではあるが、最善ではないのさ。とうとう僕がいても歯止めが出来ない程で、あわよくば、僕と美怜をおもちゃにしようとしている。そろそろお灸を据えねばならぬな。男子はそんな状況に訳もわからず乗っかってるだけだ。大丈夫だ大丈夫――任せておけ」
視点が戻ると真剣な表情の望がいた。私を椅子に座らせ、黒板の前へと歩いていく。
当然、話題の中心の人物だ、注目を集める。
「よし、もっと言いたまえ!」
望の宣言にクラスの空気が完全に膠着した。
私も望が何を言っているのか理解できずに、フラッシュバックをも吹き飛ばされた。
○望○
「よし、もっと言いたまえ!」
声の調子がいい。皆が僕に注目している。その視線は何時浴びてもいいものだ。生き生きしてくるね、うん。
「――羨ましいんだろ?」
皆の一人一人の目を見てから、問いかける。美怜には安心しろと微笑んでおく。
反応を返してくれず、おや? っと思うが、今は美怜の現状打破が先だ。抱えきれない負担を引き受けるのは僕の頼まれた役目の一つだ。
皆は僕の行動に虚をつかれ、黙ることしか出来ない。
「よし聞いてみようか。違うなら異見を聞こう、はい、そこの中堅女子の要である染谷君! 君は朝早く来ていたからね、ご褒美だ!」
「ぇ、あ、その、ぇっと」
染谷君はクラス全員の視線を浴びる。彼女は戸惑い、あたふたとし、何も言えない。
いきなりの指定で注目の場に放りだされて予想外の質問に対して自分の意見を言える人間は周りの視線を気にせず物事を言える立場と性格の人間か、予め自分の答えを用意している人間だけだ。シャイな日本人には少ないタイプだ。
このクラスでそれが出来そうなのは僕を含めると三人。
一人は水戸。僕相手にいつも話しをしてくる彼は物怖じしない性格だ。また彼のクラスでのヒエラルキーはかなり高い。学校内でとも言える。スペックが高いこととストレートな性格、そして先輩に対しては礼儀を忘れないということで受けがよく、スポーツ系全般の先輩から可愛がられているそうだ。ちなみに彼は朝の練習で今はいない。
もう一人に視線を向ける。
「一人を皆の衆目の中に晒す、そう絞首台にあげるような方法は卑怯者のやることではありませんの? お言葉ですが、今この状況を作った望君は無罪の人に虐めをしたと決め付ける、ないしはこの様な場で晒した事実自身を元に、貴方の代わりになるスケープゴートを作ろうとしているのでは?」
それは鳳凰寺君だ。心底楽しそうに発言してくれた。ゲジ眉が弓になっている。恐らく、僕が誰かを生贄にすることで矛先を美怜から遠のけようと予想し、それを先に潰せたと彼女を思っているのだろう。数人の女子がその声で活気付き、声を荒立たせる。
そもそも誰かを貶めても鳳凰寺君は痛く無い。矛先を鳳凰寺君に向けても無駄だ。彼女が実行犯でないことは明らかだ。決め付けようとすれば、来たぞとばかりに証拠をこちらに見せ、周りに同情を請うてこちらの言葉を数で潰しに来る。その準備もしているだろう。
だけど、それがどうしたというのか、僕はそんなものは判っている。
「僕はただ単に、確かに僕を賞賛してくれていた染谷君に理由を聞いただけさ。君はいかんせん、先読みしすぎする傾向があるのかね?」
鳳凰寺君を指さし、皮肉めいた笑顔を向けてやる。
他の有象無象はどうでもいい、そっちに話をぶつけたところで一人の意見が潰せるだけで、全体の意見は潰せない。頭、――鳳凰寺君を抑えることが重要だ。
「最初に僕は言った。もっと言えと。君は大変な誤解をしているようだから訂正してあげよう。僕は既にそれらをしでかした下手人を全て知っており、偶然今日だけは早く来た僕は携帯にその姿を収めてしまったのだがね。犯人はそれをさも英雄的な行為のように楽しそうにしていたよ。それでクラス女子のヒエラルキーを維持できる、もしかしたら上げれると思ったのかもしれない。しかし、それをこの場で大っぴらにする気は無い。それこそ君の言う通り、それで新たな問題が起きたら大変だ。根本的な解決にはならないからね?」
カメラつきの古い型の携帯をポケットから出すと染谷君の顔が青くなるのが判る。僕がその現場をカメラで抑えた、そう思い込んでの動揺を予想通り誘いこめた。狙いは二つ、相手の思考能力を落とし、後の誘導をしやすくすること。そして染谷君の動揺で、虐めに直接関係ない多数のクラスメートの支持をとりつけることだ。
ちなみにこの携帯のカメラ機能は壊してあるので写真を取ることが出来ない。携帯が何かの事故で奪われた場合のリスクを考えると、カメラ機能を潰しておく必要がある。
そもそもに証拠ならわざわざ写真で抑える必要も無い。大体の実行計画の概要を彼女達のリアルタイムで呟けるサイト、リアッターへの書き込んでいたのだ。遊びのように今日、美怜に対して行うことを書いてくれていた。証拠に魚拓も取ってある。その中の一人が染谷君だ。そんな彼女を指定し、異見を求めたのは、女子に対して警告の意味がある。虐めは雪だるま式に酷くなるのは良く知っており、それを先に抑えるのは効果的だ。
美怜が乗り越えられないレベルの虐め、例えば汚らしいい方をすれば性行為に関するレベルは好ましくない。彼女に負荷を掛けるだけだ。
「相手を殴っていいのは、殴られる覚悟がある人間だけだという。すなわち相手に何かしらの行為を行うにはその行為を返される覚悟を持つ必要があるということだ。親切をしたら親切を返される覚悟は必要だ。奢ったら奢られる覚悟が必要だ。揶揄や称賛もそうだね? 皆の前で称賛する人は皆の前で称賛される覚悟もあるということだ。すなわち、僕は称賛してあげたいだけさ、僕を持ち上げてくれてありがとうとね? そしてその理由を聞くのは好奇心さ、後学のためのね。理由の無い行動などする訳はないだろうしね?」
「――そういうことならばありませんわ。ふうの考えすぎで出しゃばった事を謝罪いたしますわ。確かに称賛を述べただけの理由が染谷さんにもあるでしょうし、それを確かに望君は聞いても問題はありませんわね」
一瞬だけ鳳凰寺君のゲジ眉が憎悪に歪むが取り繕い僕に対して微笑み、同意をしてくる。
「いや、そういう危険性を皆に示してくれたことはありがたいよ? いかんせん、僕がそういう考えを持ってない証明をテンポよく引き出してくれたのだから、――感謝しよう。一方的に喋るばかりでは皆、理解しづらいだろうしね?」
と、言葉だけの謝辞を述べておく。
「さて鳳凰寺君の理解も得られたことだし、改めて聞いてみようか? 羨ましいのだろう? 違うのなら異見を言ってくれ。言えないのかい? 君は自分の言った言動に『はい』も言えないということかね?」
女子の中での影響力が高い鳳凰寺君も同意してくれたことで、染谷君に答えを言わせることを強制させるますます強くなる。
そこに安易な逃げ道を作り、誘導してやる。
いいえ、と言えば異見を聞きたいと言った。すなわち、いいえを言うと皆に注目される中、自分の考えを述べなければいけない。
はい、はそれだけで済む。そして大多数はその場を逃げれる安易な方法を選ぶ。
「……はい、そうです」
と泣きそうになりながら、小さく言ってくれる。当然だ。
「君の意見は貴重だ、ありがとう、感謝しよう」
感謝を述べることで、それが正しい行動だと皆に印象付ける。
「――じゃぁ、そこの若林君。君もさっき称賛を飛ばしてくれたね? 健全な男子で、オタク系からスポーツマンまで多くの男子と付き合うポジションだが、守りたくなるような儚い少女、どうだい? 羨ましいだろ!」
「ぇ、あ、その――はい」
「貴重な意見だ、ありがとう」
これも当然、ハイだ。男子の多くはその場の空気に乗っただけで、深く考えている筈が無い。
「さて、あとだ・れ・に・聞・こ・う・か・な?」
周りを見渡すと、意見を述べていない人間に硬直が奔る。緊張はしてもしなくても、僕の気分で当てるというのにだ。
「まぁ、いいだろう」
教室中の緊張が抜ける。
「称賛は一向に構わん。君達は僕の素晴らしい家族間をはえさせるのを無料でやってくれるのだからね、ありがたいことだよ! してくれるのなら是非とも称賛を返そう。君達がしてくれた程にはそれを恩返ししなければ、申し訳が立たないからね?」
最後に決めポーズを決め、鳳凰寺君に視線を送ることを忘れない。
「ぉ、望、いつもどおり訳の判らないことをしているのか?」
その時、水戸と小牧君が一緒に教室の中へ後ろの扉から入ってきた。
「水戸、丁度いいところに来た。お前は僕にマイ・シスターがいることが羨ましいか?」
「超羨ましい、というか胸――がふっ!」
小牧君のアッパーカットが水戸の顎にクリティカルヒットした。そして力の方向で水戸が空中に浮く。そして追い討ちとばかしに鳩尾へ蹴りを命中させる。その威力で教室を縦断し、黒板へ叩き付けられる水戸。
「胸の事なんか気にしなくてええええええええええ」
今度は机が飛んだ。
「みなも! こ、ころすきか!」
「いっそ死ねばいいのよ」
「先生は何も見てへんからさっさと机戻せ、夫婦喧嘩はほどほどにしとけよ、そこの二人」
二人のやり取りを見ていたらしき城崎先生がめんどくさそうに扉の前で立っていた。
その日の夜、美怜は僕の部屋に来なかった。
あの事件の後、僕が声を掛けても、何かを悩んでいるようで応えてくれなかった。それどころか、昼飯は逃げられ(おかげで水戸から奪った食券を使う羽目になった)、帰宅時も逃げられ、晩飯の時間にも出てこなかった。予想外の反応である。
昨日までは学校での不安をぶつける様に話しかけてくれたのに。
一人で寝るのは久しぶりだと思いつつ、温もりの与えられない手が寂しく思えた。
代わりにペー太ラビット君の手を握ったが、物足りなかった。
○美怜○
金曜日。
私の上履きは無事だし、机に直書きされた落書きは無く、黒板にも何も書かれていない。
悪口の書かれた紙が置かれる程度だ。要するにやり方が二日前に戻ったのだ。
別に私のことを書いたのではない落書きという前提なのだろう。捨てたものを誰か他の人が置いたのだろう、風で飛んだのだろう、他のクラスの人が置いたのだろう。――と言い逃れが出来るとの考えが見える。汚いと思い、吐き気がする。
