表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

二章。人間、タイミングと第一印象とポジショニングが重要。

この章では、学校生活が始まります。


二章。人間、タイミングと第一印象とポジショニングが重要。

○望○

「新入生の挨拶」

 その言葉で体育館中の注目が僕に集まってくる。後にネットでアップされるであろうビデオカメラですら例外ではない。心地よい。

「舞鶴市の海は穏やかで山間の桜は祝福のように花を咲かせる中、私たち新入生百五一名は舞鶴高等学校の門をくぐり、無事に入学式を迎えることが出来ました」

 壇上から体育館全体に響き渡る声の張りも絶好調だ。ゆっくりと自信満々の声で堂々と多くの人へと言葉を紡げる。

「本日は私たち新入生のためにこの様な素晴らしい式を用意して頂き、先輩、先生、地域の方々には感謝しても仕切れません。誠に有難うございます」

 ここで一旦、言葉を止めたことで不安な視線が自分に注がれる。計算通りだ。

「そして、ここまで見守ってくれた保護者の方々にも感謝の言葉を新入生を代表し感謝の言葉を述べさせて頂きます。本当に有難うございます」

 そしてまた言葉を切る。

感動を生むには間というのが重要だ。ただ難しい言葉を羅列すれば人が感動するかというとそうではない。人間、一度に多くの情報を言われても意味を二割程度しか理解できないものなのである。稚拙な言葉でもいい、単純な言葉でもいい――相手の理解をどう得るか、そしてその理解から感情を動かす間を与えられるかどうかが一番重要なことなのだ。

 その間に視線をゆっくりと父母の方々へ――一番聞かせたい人物はここにいないようだ。残念だ、と思うと同時にその人が倒れるリスクも無いと安心した自分がいる。次に少女――美怜を探す。時間ギリギリで飛び込んできたのか生徒側の一番後ろに居た。良く目立つ。

 姿かたちはミニサイズ。周りの有象無象の制服に埋もれてしまいそうだ。しかし、肩まで垂れる透き通るような白色の髪の毛は紺ブレザーの群に埋もれるのを許さない。それは将に有象無象の中で咲き誇る花。例えるなら、紺色の沼に咲く白百合。

 何人かの生徒達が後ろを向いて目線を彼女に向けているのも壇上からなら判りやすい。

 そんな美怜はなるべく存在を無い物にしようとしているのが判る。しかし、その行動が異質性を際立たせていることに美怜は気づいていないようだ。

 こちらの視線に気づいた美怜が助けて欲しいと透き通るルビー眼に水玉を浮かべ、視線を送ってくる。だが、こちらは壇上だ。

「――さて高校という新しいステージに入ったことで、新しいことに直面し不安を抱いてしまう人もいると思います」

 だから美怜に笑みを向けて言葉を放つ。

「例えば、新しい勉強、新しい友人、新しい部活。私などは京都府外から着ており、よく自覚しております。しかし、それら新しいこと全てに対して恐れずに挑戦し一つずつ噛み締め、自分の糧にする努力を私たちは決して忘れません」

 すると彼女は頑張って強張った笑みを向けてくれる。こちらが見ているから大丈夫だと言う意図が伝わってくれたようだ。だから安心し、周りへと視線を戻す。

「当然、若輩者の私たちは道を間違えることもあります。その際は何卒ご指導をお願いします。四月一日、新入生代表、九条・望」

 一礼する。そして拍手が沸いた。


 生徒達が一の二組に入ってくる様子を一番後ろの席で眺めている。入学式の打ち合わせ時、先生方にお願いして一番後ろの通路側にして貰った。内職が可能で、要は自習できる。授業より自分で開発したやり方と参考書をやったほうが遥かに効率がいい。

 隣の席、左側に座る少女――美怜はまだ来ていない。しかし、その情報を伝えることはしなかったのであたふたとしている美怜は想像に難くない。

「新入生徒代表ご苦労さん」

 そう軽い口調で声を掛けてくるのは前の席に座った男子。頭を丸刈りにし、運動をしている筋肉のつき方をしている。典型的なスポーツマンなのが見て取れる。

「成績優秀者はつらいな? 俺は霞・水戸。水戸でいい、よろしくな」

 手を差し出してくる。僕はその意図が掴めず、それを見つめるだけだ。

「あれ? 白髪だが外人さんじゃないのか? 友人になりたい奴との挨拶は握手が基本だと聴いたことがあるんだが。あぁ、でもそれはアメリカだけなのか?」

 彼は笑顔になった。印象的に……単純そうだが、悪い奴ではなさそうに思えた。

「握り返せばいいのか。ちなみに髪の毛は地毛だ」

 恐る恐る水戸の手は握るとゴツゴツとした男らしい感触だった。

「やっほー、水戸。やっぱり隣だったね?」

 水戸の左側に座った少女はメガネを掛けており、手に持った本が文系的な印象を与えてくる。黒髪を三つ編みにしてるのもそのイメージを助長している。ただ、体捌きが普通の女子高生じゃないのに違和感がある。格闘技をやっているのか芯のある動きだ。

「なんでお前は席のことまで当てるんだよ。あぁ、こいつはミナモ。何というか腐れ縁だ」

「私は小牧・ミナモ。この水戸と小学五年の頃からの仲、よろしく」

「こちらこそよろしく……ん?」

 唯莉さんに言われていた名前や美怜のメールに小牧という名前があったことを思い出す。確か美怜の唯一の友達だった筈である。

「九条だっけ?」

「望でいい、僕も水戸と呼ばせて貰う」

「おーけーおーけー。望! 早速なんだが、勉強を教えてくれ、俺は野球馬鹿なんだ!」

 直球。表裏が無い剛速球ストレートでコミュニケーションを投げつけてきた。そして机上土下座まで付けてくれる。

「ここまで直球ストロングなのは始めて見たぞ? プライドはないのかね?」

 僕の能力頼みをする奴は今まで何人も何十人もいた。しかし、ここまで自分に素直にプライドを投げ捨てる人物は居なかった。いっそ清清しさすら覚える。

「プライドと野球だけで良い大学の推薦が取れるかっての……」

「水戸! 図々しいわよ!」

 幼馴染の態度に自分が恥じているかのように頬を赤らめる小牧君。

「この時点で僕に教えを請うとは非常に正しい。ふむ……」

「いや、九条さんも真に受けなくていいからね?」

 対価に何を求めるか悩む。しかし、自分にとって得することは思いつかない。

「出血大サービスだ、教えてやろう。そっちの小牧君もどうだい? 少し家族のことで頼むかもしれないが」

 だから、美怜の手助けになればと女性である小牧君にも提案する。もし、その小牧君であっても、そうでなくても先に恩を売り、条件を交わせるのはプラスになる。

「よっしゃ! ミナモ、一緒に教えを請おうぜ? こんな機会はあまり無いって!」

「今日の占い的に誘いは受けるべしやからいいけんど――家族って?」

 丁度その時、クラスのざわめきが止まった。皆の視線が前を見ているのが判る。

「一年二組。……ここで会ってるよね? 一番後ろの席かな?」

 か細い声をさせながら黒板に書かれた自分の名前を見る少女がそこにいた。そのびくびくした姿は知らない所に連れてこられたウサギのような印象を与え、庇護感を煽る。

「優秀者もそうだが、白髪珍しいのに二人なんてな。……あ、いいな」「外国からか? 目も青紫」「赤じゃね?」「グローバル化だな」「鳳凰寺さんも確かハーフだが、何というかあの子は可愛いな」「うわ、肌白い、いいなぁ」「小さくて白いウサギみたい」

 と評価するのを僕は聞いて、自分の美的感覚が狂ってないことを認識した。

「ひゅー! 誰だ、あの可愛い子。見たことがあるような気もするが――いていて、ミナモ。いてぇ、本の角で殴るな。拳もやめろ。お前が野球の球をだな握りつぶしてるのを見たことがあるから、マジでやめろ」

 前の二人が漫才をしている間にこちらへと美怜は向かってくる。

「ぁ、望!」

 ようやくこちらに気付いて、憂いた表情がパッと花が開いたような笑顔になる。そしてパタパタと掛けてくる姿はウサギさんそのもの。

「あ」

 あと少しの所でバランスを崩し前に倒れ、ゴンっという鈍い音が周りに響いた。頭を手で押さえた美怜の目尻に水玉が浮かぶ。

「よしよし頑張れ今日はあと少しだ。あと幸運なことに美怜の席は僕の左隣だ」

 左手で起こしてやり、良く出来ましたと頭を撫でてやると艶やかな白髪が指からまるで水のように零れ落ち、光を瞬かせる。

「うん、ありがとう」

 そして美怜を僕の左の席へエスコートし、座らせる。

「望、このびしょ、ぎゃああああああああああああああああ」

「あの、こちらはどなた様?」

 小牧君がアームロックを水戸に決めながら聞いてくる。容赦のないがっちりした決め具合で凄くさまになっている。

「僕の妹、平沼・美怜さ」

 美怜は立ち上がり、慌てて僕の口に手を当て塞ごうとしてくる。しかし、立ち上がったままの僕との身長の差は二十五センチだ。少し動けば塞ぐことが出来ない。

「平沼・美怜さん……? 確か同じ中学校の同じクラスの物静かな友達が同じ名前だった気がするけど。凄い偶然やね?」

 件の小牧君で間違いないらしいが、一応、確認することにする。

「一言でその子の印象聞いていいかね?」

「地味」

 鞄の中から取り出したるは美怜のカツラと全く同じ黒髪の内巻きボブだ。京都市内にでも特に手に入れるには難しいモノではない。どうしても人前で美怜が素を晒すのが駄目だった場合を想定し、持ってきた物だ。

「このカツラを被せてみようか」

 白髪の毛をパパッと簡単に収納し、旨く被せてやる。関東に居た際、店のマネキン相手に練習をしたので装着完了まで二秒だ。

 それを見た小牧君の手に力が入った。

「ミナモ、ギブギブギブギブ!」

「野球の道を断ってあたしが一生面倒を見る! みたいな覚悟があればいっそもっとやってみるのもありだと思うが――水戸の腕がそろそろあらぬ方向へ曲がりそうだね」

 慌てて小牧君が水戸の間接技を緩め、深呼吸を入れて落ち着きを取り戻す。

「……ぇ? あれ? こんにちは平沼さん、今、白い天使のような平沼さんがいたような気がしたけど、幻視でもしちゃったかしら? ついにオカルト的なパワーに目覚めちゃったかしら? やったね水戸! 明日はホームランだ!」

「見ないで見ないで見ないで、小牧さん見ないでぇ!」

 必死に顔を隠そうと屈み込む美怜。

「明日は土曜日でまだ部活も始まってない――って、マジで平沼ちゃんか? 驚いたな。顔立ちは確かに整ってたけど、こんなべっぴんさんだとはいていてぎぶぎぶぎぶ」

 小牧君が現実を飲み込めずにいるようなので美怜のカツラを再び外す。

「……えうえうえうえう返して~!」

「これは僕のだ。証拠を喰らえ」

 予めて胸ポケットに用意しておいた領収証を見せてやる。

「……どういうこと? ぇ? 今日初顔の新入生代表が平沼さんと仲が良くて、白髪で、可愛らしくて、まるでウサギな赤目かと思ったら青紫で――いつも地味だった平沼さんは高校デビューの生贄? そして召還されたのがホワイトラヴィ☆平沼さん? ぇ、彼氏が出来たからイメージチェンジでも目論んじゃったの?」

 何とか現実を咀嚼して答えを導き出そうとする小牧君。しかし、まだ節々がオカシイ。

 美怜がどうしようと泣きそうになりながらこちらに視線を向けてくる。それには頑張れとだけ目線でメッセージを送ってやる。

「お兄ちゃんか弟なのこの人。……い、言いにくい事だけど、こっちが地毛。あまり目立ちたくないから、いつもカツラと化粧で、……地味にしてたの! カツラかしてぇ!」

 所々、つっかえながら説明を終えると席から立ち上がる美怜。そして僕の持っているカツラヘ飛び跳ねて来る。しかし、背が足りない。

「そろそろホームルームはじめるぞ~って何してんだ、そこの白髪兄妹」

 赤く染めた髪の毛をバンダナで止めた妙齢の女性が入ってくるや、こちらの騒動に気付いたように声を掛けてくる。

「ははは、ミス・城崎。家族のスキンシップと言う奴ですよ。会えてまだ日が浅いモノですし、今日は初の登校日で記念日ですよ? 少しハメを外してしまいました。申し訳ない」

「まぁ、いい。そこらへんの事情は事前に話してくれてるし、他からも聞いてる。お前の妹がアルビノだということも判ってる。但し、面倒ごとは起こすなよ?」

 顔合わせは合格発表時に終わらせてあり、席の件を頼み込んだ一人でもある。

「アイ・マム」

「どこの海兵隊だっつーの」

 起立及び敬礼込みで返事をすると呆れたような返事で返してくる城崎先生だが、その言動を叱るような真似はしてこない。大雑把な人間性なのだろうことは服の上下がよれよれな赤ジャージなことからも判る。始業式には赤いスーツを着ていたはずだが、めんどくさくて着替えたのだろうことが予測できる。ちなみに体育教師だ。