昨日の事件の後、どうやら望が関わると厄介だというのが定着したらしい。いや、話題にするのもなるたけ避けてきている気がする。揶揄を称賛とし、ものともしない所か喜ぶ。しかも称賛した相手を褒め称えることで周りの注目へと晒してしまう。どう対処しても高校生の浮かぶアイディアではどうやってもへこますことが出来ない。
望の被害者である染谷さんは今日は何だか顔色が悪く、女子からも浮いている。何故だろうと思うが、私に彼女へ話しかける度胸は無い。
「御機嫌よう」
声を掛けられた。鳳凰寺さんだ。
「おはようございます……」
「昨日の休み時間、メールのURLを見て頂いた後、そのあとずっと浮かない顔をされていましたわね。まぁ、仕方ありませんわね。貴方が望君のせいでそういう状況に置かれていることを教える必要がありましたし」
昨日の事件の後、家族と個人の自由について悩んていると鳳凰寺さんにトイレからメールを送った。すると三十秒もしない間に返信が着た。
『あなたは我慢し続けるのですか? 貴方は目立つことでこういう揶揄に晒され続ける。他人から悪意を受けて怖いという、それなのに原因である彼の操り人形のままでいいのですか? そんな彼は自分だけはそれを回避できる。けれども貴方は言われ続ける。何故、逃げないんですか?』
その内容と共に付属されていた二つのURLも開けた。
「――酷すぎだよ、あんなの」
それらを見た瞬間、私は他人に貶められる怖さと震えに襲われ、フラッシュバックした。思い出すだけでも、体が強張る。
一つは匿名提示版にある舞高のスレッドであった。開くと私の実名が晒され、淫乱、売女、妊娠しておろした、離婚歴がある、白い姿は実験体だから、――雪だるまを作るように突拍子も無い話をどんどん膨らませて私を誹謗中傷していた。
もう一つのURLには、呟き型サイト、リアッターでの発言。それはより生々しい中傷を休み時間中のリアルタイムにぶつけてきていた。私が見ているのは想定していないのか、それとも他人が見てどう思うのか理解していないのか、リアルで言われることよりも生々しく、凄惨に言われていた。靴を隠したとか、隠す気も無くその実行犯達はそれを遊ぶような感覚で話していた。どうやって望に見つからずに私を虐めるかの計画をまるでゲームの狩りプランを立てていた。地域の男を誘ってやってしまおうかという言葉も冗談の段階ではあったが、確かにあり、身の危険も感じた。匿名ではなく、相手の名前が見える分、つらく、吐いた。トイレで開けて良かった。
だから、私は昨日から、望を拒絶している。その元々の原因が、望が私を目立たせるからだ。要するに、
「――望君にとって貴方は遊び道具でしかないのでしょう」
ふうさんのその言葉は正解なのだろう。
「昨日の昼休みは望君と一緒では無かったとお聞きしましたし、それを続けていけばきっと大丈夫ですよ。虐めというのは構うから終わらないのですし。頑張ってくださいね? ふうにとっても家族なんて今では束縛の……」
「ぐっもーにん、エブリバディ!」
いつもより早いタイミングで望が来た。
「いつでも連絡してくださいね? お手伝いして差し上げますわ」
そう鳳凰寺さんは言い、去っていく。
「おはよう、マイ・シスター。昨日の放課後で逃げられたぶりだね? 何をゲジ眉君と話していたのかね?」
望が声を掛けてくる。しかし、そっぽを向いて無視する。話したくないからだ。
そもそもにおはようも返さなければいいのだ。私は殻になりたい。そうすればどんな話術も利かない。私は無力だ。だからこそ、虐めは続いている。望のようには成れないとつくづく昨日の出来事で思い知った。
だから、私に彼と同じ事を求める望を拒絶した。彼が与えてくれる温もりは代わりに私を束縛し、衆目に私を晒し笑いものにする。怖い目にあわせてくる。それなら家族――望なんて要らない。
今日も昨日と同じように昼休みは食堂で済ませ、逃げるように一人で帰り、晩御飯は総合スーパー【ゴザールシティ】の惣菜で済ませ、部屋の扉を閉ざした。そしてパソコンの電気をつけ、自分の世界、ゲームに没入する。
昨日は何もして来なかった望だったが、今日は違った。
何度もノックをしてきたが開けることは無かった。無理矢理、こじあけようとしてきたので今は箪笥が置いてある。二階だというのに雨どい伝いで侵入しようとして来たので、不意を突いてヌンチャク型コントローラーで殴り飛ばした後、雨戸を閉めた。彼が一階に転がり落ちたが気にしてはいけない。メールも一分で百通ぐらい着たから、今では迷惑リスト入りだ。扉の前で騒いでいるようだが無視。旧伊勢にある天岩戸ではないのだ。
「今日もお風呂入ってないけど……寝ちゃおう」
外の音が聞こえないようにパイプベッドの上で布団に包まる。
「あの人は何で隠し通路を作っているのか不明だ。――この家は忍者屋敷かね?」
居る筈のない人の声がすぐ傍で聞こえた。
ゾッとし、布団から頭だけを出し、周りの様子を伺う。誰も居ない。自分の聞き違い課と思い、安堵の息。
「おいっしょっと、久しぶりだね? げふっ!」
ベッドの下から顔が這い出てきた。それを見た瞬間、腹が立ったので反応で踏みつけていた。私がこんな目に会うのは望が悪い。そうだ、そうだとも。驚きよりも恨みが凌駕し、何度も何度も踏みつける。
「どっかいって! どっかいって! どっかいてええええええ!」
数日前までは家族であるとあんなに嬉しかったのに、今は彼の顔が憎い。一緒に居るのも嫌だ。明日は彼は居ないけど、日曜日は一日中、彼と一緒ただと考えると吐き気がする。
両足が不意に捕まれる。それでも足をジタバタさせ、抵抗する。しかし、力強い望の握力は私の非力な脚力では歯が立たない。望は私の足を持ったまま完全に這い出、立ち上がる。当然、私はベッドの上にY字開脚される格好になる。そして彼は私を観、
「て、何度か踏まれたが、気が済んだかね?」
判ったように言う望の口調に私は自分の感情が高ぶるのを感じた。
「放して!」
「放さない。コミュニケーションの放棄なぞ、許すものか。話さなければ相手には物事は伝わらない。素直に不満でも何でも述べてくれ、それが家族だろ? ちなみに僕は怒っている。朝、鳳凰寺君に何か言われたのかね?」
「……じゃぁ、望、私を目立たせるの、やめて。お願い」
交換条件だ。私はそれがなされれば、別に望と会話してもいい。そうすれば、私に対しての虐めもなくなるだろうからだ。
「断る」
いつも通りの即答だった。
「これだけは譲れん、美怜のお願いであってもな?」
いつも通りの望の落ち着いた顔。腹が更に立った。相手はこちらを逃がすつもりは無い、だったら良い機会だ。鳳凰寺さんに言われたとおり、私はここで望から玩具扱いされることにケリをつけてやろう、そう自分に言い聞かせる。
「――望は楽しい? こんな私を虐めて」
目に力を入れて望を睨む。彼が心底予想外だ、という表情を浮かべてくる。どうやら自覚症状が無い、悪質な虐めのようだ。
「私を笑いものに仕立て上げるって、どんな気持ち?」
だから、私は判りやすいように言い直す。
「確かに虐めを焚きつけたのは僕だ。学級委員なんかに祭り上げたのは君を目立たせようとしたのはそれが狙いだ」
望の嘘の無い言葉に驚いた。彼はこういったのだ。
「家族ですら望は笑いものにして高みで見物してたの?」
何という邪悪であろうか、彼は。
「僕は君を笑いものに仕立て上げようとはしていない」
「傲慢だよ、それは」
「僕は言ったよな、『君と同じで周りから強いられただけさ。そこは強い弱いじゃなくて、周りから自由を奪われただけさ。僕は他人に強制されるのが一番嫌いだ』と」
そう言われ、何となく望が言いたいことは判った。
「笑いものに仕立て上げる意思は無い。けれども、私とは反対のことをしてきた、それで成功してきたと言いたいんでしょ? 目立って、それで周りを巻き込んでいく。虐めという状況を作り出してそれを学ばせようとしたわけ? でもね、それは私には出来ないよ! その結果が私を笑いものにしてるんだよ! 善意による虐めとでもいえばいいよね! 今、望がやっているのは虐める側とおんなじなんだよ! 押し付けて、私を押さえつけて! それで遊び道具にしてる!」
そう私は望ではない。
「私はね! 意気地もなく、外見が周りと違うから目立つだけで、望のように弁が立つわけではない。ただのチビで、望のおまけで、周りと今の自分がどう付き合っていくかも判らない。小牧ちゃん以外に話しかけることも出来ないし、話題が続かない。相手を不愉快にしないか。相手と違うことをしていないか、いつも不安だよ! 判る? 判らないよね!」
望は考える素振りを見せて三秒位黙りこんで、頷き、こちらを見てくる。
「相手に何であわせる必要があるんだい?」
「っ――それは答えになってないよ! 私は判るか、判らないか、そう質問したんだよ」
騙されてやるもんか、私が質問したんだ。相手が応えてやるまで応えてやるもんか。
「判らない」
望は一番初めに会った時のように叫びはしなかったが、その目に強い意志を込めて私の質問にそう答えた。
「さて僕は質問に答えた、じゃぁ、君の答えを聞こうか」
そしてそう続けられ、私は一瞬、彼が何を言っているか理解できず呆気にとられた。
「そういうことじゃないでしょ! 判らないなら言わないでよ! そもそもに言ってる事がおかしいよ! 私は望に強制されて目立たせられている、強制されるのがイヤだと判っている君が私に強制してるんだよ! それが不安の元なんだよ!」
「不安が判らないのは当然だろ? 何故僕がいるのに、君が不安を感じる必要があるんだい? 君は今、学校でも家でも一人じゃない、僕が守ってやる。だから不安なんて感じなくてもいいし、不安なんて感じるなら僕の不手際だ」
いきなりの土下座。私の足は抑えが無くなり、ベッドにぽふんと落ちる。
「へっ? あ、あれ?」
不意を突かれ、理解が及ばなくなる。
「しかし、僕が君を学校で目立たせるのは当然だ。そもそもそれは不安感じる、感じない云々の前に君はその容姿から逃げられない。僕が君を目立たせる理由は覚えてるね? 目立つということに何処かに折り合いをつけなければいけない。そのためには衆目に慣れていく必要があり、学校というある意味社会のファーストステップから始めるべきだからだ」