「んじゃ、新入生代表から各自挨拶。順番はそこから前へ適当に」

「何分ぐらい話せばよいですか?」

「一人一分、これで十分っしょ」

「了解、早速スタートする。名前は知っての通り、九条・望。好きなように呼んでくれ。ここにいる美怜とは多くの人が同じ中学校からの付き合いがあると思う。僕と彼女は双子だ。そもそもに経済的な理由で親族の家にそれぞれが預けられており、それをお互いに知らなかった。しかし、まことに悲しいことだが美怜の預け方が行方知らずに。それがきっかけで僕は血のつながった家族の存在、彼女のことを知り、僕は一緒に住まわせてもらうことにした。せめて大人になる前の三年間は彼女と家族生活をしたいとね? 義父はそれを快く承諾してくれて今に至る。全くありがたいね? しかし、こんな美少女が、日よけのためもあったとはいえ、地味な変装をしていたとは思うまい。僕自身も初めて家族として会った時は驚いた。全く、僕を驚愕させるとは逸材だね? 誕生日などのステータスは美怜も一緒で七月十四日のО型――よろしく頼む」

 と一分、抑揚をつけながら駆け足で説明した。これらには幾つもの美怜に対しての嘘を含んでいる。だから、念のために畳み掛けた。それに気づかせないためだ。

 近日の生活や準備期間などで確信したことだが、美怜は相手の表情や意図を読むのが上手い。どうやら目立たないように生きていくための処世術として覚えていたようである。相手に合わせれば目立つことは無いし、不興を買うことも無い。

 皆、そして美怜からも拍手があったのを確認し、椅子に腰を落ち着ける。

 不意に左肩を指で突かれたのは一列目の半分くらいの時だった。クラスの視線がこちらには向いていないのを狙ったようだ。指の持ち主を見れば今にも泣き出しそうな美怜。

「お願い、カツラ貸して」

「い・や・だ」

「お願いだからぁ……ひぃん!」

 チョークが飛んできて美怜の頭を直撃する。

「そこの妹、出番だぞ」

 チョークの当たった頭を押さえながら涙目の美怜は震えながら立ち上がった。

 皆の注目が彼女に向けられている。その事実が彼女の赤い目は夕立が降りそうになる。

 だから一言、「頑張れ」と美怜だけに聞こえるように囁いてやる。

 彼女は、うん、と一回首を縦に振り、強い意思を込めた目線を皆に向けた。

「ひ、平沼・美怜です。同じ中学の人で知ってる人も多いと思います。高校デビューとかする気は全くなくて、あの、今日は準備するものを間違えて、日よけ用のカツラも肌色の化粧も黒いカラーコンタクトも探す暇がなくて、ぇっと、薄いんです。別に白人とかそういうわけじゃなくて日本人です。あ、あるびのなんです! 月、月曜日からはあの、普通に戻りますので! あ、あと大体は望と同じです、そういうわけで、お、お願いします」

 そう言い三十秒足らずの自己紹介を終えると深々と礼をし――勢い余ってゴンと頭を机にぶつけ、同時にクラスが爆発したような笑いに包まれる。

「気にするな~」「そうだそうだ」「というか、そっちのほうがいいぞ!」

 と、男子に対しては好印象だったようだ。女子からも笑いが漏れているので悪くはなさそうに表面上は見える。

「ううう、恥ずかしいよ。目立ちたくないのに、怖いのに」

 座ると同時にそう頭を抱えて伏せ、横にブンブンと振る美怜。

「誰かに抑圧されるのを恐れて自分を抑えるほうが僕は怖いけどね。個というモノは特徴であり、符号だからね」

「……協調性という文字は頭の辞書に入ってる?」

「強調性? もちろんさ、相手に自分の意見を強いることさ」

「それは漢字が違うよ――」

 それを聞いた美怜は恨みがましそうにこっちを見つめてきた。だから、僕は逃げるように左、廊下側へと視線を向けた。楽しんでいるのがばれたら、美怜が不機嫌になる。

「でも、ありがとう」

 そう後ろから小さく、でも確かにその言葉は聞こえた。

「さて全員の紹介も終ったとこでもう面倒なことに一つ決めることがある……恒例の委員長決めなんだが、男子は九条でいいか?」

 めんどくさそうな口調で城崎先生は僕を指定してくる。

「ふむ。ミス・城崎。僕を要するに雑用もとい、すなわちクラスの顔に指定するとは正解だね? 言われなくても自薦するつもりではあったが」

「他に自薦、他薦はあるか?」

 男子をグルリと見回す城崎先生の視線から逃げるように男子が視線を横にする。自分の時間を削ってクラスに奉仕する、すなわち高校という大事な青春を失うのは誰だって嫌なモノだ。同時に他人を生贄にして恨まれるのも嫌なモノだ。

 あと、自分の能力不相応に目立つと虐めを受けるリスクもある。

「よし、九条、お前に任せた。んで女子は……委員長面の小牧でいいか?」

「先生、偏見です! 小学六年間、中学三年間、全部やらされてきたんでいい加減勘弁してください! 私は野球部のマネージャーをするつもりなので時間もありません!」

 拒否の姿勢を即座に見せる小牧君。その顔には素直に怒りと書かれている。

「あん? お前、あの道場の家だし纏めるのも得意だろ? 他薦、自薦はいるか?」

 小牧君の抗議を面倒だという表情をしながら女子に視線を向けた城崎先生。

「はい、自薦します。ムリヤリというのもあまりにも可愛そうですわ」

「鳳凰寺か」

 僕とは反対側、一番前の窓側。柔らかな物腰で手を挙げた鳳凰寺と呼ばれた少女に皆の注目が集まる。腰まで伸ばした金髪の似合う長身でモデルみたいな少女。油断なくケアされたミルクチョコレート風味の肌が彼女の印象を効果的に美人へと盛り立てている。田舎だということもあり他の同級生の化粧は濃すぎるか、薄すぎる中、自分に合った化粧が出来るのは評価できる。顔立ちは美怜が可愛いと言う印象を一般に与えるなら、彼女の場合、美人だと形容されるだろう。印象も動物で例えるとライオンだ。

しかし、そんなことよりも金色の眉毛だ。稲妻の形をしたゲジゲジのそれはとても印象的で、気の強さが見て取れる。

「親の七光りと言われたりすることもあったり、入学式の成績では二位でしたのでまだまだ足りないとは存じますが、精一杯努力させて頂きたいと思いますわ」

 そして一礼し、顔を上げる。その上げた視線がこちらを見て微笑んだ。男子が、自分に向けられたものだ。自分に向けられたものだとどよめく。

「気持ち悪いな……」

 それはあまりにも自然すぎていた。逆に作ったかのような邪悪さがにじみ出ている。

「ぉい、今、俺を見て微笑んでくれたぞ。あの鳳凰寺が――ミナモ、消しゴムはコインと違って武器じゃないから投げるな。いや、コインはもっと投げるな」

 水戸が後方のこちらを向き、そう話しかけてくる。デレリとした顔から察するにこいつもあの表情が能面であることに気づかなかったようだ。

「あのゲジゲジ雷眉毛君の事を知っている素振りだが?」

「あぁ、お前はこっちに着たばかりって、さっきの自己紹介も聞いてなかったのか?」

「他人の自己紹介よりも美怜とのコミュニケーションのほうが重要だからね」

 飽きれたようにこちらを見、変な奴に勉強を請いたな、っと微妙な反応をする水戸。失礼な奴である。まぁ、正直なのは好感が持てる。

「鳳凰寺・ふう。代々市議会議員様の娘さんで要するに地域の権力者って奴だ。知ってるやつは市外組にもいると思う。しかし、いきなり眉毛から入るとか、凄いなお前」

「鼻の先をへし折ると一番応えるタイプで、ぞくぞくしてくるね。そしてあの能面は――新入生代表を取られたことに対する怒りか、嫉妬かを隠したものか。敵対だね、うん」

「何を言ってるんだお前は?」

 元の計画にどう持っていくかの考えがまとまったので挙手。

 男子の僕が手を挙げるとは城崎先生ですら思わなかったのだろう。驚いたような目線でこちらを捉える。クラスの皆もそうだ。注目が集まる。

「他薦をお願いしたい――マイ・シスター、平沼・美怜」

 指定された本人は心底驚いたようで、赤目でこちらを見てきた。そして事態を理解したのかその目尻にはじわりと水滴が浮かぶ。僕は安心しろと彼女に微笑みを向けてから、クラスの皆に視線を向ける。

「委員長面で通年その役をやってきた小牧君は委員長として正しいのだろう。そしてそこのゲジゲジ雷眉毛、略してゲジ眉の――法隆寺君?」

「鳳凰寺ですわ☆」

 口調が変わったのは意図してなかったようだ。誤魔化すように笑みを浮かべてくる。ただ、その笑顔の口元は歪んでいた。予想通りだ。彼女は自分の名前を間違えられるような扱いをされてこなかったのが理解できる。慣れていないために化けが剥がれた。恐らく、ゲジ眉君と初対面の人物に言われるのも初めてだろう。

「鳳凰寺君の自己犠牲は――とても素晴らしいね? 確かに鳳凰寺君は成績優秀で、地域の顔役の娘さんで、代表にして当然だと聞いている。市内の人は勿論そうだし、彼女の話を聞いていた市外組の皆もそう思うのだろう?」

 皆が一様に頭を縦に振るのを見て、一回、僕も縦に振る。

 先ずは皆の意見を代弁し、意見に拒否感から入られるのを防ぎ、皆と同じ動作を取ることで親近感を持たせる。ミラーリングという手法だ。

「ただ、本当に、今、そう今、高校になったこのクラスの顔に小牧君と彼女が相応しいかと、今一度考えてほしい」

 今までの同意を覆すいきなりの質問に皆が顔に? っと疑問を浮かべる。

 それでいい。聞き手の疑問を生み出した時、それは集中力になる。

「彼女達を顔役にしてみたまえ? ――あそこのクラスの連中は中学生のまま変わろうとしなかったと思われるだろう。また委員長か、ゲジ眉かと」

 間を置く。言葉を理解させ、『どういうことだ、だから、どうした。答えて見せろ』と疑問を皆の顔に書かせるためだ。答えを望まれているのを確認し、答えてやる。

「高校生の今ではこの二人を選んでしまっては高校生にもなって中学生のままでいたい、子供だと思われるのさ。他のクラス、ひいては地域内の他の高校に」

 クラスの空気が固まるのを感じた。

 今までは君たちの判断は正しかったが、今からはそれは通用しないと述べることで皆の思考を否定しないことで壁を作らせず、僕の意見を受け入れるように誘導をかけた。

 更に子供という単語は思春期にとっては脱出したいものだ。早く大人と同列に扱ってほしい、そういう方向性に思考が働く。そんな彼らにお前らは子供のままでいたいのかと言い切った。だから、皆の思考は止まり絶句した。

「僕はこう言った。『さて高校という新しいステージに入ったことで、新しいことに直面し不安を抱いてしまう人もいると思います』――そしてこう応えた。『それら新しいこと全てに対して恐れずに挑戦し一つずつ噛み締め、自分の糧にする努力を私たちは決して忘れません』――オンラインでも観閲できるこれが新入生代表のクラスで成されていないと知られたら、どうなる? 答えは簡単だ。新しいことに恐れて挑戦しなかった口だけのクラス、ひいてはこの高校は中学生の集まりで何も変わっていこうとしない、ハングリー精神の欠けた奴らの集まりだと言われるだろう。母校にすら恥を塗りかねない、大弱りだね? だから、今までの当たり前で小牧君とゲジ眉法徳寺君を選ぶのは好ましくない」

 思考が戻る前に更なる論拠を畳み掛け、対抗勢力の二人を選ぶことの否定を繰り返す。こうすることで自分で考えることを捨てさせるのだ。

 一呼吸をおいている間に鳳凰寺君を見る。彼女は自分のターンを掴む間を得られず、名前の間違いに唇を噛むだけだ。まだ僕のターンだ。独壇場だ。

「その点、美怜なら新鮮だ。ピチピチだ。このマイ・シスターは地味で、地味で、地味だったと聞いている。それをクラスの顔役に抜擢されたとしたらどうなる? このクラスは新しいことにチャレンジしている、恐れていない、そう印象付けることが出来る。適任だ。そうは思わないかね? ゲジ眉君?」

 子供と思われないための解決策、美怜を委員長にすることを皆に提示し、反論できるものならやってみろ、そう挑発し、ほうなんとか――ゲジ眉君にターンを渡す。

 影響力やリーダーシップの話は『確かに今現状は無い、だからこそ挑戦的な姿勢を示すことを周りに示すことが出来る』で潰す。ひいては親の話をしてくれば、親の脛を齧る子供だと言い切るつもりで両腕を組み、構える。

「いえ、ございませんわ。流石は新入生代表、そこまで考えられておられるとは」

 笑顔で返してくる鳳凰寺君。但し、ゲジ眉がピクピク小刻みに動いているのが視認出来た。どうやら僕がどう返すか見当がつき、引くことが出来る賢さを持っているようだ。また潰すことがあるかもしれない相手かもしれない。楽しくなってきた。