彼の顔がこちらを捉え、立ち上がりながら近づいてくる。
「自分の個性を殺すという間違った道に進もうとする家族をほっておけるか。アルビノをギフトにするのも、カースにするのもお前次第だ、お前は今、自分のギフトを自らカースにしようとしている」
彼は私のオデコを人差し指で軽く押してきた。それだけなのにベッドの上に転がされる。
「仕方ない。何があったが知らないが、予想外に君が不安定すぎる。朝の鳳凰寺君の会話機会だけでここまで思考が歪むとは思えないのだが、ここまで来たら勝負だ。これで説得出来るかは僕も自信が無い。駄目だったら好きにしろ、僕は諦める。だから全力だ。ぜ・ん・り・ょ・く・だ、判ったね? 僕も自爆を覚悟するし、今まで封印していた奥の手も使う。先ず、僕は応えた。だから君は応えろ――なぜ、相手にあわせる必要があるんだい?」
望が膝立ちで私に覆いかぶさってきた。どうやら逃がす気は無いようだ。距離が近い。
「波風を立たせないため、目立たないようにするため」
私も今は逃げる気は無い。例え負けても、望を拒否してやると戦いを挑む。
「そうだ、じゃぁ、波風が酷くなるとどうなる? 勿論、それを排除しようとする――さて、ここで問題だ。この波風が立つ基準というのはなんだ? 女性的な思考が多いね?」
「大勢の人にとって異端であることだよ」
「異端とは何か?」
「一般的に見て、変だと思うこと――趣味でも性癖でも容姿でも何でもだよ」
「僕は異端かね?」
望がこちらを無表情に見つめる。
「どこからどう見ても異端だよ! 白髪、その尊大な態度、話術、扇動力! 度を過ぎたシスコンという態度は明らかに公共の場でやることじゃないよ!」
気遣う必要はない。今の望は私の敵だ。だから今までの鬱憤をぶつけてやる。
「では、何故、僕は排除されない?」
「それは望が強いからだよ! 排除されかけてもそれを跳ね除けた! でもね、私にはムリだよ! 私は強くない!」
「強さとは何かね?」
「――他人がいても自分を通せるだけの力だよ」
「それが無い人間はどうするのかね?」
「皆に合わせればいい――ッ!」
でこピンが飛んできた。
私はそれに怒った。話し合いをしているのに、暴力を振られた。理不尽だ。衝動的に右手で大きく振りかぶろうとするが、その腕を押さえつけられる。
「私は望にはなれない、だからそうするしかないんだよ!」
駄目なら左手だ。しかし、それも押さえつけられる。
「問おう、君は虐めてくる相手のために、自分を変えるのかい?」
「そうだよ、そうして私は生きてきたんだから」
急所を狙った膝蹴り。これも脛で押さえ付けられた。
「じゃあ、言うが、僕のやっていることが虐めというのならば、何故君は僕の言う通りに変えないのかい? 君の豊満な胸によく問いかけてみたまえ」
気付く。何故、望には反抗しているのに、他人に対して何も出来ないのだろうか?
「答えられないだろ? 他人じゃないから傷つけても問題ないという安心が僕に対して行動を向けているんだ。甘えているとも言うね?」
それは私に無理矢理にコミュニケーションを取ってきている望が原因だとする。
『甘えん坊のあんたを放置することにしたんや』
しかし、同時に私を捨てた唯莉さんの言葉が浮かんだ。
「違う!」
私は甘えてない。唯莉さんのことは叫んだ理由にならない。
「違うものか。僕は確かに君に強制的にコミュニケーションを取らせている。そもそも君の虐めは僕が焚きつけた。けれどもそれはきっかけでしかない。そして他人にぶつけられない鬱憤を僕にぶつける事が出来ている。僕ならば危害を与えてもいい、そういう考えは確実に甘えからきているのさ。それが否定出来るなら、君が他人に抑えつけられたことで出来た鬱憤をその他人にぶつけたまえ! 抑えつけられた鬱憤で僕に反抗したようにね!」
ムリだ。怖い。他人に正直になったら、私は傷つけられる。だから育て親の唯莉さんに対してすら、私は良い子でいた。
「ムリだろう? じゃぁ――僕がお前を傷つける存在だってことを教えてあげよう」
望は私の両腕を放し、が私を見た。否、私を見ていない。それも違う、私という物体を見ている眼だ。それこそ私の座っている便所と一緒の扱いをされているようだ。
今まで誰からも見たこともない程、ぞっとさせられる望の表情。悪意というのも生易しい。無――そのものだ。人間とはここまで人を人で無いかのように扱うことができるのか。
いや、そもそもに目の前に居るのは私の知っている望なのか? そんな疑問すら抱かせる。彼はいつも演じていると言った。私を目立たせる望、私と手をつないで寝てくれた望、私をからかう望。それらは全て演技で今目の前に居る望こそが、本当の彼なのでは?
「そうすれば、君は僕に鬱憤をぶつける事は出来ず、僕に従うしかなくなる」
私の部屋着を掴み、ムリヤリ剥ぎ取った。ボタンが床に散り、音を鳴らした。
「ここでお前を引ん剥き、押え付け、お前にぶつけられた怒りを晴らしてもいい。白い肌を汚し、僕色に染めてやってもいい。柔らかそうな胸を無茶苦茶にしてやってもいい。お前に消えない楔を打ち込んでもいい。その怒りで満ちた赤い目を抉り出してもいい」
望はそう言い、私の首を両手で押さえ、全身を食べ尽くすように視線をまわす。
怖い――と思った。怖いという表現も間違いだ。恐ろしいでも足りない。それは私自身を守ろうとする防衛本能から来る感情すら凌駕するほどのものだ。誰からもこんな視線を受けたことが無い。殺される恐怖でも生易しい。魂が芯から冷え切る。
名状し難い恐怖は不意にくしゃっと顔を変えた。首からの圧迫も消える。
「――美怜、お前は僕に甘えていいんだよ。というか、甘えるべきだ」
それはいつも私と一緒に寝てくれる、優しい目線を送ってくれる笑みの望だった。
「僕が君の間違いを訂正しようとして怒りを買っても僕はそれを甘んじて受けよう。家族だからな? 間違った怒りをぶつけて来てもお前を叱るだけだ。美怜はこうも言ったんだ。家族の言動の方はクラスの他人より軽いと、そんなのが家族であってたまるか、僕が手に入れられなかった家族であるものか! その考え方は修正しなきゃいけないね?」
水滴。望の目元からそれがこぼれ落ちているのに気付いた。
「美怜は何のために僕と家族になった? 血縁だからか? 傷の舐めあいを求めたからかもしれない」
その通りだ。私は唯莉さんに見捨てられ、それを癒してくれる望に飛びついた。同じ境遇を味わったことのある人間だということに共感もした。彼なら私を判ってくれる、甘やかしてくれる。そう思ったからだ。
「だがな、言ってやる。傷の舐めあいや血縁だけの繋がりが家族であるものか。君がした他人に出来ない暴力をぶつける事が出来る甘えも家族だ。間違ったことをしでかそうとしているのなら、それを叱り、正してやるのも家族だ。そして言おう。なんで君は他人の言動で自分を殺そうとするのに、僕という家族の言動で自分を生かそうとしないのか? ――自分に素直になってほしいと」
「――ぁ」
言われ気付く。彼の私に対する行為は悪意では無い。確かにおせっかいだが、私のためを思ってのものだ。他人のように私を貶めようとし、私を辱めているわけではない。それに自分はそもそもに、家族に何を求めていたかも思い出す。
――叱ってくれる、とやかく言ってくれることを求めていたはずだ。
「君は君として生きる権利を放棄するのかい?」
「……でも怖いよ、他人は」
私はその枷から出ることが出来ない。枷の向こうに居る人たちが怖い。
望はこちらを向き、困ったように笑った。涙のあとが残ったその視線。こちらを出来の悪い妹を見るように、それでも私を見捨てないぞという強い意志が読み取れる。
「大事なことだから二度目だ――他人に対して怖いと思うなら、それは僕の責任だ、僕を幾らでも責めればいい。僕は君が恐怖を感じないように努力しよう」
そして冷たい両手が私の顔を優しく掴んで、こちらの視線に眼を合わせてくる。
「君は有象無象に埋もれることは幸運にも出来ない。だれもが、アルビノの君をみるだろう。僕がいなくても他人より輝くだろう。ただ、それを怖いと思うあまりに自分を殺してくれるな! 悪口? 軽口? そんなものは称賛だ、やっかみだ。褒められているのさ。 胸を張れ! 他人がどう言おうとも関係ない! 傷を舐めるじゃなくて支えてやる! この望が、お前の望む通りに生かせてやる」
彼の手に力がこもり、私の頬に痛みを覚えさせる。
「お前の名前、美怜、怜の文字は迷いが無く賢いという意味がある。すなわちな、お前は賢く素直に美しくあれるようにとの願いがこめられているんだ。そうであってくれないと、僕はな……僕はな……お前の父親に顔向けできないんだよ!」
望が崩れ落ちた。こちらの頬に入れる力が緩み、外れた。こちらに身を委ねるように倒れ掛かってくる。まるで力尽きたかのように彼の体が軽い。
そして彼から嗚咽が漏れ始める。これは本当の彼なのだろうか?弱弱しく私の胸で泣く望が、どうしても悪い人に見えない。そしてこれが本当の彼なのだろうということが何となく確信出来たからだ。こんなにも私のことを思ってくれていて、自分が崩れるまで私を説得しようとしてくれていて。能力や才能はメッキ張りで――本当の望は私の目の前に居るような年相応よりも涙もろい少年にしか見えない。
彼だって強く振舞っているが、メッキが出来あがるまで虐めも受けていただろうし、親が居ないつらさも知っていたはずだ。家族感の話が彼のトラウマを刺激した結果がこれなのかもしれない。賢い彼だ、こうなることは彼自身も判っていた筈だ。
なんでここまでしてくれるの? 家族だから? そもそもに家族と言えども、ここまでしてくれるだろうか? という疑問が浮かぶ。家族を知らないから良く判らない。でも、してくれないだろうと思う。本当に私のことを考えてくれているのでなければ。
あれ、私も口元にしょっぱい液体が流れてきた。視線が霞む。悲しくないのに、なんで?