「もういいか? いい加減帰りたいから多数決取るぞ――今切ってたこの紙にそれぞれのさっさと投票者名書け」

 城崎先生の言葉と共にノートの紙片が配られ、投票が始まった。

 クラス三十人一人一票+城崎先生一票での投票結果は美怜が二十七、ゲジ眉君が一、小牧君が二、白紙一。そして女子クラス委員長は平沼・美怜に決まった。


「ふしゅぅぅううう!」

 うちの白いウサギはお風呂の後、僕の部屋に乱入。そして僕のベッドの上で掛け布団を奪い、それで体を包みこむとこちらに威嚇を向けてきた。

 僕はというと机に座り、お義父さんに報告書を送った後、インターネットで新番組のぬいぐるみ劇場版『ぞく杜』の情報を探していたところだった。

「いい加減、僕の布団を返してくれないかね? 美怜」

 さておき、現状は目の前の布団の塊が問題だ。白い毛並みの姿といい、今のうめき声といい、小さい姿といい、唯莉さんの言っていた通りの甘え癖といい、全くもってウサギだ。

「望のばかばかばかばかぁ! なんで委員長に私まで巻き込むの!」

 しろうさ美怜は、僕に涙眼で訴えかけてくる。

「二人っきりになったらすぐそれだ。帰宅の道中でも、晩御飯の時も、今寝る時も。文句を言うのなら僕の布団から出て行ってほしいね。そもそもに高校生にもなって家族と一緒に寝ようというのはどうかと思うんだが? 胸を揉むぞ? 揉みしだくぞ? 僕だって健全な男子だ。あと、唐揚げにレモンは許さん」

「寂しいのや不安と文句は別だよ! それに唐揚げにはレモンだよ!」

 美怜は学校でのオドオドから一転、素直な言葉に歯切りも良い。彼女は自身を隠すことなく僕にはコミュニケーションを取ってくれる。積極的で好ましい傾向だと思う。

「自分の分だけレモンはかけるものだと思うがきのこたけのこ並みに不毛だ――それはさておき、元から他薦する予定だったのは事実だ。家でも片付けられるようになって僕が楽だし、どうせ部活には行かないのだろう? 僕を助けると思ってくれ」

 理論責めと心情に訴えかけると美怜は理解はしているが、納得していないような表情を浮かべてくる。なら一押しでいい。

「僕は手抜きが出来ないたちでね。それに美怜とは長く過ごしたい」

「うう、目立ちたくないのに――それにクラスの顔って言ったら、自薦してた鳳凰寺さんのほうが美人でリアルハーフ金髪の褐色肌だし、よっぽど向いてるよ。才女という噂も聞いてるし。ぅううう、どうせ私なんかノーメイクのインパクトが凄かっただけだよ」

「君はもうちょっと自分のことを鏡で見る必要があると思うのだが?」

「すんごい恥ずかしかったんだよ! それに……」

 美怜の表情が陰て言い淀む。何かを悩んでいる、否、何かに対して怖いという印象。そして答えは美怜の言葉の中にあるのではないかと当て推量をつける。

「ゲジ眉君――鳳凰寺君のことかい?」

「――うん、落選した鳳凰寺さんのニコリと微笑みかけてくれた表情。表面だけでこちらを祝福し、それは仮面を被っている様な印象を受けたんだよ。心の中がざわつく感じがして――だから、今日は特に不安で自分の部屋で寝れないんだよ」

 美怜はこちらが当てたことを驚いたような反応を示し、正直に話してくれる。

「恐らく、目立ちたがり屋なのさ。僕と同じでね? 人の上にいるのが嬉しくて嬉しくてたまらず、同時に上に立つことを自分に何かの理由で強いている。ただ、僕とは違い自分の前に大きな壁があることを知らなかった、そういう人間さ――今、怖がらなくてもいいから自分の部屋で寝てくれ」

「いやだよ。望と寝ると安心するんだもん。家族だし、唯莉さんとは出来なくてずーっと憧れていたんだもん。やってみたら凄く安心して、うん、何と言うか、良かったんだもん。手を繋いで寝るの。今日のような日は絶対、一緒に寝るんだよ」

 いつもの言い分を述べる美怜はハニカミながら嬉しそうな視線を向けてくる。

 僕にはその反応が眩しく、自分の影の部分が映されているように感じる。

「昨日も入学式が怖いと言って押し切られた気がするが、……まぁ、鳳凰寺君の件は僕と一緒に恨まれても仕方ないさ。奪わせたのは僕。奪ったのは君。違うかい?」

「恨むなら望だけに視線を向けてよ。私の波風を立たせない生活は何処へ……」

 美怜が布団を頭から被り、団子虫状態になる。

「ま、そこは僕という家族を得た時点で諦めて欲しい――イイ高校デビューだったろ?」

 美怜の動きが止まった。そしてゆっくりと顔を掛け布団から出しながら、こちらに微笑んでくる。但し、目元は笑っていない。

「今まで委員長のことで頭一杯だったけど朝のゴタゴタや丁寧に置かれた代わりの化粧品、私がほとんど素の状態で登校しなくちゃいけなくなった犯人は望、君だよね?」

「褒めてくれて構わんが?」

 僕の偉業に愕然とする美怜が動かなくなる。

「余りにも感動して言葉が出ないようだね? ほら、ありがとうって言ってごらん!」

「――うぅぅ、バカぁ! 怒りに感情が動いたよ! 望が言った通りまさしくこれは感動だよ! 明日からどうすればいいんだよ! 月曜日は絶対にこんなことさせないからね!」

「君の変装の件は諦めてくれ。あんな拘束具なんて囚人かね、君は? そもそもにあの程度の紫外線は大丈夫なのだろ?」

「そうだけどぉ!」

「それは君の容姿のことだからね、諦めてくれたまえ。慣れてくれないと困る」

「ふぅしゅぅ!」

 怒気を含んだ言葉にならない叫びと共に掛け布団の壁が立ち上がり、視界を塞がれる。

 そして掛け布団の向こう側から山なりの起動で枕が飛んできた。しかし、それはまるで止まるような速度。縫い目すら見える

「よしよし、君はホントに僕と居る時だけは素直だね? 少なくともそう言える相手が居るという事でいい傾向なのは認めよう、怒る時は怒ってくれ――」

 キャッチ。そして一度天井に当てるコースで掛け布団の向こうへと投げ返す。

「むきゃ!」

 ヒット音。反射的に彼女の両手が掛け布団から離れ、紅い涙眼の美怜が現れた。

「でないと感情が腐ってしまうからね? 自分の意思なのか他人からの視線で機械的に、そして受動的に動いているのか判らなくなってしまう。それは鳥が羽を失うのに等しい」

 それは今も出来ているか不安な僕自身の心掛け。

「さておき――美怜は委員長の件はどのように投票したんだい? 今までの口ぶりからゲジ眉君にいれてると思うのだが、一応だ」

「鳳凰寺さん」

「僕の論を美怜は聞いていたね? そしてその上で彼女に投票した理由を教えて欲しい」

 この質問は概ね興味本位。そして少しだけ美怜の動機が心配なのもある。

「無理に背伸びをしなくてもいいと思ったからだよ」

 ほう、っと僕は心の中で感嘆を挙げた。僕の扇動に踊らされていない証拠だからだ。

「聞いてたよ、うん。そして望が言いたい事も判るよ。でも、新しいことに挑戦することでむりやり、事実的に子供である自分を否定する必要なんか無いよ。それに自分の今と限界を知ること、これは困難に対して間違った挑戦をしないために必要だと思う。そう思って今現状で最も能力のあるだろう鳳凰寺さんに投票したんだよ。適材適所だよ」

「少し驚いた――自分が目立ちたくないからという安直な理由ではないかとほんのミリでも心配していた。素直に謝罪しよう。すまん。そして子供であることを否定しないというのはいい目線だ。そして挑戦に対しての答えも出ている、素晴らしい」

「えへへ」

 嬉しそうに美怜の表情が咲きほころぶ。白百合という形容が彼女の笑顔に良く似合う。

「まぁ、美怜のように考えて行動できないのが大衆と言うわけだ。更にいえばさいころの振られた結果は変わらないが――今の論で僕のように扇動もしくは僕に対して舌戦をしかけていればその目は変わっていたかもしれない」

「ムリ言わないでよ……他人の視線や感情が怖いのに」

 美怜がこちらを見て溜息をつく。その目線が化け物を見るようなモノなのは少し心外だ。

 時間を見る。そろそろ入浴の時間だ。

「怖がる必要は無いさ、僕が君の不安を取り除く。但し、容姿の件はそれ以前の問題さ――さて、風呂に入ってくるが覗くなよ?」

部屋を出ようとした僕の背中に目覚まし時計が飛んできた。

 

「僕にするようにどんな場でも自分に素直であってくれるようにしてくれれば、僕の頼まれごとは終わりなんだけどね?」

 ベッドの上に腰だけ落ち着け、どうしたものかとぼやく。さすがに胸を揉む気はない。

 寝ているのにこちらのスペースはきっちり空けられている。器用なものだ。

「初日に押し切られたのは確かだね? だが、今日も昨日もその前も拒否しきれないのは何故だろうか? 自問自答するが答えは出ない。甘いと言われればそうなのだが……うむ」

 美怜の寝相の良さから言えば、このまま何処で寝ようと気付かないと思うのだが……

 ふと布団から零れている白い手に眼が行く。

「望……」

 その手が伸びてきて冷たい感覚が僕の手を包み込んだ。

 起きているのかと内心ドキリとするが、しっかり彼女が寝ているのを確認し、安堵。

 細い指、強く握ると壊れてしまいそうだ。だから雪を扱うように柔らかく握り返した。なんだか、暖かくこそばゆいような感覚が僕を襲う。美怜の手は雪のように冷たいのにだ。

 自分の人生はこれまで誰からも僕という存在を請われることは無かった。能力や才能で排除されたり、打算的に利用されるだけだった。

 美怜と家族をするということすらお義父さんからの初めてのお願いだ。それは僕にとって裏切れないものだ。自分はその期待に応えたいと思う反面、打算的に利用されているのではないかと不安に思う。終わってしまえば僕は用済み、捨てられる可能性を捨てきれない。代理品という考えがいつも僕にまとわりついている。

「家族か……」

 恋焦がれても僕には手が届かなかった家族。僕の中に理想像やこういうモノではないかと言う想像は明確に描いていた。そんな自分は最近、彼女の手のように暖かい存在なのではないかとも思うようになった。

 彼女は怖がりだけど無垢で無条件に僕を認めてくれる。打算など何も無い。

 だから僕はこの手の冷たさが嫌いではないらしい。

「あ、望……手あり……がと……すぅ」

 一瞬意識を戻した美怜は安心したように微笑み、再び、小さな寝息を立て始める。自分から握ってきたのに勝手なことだと思う。恐らく彼女も僕と同じように、こちらに暖かさを感じているのかもしれない。

 ふとこれからの生活でやらなければいけないことを思うと――思考が乱れた。初めての感覚で戸惑う。今までの人生、かなり外道なこともやってきたのにというのにだ。

 彼女は僕と同じように家族に憧れていた。下手をするとそれ以上かもしれない。その事実が僕と被っているのは明白だ。そして少なくとも僕はお義父さんとの繋がりは持っているし、感謝もしている。叶わなくても彼とは家族になりたいと思うことは出来る。

 対して美怜は育て親に捨てられるような形に仕方ないとはいえ、なってしまった。そのどん底に手を差し伸べたのが家族の僕――という台本だ。良く出来ている。

「ありがとうか……」

 僕が頼まれたのは彼女が名前通りに生きていけるだけの力を与えることだ。それが終わってしまえば僕は彼女との関係に意味はほとんど無くなる。

 だけど、美怜との生活が悪くないと思う自分がいるのは確かだ。美怜は賢く、掛け合いも張りがある。なにより、

「手の暖かさにほだされているのかもね?」

 自嘲するが否定する材料も無い。

 そう考えているところに湯冷めしたのか寒さを感じ始める。春でも日本海へ接する舞鶴の夜は寒い。居間ではコタツがまだ活躍している。

「風邪を引くわけにもいくまい」

 仕方ないと自分を納得させ、手を繋いだまま掛け布団の中に自分の身を滑り込ませる。

 掛け布団からも美怜の体温を感じながら、意識が落ちた。


○美怜○

「おはよう妹委員長ちゃん」「委員長妹、ちーっす。 うーん、今日もイイ日だ」「あれ髪……?」「白髪も可愛いから気にしなくてもいいと思うけど? ねぇ? 妹ちゃん」

 月曜日の朝、学校に行くと皆にそう挨拶された。

 ――始業式の後、私についた通称は妹系に属するモノになったらしい。男女問わずだいたいのクラスメートがそう呼んできた。

 仕方なく前の扉から入った私はそれらに愛想笑いを浮かべながら、端的におはようとだけ返して自分の席へ。コミュニケーションを取って自分がつまらない人間だと知られるのが怖いからだ。私は貝になりたい。