「ごめんなさい、私が間違ってたよ。なんで、他人なんか怖がってたんだろ、私。私はなんで――目立つこと、他人から外れることを怖がっていたんだろう」
涙を指で飛ばすと目の前が広がった。
私囲っていた枷が倒れ、世界が開けていく。周りに誰か居ても何処にでもいける。彼らは視線や言葉を向けてくるだけで、私には手が届かない。
一歩出て、その柵で囲われていた場所を振り返る。私が居たそこには目の前にある宝物を置きたくなった。だから私はそっと宝物――望を両手で包み込み、胸に引き寄せる。
望の体温が私に感じられた。暖かくて優しい感じがする。昨日は拒絶し、感じられなかったそれ。それは愛しく、こんなにも大切なものだということに気付いた。
だからもう少し力を入れて望を押し付ける。
「ごめんなさいじゃない、負い目を感じる必要は無い――だから」
そう述べる望が求めているものは判る。
「ありがと、望」
先回り。そして私は彼の頭を撫でた。
次の日。
朝、起こさないようにそっと繋いでいた手を離し、私のベッドから這い出ようとした望の腕を掴んだ。出かけるのは知っており、今日はそのために鍛錬をしないのも知っていた。
連れて行って欲しいと言うと彼は困ったような仕草を取った。絶対ついてくるなと譲ってくれず、だからせめて駅にまではどうしてもと見送りたいと言った。
「死ににいくわけじゃないんだがな?」
「別に心配してるわけじゃないよ、望だもん。ゲームのボス相手でも大丈夫だよ」
結局、参った参ったと、見送りを許してくれた。
私は望が準備している間、洗面所に置いておいた唯莉さんから貰った変装用具を押入れに仕舞い込んだ。もう使うことも無いだろう。今は紫外線避けの無色のクリーム、そして色の無いUVカットのコンタクト、そして日傘代わりの雨傘。望が出発した後、散歩をしてみようと思うので長時間、外に出ていそうだからだ。
服は制服。長袖で一番、可愛いのがそれだったからだ。そして自分が衣服に地味さだけを求めていたかを思い知った。服屋にも行こうと思う。
「学校外だが平気かね? しかも、日の照っている中、雨傘などと」
言われて気付く。買い物に行く際など、外出時に色の入った濃い目の変装に近いケアをしていたが、彼は何も今まで言ってこなかった。さらに私を映えさせる行動もして来なかった。彼が私を周りの視線に慣れさせるというのはその通りで、学校という狭い空間の中だけだったのだ。
一度、理解した後に望の行動を見直すと、私を気遣った行動は非常に多い。
道は道路側を歩いてくれるし、歩く速度を私に合わせてくれているし、求めたら手も繋いでくれる。思い返せば、学校内でも該当する行為は多い。始業式も、自己紹介も私を元気付けようとしてくれた。目立たせるという行動が学校では目立っていてそのイメージしかなかった。外でも彼は私を見守ってくれていたことに気付く。
「私を不安にさせないんだよね?」
「――いい傾向なんだが、うん、依存じゃないよな?」
望がそう心配そうに問うてきた。珍しい。いつもなら、他人の心情など把握していて当然だと態度で表しているのに。
「依存だよ? 望依存症――甘えさせてくれるんだよね?」
「甘えてくれるのはいいんだが――うーん」
そう素直に言ってやると望が困ったような顔をする。これも珍しい。
どうしたものかと考え込む望は歩を止めた。私の手が引っ張られる。
「――もし僕が居なくなったらどうするんだ? 例えば、高校卒業をした後とか、進路は違うものになるだろうし。彼女が出来たら、美怜ばかりにかまうのはムリになるだろうし」
彼の顔は真剣そのものだ。こちらを心配しているのかと思う。しかし、若干、その考えは何故かずれている気もする。よく判らない。
「遠い話で想像がつかないよ――でもね、これは確定。私はもう他人を怖がらないように頑張る。素直に生きるよ」
望はそれを聞き、安心したように歩を再び進ませる。
「いなくなるような言い方だよね。どうしたの? 晩御飯には帰ってくるんだよね? 後、さっき言ってくれたけど、明日は晩御飯作ってくれるんだよね?」
ふと、そう浮かんだ疑問を素直に話す。同時に望の手を強く握り締めている自分がいる。
「今日、事故にあって、帰ってこないかもしれない、記憶を失ってお前を家族として扱わなくなるかもしれない。――人というのはあっさり居なくなるものだからね」
疑問に答えてくれないことに不満を感じる。でも、望は大真面目で実感が込められている。大切なことなのだろう。だから、私は大真面目に悩み、答えを見つける。
「意地悪だね、望。昨日は自分が倒れそうになるまでになって私を説得してくれたのに――夜なんて、あのままぎゅっとこちらを抱きしめて離れないんだもん」
事実だ。
「美怜、それは君だろ」
誤魔化しは聞きません。
「望だよ――でも想像したくないかな。望が居なくなるのは」
「そうか」
望が笑った。でも、それは少し悲しそうな感情が漂ってきた。何故なんだろうと疑問に思うが、それを口にしても彼は答えてくれないのだろう。そういう人なのだ、望は。
いつの間にか、駅へと続く商店街のレンガ道へと足を踏み出していた。
○望○
「――と虐めを誘発した際、予想外に美怜の精神状態が弱くなってしまったために催眠まで行いました。ただ、結果だけで言えばこれらは逆に良い機会になりました。彼女はいい方向に変わったと思います。これでほぼミッションは終わりました」
そこで僕は対面にそう報告する。
「くくく。先ず、怒りを誘発させ興奮状態にする。そして頚動脈圧迫で酸素不足にし、朦朧とした意識に刷り込みを行う。で、その時に感情と優しさたっぷりの事実をぶつけることで説得力を上げる。悪意のあるセラピストやヤクザの手段やね」
物騒なことを解説するのは少女。美怜にどこと無く似ており、背が低い。また、胸がまな板だったり、長い黒髪をポニーテールにしているのも一層幼さを演出している。けれども、その眼差しはきつく、人生の苦難を乗り越えてきたことを物語っている。年齢を聞いた時にはハリセンが飛んできた。
京都タワー展示室にあるレストラン。そこからは京都の街を一望できるのだが、今日はどんよりと雲がかっており残念だ。
「望、お前はどうなんや?」
彼女のイントネーションは京都弁や大阪の方のモノや舞鶴弁が混じったものだ。関西弁には間違いないが心の狭い人には似非関西弁のレッテルを貼られたそうだ。
「僕ですか? 心配することではありませんよ。遅刻したのはやむをえない事情があっただけで――いつでも僕はパーフェクトですから」
途中、鳳凰寺君を特急電車の中で見つけてしまった。あっちはこっちに気付いていない素振りだったが、念のため、二条駅で途中下車した。すると彼女も降りてきたので、電車とバスを利用し、尾行を巻いた。そのため一時間も予定よりも遅くなってしまった。
「そういうことやないんやけどね――」
こちらを見て唯莉さんはコーヒーを一口。
「大丈夫ですよ。言い難いということは僕自身がそう思っていることでしょうし」
「子供らしくあらへんな、ホンマ」
唯莉さんは飽きれたような目線でこちらを見る。
「――すまない。昔、お前が虐められていた時、何もしてやれなくて」
そう言葉を紡いでくれるのはもう一人の男性。唯莉さんの隣に座った僕のお義父さんだ。掘りが深く焼けている。何処か人生に疲れたような雰囲気があり、その上、最近は白髪が目立ち始めるのが気になる。しかし、実際の年齢は三十九歳とまだまだ若い。
「いいえ、貴方はしてくれました――僕をあの地獄、孤児院から引き取ってくれました。虐められた時も一言、相手に合わせる必要はない、とそれだけで僕は十分でした」
僕にとってその言葉は大切な宝物だ。
「――この言葉で僕はどんなに救われたことやら」
これが無ければ僕は今の自分ではなかったのだろうという確信が持てる。
「お義父さん、僕は貴方に認められたいし、報いたいと。そして初めてのお願いをされ、それで今は満ち足りている。幸せに思いますよ。美怜のことも嫌いではありませんし」
ふと、手を見、美怜の暖かさを思い出している自分が居ることに気付き、最後にそう添えた。取り戻したその感触は僕はとても嬉しいものだと思っている自分がいる。
「『甘えてくれ』――なぁ? 舞台裏を知ってる者からみたら、まるでプロポーズや無いか。はは、そのまま、結婚してしまってもええんやで? 今度、使わせて貰うわ」
茶化すように唯莉さんが笑う。
「それは僕が悪かったと思います。唯莉さんに言われていた甘え癖を直すどころか増長させる羽目になってしまったのですから」
「別にええよ、その点は問題あらへん。責任取ってくれれば。血の繋がりなんてホンマはないんやから。それにあれのおとうも反対なんてしないとおもうで」
そして彼女は視線を隣へ。
「胸もでかいし、器量もええ。引っ込み思案の対人恐怖症やったけど、根は素直なええ子や。地頭は驚くほどええ。料理も家事も何でも出来る――のは私がでけへんやったからやけどな、お買い得やで?」
セールスマンさながらのマシンガントーク。そんな唯莉さんの面白そうな顔を見て、お義父さんと僕を弄って遊んでいるのは明白だ。
「ご冗談を。確かに好意は有りますが、家族という設定の中ですよ。それを言ったのもきっとお義父さんへの義理が果たせないと思った自分の脅迫概念が言わせたことです。倒れかけたのは確実にそうですし」
「それだけか?」
唯莉さんが興味深そうに聞いてくる。再び考えてみるが、
「――それだけですよ」
なのだと思う。自分でも良く判らない。
ふと思い出すのは、美怜が倒れそうになった僕を抱きしめてくれたことと、繋いでくれる手を取り戻し一緒に寝たことだ。それらはその後のことで直接関係が無いのに。
「まぁ、自分のことが一番判らないのが自分やさかい、よう考えてみぃや? 後、楽しそうやし、ぇえ傾向やね? うん、この突拍子もない計画を立てたウチとしては大満足や」
唯莉さんは面白そうに笑む。会話という言葉のやり取りでは手玉に取られることが多い。
「望」
お義父さんが僕の名前を呼ぶ。珍しいことだ。
僕の喉が鳴った。プライバシーで他人を呼ぶ時、僕を含み、彼が使うのは代名詞だ。僕の場合は、お前、などが多く、何か重要な言う前置きなのだろうということが判る。例えば、もう帰って来いとか――そう想像できた瞬間、何故か心が重たくなった。
「美怜を頼んだ」
「私からも頼むわ、なんだかんだ言って面倒見てきたさかいな」
そう言って二人を頭を下げてきた。僕にとってそれは予想外だった。
二人、特にお父さんが僕にまた頼みごとをしてくるなんて……
「唯莉さんこそ、お義父さんをお願いします。そろそろ戻らないと美怜が心配する時間ですので、それでは」
だからそう言い、席を外す事しか出来なかった。
頬がにやけているのに、エレベーターの窓に映った自分を見てようやく気付いた。
○唯莉○
「家族に甘えたいってのは別にええんやで、望。それをしたいってのはあんたもそうなのはわかっとるんや。甘えたり、甘えさせたりでええねん。家族がどういうものか求めてみたらええんや」
彼の後ろ姿が消えるのを確認し、そう呟いてやる。
「嬉しそう、そう思えましたやろ? このプランは家族を求めていた彼のためでもあるんや。良かった、良かった」
そしてそう隣に話題を飛ばす。
「有難う、僕が不甲斐ないばかりに――ところでどうだい、僕の自慢の息子は」
その反面、驚いている私がいる。彼が他人を自分の誇りみたいに言うことも、自分の非を述べることも珍しいことだからだ。
「くやしいですわ。私はどうしても妹の娘とみとって、美怜ちゃんを更正させることはでけへんかったやろしな」
負けた気がして悔しい。しかし、同時に私は望にある懸念を抱いていた。
「ただ、彼もムリをしてますな」
トラウマの件もあるが、それ以外にももう一つ。
「あんさんに認められたい、そこで無理をしておりますわ。代理品、彼は自分をこう称したことがありますんや――ほんま賢い子や。まぁ、美怜のことはそのこととは関係なく、好ましいというのが本音でしょうし、問題は感じまへんけどね?」
そして余ったコーヒーに砂糖を追加し、一気に煽る。口の中に甘さが広がり、脳にいきわたるのを感じる。仕事でパソコンと文章に向かう時と同じ感じだ。それでも口寂しいので氷砂糖を取り出し、咥える。
「――僕こそ、親、失格だよ。美怜に会うと発作を起こし倒れてしまう。家族が欲しいと願う娘に会えない。そしてそんな情けないトラウマ持ちの僕が優しい言葉を美怜や望に掛けていいものかと。代理品、確かにそのために望を引き取った後ろめたさもある。家族が欲しいと思っていた望のことを家族としてどう扱うのか判らない。だからこそ、二人に家族を与え合えるように計画を頼んだわけだが……」
沈む隣に大きく、息をついて馬鹿にしておく。
「美怜ちゃんのことは段々大丈夫になってきましたんや。昔は美怜ちゃんの変装でも駄目やったのに。もう少しやから、そんなに気を落とさんほうがええで?」
一つは美怜に唯莉さんの姉、ゆり姉を思い出してしまうことによる発作のこと。唯莉さんがゆり姉そっくしに変身しても大丈夫なのだが、美怜ちゃんにどんな格好させても駄目だったので難儀したことがある。
「望のことも今はちゃいますやろ? なら、認めてやればええんやないですか? 始業式の話を見たとき、えらい嬉しそうやったやないですか」
もう一つは彼の望に対する態度。幾度となく望と話をしているが、道化で本心を見え難くしているが、本当のところは素直タイプだ。隣にいる彼も黙りを決め込むことで本心を見え難くしてくるが、本当のところは素直タイプなので親子やなと思う。そもそもに望の道化は昔の彼、ゆり姉が逝く前までの彼にそっくりなわけだが。
「言わなければ伝わらないこともありますわ。今度、会った時、きっちり自分の息子やと言ってやればええんやで。いざとなったらホンマに結婚させてしまえばええわ。そうすれば問題もなく、ほんまにあんさんの息子やね」
「面白い冗談だ」
「私かて双子の姉と結婚した人を義兄と呼ぶのはそうなんですから」
彼はそれを聞き、悩み――タバコを取り出し、一息つく。そして心底、面白そうに笑む。
「なら、僕も覚悟を決めよう。息子が一ヶ月でやってくれたんだ。ならいい加減、親らしいことを見せねばね? 唯莉、あの計画をすすめてくれ」
「はいはい、ええよええよ。名前を呼んでくれたしね? お兄ちゃん」
「やめたまえその呼び方は、高校の頃を思い出す――お互いにそんな歳ではないだろ? それに悠莉に聞かれたら、怒られてしまうからね」
「ゆり姉、嫉妬深かったしなぁ、それは怖いわ」
久しぶりに見る彼の笑顔が嬉しく思えた。
――ゆり姉、ようやく彼は進めそうや。
○美怜○
月曜、朝の教室。望はまだ来ていない。
「おはようございます!」
皆が驚いてこちらを見た。少しビクッと私自身も驚く。
望は私の怖いと思う気持ちを取り除いてくれる。だから、私は負けないと意思を確かにする。これは怖いじゃなくて、慣れてないだけ、そう自分に言い聞かせる。
「おはよう」「おは」「おはよう!」
と、男子生徒達は声を返してくれる。女子は怪訝な顔をしてくるだけだ。面白い。
話しかけようかと思う。でも、何を話していいのか判らない。まぁ、ムリすることでもないのかな、っと自分の机に。
机の中に落書きの紙がまたあった。
『いえてぃー』『ぶらこん』『ウサギは寂しくておにいちゃんが居ないと死んじゃうの』
改めてみると、その通りで悪口にもならないようなことだ。というか、自分をそう見ることが出来て楽しい。だからあえてそのままにしておくことにする。
「ごきげんよう、美怜さん」
「おはよう、鳳凰寺さん」
いつも通り、声を掛けてくれる鳳凰寺さんに笑顔一杯で挨拶する。そんな私を見て彼女は少し驚いた様子で眼を見開くが、すぐ落ち着いてこちらに笑みを向けてくれる。
「何か楽しいことでも?」
「うん、あったよ。一つは痛い目にもあったけど、初めて街を見て周ったんだよ――西舞鶴駅周りですら私は知らないことが多くて、たくさん、たくさん、面白かったんだよ。こんなにも私は世界から逃げてたんだな、って」
土曜日、結局、あの後、ずっと外に出ていた。人の視線を浴びても大丈夫になろうとしたために反動が出た。世界が変わったとも言える。道路も端を歩かず、堂々と日のあたる場所を歩いた。
その結果が紫外線。浮かれすぎて、アルビノの弱点を忘れていた。将に毛皮を剥がれた因幡の白兎。幸い水脹れにはならなかったが、日に焼けた部分がこんがりピンク色に仕上がってしまった。触られると非常に痛かったので望と一緒に寝るのも断念せざる負えないほどだった。日曜日も痛みが残っており、大事をとって外には出なかった。
今でも若干痛いそれは自分がアルビノを受け入れていく上で注意しなければいけないと思う反面、自分自身のこともよく理解してないことが判った。
「もう一つは望がね、昨日、料理を作ってくれたの。凄いんだよ? 麻婆豆腐の元を使わずに調味料の組み合わせですんごく美味しいの作ってくれたんだよ。あと、お土産で真っ白な紙の日傘も買ってきてくれたんだよ、えへへ」
駅に迎えに行った彼の手には大量の中華系の調味料があった。豆腐もねぎもわざわざ買って来たらしい。次の日、それで作ってくれたのは麻婆豆腐。辛かったけど、初めての彼の料理は凄く温かいもので、涙が出てきた。それが凄く嬉しかった。
紙の傘も、あえて私のアルビノと一緒にしてくれたらしい。柄の部分がウォールナットで出来ている以外は無地の紙布。目立つ装飾すら無い素直な一品だ。私が一目惚れで買ってきた白のワンピースと合わせたら、望が驚きながら満足してくれたのが嬉しかった。
「――お兄様からの束縛は如何なさったんですか? メールの文章を鑑みるに相当追い詰められていたように存じましたが?」
「望を信じ切れてなかった自分の責任が大きくて、恥ずかしくなるよ。基本的に悪いことは出来ないんだよ、望は――今はもっとして欲しいかな、と思うよ?」
絶句という表情をこちらに向けてくる鳳凰寺さん。何か悪いことを言ったかな? と思い考えると、
「あ、鳳凰寺さん、土日にもメールとURLを有難うございます。でも私はもう相談はいらないかな? 望から自由に成りたい訳じゃないと、私の中で整理がついたから――返答しなかったの怒ってるんだよね?」
ペコリと頭を下げる。お礼をしてない私が悪い。
「――ぇ、ぇえ、いえお気になさらなくても結構ですわ。今日は美怜さんの滑舌が良く、恥ずかしがっている様子も無く驚いただけですわ」
「私はもう怖がらないって決めたんだよ。怖いと思って素直になれない自分は変えるって決めたんだよ。――望がそうしてくれたんだよ」
この前までの自分が今の私を見たら、戸惑うだろうなと思うと笑みが浮かぶ。
「そう言えば、鳳凰寺さん、望のこと好きなの?」
間の抜けた顔を見せてくれる鳳凰寺さん。違うのか、それとも自覚症状がないのかな?
「考えてみれば、鳳凰寺さんとの話は望に関連した話をしていた気がしたからだよ? ラブレターも送ってたみたいだし、私の相談も望に関してだし、その前からも望に関してばっかり。そんなに気になるのかなって」
望に興味があるのなら、私に話し掛けるのが簡単だと思われたのだろうか。将を射んとすれば、先ず兎を得よ――なんか違う気がする。
または、私と望の仲を考えさせるようなことを言ったのは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。彼女の家族観念は嘘ではないだろうことから判る。
「ぇっと、あ、すいません。席を外しますね?」
そう言い、教室の外に出て行く鳳凰寺さんはまるで餌を与えたウサギに手を噛まれた様な表情だった。
「うわ、ひでぇ――大丈夫か、平沼ちゃん?」
入れ替わりに霞さんが教室に入ってくる。小牧さんとは一緒ではない。朝の訓練が速く終わったようだ。酷いことと言われ何のことだろうと思い、霞さんの視線を追うと机の上、置かれていた紙だった。
「酷いことって何? 私は家族が好きだし、他二つは可愛いよ?」
「あー確かに、ウサギもイエティも可愛いな?」
「うん、こんな感じかな?」
スラスラスラっとイラストをその紙に描く。赤い目の白いウサギと毛むくじゃらの怪物を可愛らしく漫画調に。そういえば絵を自分から描き、誰かに見せたいと思うのは幼稚園のコンクール以来だ。家でも、暇つぶしでしか無かった。
「ぉ、イラスト旨いじゃん」
そう褒めてくれるので素直に笑む。素直に言葉を受け止めると嬉しい感情しか浮かばなかった。昔の自分だったら恥ずかしいとか怖いと思ったのだろう。しかし、今にしてみれば何故なんだろうと疑問すら覚える。
「平沼さん、おは……水戸、そんな文字で絵を描かせるなんて、さすがに見損なったわ」
霞さんの首襟を掴みつつ、引きずっていこうとする小牧さん。
「違う違う、文字を気に入ってイラストにしたんだよ、平沼ちゃんが」
「小牧さんもこれ見て? どう」
「上手だわ、そんな才能があるなんて知らなかった」
「うん、上手だね、僕もびっくりした」
小牧さんの後ろから良く知った声がした。
「望、ほら見て。ブラコンだって、――その通りだよね?」
「あぁ、その通りだな。素晴らしいことだ」
満足そうに望は顔を大きく縦に振る。
「ちょっといい? もしかして一線越えた?」
「一線?」
小牧さんの言葉の意味が私には判らない。どういう意味だろうか?