 妹や妹ちゃんと呼ばれるというのは望の付属品で扱われていると私は思う。かと言ってそれらが嬉しくないかというと嘘である。家族が出来たことを実感できるからだ。

「おはようございます、平沼さん――今日も可愛らしい姿ですこと」

 私の席に来て苗字で挨拶してくれたのは鳳凰寺さん――始業式の日と変らず、仮面のような笑いに悪意が見えるようで不気味だ。

「お、おはようございます」

 いきなりの事で驚き、また注目されるのが苦手な私だ。慌ててドモり気味に答えてしまった。恥ずかしくて頬が熱くなるのが判る。

「そんなに緊張なさらなくてもよろしいですよ……ところでお兄様は?」

「の、望なら朝のマラソンです。だから、ぎ、ぎりぎりにくると思います」

 監禁まがいのことをしたとは言えない。だから、望の日課であるそれを言う。

「なるほど、健康的でよろしいですわね……貴方は何かスポーツでも?」

 言いよどむ。

「あまり得意では無いと?」

 その様子で察してくれたらしい。だから、慌てて頭を縦に振り「は、はい」と応え、

「アルビノですから、あのその、外では……」

「失礼致しました。ふうが失念してました」

 鳳凰寺さんが笑み、美人が映える。しかし、今度のは悪意を隠しているモノではなかった。気が抜けたというか、偽る必要が無くなった――そんな感じだ。

「出来なくても知るということは重要なことですし、お困りのようなら御教えしますわ――アルビノということで他にも不自由なことがあるでしょうから」

「あ……ありがとうございます」

「いえいえ、お気になさらずに。代わりと言っては何ですが、毎朝、お話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」

 意図が不明だ。しかし、悪意は感じない。どうしたものかと思う。悩む。

「くすっ、御兄様のことをお聞きしたいということですわ、彼には内緒で」

 その様子を笑われ、理由を付けてくれる。何かの含みはあるが嘘はない。

「お、お願いします」

「こちらこそですわ」

 そして再び、笑んでくれる。白いだけの私とは違い、華が後ろに咲いて見えるように眩しい。こういうのをカリスマというのだろう。自分には無いもので、劣等感を煽って来る。どうせ私はへちゃむくれで――

「女の子は笑っていたほうがいいですわよ? それだけで得ですから」

 不意に言われ、思考が途切れた。

「では、今日の所はご挨拶だけということで――楽しみを一気に食べるほど、下品ではありませんし、それでは」

 そう言い、去っていく鳳凰寺さん。私は呆気にとられたまま、見送るしかなかった。

「おはよう、平沼さん」

「ちーっす、平沼さん」

 後ろの扉――人だかりを掻き分けた二人に声を掛けられ、ようやく意識を戻す。

「今日も可愛いね――や、やめろ! その握力で俺の頭を砕く気か! あ、あいあんくろおおおおおおおおぉ!」

「はいはい、セクハラ水戸は仕舞っちゃいましょう」

「ろ、ロッカーに押し込むな! 待ってくれ! あぁ、ミニサイズの箒が、あ、アーッ!」

 二人の漫才自体は小学五年生、霞さんが引っ越してきてから三ヶ月後ぐらいから見てきた。しかし、自分がダシにされる時がくるとは思っても見なかった。

「九条さん、街中の噂になってたわよ。ついでに貴方も」

「だよね……あう」

 霞さんを掃除ロッカーに押し込め終えた小牧さんがそう話し掛けてくれたので、私は諦めを含めた言葉で応えた。

 舞鶴は地方としては漁港として発展しているし、北海道にもフェリーが出ているし、山陰と北陸と関西をつなぐ要所だ。しかし、まだまだ田舎な街の舞鶴はゴシップに飢えている。何か目立つことがあれば、峠を挟んでの西、東地区問わず噂が飛び交う。

「道場に通っているご父兄の方々が『始業式での九条君のスピーチが印象的だったと親がやたら感動していた』だとか言ったり、私たちみたいな世代の人は『あの鳳凰寺さんをやり込めた』と言ったり……注目の的やね? 目立たない人生は無くなったと思ってええで。最近は唯莉さんの事でもたまーに話にあがる程度だったのに注目度上昇中。ぇえ、それこそ今もほらすぐ右、見て?」

「判ってるよ、うん――だから前から入ったよ」

 後ろ扉。そこには物珍しそうにこちらを見てくる学生の群れが居た。話し掛けてこないのは幸いだが、注目されている事実を認識してしまう。さっき鳳凰寺さんに話しかけられていた時もあえて気にしないようにしていたが、人が増えている気がする。

「本当に肌白いー!」「病気か?」「アルビノらしいな」「何それ?」「緑①の生物だろ?」「お前は何を言っているんだ」「あれだあれ、染色体不全」「ちげーよ、メラニンが出来ないんだよ」「何で黒髪なんだ?」「カツラらしいぞ」「よく判らん」「聞いて見ろよ、本人に」「お前がやれ」「というか、小牧と霞の漫才がみたい――さっきもアイアンクローで持ち上げてたが握力いくつなんだ?」「こええええな」「そんなことより白い少女よ」

 幼稚園の頃もこんな感じだったと珍獣扱いに軽いフラッシュバックが起き――望のトラウマ話を思い出し耐える。

「ファンサービスしないん? ほら微笑むぐらいはしてあげちゃったら?」

「ぅうぅぅ、判ったよ……」

 女の子は笑っていたほうがいいと鳳凰寺さんに言われたのもあった。だから、小牧さんに推されるままドア側にぎこちない微笑みを向ける。

「か、可愛い……はっ!」「何というか、何というかね……」「新しいジャンルだな」

 そしてすぐに小牧さんに向きなおす。顔が火照る、恥ずかしい。

「よくやっちゃったわね。明日は雪やね?」

「雪で学校が埋まればいいのに……通学中、路面電車で私を見つけた人が何かをひそひそと噂しだした時には恥ずかしくて、もう――電車を一つ前の駅で飛び降りたんだよ」

 結局、そこから学校までは歩いたが、その道中でも同じ制服の生徒に視線を集めてしまったのでどうしたものかと思う。家のすぐ近く、神社からの山道を通れば人目にはつかないと思うが、さすがに新しい制服を汚すことは躊躇われる。

「少ない抵抗がその黒いカツラ? 日曜日に商店街で買い物してるのを見かけたけど、その時はいつもの地味地味にしてたわよね」

 勿論、日曜日の外出時にも私は変装を妨害する望を予想していたのだが、何もしてこなかったので拍子を抜かれたことをよく覚えている。

「そうでないとお外出れないよ……」

「九条さんと一緒だったら余り意味が無い気がするんやけどね」

 それでも今日は油断はしなかった。妨害されないように四時半起きの望より先に起きた。彼の部屋の鍵を外から掛け、廊下のタンスを扉の前に置いておいた。そして寝る前に隠しておいたメイク用品とカツラを取り出し、洗面所で変装し、準備万端。そして朝食を作り、学校の準備をし、いつもより早い時間に学校を出た。

 カツラがずれてないか手鏡を取り出し、確認をする。

 大丈夫だ。いつもの黒で地味目の髪で黒コンタクトをしていて……ぇ?

「なんで不完全なの……」

 白い地肌のままだった。紫外線避けは塗られてはいる。しかし、アルビノ特有の白い地肌が晒されており、いつも公共の場に出てくる自分ではない。同じ年齢の女の子がする日焼け止め程度に収まっており、スッピンのままだ。

 何故だと思う前に、白いと言われたのはこれが原因かと頭を抱える。

「グッモーニン! エブリバディ!」

 思考が行き詰りそうになった時、容疑者が前の入り口から教室に入ってきた。勉強姿勢のアドバイスを請われたら教え、何かひそひそ話で聞かれたらこちらを向きながらひそひそと返し、鳳凰寺さんとは――何だか化かし合いみたいな笑顔で軽い会釈をしあい、そして私の元に来た。私のことを話すのだけは辞めて欲しい――怒りゲージが自分の中で溜まっていくのが判る。

「マイ・シスター、朝ごはんありがとう! 中身の少ないタンスとはいえ、倒してしまうのもよくないので秘密の通路から脱出し、マラソンした後の臓腑に染み渡るあんな美味しい料理で今日一日のエネルギーが賄えることが出来たなんて家族として鼻が高い!」

 大きな声で言われ、ついに私の怒りゲージが爆発。反射的に立ち上がりながら大声で、

「大きな声でそんなこと言わないでよ! 恥ずかしいよ! 恥ずかしいよ!」

 と皆の注目を集めてしまった。言ってから後悔し、慌てて席に座り、頭を抱える。怒りに行動を押し切られた自分が恥ずかしさを感じ始める。

 ここは家ではなく、望だけが居るわけではない。

「夜、洗面所の電気が切れていたので白から強めの肌色電球に変えておいたのだが、どうだい? マイ・シスター」

 化粧の色を光で誤魔化されたことに気付き、犯人に向くがその眼は真摯。長年培ってきた顔色を読む能力を持ってしても望の整い、大人びた顔からも悪意を受け取れない。

 なら仕方ない、こういうことは事前に言って欲しいと伝えればいいかな、と思う。

「日焼け止めは塗りすぎると肌に悪いし、見栄えも良くない。だから色素の無いものに善意的に変えておいたさ! 新しい肌色電球の下でそれを上手く美怜が化粧を塗れるかミリ単位で心配だったのだが――ちょうどいい感じに仕上がっている」

 悪意は無いが故意的にやらかしたことらしい。判った、基本的に望は無垢だ。何か隠している素振りもあったりするが邪悪ではないし行動や感情表現が素直すぎる。

 同時に普通の手段では望に勝てないことを知る。確かに彼はこちらの変装を妨害すると宣言している。そして彼は私の対策の上を行った。彼のほうが上手なのだ。

 どうにもならないという圧迫が怒りのゲージを再び貯めていくのを感じる。他人からのからかいやヤッカミに対しては諦める、無視するという方向で片付ける。それに反応をしたらそこからの相手の感情の動きが怖い。

 けれども、望に対しては抑えられない自分が居る。何故かは判らないがそういう自分が居るのは確かだ。怒っていいのか、これは怒っていいのか。私は迷惑している。口で言っても理解してくれない。望も私に素直であって欲しいと言ってきている。

 しかし、私と望のやり取りに皆が注目している中、さっきみたいに怒りを爆発させることなんか出来ない。マイナスの感情の発露をどう捉えられるか、怖い。

 ふと『僕のように扇動』という望の言葉が浮かび――そうか、周りを使えばいいのかと解決策が浮かんだ。

「私の色がついた化粧は他の人と違うのに……小牧さんも聞いて貰っていい?」

 だから、私でも会話を成り立たせやすい小牧さんに向け言葉を作り、長年使ってきた言い訳――カツラと化粧などを先生たちに認めさせ、それを秘密にして貰うだけの必殺の言い訳を使おうとする。

 それはアルビノがメラニンの欠如により、日に当たると危険だという常識だ。

 これを小牧さんに述べて望を止めて貰えばいい。

 それが言い訳だということは望は確かに知っている。その話は一緒に住む前までに済ませている。しかし、他人はそれを知らない。そしてそれが真実かは私では無い望はどうやっても説得力のある説明が出来ないと踏んだ。小牧さんがこちらに注意が向いた。

「今では!」

 その瞬間、自分のターンが望の迫力のある言葉で止められてしまう。しかも、ただでさえ話題の中心の望が力強い声を発したのだ。何事かとクラス中、ひいては廊下まで静かになり、注目を集めてしまう。その状況がひぃ、っと私は心の中に悲鳴をあげさせる。望はその状態を嬉々として楽しんでいるようだが、私は違う。

「僕が用意した紫外線用品で常人と同じ生活をしても君は問題ない。証拠をくらえ!」

 望がすかさず一枚の紙を胸ポケットから取り出す。

 それは医師の診断書――内容は連続一時間程度なら健常者と同じ運動が出来、なおかつ普通の生活なら問題は出無いという証明だった。しかも署名は自分が学校などに対してカツラや化粧を認めてもらう際にいつも頼んでいる病院の先生のモノだった。

 偽物かと思った。しかし、幼い頃からの掛かりつけである先生の物であることは私が一番よく判った。私がその先生に理由の書かれていない体育などが不可能であることの証明書を書いて貰えたのは、私がアルビノであるということで虐めがあったということも知って貰っているからだ。そんな事情を知っている先生が私の了承を得ずにこんな診断書を書いたのだろうか? そもそもにどうして望は私の掛かりつけの先生を知っているのだろうか? これに関しては私の足長おじさんにも手紙で話したことは無い筈なのに……

 頭の中が疑問で混乱し、眩暈がしてきた。

「――おめでとう。もう無理な日焼け止めでその美しい白さをぼろぼろにする必要はない。更に言えば日焼け止めの追加を行えば、薄着で受ける体育ですら一時間ぐらいは平気で、保健室がお友達になることもないのさ。まさしく高校デビューだね?」

 体育の授業に関してもそうだ。もしカツラがずれたら、メイクが取れたら、という不安をアルビノを理由に休むことで回避してきた。

「それはめでたい! 平沼さん、おめでとう!」

 ロッカーから這い出てきた霞さんに拍手で祝福される。すると彼に合わせる様にクラス中、そして廊下からも拍手が飛び交い始める。

「ぇ、あ、その、あれ?」

 言い訳を否定されて皆の注目を集めたことまでは理解し、持ち直す。しかし、診断書の件が私を混乱状態にさせたままだ。二の句が告げられなくなり、言葉にならない音を吐き出すだけになってしまった。

 必殺を、言い訳を、逃げ道を、ほとんど皆が来ているクラスで完全に潰された。

「そんなカツラもバイバイキーンだ」

 動揺している間にカツラも没収されてしまう。

「平沼ちゃん、嬉しさの余りに声が出ないのかな?」

 霞さんはそう暢気に言うがそれは全くのはずれ――予想外すぎて声が出ないのが正解だ。

「そういう驚き方じゃないような……普通は診断結果とか、患者自身に知らされるもんじゃない? どうなの、九条さん?」

 待ってましたと望は満面の笑みになる。

「小牧君。僕がサプライズのために隠して貰っておいたのだよ。家族として生活し始め、同じ高校に通い、学業を学び始める今日という記念日までね」

 小牧さんは少し考え何かがおかしいような感じの表情を浮かべてくれる。しかし、彼女は占い本に視線を向けると納得したように、

「ナイス・サプライズ」

 笑顔をこちらに向けてきた。その本に何が書かれていたのだろうか。

「という訳で、体育の用意もしてある」

 望がそう言いながら取り出したのは可愛らしい兎がアプリケットされた布袋。

「あけてごらん」

 何処から手に入れたのか、とっくの昔に絶滅した筈の紫ブルマと体操上着、そして体育授業用の強めの日焼け止めがそこに入っていた。但し、日焼け止めに色は無かった。


「――家族ってサイズまで知ってるものなのかな?」

 そのブルマはピッタシのサイズだった。スリーサイズを聞かれた覚えも無い。

聞かれたら答えるけど、あまり自信は無い。背の高さに反して少し太めなのだ――特に胸が。着痩せするほうだと自覚はあるが、体操服ではあまり意味が無い。皆の視線――特に男子の視線がささってきて怖い。

 さておき、疑問へと思考を戻し――自分も初めて一緒に眠って貰った時、表情の崩れた望からは戸惑いと違和感が読み取れたことと同じ事柄なのかもしれない――と考えると納得出来た。それでも、

「目立つのは嫌だよ……」

 ブルマは自分だけだ。他の女子はハーフパンツで大層目立つ。

「……そういえば体育の授業に参加って初めてだよね」

 三時間目で十時を回っているため、校庭に射し込む日差しが眩しい。

 そもそもに幼稚園で虐めにあってから外で遊ぶこともなくなった。

「二人でペア作ってよーく柔軟しとけー、怪我されたら面倒やからなー」

 ――へ? 私の思考が止まった。


○望○

 二人でペアを作れと言われて慌てていた美怜は小牧君に拾われ、ストレッチを始めている。……城崎先生や、男女各十五名のクラスでその指示は酷くないかね? 予想通り、一人ずつあぶれた男女が仕方なくペアを作っている。

 ちなみに僕は慌てず落ち着いていたところを水戸に声を掛けられペアを組んだ。

「美怜をみてどう思う?」

 白い髪が太陽の光を吸って神々しく光る様は美しい。綺麗だ、と素直に思う。自分の評価はこうだが主観が入っている恐れがある。それを回避するために水戸に問うた。

「なんというか、小学校の五年生から同じクラスな訳だが――あぁ言うのをロリ巨乳って、ぉぉ、俺のバストスカウターがFカップはあると囁いている。なんだあのアルプス山脈の戦闘力は! 俺はこんな逸材を五年間もの間見逃してたと言うのか!」

 小牧君の腕をもち、背中合わせで下になって支えていた美怜の体操上着が重力に引っ張られ二つの雪山とブラジャーが紫色ブルマの山越しにチラチラと見えそうになり、水戸がもっと見ようと前に出た。

 周りの男子も同じように視線が動いている。

「見えがふっ!」

 上にいた小牧君の足が動き、狙い済ましたかのような靴の動きは水戸の股間を直撃した。周りの男子も悶絶して前に蹲る水戸を見、自分の股間を抑えながら準備体操に戻る。

背中が後方に反り、頭や視線は真反対側なのによくもここまで正確に小牧君は当てられるモノだと感心する。

 無言で邪気な笑みを浮かべた小牧君は自分の靴を回収し、美怜の元へと戻る。

「イテテテテ、お前があのブルマ持ってきたんだよな……事前に告知されてたのは夢も無いハーフパンツな筈だが――お前の趣味か?」

 正直、ブルマに関しては趣味と言うわけではない。一、美怜が注目されるということに少しでも慣れさせるため。二、それに対するクラス全員の反応を見、また次の段階に移すためであること。それら全てを正直に答えるのは非常にメンドクサイ。だから、

「あの食い込みだ。紫と白肌のコントラストを想像したからに決まっている」

 と、黒と紫での選択肢が出たときの決め手を言う。

「胸ばかりに目がいっていたが、確かに細く白い足は壊れそうだけど、なんか女の子っぽい柔らかさがあって確かにいいな……それを彩る紫の布。深いなぁ」

 それを聞いた水戸は改めて観、感銘の声を上げた。

「そういえば、実はどっちが上なんだ? 平沼ちゃんが妹みたいに言われるけど」

 ニヤニヤと腑抜けた顔を彼はしながらも、ストレッチの格好が様になっているのは野球をやっているからだろう。背中を押してやらなくても良く曲がる。ゼロ点七秒悩み、

「僕も知らない。気にしても仕方ないのでね」

 さっきから微妙に想定外の質問をされるので答えにくい。

「あぁ、成る程。だから、姉でも妹でも言えるシスターなわけか。そうだそうだ、お前、女のタイプってどんなんだ?」

 ――はっ? 想定の完全に外のことを言われ、思考が止まったのが判る。

「女のタイプって――自分も押してもらわなくても曲がるから平気だ――好みのタイプのことを聞かれたんだね?」

「あぁ、そうだ――ぉお、良く曲がる、って足を頭にまわなさくてもいいぞ!」

 自分を落ち着けようとし、ストレッチがヨガに移行してしまった。元に戻しつつ考える。

 そもそもにお義父さんに認められるためと他人からの抑圧を跳ね飛ばすのに必死で、異性との付き合いを打算以外で考える暇なんて無かった。

 どうしたものか。

「ほらあれだ、高校生になったら好きな女のタイプぐらい決まってるもんだろ? 高校生としては普通の話題で俺はおっぱいだ。恥ずかしがらずに言ってみ」

 胸がタイプに属することを初めて知りつつ、悩む。

「無い」

「はっ? お前、まさかホモか?」

 水戸が目を見開きこちらを見る。その視線は異質なモノをみるかのようだ。そして後ずさりし、自分の身を庇うように手を前で交差させる。正直、嫌悪感を覚えるポーズだ。

「ホモではない。好みのタイプというモノは存在しないだけだ――押しが強すぎる僕が相手では苦労をかけてしまいそうだし、受け入れてくれる人物がいいかもしれんがね」

「――何か判った。自分を受け入れてくれる女子、包容力、おっぱい、うん、凄くいいな!」

 水戸は首を何度か縦に振り一人で納得しながら戻ってくる。

「んじゃ、気になる人物とかは?」

「美怜」

 どうやって彼女を素直に、そして行動的にさせるか二十四時間考えている。

「あぁ、平沼ちゃんは何と言うか俺もこっちに引っ越してきた五年生以来の付き合いだが、あの容姿なのに必死に周りから消えようとする感じが庇護欲を煽られて――って平沼ちゃん以外で頼む。お前のあふれ出る家族愛やシスコンについては聞いていないんだよ!」

 注文が多く再び悩む羽目になる。

「このクラス結構、容姿レベル高いからな。お前が悩むのも分かる」

「……そういうことにしておこう」

「真っ白な平沼ちゃんといい、浅黒肌金髪の鳳凰寺といい、他にも――まぁ、ミナモはどうでもいいが――今度、全高一男子の中でランキング取って見るが恐らく一位で平沼ちゃんか鳳凰寺が決選投票になるんじゃねーか? ぉ、女子は短距離走の記録取り出したな、よく胸が揺れてる、大変良い」

 水戸の視線の先、走る女子を僕も眺めながら考えてみるが、

「ゲジ眉君が気になるといえば気になるな」

 風にたなびく長い金髪が目に入り、気持ち悪さを思い出した。今日の授業内容である短距離走で女子で一番早いと騒がれ、尚且つ綺麗なフォームの走りを鑑みるに運動神経もいいのだろう。『ぞく杜』のポントライオンちゃんみたいだと考えると少し自分が楽になった。苦手なものは他に置き換えて捉えると良い。

 対して美怜はスタートに着く前でこけ、更にスタートでもこけたので要トレーニングと念頭に入れておく。最低限の運動神経は何をするにも必要だ。体は資本。

「ゲジ眉――あぁ、鳳凰寺な? 凄いあだ名をつけるのな、お前」

 まだ彼女はアクションは取ってきていない。いつこられてもいいように楽しみにしているという意味で他の女子よりは気にしている。

「鳳凰寺は――俺の乳スカウター曰くパッドくさい揺れなのが玉に瑕なEカップだな。ただパッドで恐らくBの大き目が自前か?」

 健康な男子らしい正直な感想を述べる水戸。周りの男子の視線――美怜を三とするならば、ゲジ眉君への視線が二ぐらい向いている。男というのは英雄志向が有り、自分で自立している女性よりも頼ってくれる女の子の方が自分の欲を満たされることが多い。また、女性をモノ扱いする傾向もあり、どちらが手中にしやすい玉かというと――美怜だ。

「そういえば、ミナモと野球部に届けを出しに行った時も鳳凰寺と同じ中学校だった奴がいてやっぱり話題になったな。圧倒的な支持で生徒会長をやってたとか、お茶でも武術でも何でも出来るパーフェクトハーフお金持ちお嬢様の割に電車通学で庶民的だとか、立ち振る舞いだとか――このクラスでの女子の中心もあいつになるだろうな。お前の他薦演説がなきゃ女子からの票のほとんどは鳳凰寺に入ってたんじゃないか?」

 周辺環境からの評価はこうらしい。今も美怜が小牧君の後ろに隠れているだけに対して、何人かの女子と楽しそうに歓談しているゲジ眉君の姿がある。確かに人を引き付ける引力のようなモノ――女王蜂に似たカリスマを感じる。

「……ただな、虐めをしていたらしい」

「詳しく聞いてもいいかね?」

 虐めという単語は僕の興味を引くには十分だった。

「女子生徒を扇動してよってたかってだ。結果的には自分が気に入らない生徒を三人ほど転校させたらしい。だから彼女を怖がったり、近づきたくないという奴も居たり――女子生徒カーストが構築され始めてご機嫌取りをするのもすでにいる。あの今話してる集団なんかはそれが透けてるようにみえてな。何だかんだで進学校だろ? プライドやステータスに拘る奴が多いみたいでなー。めんどーだわ」

「あながち間違いではないだろう、水戸、お前は?」

「俺も胸が偽物くさくて俺もあんまり関わりたくなくなったな。偽乳は悪だからな?」

「なるほど、いい判断だ」

 同時に虐めを受けたことがある僕の感情が昂ぶるのは自然の流れだ。拳を強く握っている自分が居る。

 利用はさせて貰おう。ただ――

「鼻の先をへし折る甲斐があるね。それを思うと楽しくなってくるね」

計画目標への道筋が幾通りも浮かぶ。愉悦が体中にはしり、笑みが浮かんでしまう。

 何を言っているんだ、お前はとでも言いたげな視線を水戸は向けてくる。しかし、彼はスグに何かを思い出したのか納得したような表情になった。

「……お前、変な奴だな?」

「胸の話ばかりする貴様は鏡を見てこい」

「負けず嫌いというにはちと違うし――そう言えば平沼ちゃんを委員長にした件も鳳凰寺を負かして楽しんでいたよな?」

 確かに変な奴という評価は虐められていた時にもよく言われた言葉の一つだ。

 しかし、自分がこのようなパーソナリティやそれに見合った能力を取得してからは、陰で言われるだけになった。誰であろうと僕を抑え付けようとした奴をひざまづかせたため、軽口の一つですら僕に報復されるのではないかと皆が勘違いしたようだ。

 そんなに小さい器ではないのにね?