「ああああ、ぇっと仲良い事を確認すること、例えば一緒に寝るとか」
「うん、したよ? 私は望が家族だということをよく理解したし、だからこそ頼れる大好きな家族だって、そう思えたよ。ほら寂しいときに手をつないでくれたりとか、一緒に寝ると怖くなくなって――昨日もね、春なのに寒かったでしょ? 私が震えたら気付いて私を抱きしめてくれて」
「あ、うん、ご馳走様」
「小牧君、君が思っているようなことはないのだがね? さて、水戸、今日は頼みがある」
と言いつつ、取り出してくるのは一枚の紙。見た感じ二択問題数問が書かれている。
「女子に気取られずに、クラスの男子だけに配って回収して欲しい。全男子高校生の人気ナンバーワンのアンケートを取ってきたみたいに。期限は今日の昼。報酬は今まで取り立ててきた食券の九割だ。それと後でそれを何に使うか説明してやろう」
「あー、その紙の意図は判らないが、もしかして鳳凰寺をやるきか?」
「察しがよくてよろしい。大丈夫、失敗することはないし、もしあったとしても君たちには迷惑をかけない。約束する」
そう言いながら紙の束を霞さんに手渡す望。霞さんは仕方ないなと口では言うものの、楽しそうに前渡の報酬とそれを受け取るので共犯は確定だ。
望の笑顔を見るにロクでもないことなのは予想できる。
「なにその人気投票って?」
でも、それは聞かない。後で教えてくれるだろうし、言わないということならばそれだけの理由があるのだろう。
「君が一位を取ってしまった女性生徒を対象とした高一男子の人気投票さ! 鳳凰寺君を大幅な差で下してね! 昨日集計が終わったらしくてね? 素晴らしいね」
一位という事実ではなく、望が褒めてくれるのを素直に嬉しく思う。
「……九条さん、やっぱり、この子、中身、偽者なんじゃないの? 何時もだったら目立ちたくないのにって言うのに」
小牧さんも私を恐ろしいものを見るような眼で見る。そんなにも変なのだろうか?
「私は私だよ? 言うならば今までのが偽者、仮の姿。小牧さんの言葉を借りれば、ダークラビット★美怜かな? 黒いカツラに黒い瞳だったし」
ふと視線を感じた。いつの間にか自分の席に座っている鳳凰寺さんだ。
それはこちらをおかしな物を見る眼だが、周りの人と同じ種類のモノだ。私が素直になったのにやっぱり驚いたのだろうか?
○望○
美怜は小牧さんと水戸と外で弁当を食べるように頼んでおいた。これからのショーは良い子に見せるものではない。
「ちょっといいかな?」
問題の鳳凰寺君はいつもの通りの学食に行ったのを確認し、僕は女子のグループが出来ている所に入っていく。鳳凰寺君の取り巻き連中とも中堅女子の塊とも言える。
中心の席から外れている染谷君は浮かない顔をし、こちらを見てきた。必死にグループから剥がされまいとしているのが安易に判る。朝、美怜の机に落書きを残したのも彼女だろう。嫌な事を押し付けるにはいいポジションだ。
「歓迎歓迎、委員長なら大歓迎、って珍しいね、妹ちゃんと一緒じゃないの? いつもあんだけ妹ちゃんのことで騒いでるのに」
そう言ってくれるのは染谷君に代わって中堅グループの中心となった女生徒。確か名前は……まぁ、どうでもいい。彼女は中心に座り、楽しそうに会話していた。
僕をないがしろにしないのは、面倒ごとを回避するためか、それとも僕を取り込む目的があるのか、とりあえず打算的なのだろう。
「まぁ、いいじゃないか、今日の昼は多くの女子たちと話をしたくてね。美怜がいたら嫉妬してしまうからね?」
「ブラコンって、わらっちゃうわね」「そうねー」「あははー」
美怜へと悪意を向けられ、コールタールのようにどす黒い感情が沸く。衝動的に言葉で捻じ伏せなかったのは、事前に僕自身が落ち着いていたことが大きい。
「そんなことより、虐めってどう思う?」
「何? 私たちは妹ちゃんを虐めてなんか」
「あれ、なんで今、美怜の代名詞が出たのかな?」
言葉の途中で言い返してやる。これぐらいは許されるだろう。
「きのせいよきのせい、ね?」「うんうん」「だよねー」
「そうだね、気のせいだよね? 例えば、虐めに対する意識調査を二択アンケートで取りたくてね。委員長のお役所仕事って奴だ。男子の方は取れているんだけど、見てみるかい?」
「へー、大変だねー」「さすが、委員長」「委員長ってめんどくさいねー」
そう言って彼女達は面白そうに男子十五人が答えたアンケートを見る。
それは『高校生にもなって虐めを行っている奴はかっこ悪いと思います』というのが男子全員の回答だった。全部がそういう結論で完全に一致していた。
「うん、この通り、男子は皆、善良だね? 虐めなんて高校生にもなってやることじゃないって皆、判っている」
そう言いながら、一人一人、女子を見ていく。
「染谷君」
僕に呼ばれてビクッと反応する染谷君。
「例えばの話だ。誰かが君に自分の立場を奪うと脅して、君に一人の無辜な少女に対して虐めをやらせたら、君に罪はあると思うかい? その誰かが周りの女子からもそういう圧力を掛ける様に働きかけて無理やりね?」
返事は当然ない。その通りのことをしたから否定すると僕が怖いし、事実だと言えばまた周りにはぶかれると考えているからだ。
「僕は仕方ないと思う――それは脅迫であり、そうしなければ自分が虐められる可能性があると保身に走るのは罪だとは思わない」
こんな小さいクラスでの地位に拘るからそうなるわけだが、という言葉を飲み込む。
相手の視点に立つと見せ掛け、物事を言う。これは思考の錯覚を起こさせることが狙いだ。すなわち、相手の思考に同調しやすくさせることで、僕の言った言葉を対象者自身の思考だと錯覚させる効果がある。催眠の一つだ。
「失敗したからと言って、結局、その誰かに見せしめにされて地位を無くしても、それを悔やむことはないと思うよ。成功していたらそれは悪だからね?」
彼女の罪を許し、希薄にする方向へと持っていく。罪悪感を許す――譲歩することで、次の言う言葉に同意しやすくなるようにするためだ。そして同時に彼女を悪だとしないことで、正義を彼女が行ったと錯覚させる。
「同時に染谷君に圧力を掛けた皆も悪くない。そもそもに本当に罪があるのは、そう脅した奴だ。皆に働きかけて、悪をやらせようとしたのだからね?」
そして染谷さんから視線を外し、責任転嫁による粛罪を許せと、そう周りの女子の皆へと問いかける。お前らに罪は無い、と譲歩し、そして同時にお前らの罪も責任転嫁しろと、誘導する。すなわちその犯人である鳳凰寺君に矛先を向けさせる。
「そう思わないかね?」
そして、リーダー格の女子を目を見て同意を促す。頭を抑えれば、他の人からも空気を呼んで同意しなければいけない空気が生まれる。
「うん、そうだね」
すると周りの女子も『うんうん、そうだね』と同じように同意を始める。皆に心当たりがあるのは当然だ。僕は何気の無い会話の中で鳳凰寺君が犯人を知っているし、本人からも宣戦布告をされている。何かしらの手段で鳳凰寺君から周りの女性とは美怜に敵意を向けさせるように誘導した筈だ。
「皆、善良でよろしい。例えば、その首謀者が一人だったら、その人の唆しを皆で聞かなければ問題ないよね?」
相手が正しいことをしたと肯定しニコリと微笑みかける。警戒を解きにかかり、そして解決策を提示することで君たちの味方だという印象を植え付けるためだ。
「その人がどんなにお金持ちだろうが、才能を持っていようが、学校生活のヒエラルキーは皆との関わりで出来ている。ならば皆でその人の悪いことの指示は聞かなければどうなる? その悪い指示は支持を失って強制力がなくなる」
「その人の指示を聞かなくてもいい――誰も彼もが無視することによって要するに相手が誰であろうと、悪いことをするカースト上位の人物を否定できるってこと?」
暗に鳳凰寺君を否定できると言ってくる。周りの女子もそれに気付いた素振りを見せる。
嫉妬心は怖いものだ。美怜を虐めることに皆が賛同した理由として鳳凰寺君も恐らく使ったはずだ。更にいえば先週の金曜日までのオドオドとした態度が扱いやすい、おもちゃにしやすいと思ったからだろう。
男子の話題も鳳凰寺君に向くものは多い。それでも彼女が虐めの対象にならないのは、彼女のバックグラウンドなわけだが、要するに美怜の言葉を借りると強さだ。
僕は今、そんな強さを叩き潰す必勝法――集団による無視を提示した。
今まで女王様が上に居て抑圧されてきた彼女達にとってそれは甘い蜜だ。しかも、相手はお嬢様で多才で美人だ。中学時代も生徒会活動をしていたり、他人を排除したりしていた。この中の数人は積もり積もった嫉妬や畏怖は相当なモノがあるのを事前に調べてある。
「君達は虐めと言うカッコ悪いことをしなくて済むんだ」
質問には答えず。しかし、悪に対する正義を押し付け、大義名分での後押しをしてやる。正義だとし、彼女達から罪の意識を消し去る。
「ははは、面白いね、委員長。そんな例え話がもし起きたら怖いよね?」
中心格の女性に保身に走ったと思われたらしい。お前や美怜もその必勝法に掛けてやると視線を向けられ、脅してくる。馬鹿め。噛み付く相手が違う。
「僕ならそれすらも打開出来るさ。実際、女子の何人かは僕と会話をしたくない様子でも、会話を聞かせてきたからね? 委員長の義務さ。おっと、携帯を落としてしまった。美怜との大事なデーターが入っている物でね? パソコンやネットストレージにもいれてあるのだが、携帯はいつも見れて便利だしね?」
ここにいる女子全員に戦慄が走ったのが判る。特に染谷君は真っ青になる。