「実は周りなんてライバルか有象無象なんかでしかみてなくて、友達なんかいなかったタイプか? 同じようなの中学野球部の後輩にいたわ。プライドばっか高くて変に意固地で周りの言うことを聞かない奴でな……すぐ辞めてったけど」

「一緒にされては困るのだが? 僕は面と向かって意見を言ってくれるのはありがたいと思えるし、今までそう扱うしか無かっただけだ。だから水戸、君とは長く付き合えそうだ。友達になりたいと言ってくれたのが打算的だったとは言え、今のは評価が高い」

 隠すことでもない、正直に言う。

「……変な奴だなぁ、お前。まぁ、いいさ。俺も他人の言ったことを素直に認めることが出来る奴なら嫌いじゃないからな。改めてよろしくな」

 飽きれたように言いながら、握手を求めてきてくれた。

「あぁ、よろしく」

 今度は躊躇無く握り返せた。そしてお互いに強い力で容赦の無い握り合いになる。

「……お前、案外力強いのな」

 水戸と僕はお互いに笑みを浮かべ、納得しながら手を放す。

「さておき、気になるって意味が全然ちげーよ。弄るのは平沼ちゃんだけにしとけ。狙うならストレートに恋愛で落とせよ、男らしく」

「そんな日が来るならそうしよう。現状では美怜で手一杯でね――さてそろそろ男子の番みたいだが、勝負するかい? 五百円ぐらいのモノをかけると水戸も楽しめるかな?」

「ぉ、いいね。この負けず嫌い。俺も負けず嫌いでな――今日の昼飯でも賭けるか?」

 野球をしていることからそれなりに足に自信があるのだろう。更に言えば昼飯は高校生にとって大きな存在。それを賭けに出してきたことからも自信の程が判る。

 それに対して自分はどうだ? 容姿は悪くないが、ぱっと見た目運動しているようには見えない。無駄な筋肉をつけずに、質を凝縮するようなトレーニングを毎朝行っていることは絶対に気付かれない。この賭けなら水戸は受ける、そう確信がある。

「判った。但し、手は抜かないからな! お前の鼻を俺が潰してやる」

 心の中で、フィッシュ! と叫ぶ僕自身がいることに気付く。

 そして順番が来たとスタートラインへと向かう水戸。

「水戸、その自信満々の顔は負けた時にどんな風になることやら」

 僕を見下したり、見誤ったり、抑えようとしたり、言葉でなじったり、暴力を振るってきたりした全員の鼻をもれなくへし折ってきた。人間として壊した人もいる。それら全ての思い出、人物の反応が反芻し――自分の中で愉悦に繋がるのが判る。特に親の権力を笠にきていた奴を親から勘当させ、その後の変わり様は今でも忘れられない。

 そんな人生しか送ってこなかった自分はコミュニティー障害なのは判っている。友達と言ってくれた水戸にも同じような方法でしか接することを知らない。

「虐めというのは人格を狂わせるものさ、それを美怜に強制するのは――乗り越えてもらう必要があるんだがね」

 少し胸が軋むが、水戸の走りを見て勝ちを確信すると楽しくなった。


○美怜○

「霞さんの魂が抜けてたけど、今日も何かしたの?」

 席を、私、望、霞さん、小牧さんで席をくっつけてのお弁当タイム。

「いつも通り勝負に負けた水戸は、彼が敗者であることを噛み締めてたのさ」

 授業が終わるとすぐ、前の席で呆然としていた霞さんから望は回数券式の食券を奪い取った。それが合図だとばかしに霞さんは全力走で教室を出て行き、焼きそばパンと一緒に戻ってきた。そんな二人のやり取りは月曜日から今日の金曜日までに日常化しつつある。

「水戸は少しは勝てない相手を知るべきよ――勇気じゃなくて無謀だわ」

「この一週間でこいつが化け物なのは判った! だがな男としてのプライドが、何でもいい、勝ちたいんだ! こいつに!」

 ジト目の小牧さんの追い討ちに霞さんは右拳を握り、左人差し指で望を示し、力説する。それを見た小牧さんは馬鹿じゃないのと嘆息する。

「はいはい、安いプライドは捨てちゃいましょうね。休み時間に課題を教えてもらっちゃってる時点でそんなものはないんに」

「それはそれ。これはこれ」

「勝てないと判っているのに、勝負を仕掛けてくる。いいね、本当にいいね、水戸は。昔は一度か二度、実力の差を見せただけで、恨み言を陰で言うか、こちらを無視してくる連中しかいなかった。しかし、彼は本気でしかも純粋にあの手この手を変え、勝負そのものを楽しませてくれる。初体験だ。今日の勝負は輪ゴムで消しゴムを飛ばす距離で勝負したのだが、やはりゴムの選定は重要だね?」

 望は望で楽しそうだ。子供っぽい笑顔を見せている。

 月曜日に行われた短距離走からそれは始まった。学校記録を出した霞君は自信満々だった。対して望は全国高校記録を出して、その自信を打ち砕いた。火曜日は小テストの点数で勝負していた。勿論、望が負ける要素は無い。その後、無謀者と霞さんは小牧さんに弄られていた。水曜日は牛乳の早飲みで勝負していた。望は息を止めたり、喉を自在に操れるらしく、一気に勝負をつけた。一方、それに驚いた霞さんは、牛乳を噴出し、小牧さんを白く汚していた。その後、勿論、霞さんは小牧さんに折檻されていた。木曜日は朝の登校時間で勝負していた。霞さんは校門の開く朝六時半には学校にいたらしい。しかし、望は校門が開く前から席に座っていたらしい。どうやって侵入したのだろうか?

「……私は勝負事の楽しみが判らないよ。負けても勝っても目立つもん。目立つと他人から標的にされやすくなるから怖いもん」

「人と競うことは自分の成長を促せるからね、それは素晴らしい事さ――さておき、その副次品の食券は美怜がお弁当を作ってくれる限り使わないがね! ふふふ、水戸、見た前、これがマイ・シスター特製の弁当さ!」

「お弁当を掲げるのは止めて欲しいんだよ!」

 喜々とした望の様子は弁当派のクラスメートの注目を集めて凄く目立って恥ずかしい。望の評判が超優秀なシスコンで固まりつつあるのもどうかと思う。それだけ学校では私に絡み、私を目立たせているということでもある。

「……そんなに嬉しいものなの?」

「嬉しいに決まっている。当然だろう? なんせ、誰かが僕のために作ってくれる弁当なんて今まで味わえなかったからね! 毎日が感動だね? 今日は――味噌漬け鮭の焼き物、のりごはん、ニンジンと椎茸の煮物、ほうれん草のおひたしと卵焼き、うむ、将にお弁当だね。おっと、のりごはんの中に鰹節が仕込んであった。これは嬉しい」

 本当に嬉しそうに、そして美味しそうに食べてくれる。

 悪い気はしない。けれども、もう少し抑え目に喜びを表現して欲しいものだ。

 家の食事係は主に私だ。弁当も望と私の分を作っている。望は作れるとの事だが、割りと凝り性らしく、地方では手に入らないモノがあるということで悲しみに打ちひしがれていたことがあった。舞鶴市は峠を境に西と東に分かれているが両方ともまだまだ発展途上の田舎なので仕方ないと思う。確かに舞鶴蟹をブランド戦略とする魚市場の『ほれほれセンター』や、そこから西舞鶴駅経由学校行きの路面電車が出来た事で西舞鶴の商店街は活気を取り戻してきている。しかし、十年そこらでは地方の一地方市街からの脱出には程遠い。何せ高層ビルが無いし、隣市に公官庁事務所の多くを取られてる。

「水戸、羨ましいかね?」

「う、羨ましくなんてねぇぞ! 俺には焼きそばパンがある!」

「素直に言いたまえ。言った所でマイ・シスターの弁当はご飯の一粒たりともやらんがな!」

 舞い上がりながら霞さんを挑発するのもどうかと思う。悔しがりながら突っ伏すオーバーリアクションをとる霞さんも、それが望の愉悦に繋がって火に油を注いでいることに気づいて欲しい。

 ふと、二人の関係がいじめっ子といじめられっ子の構図に良く似ていることに気づく。当の本人たちは楽しそうだし、コミュニケーションの一種だと理解しているが、トラウマを思い出して心が痛い。望が私に対して、アルビノのことを隠さないようにムリヤリな方法を取ってくるのも、私の反応が面白いからかもしれない。

ふと、私の立ち居地が霞さんと私が被った。

「どうしたのかね?」

 望が私の視線に気付き聞いてくるので「なんでもないよ」とだけ返す。彼は「そうか」というと安心したような顔で弁当へと戻る。

 そもそもに悪意というものを隠せるか怪しいほど彼は純粋だ。学校や家での演じたような口調や素振りも子供っぽい大げさ気味の感情表現に見える。

 けれども、子供らしい部分は、未熟な人が行う虐めを発生させる可能性があり――そして私は望に虐められている――体の奥底が寒く感じられ、冷静になり、自分がどうして家族に対してそんなことを考えてしまったのだろうかと、怖く思うと共に恥じた。

 そんな考えから逃げるように小牧さんに視線を向ける。

 何か、モジモジとした様子で、机の中に手をやっている。反対側に座っている私からは何がそこにあるのか見えない。何か変だ。

「――小牧君、弁当がすすんでない様だけどどうしたのかね?」

 見れば、小牧さんの弁当は開けられたまま、一口も手をつけられていない。美味しそうなハムかつ弁当。刻みキャベツとミニトマトの色合いが大変よく、ご飯には刻み梅干が綺麗に混ぜ込まれている。

 体調でも悪いのだろうか? っと、小牧さんの顔を見ると少し頬が赤い。

「お、どうしたミナモ、食べないのか?」

 霞さんも心配そうな顔で小牧さんを見つめる。すると、お弁当のミニトマトの様にますます赤くなる小牧さん。

「別にどうもしないわ」

「それとその机の中の弁当は何だ? もしかして、二つも食べるのか? 太るぞ? 胸に栄養行かないんだから」

「ち、違うわ! その、あれよ、うん、いつも九条さんに取られちゃってるでしょお昼ご飯――不憫に思って作ってあげたわ、感謝しなさい!」

 霞さんがその言葉で目を見開いた。

「――午後から雨か、部活なのに」

「いるの? いらないの? というか、いらない訳無いよね? はい」

 と、返事も聞かずに小牧さんは霞さんに渡す。

「いいのか?」

「渡した後に聞かないで、どうぞ食べろ」

 変な言い回しの小牧さんの応え。受け取った霞さんは喜々としてお弁当を開ける。

 それには魔界が広がっていた。

「これは凄い。とても独創的で今まで見たことの無い――一度食べた者はその冒険を忘れられそうに無い気がするね?」

 望が冷や汗を流しながら小牧さんの弁当をそう評したのも頷ける。

 先ず、ご飯。毒沼のような濃い緑色をしている。何を混ぜ込んだのだろうか? ハムかつと思わしき物体は黒こげでクリーチャーのように見える。キャベツの上は血まみれだ。ミニトマトがご飯の詰め込みすぎで潰れてしまっている。

 いつも小牧さんが持ってくる弁当とは何かが違う。作り手が違う気がする。

 ふと、小学四年生の調理実習で一度だけ、小牧さんの料理を食べたことがあることを思い出した。それも見た目は毒沼だった。すなわち、この毒沼弁当の作り手は小牧さんであることは明白だ。綺麗な方、小牧さんの分は恐らく祖母に作って貰った物だろう。

 霞さんの喉が鳴った。その面持ちは魔王に挑む勇者が覚悟を決めようとしているそれだった。そして彼は勇者の剣ではなく箸を抜き、つきたて、口へと運ぶ。

「――あれ、普通に旨い。見た目が悪いのと味のギャップが凄くて。確かに焦げてるけどハムかつは良くできてるし、ほうれん草を入れすぎた混ぜご飯は見てくれこそ悪いが味はしっかりしてる。トマトはしかたないとして――いや、何でそこで俺の攻撃してこずにうなだれるんだよ、ミナモ。お前、大丈夫か?」

「何でもないわ! ばかぁ!」

 真っ赤な顔の小牧さんが顔をあげたと思った瞬間、ヘッドロックが霞さんに決まった。いつも通りで安心したと霞さんは安心した表情でその技を受けている。

 このお弁当は小牧さんが霞さんに食べさせようと作ってきたものだということに私は気付き、うん、人に美味しいと言って貰えるのは嬉しいよね、と納得する。

「ははは、仲がいいのは羨ましいね。僕にはそんなことの出来る好感度の高い幼馴染はいないものでね――ところで美怜」

 望がこちらを向き、声を掛けて来る。

「アルビノを隠さないで生活をすることに不便を感じたかい?」

 いきなり聞いてくる望にどう応えていいか悩む。身体的なことか、それとも精神的なことを答えればいいのか明示されていなかったからだ。

 私は変装を止めざる得なくなった。変装をする理由――アルビノの紫外線による害を皆の前で否定し、私が無理に変装しなくてもいいという認識を望は皆に作り出した。これは逆に言えば、変装をすれば皆に変に思われる土壌にしてくれてしまったのだ。だから、ほとんど素のままの状態で学校に通うことになっている。今もそうだ。

「今日も日焼け止めさえ塗れば体育の授業は大丈夫だったね?」

 身体的なことを聞かれているらしい。体育の件は確かにその通りだ。自分では知識として長時間の外に出れることは知っていたが、実際に体操着のような薄着で外に長時間いたのは始めてだった。

「肌が少し周りの女子より赤くなるだけで火傷症状も水泡も出なくて今も少しヒリツク程度で――正直に言えば、明日の筋肉痛の方が酷くなると思うんだよ?」

 経験推測的に言えば、一時間ぐらいは体操服の格好で出ていても大丈夫な気がする。

「だったらその姿のままでいいのさ」

「でもね、望。白い姿はもうこういうもんだと周りに認識されてしまったから仕方ないにせよ。やっぱり目立ちたくないというのは本音。怖いもん。だから望は目立ってもいいけど、なるたけ私を目立たせないで欲しいよ」

「断る」

 やっぱり譲れないことらしい。目立たせないでくれと、ずっと言っているが、彼はこのことだけは頑固に譲らない。ベッドで寝ることも、唐揚げのレモンのことも、他にも色々、私が我を張り続けると最後には仕方ないと折れてくれるのにだ。

「君は何をしなくても目立つ、それに慣れていかなければいけない。――全く勿体無い。小牧君以外にも話すことがあるのだろう?」

「そうだけど。私なんて小さくて、白くて、へちゃむくれだもん。可愛いなんてのも小さい子扱いしてるんだよ、きっと。それに目立つのだって望のペットみたいな扱いだし……」

 私の返答を聞いている望が心底面白そうに微笑んできた。

『……綺麗だ』

 リフレイン。ふと、思い浮かんだそれは出会ったときスグの望の感想だった。私がカツラを自ら外したときに、望むが意図したような口調ではなく、ふと漏れたようなその言葉。

 望はひねくれていたり、自分を作っているところはあるが正直者だと思っている。そんな彼から発せられた言葉は、すなわち正直な感想であり、私に対しての飾らない評価だ。自分の頬が熱くなるのを感じる。この感情が何なのかは判らないが、暖かい、そう感じる。それは寝る時に繋いでくれる手の暖かさに似ている。