中身を知らないと言うのが大きい。人間不安になると知らないものには予想を最悪な方向へと向ける。ノストラダムスの大予言などがいい例だ。何も写真のデーターが入っていないブラフの携帯。それが虐めの実行犯でなくても、何を取られているか判ったものではない。そう恐怖を与える。
「盗撮などはしてないから安心したまえ、美怜との思い出を残しているだけだからね、ハハハ。インターネットの呟きも皆の美怜への賛辞はちゃんと魚拓をとっている程で全く重度のシスコンだね、僕は」
「あはは、なにそれおもしろーい」「委員長、流石に引くよ~」
皆が僕の笑みに愛想笑いを向けてきた。眼が笑っておらず、こちらへの警戒度ゲージが心中でぐんぐん上がるのが判る。そんなもの上げた所で僕に逆らうことは出来ない。
まぁ、そんな僕に構っている暇はないだろう。扱き下ろすには簡単でしかもカタルシスを解放出来る人物が先ほど提示されている。来週明けの鳳凰寺君が楽しみである。
「ま、本題に戻すとだね? 簡単なアンケートを取りたい訳だ、いいかね? 別にすぐ見るし、二択の数問だし、名前も書くし、皆、悪いことが出来ない善良な生徒なのは判ってる、隠さなくていいよね?」
そう言い、僕は笑顔で紙を配った。
見る人が見れば、その光景は悪魔の契約に署名する哀れな生贄に見えた筈だ。
○美怜○
「――昼休み、戻ってきたら、教室でサバトが行われていた件に関して聞いていい?」
女子が神妙な面持ちをしながら、望に渡された紙に○印を書いていた光景はどうみても異様だった。例えれば、某RPGで悪魔召還を行う際の儀式場の雰囲気だった。
コタツの対面に座っている望は私が作った生春巻きを飲み込むと楽しそうに、
「洗脳してたのさ」
「……私はもう大丈夫だよ?」
思いついたのは虐めの件。でも、もう怖がる必要も無い。
「これは君は直接的には関係あることだね? 鳳凰寺君にやられたことをやり返すだけさ。彼女を最下層まで叩きつけるための仕込みをしたのさ」
「――鳳凰寺さん?」
言われて、何故、その名前が浮かんだのだろうかと疑問に思う。
「望に私が束縛されているのではないかと、そうメールでよく心配してくれたけど――何か彼女がしたの?」
「……そうかメールか、完全に失念していた。美怜からの相談を受けるという形でアドレスを渡せば、信頼も得て、メールのやり取りまでいける。美怜がメールを友達と交換するという可能性を最初に投げ捨てたのがミスか!」
「それは当然だと思うよ? 私もメールアドレス、そもそもに唯莉さんと望と小牧さんのしか知らなかったし。知る必要も無いと思ってたから。今もそれに鳳凰寺さんのが追加されてるだけで、あまり変わらないよ?」
「個人のプライバシーだと、美怜のメールを怠った僕のミスか? いや、それとも朝の登校からベッタリ張り付いているべきだったのか? いや、家族でもそれはいけない。ともかく自分のミスだね? 上手を行かれたね……」
望の手元で何かが折れる音がした。
「――望、箸」
見れば、力こぶしが握られており、使えなくなった箸が握られていた。
「あぁ、すまない。どうも駄目だね、僕は」
「駄目なんかじゃないよ。望の言うとおり、素直な感情の発露は正しいことだよ」
望が眼を見開き、新しい箸を渡すこちらを見てくる。
「驚いた。あぁ、驚いたとも。君のその理解の速さ、いや知識を自分の知恵にする行動にまだ二日しか経ってない」
「もう二日だよ? 望との喧嘩で、私の何かが変わった。吹っ切れたともいうのかな?」
後、もう一つ言っておく事がある。今の会話で気づいたことだ。
「私に行われた虐め、その裏で糸を引いていたのは鳳凰寺さんってことかな? そして望は意図的に鳳凰寺さんを挑発して虐めを誘発させた。焚き付けたってこれだよね?」
論拠は望が鳳凰寺さんを計画のうちに組み込んでいたことだ。
驚きの顔で見てきたので、やっぱりと思う。望は突然の事態において感情の動き、特に驚きを隠すのが下手すぎる。正直とも言う。
「でも、鳳凰寺さんのことを怨むような真似も駄目だよ。反省するようなら許してあげなきゃ。そうでなきゃ、焚き付けた望も許せないし」
「いや、君を初めて恐ろしいと思った。恨むどころかそれを飲み込むとはね」
「そうかね? でも、ありがとう。私のことを思ってやってくれたんだろうし」
正直、嬉しい。歪んでいるという自覚はあるが、望が何かしらの理由で私のことを思ってやってくれたことだ、嬉しくない訳が無い。
「では改めて、今日のサバトを説明して?」
「これのことだね?」
望は一枚の紙をズボンのポケットから出してくる。霞さんに頼んでいたアンケートだ。。単純な二択問題が数十問、そして名前と日にちを書く欄。一見、何の変哲も無いものだ。
「――簡単に説明するためにトランプを使おう」
彼は何処からかトランプを出すと私の横に座ってくる。そして裏側をしたトランプを適当にばらまいた。
「君は適当に指でトランプの郡を貫通するように線を引いてくれ、その線に沿って片側をゲームから取り除く。君がどんな線を引いても最後にハートの一を残す」
真ん中に切る。すると左のカードの郡が取り除かれる。更にその真ん中を切る。するとまた左のカードが残される。五十二枚、二十六枚、十三枚、六枚、三枚と減っていく。最後の線を引くと二枚が取り除かれ、一枚が残った。
「裏返してごらん?」
それはハートのエースだった。
「今度は私がやるね?」
望がこちらを面白そうにこちらを笑む。侮ってられているのかもしれない。
五十二、五十、四十八、十五、七、そして六枚を取り除いて最後の一枚になる。
それはもちろんハートのエースだ。
「――良く判ったね? 偶然と言うわけではないんだろう?」
望が興味深そうな眼差しを向けてきた。だから、私は表にしたカードを適当に置く。
「これ卑怯だよ。カードを捨てる選択権がハートのエースを残す側にあるんだもん。線を引くのが私でも、その二択のどっちを捨てるかは望が決めれる。最初にハートのエースの場所を何かしらの方法で知っていたらハートのエースを含めない方を取り除く。だよね?」
話しながら適当に線を引き、ハートのエースをある側を残し、無い方を取り除いていく。当然、最後に残るのはハートのエースだ。それを望に手渡す。
「霞さんを使って男子全員に配って貰ったアンケートはそれの応用だと言いたいんだよね? 二択と言いながらも明らかに片方は選ばれない選択肢を書いている。先に他のカードを捨てているんだよ。ハートのエースを先に決めておいて、それを選ぶように誘導してるんだよ。問題を二個にしたのも、取っ付き易くするためかな?」
望はハートのエースを床に置いた後に、取り除いておいた他のトランプを全て紙箱のケースにしまいこむ。その仕舞われたトランプの代わりに胸ポケットに刺しておいたボールペンをハートのエースの横に置く。
「二択でも何でも、自分を良く見せたくて偽善を書く傾向に大抵の人はある。名前を書くのだからなおさらね? だから、虐めは許さない、虐めを許すの選択肢では許さないの方に○をせざる得ない。高校生で虐めはかっこ悪い、かっこイイ、という選択肢でもそうだ。本人がどう思ってようが他人に見られるもので名前を書く欄があり特定される。他人が見る記名アンケートに誰だって悪ということに○をするのは善良な学生ならいやだからね? だから、かっこ悪いに○をせざる得ない。このように二択にすればたいていの意見は固定される。そしてこの紙に書かれた数問の問題から『高校生にもなって虐めを行っている奴はかっこ悪いと思います』という結論が浮かび上がった紙が十五枚出来上がる」
そしてハートのエースだけを持つ。するとその裏側から同じカードが十四枚出てくる。望が手品も嗜んでいるのは初めて知った。
「どっかの世論調査もこんな感じだよ? 選択肢を見せない、限定する、選ばれない選択肢を書く。――酷い民主主義だね? そんなわけでクラスの半分こと、男子の見せ掛けの世論は僕の描いた通りになる」
十五枚のハートのエースを置き、ボールペンを囲う。
「さて女子だが、男子の十五名分の回答を先に見せ、僕が配る前に言葉での意見の誘導もした。女子は周りとの関係性を重視する傾向にある。男子十五名がこういう意見だと言うこと認識したら、それと同じ意見にしないといけないと普通の女子は思う。なおかつ自分が署名すると十六名だ。周りが同じ解答をするのも見せている。すると虐めをしている奴が悪という世論を作り出せるという寸法だ。マスコミが大勢に支持されているイメージがあるからマスコミの言ってることが正しいと思い込むのと一緒だね? ちなみにこのアンケート、鳳凰寺君を含む学食派の女子には取っていない。しかし、女子十五名の中であの場に居なかったのは美怜、小牧君、鳳凰寺君を含めても七名だけだ。クラス女子の五割以上が『高校生にもなって虐めを行っている奴はかっこ悪いと思います』と刷り込まれれば、それはもうクラスの女子の世論だ」
瞬きをした瞬間、ボールペンがハートのエースのカードに摩り替わっていた。
「酷い世論操作を見た気がするよ」
「紙に書かせたのは自意識への刷り込みを狙ったモノ、暗記を行う時に書くのが良いという話と乱暴に言ってしまえば一緒だね。署名は書いた人物の特定用という狙いもある。もし未来で虐めを行ったら『高校生にもなって虐めを行っている奴はかっこ悪いと思います』という意見はどこへ行ったのか責め立てる事が出来る」
望が作ったアンケートを再び見る。すると今の説明を全部聞いてからだと急に禍々しさを感じる。それこそ悪魔の契約書、そのものにも見える。なるほど、確かにサバトだ。召還された悪魔は望。悪魔召還を題材にしたゲームと小牧さんから聞いた知識を元にして言えばダンタリアン辺りに被る。
「これぐらいはしないとね? よっと、もぐもぐ」