「美怜?」

 問われ、思考の海から現実に戻ると、望の心配そうにこちらを見ていた。

 その視線に射抜かれたような衝撃を受け、驚き、椅子ごと後ろへ転げ落ちてしまう。

 痛みで冷静になったことで自分がその何かに夢中だったことに気づき、自分は何をしていたのだろうかと自己嫌悪に陥る。

 そしてクラスの視線が私に向けられているのに気付き、更なる自己嫌悪に陥る。

「大丈夫かい?」

「うん、大丈夫――何の話だっけ?」

 手を差し伸べてきた望の手を握る。それはいつもの暖かさだった。

 そして助けられながら、席へと戻り、自分が聞き逃したことを質問する。頬の熱さは少し余韻を残す程度に静まっており、気にならなくなった。

「小牧君以外にも女子とは話すのかね? という話さ」

「望が居ない間、朝のHRや登校時に視線や言葉を向けられることが多いけど――」

 校内でのシスコン行為や過剰な感情表現で目立ちまくる望のことを私に聞いてくる人は男女問わず多い。本人の前で聞けないことも私を通せば聞けると思っているらしい。また、私のアルビノに興味を持ってくる人もいる。しかし、

「――旨く話せないよ……相手はそんな私を見て兎みたいで可愛いと茶化して気にしなくてもいいよと言ってくれるけど、やっぱり怖いんだよ。相手の機嫌を損ねていたら、そして悪意をぶつけられたらと思うと」

 現状、自分の立ち位置として相応しいと思っているポジションからかけ離れてしまっている。女子はカーストというモノを特に気にする傾向にあるが、自分は確実に不相応に高い位置にいる。その上、コミュニケーションが苦手だ。

「そうかいそうかい。でも、そう正直に言えるのは好ましいと思う。僕なんか終始、偽りのキャラを演じているのだからね?」

「偽っているようには見えないよ? ……何か嘘はついてるみたいだけど」

 私が言うと望は水筒から特製どくだみ茶をコップに注ぎ、一気にあおる。慣れてないのか渋い顔をし、そして取り繕うように笑顔を浮かべる。

「でなければ演じている意味がない」

 もし望の演技が本当なら、本人はそれをしているのが楽しいのでは無いかと思う。

「僕や小牧君に話しかけるように、話してみればいいのでは?」

「ムリだよ。素直に話しをしても相手の気分を悪くするだけだもん。だから、相手のことを考えながら話すしかないもん」

 今居る三人には私はそれほど恐怖を感じない。小牧さんは小学生からの付き合いだし、霞さんもそうだ。望は――家族だということで恐怖を感じることはない。怒りを感じることはあるけれども、素直に話せているというからだと思う。

「――でも、鳳凰寺さんは話しやすいかな?」

「どんな様子で聞いてくるのかね?」

 しまったと思う。

 鳳凰寺さんが望のことを毎朝、聞くことは秘密にしておいて欲しいとのことで、追随するように鳳凰寺さんと話していることすらも望には話していなかった。

「……そういえば言ってなかったよね。毎朝話しかけてくれるんだよ。私が詰まっても真摯に聞いてくれるし、小牧さんや霞さんほどでは無いにしろ話しやすいかな?」

 嘘を混ぜずに正直に誤魔化す。約束は約束だ。

昔の自分から見れば、不思議な話である。ずっと地味で通していた自分が鳳凰寺さんのような目立ち、地域の顔とも言える人と会話する日が来るとは予測なんて出来る筈が無かった。しかも、私からではなく、相手が私にアプローチをする感じでだ。

「どんなことを聞かれたのかね? 美怜の彼女に対して評価、今はどうだい?」

 次に浮かんだ望の表情は心底楽しそうな笑み。しかし、何故か底知れぬ不気味さを感じるものだった。まるで遊び道具としての昆虫を見つけ、思い余ってそれを解体してしまうような子供特有の不気味さに近い。

「ぇっと、今日は走るコツを教えてくれたよ?」

 だから、私は望に対して誤魔化すことにした。

「……なるほど、なるほど。運動神経の優越や会話から、美怜を測りきって敵にしても仕方ないと理解したのかね――だからこんなものを?」

 そう言いながら望が取り出すのはクローバーの飾られた可愛らしい緑色の便箋だ。望の趣味だとしたら驚きだが、ぞく杜の兎のペー太君を飾っていることからもそういう意外性もあるのかもしれないとも思う。ゲーム内でそのペー太君に何度もパシられたことはさておき、ツンデレ系なので可愛いと感じるのは正しいと思う。

 まぁ、普通に考えれば誰かからのお手紙だろう。

 ようやくコミュニケーションから開放された霞さんがそんな望を見、何かを思い出したかのように嘆息する。

「ラブレターか、やったな望! 相手は誰だ?」

「ゲジ眉君さ。朝、来ると下駄箱に入ってた」

 それを聞くと「うげっっ」と、嗚咽を漏らす霞さん。

「どうみても罠です、本当に有難うございました」

「罠ぐらいは判っているさ。無視するのが正解だね、うん」

「あんまり伝えたくなかったんだが鳳凰寺は俺にお前のこと聞いてきたぞ――答えたのはシスコンであることと日常的かつ皆が知っていることだけだ」

 何か私の知らないことが望と霞さんの間にあるようだ。少し寂しく思う。

「ゲジ眉君は学食派か」

 顎に手を当て、真面目な顔で望がブツブツと独り言と共に何かを考え始める。時折、確認するように霞さんへと質問し、答えを加味して、何かを頭の中で作り出しているようだ。

「――そうしよう。美怜、左耳を拝借」

 近づいてくる。そして耳に息が当たる距離で、

「美怜、月曜日は食堂で食事をしたいから、お弁当はいらない。土曜日は言ってた通り遠くへ行くし、それには絶対ついてきてほしくない。だから食事をする機会を一日と一食分潰してしまうことを今、謝罪しておこう。色々と君に迷惑をかけることも今謝っておこう」

 そう優しく囁いてかれた。耳に息が当たってモソモソとした変な気分だ。離れ際、こちらを見、子供のようにニコリと微笑む望にドキリとした。

 そしてゆっくりと望の膝から全身が床に畳まれ、最後にこちらへ頭をたれてくる。それは土下座だった。

 突然すぎて何が起こっているか判らず、私は呆気にとられるしかなくなる。

 たちまちクラス中の注目が集まり、私が何かをしたのかと話題の中心になり始める。

「判った、判ったから、私を注目させないで!」

 私はすぐさまそう言うしかなかった。


○望○

「御機嫌よう、九条君」

 月曜日のお昼時、僕は予定通り、食堂へと歩を進めようと教室を出た。

 そんな僕を教室すぐの廊下、良く通る美声が呼び止めてきた。

 振り向くとそこには特徴的なゲジ眉がそこに居た。正直、作り笑いを浮かべる彼女とのコミュニケーションをするのが生理的に気持ち良くないがぐっと我慢する。

「ぉっと、教室外で声をかけてくる女子は珍しいね? クラス外の女子からの視線も多いのだが、あまり声を掛けられたことが無いからね? どう思うかね、ゲジ眉君?」

 さも意外さを演出するように、彼女の名前を間違えながら問う。

「九条君はどう何を話していいか判り辛い印象がありますからね。ただ、クラス内では何でも答えてくれるので話の取っ掛かりが見えやすいと評判ですわ」

 名前の件は慣れたのか反応を示してくれなかった。

「普通に話しかけてくれれば、僕はいつでも、なんでも、どこでも歓迎さ。手紙で呼び出しとかは受けないが――それで何か?」

 手紙という部分で鳳凰寺君の眉毛が一瞬だけ、上に跳ねたのを僕は見過ごさなかった。

「いつも妹さんか席の近くの男子と一緒に居られて、九条君と二人だけで会話をしたい、と思いましても機会を得られませんでしたもの。金曜日は来て頂けませんでしたし……そんな折、今日の朝、学食に一人で行くということを言っておられましたので……どうです? 食堂でお昼をふうと一緒に」

 朝、いつも通りの訓練を終え、美怜よりも後に学校へと着くと『今日はすまない、僕が材料を買い忘れたせいだ! だから、一人前の弁当を分けてもらう訳には行かない。一日でも美怜の弁当を食べられないなんて、ぬぐぐぐ。仕方ない、昼ご飯は食堂にいくさ』と事前打ち合わせ済みの一芝居を目立つように打った。実際、他人が僕のために作ってくれた手作りの弁当を食べられないのは悔しいので、芝居で無い部分もある。――というか感情の面では演技ではなく本心であり、心の叫びだ。

 ちなみに水戸は食券を既に奪ってあるので、小牧君の世話になっている筈だ。今日の勝負内容は握力X体重X背筋力の数値だ。

「光栄だね、ゲジ眉君みたいな美人さんに他愛も無い会話を楽しめるランチに誘われるなんてね。明日は雨かもね?」

 彼女の隣に並び、歩幅を緩め、あわせる。

「どうして金曜日の放課後、来て頂けませんでしたの? すっとお待ちしておりましたのに……お手紙、お読みになられましたよね?」

「これかい?」

 ブレザーの内ポケットから取り出す一枚の封筒。上質な白い和紙の封筒で中身は単純に、『放課後に体育館の裏で待っています。鳳凰寺・ふう』である。要するに普通に見ればラブレターそのものである。金曜日の朝、下駄箱の中に入っていたもので当然無視した。なぜならば、

「僕はチキンハートなものでね? 君のような才女からこのような恋文みたいなものを貰うなんて想像出来ず、誰かのいたずらかとそう思ったのだよ。例えば、屋上で女子と二人きりになったところで、叫ばれたり、乱暴しようとしたなどという流言を吐くぞと弱みにされるとか――怖いね? そもそもに呼び出すという行為が、相手の都合や立場を気にしないという現われで無礼ではないのかね? だから、相手に主導権を握られるような手紙での呼び出しは受けないことにしているのさ」

「ふふふ、面白い方ですわね」

 僕の言葉を表面上は冗談と受け取ったのか鳳凰寺君は張り付いた笑みを返してくれる。でも、彼女の笑みからは美怜のような純粋さは無く、全くの作り物であることが判る。ゲジ眉が引くついている。恐らく裏の表情は待ちぼうけを喰らった怒り、挑発に対する憤り、そしてこちらに対する警戒。

「水戸――霞君に僕のことを聞いているそうだが、どうしても信じられなくてね? 僕に何をもって興味を持ったのか理解できなくてね」

 水戸と言った際、悩んだ顔をしたので、彼の苗字に訂正しておく。

「貴方はシンデレラの魔法使いですもの――中学時代、地味地味な少女を高校デビューさせるなんて、普通は出来ませんわ。外見だけ特殊なあの程度の少女をね? そんな所が気になって、そしたら九条君をずっとみている自分に気づきましたの」

 ふと怒りを覚えた。それは予想通りの挑発だった。僕はゲジ眉君の美怜への評価は理解していた。僕のシスコン評価からも美怜を餌にそう動揺を誘ってくるのは判っていた。

それなのに自分の感情が動いた。今は家族であり、それへの侮辱は自分の家族への幻想をも傷つけられた。そう思ったからだと自分を納得させ、落ち着く。ここまでゼロ点三秒。

 それを気取られないように、シャツの胸ポケットに刺したペンを杖を握るような魔法使いの仕草で取り、

「はは、そう好意的に受け取ってくれると嬉しくは思うね――シンデレラの魔法使い、いい例えだね」

 振ってみせる。ゲジ眉を弓状にし彼女は面白そうに笑む。個人的には醜いアヒルの子のように美怜には自身で頑張って欲しい。そうあれるように僕は道をつけているだけだ。

「羨ましいですわね。貴方の妹さんは」

 ポツリと呟かれ、何のことかと思う。ゲジ眉君の表情は寂しそうな表情に変わっていた。

「家族関係に問題でも?」

「特に何もない普通の家族ですわ」

 能面の笑顔で返されたそれは明らかに嘘だった。

「逆にお聞きしますが、ふうのことを気になる女性だと言っておられたようで?」

「君のようにキラキラとした太陽のような髪の美人を気にしない男性がいるかね? そもそもは霞君が君にお熱でね、好奇心が出ただけさ。彼は美人に弱い」

 すると当然だといった自負の微笑みを浮かべたゲジ眉君は周りへと視線を向ける。

 僕とゲジ眉君はお互いに話題の中心になりやすく、珍しい組み合わせはギャラリーを集め、いつの間にか滝を割ったモーゼのように人だかりを割って歩く様相が出来ている。

 ゲジ眉君はサービスだとギャラリーに笑みを投げる。こちらを遠巻きに見ていた廊下の男子勢が沸く。一見、このような行動を取る鳳凰寺君はその状況を楽しんでいるし、上機嫌を隠しきれていない。

 褒めるというのは基本的に良い武器だ。嫌いな相手から褒められたとしても悪い印象を与えることはそう無いし、隙を作れる。また、具体的な部分を褒めることで説得力を足せるし、他者の評価を引き合いに出すのも効果的だ。キラキラという擬音語を使ったのもこちらの中にあるイメージを伝えやすくするためだ。