悪魔は楽しそうな表情をしながら、最後の生春巻きを箸で奪い丸呑みした。
「あ、私の分!」
「早い者勝ちさ。――代わりに後でアイスでも買いに行こうか? 日も沈んでるし、紫外線避けのクリームもいらないだろう。奢るさ」
これも望が私と散歩をしたいがための誘導なのだろうかと、ふとそんな考えが浮かんだ。
だからうんと高いアイスを奢らせることに決めた。具体的には駅近くの商店街に新しく出来たというジェラート屋の二色盛りジャンボサイズ七百円。
食べきれないのは判っている。残りは望に食べさせればいい。
悪魔に言う事を聞かせられる対価は高い方がいいに決まっている。
○望○
そんなことがあって、一週間。週が明けての月曜日。
「どうだい、調子は」
僕は最後の一時間、LHR前の短い休みに鳳凰寺君への座る席の前で止まり、そう声を掛けた。金色に輝いていた美しいライオンは、その見る影もなく、老いて群れを追われたようだった。髪は手入れが行き届いておらず、化粧も少し濃い。カリスマを感じたオーラすらない。水戸曰く変わらないのは胸のパッドだけだ。
ここ一週間、女子生徒は勿論、魅力をなくした彼女には男子生徒ですら彼女に話しかけなくなった。過去の虐めをそれとなく噂にし、世論の敵に仕立て上げたのも大きい。インターネット上でも彼女を話題にすらしない。彼女から話しかけられても無視を決め込む。
話を聞くのは美怜だけだ。そんな様子を見た周りの生徒は美怜に対し、同情という反応をしている。虐めを行ってきた主導者でも、委員長だから対応しなくちゃいけないということが美怜には辛い事だと、彼女達は本人でもないのに決め付けて同情しているのだ。
滑稽な事だ。今の美怜は全く持って虐めの事なぞ気にしていない。
さておき、鳳凰寺君の周りからは誰も居なくなり、担ぎ上げる男子も居なくなった。今まで誰からも相手にされない状況に追い込まれたことの無い鳳凰寺君にとって耐え難い一週間だったと安易に想像できる。
僕のほうを見てきている時間も増えていた気がする。まぁ、彼女も僕が原因だということを薄々感じているだろうし、他にすることも無いだろうから仕方ないことだと思う。所詮、人間は視線だけで相手を殺すことは出来ないので、余り気にも留めなかった。
「最近元気ないね? どうだい最下層は?」
ゲジ眉も元気が無く、下がりっぱなしだ。ゲジゲジではなく、ショボショボ眉になっている。そんな彼女は久しぶりに美怜以外と会話するからか、少しだけ嬉しそうな声色だ。
こんな状態の彼女だからだろう。気持ち悪さが湧かず、普通に喋れる。
「言った通りだろ? 君には耐えれないと」
「……やっぱり貴方が犯人ですの?」
「間接的にはね」
正直に言ってやる。別に隠すことでもない。
「元々、君には虐められる地盤があった。その美貌と権力、カリスマは嫉妬を煽るには十分だ。僕は嫉妬を煽った後に、君の悪意ある提言を皆で無視すれば君の強制力を無視出来るだろうとだけ助言した。そしたらどうだい、嬉々として皆で無視し、君を最下層に叩き落した。虐めで気に食わない生徒を追い出した過去、そしてこのクラスでも美怜を貶めようとした馬鹿な行いも僕にはこの状況を作るには都合が良かった。虐めが悪だという空気を作れば、主導権を握っていた君は悪の親玉さ。君に対する無視を正義の力だと勘違いし、受け入れる。目に見える被害が無いだけで立派な虐めなのにね?」
鳳凰寺君はこちらを化け物のように見てくる。何度か、同じような視線を見ているが、相手の鼻を叩き潰すのは気持ちいい。
「どうする? 大人にでも頼るかい? それとも、他の策を練るかい?」
僕は鳳凰寺君を見下ろしながら言ってやる。
「それでも君は僕には勝てないけどね」
「……完敗ですわ」
こちらを見ていた鳳凰寺君から水滴がこぼれた。
「誰もがふうのことを無視する、クラスで話したのは久しぶりですわ――自分が無いものとして扱われるのがこんなにイヤなものだったなんて」
つぶやくように、誰にも聞こえないようにおそるおそる鳳凰寺君が話した。
「当たり前だ。それが物理的に被害が無いにせよ、有るにせよね? またそれは美怜も超えなければいけない壁ではあったのだがね――今の美怜を見てどう思う?」
後方の座席を向くように促す。水戸が例の如く小牧君に叩きのめされているがそちらは本命ではない。
美怜がこちらの視線に気付いたように手を振ってくる。鳳凰寺君はそれから逃げるように、視線を逸らし、こちらへと向く。
「驚きしか沸きませんわ……前までのおっかなびっくりな態度が嘘のようで」
「あれが本来の美怜だと、僕は思う。僕と美怜を仲違いさせようとしたことも理解した上で、喧嘩をする切っ掛けを有難うと言っていたよ。全く凄いね、マイ・シスターは」
「……返す言葉もありませんわ」
素直すぎる鳳凰寺君に少し違和感を感じる。しかし、前まで感じた鳳凰寺君の気持ち悪さではないため、それほど重要では無いと気にしないことにする。
「――助けて欲しいかい?」
「へ?」
美怜は彼女を恨んでおらず、それどころか感謝していた。許さないといけないとも言われた。僕を貶めようとした意図があったとしても、やられた本人がそういうのなら仕方ない。本当ならここから人生の底まで落ちてもらおうかとも考えていたが、美怜にとめられたのなら仕方ない。うん、仕方ない。
「特別だ、二度言おう。助けて欲しいかと聞いたんだ」
だから、ケジメだけをしっかりした後、反省をしているようなら、現状からの回帰を手伝うプランを立てておいた。
「――本当ですの?」
「僕に不可能は割と無い」
そう言うと、鳳凰寺君は藁をもすがる思いで、僕に頭を下げてきた。
「お願い、お願いします」
その頭をくしゃっと一回だけ撫でて、
「よし――すぐ笑えるようにしてやる」
そう安心させるように左耳元で囁いてやる。ちなみにこの行為は、左耳から話しかけることで感性に働きかけ、ボディタッチは五感に働きかけることで安心させる狙いがある。これぐらいはアフターケアサービスだ。頼まれたのならしっかりやるのが僕だ。
そして深呼吸をしながら上半身をおきあげ、大きな声で、
「へー、虐めか、かっこ悪いな!」
まるで鳳凰寺君から今聞いたみたいに皆に言ってやる。今日も声の調子がイイ。
鳳凰寺君は驚いたように、不安そうに僕を見つめてくる。まるで一昔前の美怜だ。
だから、大丈夫だと微笑んでやる。任された仕事をきっちりやる。
突然の委員長である僕の言葉に皆が注目を集める。それを受けながら教壇へと上がる。
虐め=悪と言う世論が出来ているクラス内は勿論静かになり、緊張がはしる。
「皆でよってたかって無視する、これは虐めだよね? 違うかい?」
何か言いたそうに僕へ視線を向けてくる女子数名。だけど、僕がブレザーの内ポケットから携帯をチラつかせるだけで視線を背ける。骨が無い。
「カルシウムを取りたまえ。確かに僕は女子に悪意ある指示を皆で聞かなければいいと言った。しかし、皆で悪い奴を無視しろとは言っていない。誤解したのなら仕方ないね? 僕も誤解させることを言ってしまったのが悪い――が、誰が本当は悪いんだろうね?」
犯人探しをされるのか、と静まる皆。犯人=虐め=悪という図式は安易に出来上がり、犯人に仕立て上げられれば、今度は自分の身が危ない。だから、注目を浴びないように必死に自分を殺す皆。但し、美怜と水戸は楽しそうに僕のお芝居を見ている。
無視と言ういじめは主体性がない反面、誰もが話さないだけで成立し、極論で言えばクラス内全員が犯人にされる可能性がある。皆を不安にさせるには当然の要因だ。
「ただ犯人探しは無駄だ」
突然の否定に皆が唖然とする。
「皆で仲良くやれればいいだけだと僕は思う。そう思わないかね、美怜?」
思考が動く前に犯人を作らない方法を具体的に提示してやる。そしてその悪に虐められていた美怜へその方法への同意を求めることで、皆がその方法へ同意しやすい土壌を作りだす。美怜が許すならその悪は許されたも同然だという認識を植え込む狙いがある。
「うん、そう思うよ。だから皆で元気をあげようよ」
美怜が立ち上がると、その目立つアルビノが皆の視線を集め、同意を求めるように、預言者に啓示する天使の様な無垢の笑みで皆に問うた。犯人探しをされると思っていたところに現れる答え。皆が飛びつくのは当然だった。
「……あぁ、そうだ」「そうね」「うん、無視して悪かったよ、ごめん」「私も」「いや私も」
皆が口々に鳳凰寺君に向かって謝罪し始める。
「よし、このクラスは虐めという悪を乗り越えることが出来た。そうだね、皆?」
皆が縦に首を大きく振る。
「そこでこれだ」
五月の体育祭のチラシを取り出す。
「今、この早い時期に団結できた僕たちなら他のクラスに負けることはない。それを示てやろうか、皆!」
「ぉー!」
そして、最後に新たな目的を示してやる。すると虐めに対する皆の負い目というマイナスフラストレーションが、運動と言うプラスの発散へと皆の気持ちが向かい始める。
そんな中、城崎先生が時間通りに教室へ入ってきた。
「なんや活気付いてると思ったら、九条、お前の仕業か。――体育祭の話で盛上げてたのか? 全部任せたから面倒を起こさないように早めに終わらせてさっさと帰ろうや」
と言いつつ、教室の窓側に置かれた教師用の丸椅子へと座る。相変わらずのやる気の無さで、知らぬがなんとやらだ。
「ぇえ、そうですよ。皆で精一杯がんばりますよ。――美怜、黒板頼む。手が届かないときは言ってくれ」
「うん、判ったよ」
呼ばれた美怜は嬉しそうにトテトテとこっちへと向かってきた。
美怜が虐められて、そこからの開放で依存症になりました。
ほかから見てこれは狂っていると思っても本人から見れば幸せなのではないでしょうか。