 しかし、彼女は唇を一瞬だけ嚙んだのを僕は見過ごさなかった。恐らく、僕は鳳凰寺君のメンツを二度潰しており、どちらかというと僕中心の話題の方が多く聞こえてくる事実が原因だ。ゲジ眉君はそれが気に食わないのだろう。

「霞君……九条君と良くお話しているあの野球風貌の彼ですね?」

「どうやら霞君にはチャンスなんてこれっぽちも無さそうだね? 後で言っておくよ」

 やはり有象無象の名前や風貌なぞあまり気にしないようだ。関わらずに済みそうだぞ、良かったな水戸。

「ふふ――それでは私の貴方へのチャンスはどうですか?」

 僕の前を塞ぎ、ニコリと視線を向けてくる。悪戯好きの小悪魔のような笑顔に見える。けれども、その文字に小さい文字が付かないのが透けてみえる。気持ち悪い。

「冗談を。僕だったら成績優秀者の椅子や委員長という顔役を簒奪してしまった人にそう易々と声を掛けられないね」

 噂のこと。そしてそこから僕の視点でモノを言ってやる。

 すると鳳凰寺君の顔から作り物の笑みが消え、無表情になる。

「僕からしたら、くやしい、くやしいから、どうにかして潰してやろう。そう思っているところに、手を伸ばすとかどうみても追い討ちで逆効果じゃないかね? 君も安易な同情で釣られるタイプではないだろ、どうだい?」

 ゲジ眉君は口元を手で隠し、腹から笑う。堪えられない、そういう笑いだ。ゲジ眉も上機嫌に弓になる。

「ふふ……非常にいい。今までいなかったタイプですわね」

「僕のような賢しいだけの少年はこんなのは小さい街から出れば沢山いるものだよ?」

「ふふ、確かにふうは大海を知らなさ過ぎるかも知れませんね――こちらに行きましょう」

 そう言い、僕の手を取り、教職員用食堂に入っていくゲジ眉君。その手はひんやりとした氷のようだと感じた。

「いいのかね?」

「私の親を知っている人は誰も咎めませんよ」

 少し悩むが手を引かれたままにする。

 そこは教師が数名座っているだけで、ガラス越しに見える生徒用食堂の混雑具合が嘘のようだ。その教師たちは生徒であるこちらを一瞥し、異質のものを見るような目を向けてくる。しかし、ゲジ眉君がいることに気づくとそそくさと視線を逸らす。

「問題あるなら堂々と言えばいいのに――今日は狐うどんの気分ね」

「奇遇だね、僕も狐うどんにしようと思った所だよ」

 カウンターのおばちゃんも気にしていない様子で注文を受け、渡してくる。

 そして奥のテーブルに二人で向き合い座り、いただきますの後、食べ始める。

「土曜日、京都駅で見かけましたが、お出かけでもしておられたのですか?」

 お互いにある程度うどんを終わらせた後の第二ラウンド。

 出だしの話題――どういう意図でそれを言ったのか測りかねる。しかし、特に意味は無いのだろうと結論を出し、

「僕の育て親への所用でね、関東のほうへ出掛けていたのさ」

「――そうですか」

 また寂しそうな表情に変わるゲジ眉君。意図が読めず、突っ込んでも拒否の姿勢をとられるだろう。だから、

「鳳凰寺君こそ、どうして京都駅へ?」

「ふうはお稽古事のためですわ。毎週土曜日からお茶の指導を京都の家元へ、そのままホテルに泊まり日曜日は武芸を習いに――電車が一緒だったようですが、気付いたのが駅に着いた後でしたし、急いでおられたようで声をかけられませんでしたわ」

 相手の様子も嘘は無いように見える。ゲジ眉も定位置だ。

「さて、言葉遊びもこれくらいにして本題に入りましょうか」

 いきなりの話題の転換。先の話題に関して何かがばれているのか、と不安を覚える。それをうどんの汁を啜るお椀を持ち上げる動作で隠す。

「どうです、私たち付き合ってみては」

「断る」

 即答してやる。僕は自慢じゃないが義父に引き取られて以降、女の子を好いたことは無い。利用して捨てたことはあるが、男女の機微は利害関係以外で判断できない。

 安堵の息を内心で済ませ、空気を吸いながらお椀をテーブルに置く。

「断るなんて――怖くないんですか。噂は聞いておられるでしょう?」

「噂では女子の空気を利用し、虐めて追い出したことかい?」

 僕はヤレヤレとため息をワザと大きく吐く。

「それがどうしたというのかい? 僕を貶めようとするなら無駄なのは理解しているだろう? 僕の扇動能力は君のカリスマを凌駕し得る事は委員長選抜で見せた――それが恐ろしいから僕を懐柔しにきた、そんなとこだろう?」

 市議会議員の親という点も否定しなければならない。

「それに君は親の傘を使って相手を貶める、それで勝った気になるような小さな器ではないだろう? それをしたという話をついぞ聞いたことが無い。虐めも学生を誘導しただけだ。恐らく、ここ、教職員用食堂に来て先生方の対応を見せたのは萎縮狙いではなく、こちらを計っているのだろう?」

 調査したことを睨み付けて強い語尾で言ってやる。

「生憎、君が親の手を借りた時点で勝負では負けさ――自分では何も出来ない我侭な子供というレッテルを貼られ続けることになる」

 そして意図的に挑発する。

「君はそれを望むかい? いや望まないだろうね」

「ふふふ、根拠を聞いても宜しいでしょうか?」

「君と僕はよく似ている」

 興味深そうに、ゲジ眉が上へと持ち上がる。身の上に同情、また近似点を示すということは話し相手の興味を引く上で良い手段だ。但し、それが相手の納得出来ないことを述べてしまうと話し相手は途端に話者への興味を失ってしまう。勝負だ。

「――先ず君は権力や金があるのに、わざわざカリスマ性という自身の能力を誇示して対象を虐め、排除したことだ」

 先ずこの話題だ。

「そこは全く僕と同じだ。親に対して何かコンプレックスをもっているのだろうね? 恐らく、僕と違うのは家族に対して憎悪しているか、していないかだ。市議会の親を持ち、お嬢様と称される鳳凰寺君が融通の利く車通いではなく、定時運行の電車を使い京都へ通っているのは、それだろう? 通学にも路面電車だということにも合点が行く」

 間違っていないのは先ほどの通路の会話から確信している。親に憎悪しているの部分は、誰がどっち側かを述べないことによってどっちにも捉えられるように仕向けている。

「――なるほど、私が抱いたのは同属嫌悪ということですか」

 それでもその彼女の言葉が出た瞬間に安堵した。

「そうだろうね、僕も君には気持ち悪さを感じている」

 笑みを向けられたので笑みで返す。お互いに通じ合えた気がする。それがお互いに好意では無く敵意になるので、人間、通じ合えるだけでは駄目だということだ。

 そして僕は最後に残したお揚げを持った箸で鳳凰寺君の胸を示してやり、

「後、その胸に入ったパッド、それは自分自身を良く見せたい。すなわち自分自身で羨望されたいからであり決して他人に与えられるものでよく見られたいというわけではないからだ――中々にいいお揚げだね、これは」

 軽く拭きだしたゲジ眉君はこほっこほっ咳をしながら涙目だ。胸パッドは公言する物ではなく、彼女も誰からも隠しきれていたと思ったのだろう。

 周りに知られていないと思ったことを突き詰めるのは二つのメリットがある。心に動揺を与えられ、更にその行動が他人からどう見られているのかを疑わせることが出来る。それがこじつけでも、思考を鈍らせるには効果的だ。

「な、なにを!」

 慌てて胸元を両手で隠すゲジ眉君。素面が出ており、頬赤らめ、恥ずかしそうにする仕草は年相応の少女そのもの反応だ。その様子をペー太ラビット君のライバル、ポントライオンちゃんに当てはめると敵ながら少し可愛らしいと思う。

「いいかい、これを教えてくれたのは君が余り気にも留めていなかった水戸だ。彼には特殊能力、オッパイスカウターというのがあるらしくてね――人を見下すモノは見下した人によって足元をすくわれる、いい授業代だったね? 僕の下に人は皆平等なのだよ」

 追い討ちでゲジ眉君の感情を高ぶらせる。

「――っ! すうはぁ、すうはぁ」

 感情のまま咄嗟の言葉を抑えようと深呼吸をするゲジ眉君。

「いい授業でしたわ! ぇえ、私も私の下で皆平等だと、そう思っておりましたから、打ち砕かれた気分ですわ!」

 それでも彼女は怒りを隠しきれず大声になってしまう。何事かと教師の視線がこちらに向く。それでようやく、彼女は自身が落ち着ききれてないことを知り、笑みを必死に浮かべ始める。しかし、ひくついた笑みで仮面をかぶりきれていない。

「これで僕の三勝という所かね。僕の推理はどうだったかな? 君は自分自身に対して自信を持っており、それで羨望を得ようとする。だからこそ、親に頼るような人物ではない証明にはなったと思うが」

「ぇえ、凄く当たっていて、不愉快になるほどで」

 冷静さを取り戻す前に本人に同意を求め、得ておく。

 同意した側に、同意した内容の人物であるという認識を無意識下に刷り込む意識誘導の狙いだ。人間は自分を誤魔化し、言い訳や理由付けをすることで、自分が嫌っている行動もいざとなったらする。しかし、一度、無意識下に刷り込まれた情報はそれを強く抑制することが出来る。特にプライドと知能が高い場合は効果がてきめんに出る。

 親の力などという面倒ファクターは除外しておくに限る。やられても勝つ気はあるが。

「――けれども、貴方のウィークポイントは判っている」

 言われ、少しだけ落ち着きが無くなっている自身を自認する。

 僕には確かにウィークポイントがある。それを利用されると、ややこしいことになる。。そして今までの話題で、それを彼女が知っている可能性が少しだがある。

「貴方の妹さん☆」

 安心した。全くもって目の前のゲジ眉君は僕の秘密を知らない。

「おどおどした自信の無い態度が男子に媚びていると評判ですの。ちょっと一押しすればクラス内カーストの一番下まで落ちてしまう程、美怜さんはクラスに馴染めていない。女子の虐めというのは怖いものですわよ? あのびくびくした態度、虐める側も反応は楽しいでしょうしね? そして貴方を気に食わないモノは少なからずいる、それをちょっと押せばどうなるでしょうね?」

 笑いがこみ上げそうになる、が堪える。まだ駄目だ、まだ笑ってはいけない。

「脅迫だね、要するに」

「ぇえ、そうです――月並みな言葉になりますが、ふうに従いなさい。タダでとは言いませんよ。その分、いい扱い、彼氏にしてあげてもいいですわ。貴方は賢い人ですし、何より似たもの同士というのは同意ですから。理解しあえるでしょうし」

「断る。二度言わせるな」

「……家族を見捨てるというのですか?」

 ゲジ眉君のトーンが落ちるのが判る。おやっ? と思うが、気にしないでおく。

「いや、見捨てない。勿論、君がその脅しを使うと踏んでいた。その上で、美怜がそれをされても負けない絶対の自信があるから断ったんだ。一ミクロンでも自信が無ければ、最初の付き合うかの質問でイエスと言ったさ。その方がカップル生活を満喫できるだろうし、お互いの化かしあいは楽しいだろうからね? わざわざここまで話を伸ばす必要も無い」

 懸念していた可能性を無かった物にし、そう自信満々に言い切ってやる。弱みは見せる所ではない。攻めていい。

「僕はそれで美怜が成長する良い機会になると思っている。見守ると言うのが正解かね。美怜はそんなものには負けない。本当に美怜が悩み、出口が見えなくなったら、僕は道を示す程度さ。いいレベルアップ機会になるだろうね?」

 それは僕の存在意義だ。これが出来ないと初めて義父から頼られたことに対しての裏切りになる。そして、虐めという機会すらも利用してやる。

「まぁ、報いはさせて貰う。それをしたが最後、お前を一番下まで叩き落してやろう」

 脅迫を仕返し、高らかに笑ってやる。今まで抑えてきた笑いが心地よく開放される。

「言っといてやろう。屈辱だぞ? ――更に言えば、一度も大きくこけたことがないゲジ眉君が耐えられるわけがない」

 ビシッっとゲジ眉に指を突き刺してやる。そしてお前には無理だと断言し、相手のアイデンティティを否定しにかかる。

「安い挑発をして!」

 語調が変わり強気で返してくるゲジ眉君だが、うろたえを隠せない。僕はおかしそうな物を見る目をし、鼻で笑い飛ばす。

「いいね、その反応。化けの皮がはがれたね。ちなみに挑発ではなく脅迫だ。鳳凰寺君が先に脅迫という手段を使ってくれたのでそれを返してみたまでさ。なのにそんなに顔が真っ赤なのは何故かね? まぁ、挑発だと思うならやってみろ、僕は本気だ」

「あぁ、もう!」

 耐え切れなくなったのか、鳳凰寺君は席を立ち、背を向けようとする。

「食べた後は自分で片付けたまえ」

 忘れ去れそうになった食器のことを注意してあげる。

 すると鳳凰寺君はゲジ眉を吊り上げ、乱雑な扱いでそれらを片付ける。

 そしてバタンと大きな音をさせて扉を開け、教職員用の食堂から出て行った。


舞鶴市がベースになっておりますが、現実とはかなり違う様相を呈しております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