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《バルデルト王国・城内・第1王子執務室》


「殿下、どのようなお仕事をされたら頬にそのような跡が残るのでしょう」


 小馬鹿にしたような胡散臭い笑みを携えて、側近のデリウスが執務中のキリヤ王子に尋ねる。仕える王子が城に戻ったことにより、いまだパレードが行われている城下から抜け出してデリウスも城へと帰ってきていた。

 デリウスが城に着く頃にはすでにキリヤは執務室にいて、その頬には先ほどまで存在しなかった赤い手跡を遺しているのだ。


「うるさい。どうせ分かってるくせに、いちいち聞くな」


 キリヤはウンザリした表情でデリウスに言葉を返す。おそらく先ほどまで一緒にいた女騎士の前では絶対に示さない態度だろう、などと考えてデリウスは心の中で楽しむ。


「ですが、パレード後の宴に王子がそのような顔で登場するのはいかがなものかと」

「そのうち腫れはひく。心配には及ばない」

「第7師団団長の平手がそう簡単に治るとは思いませんが」


 デリウスが言葉を挿むと、キリヤは恨めしげな視線を向ける。リリア・ベルフェルトの名を出さず、あえて第7師団団長と呼んだのが癇に障ったのだろう。加えて中性的な綺麗な顔立ちのデリウスが浮かべる完璧な笑顔はその苛立ちに拍車をかけること間違いなしだ。


「それより殿下。少々妙な話を耳にしたのですが……」




✳︎✳︎✳︎




《城内・王国騎士団詰所》


 パレードが終わり、騎士団の団員の多くはそこで任務終了。しかし、団長格の面々はしっかり騎士団の詰所に残り、自分が統率する師団の待機室にて今日の報告書を書き上げていた。

 王国騎士団総団長兼第1師団の団長ラスタークも例外ではなく、自らの師団の待機室にて任をこなしている最中だった。

 第1王子側近のデリウスとそれほど歳も変わらない騎士団総団長・ラスタークは2人そろって若きエリートと称されている。女と間違われやすい綺麗な顔立ちのデリウスとは違い、ラスタークは実に男らしい出で立ちだ。騎士団の血気盛んな男たちからも慕われる男の中の男。


 そんなラスターク総団長が執務をこなす静かな待機室が、夕暮れ時に突如大きな音を立てて開いた。


「ラスターク団長!」


 入ってきたのは第7師団団長のリリア・ベルフェルトだ。その若さで、しかも女の身で団長という任についた彼女を王国騎士団総団長であるラスタークは一目置いている。剣の腕はさることながらその白銀の髪と綺麗な容姿は毎度のことながら感嘆するものだ。


「珍しく慌ただしいな、リリア」


 そんな彼女がこうも取り乱した様子でいることは早々ない。いつもは落ち着いている彼女だが、おそらくこれが彼女の本来の姿なのだろう。そして彼女をその姿に戻す人物とすれば、ラスタークが知る限りでは1人だった。


「女騎士の団服変えましょう。直ちに」

「また急なお願いだな。キリヤ殿下に何か言われたのか?」


 ラスタークが楽しげな様子で尋ねると、リリアの頬が赤くなる。彼女と第1王子キリヤの関係を知る者は騎士団の中でもそう多くはない。ラスタークを含めて片手で数えられるほど。城内で数えても、姉王女と側近デリウス、あとはメイドが1人2人加算されるくらいだ。


「違います! ただ、動き回るのにスカートは動きにくいって思ったので……」


 リリアがその団服を纏うようになってもう5年ほど経つ。ラスタークに直談判できるような立場になったのはおよそ半年前としてもスカートについて抗議するのは今更な話だ。

 だいたいかの王子がリリアに何を言ったか理解してラスタークは困ったように笑った。


「まあ、そうだな。俺もそのことについては前々から思っていたが。何せ団服を作っているのは第4師団だからなぁ」


 そう言ってラスタークは眉を下げる。その様子を見て、リリアも何やらラスタークの考えを察したらしく苦笑いをこぼした。

 ラスタークは王国騎士団総団長。本来、第4師団団長に命令することなど容易い。しかし、第4師団団長ミレイナはラスタークの恋人であり、彼女に逆らうことだけは総団長たる彼にもできないらしいのだ。


「まあ、なんだ。殿下の気持ちも分からなくないが」

「じゃあ、ラスターク団長もミレイナ団長のスカートを捲りますか」


 リリアが低い声で尋ねると、ラスタークも口を閉ざす。まさか、王子がそこまでのことをしてしまったとは思っていなかったようで、ラスタークはリリアの肩をトントンと優しく叩いた。


「一応ミレイナに交渉してみるよ。無駄だとは思うが」

「お願いします」


 リリアはラスタークに頭を下げ、そのまま第1師団の待機室を出て行こうとする。しかし、ラスタークもちょうどリリアに話したいことがあったため、自分に背を向けたリリアを呼び止めた。


「ラスターク団長?」

「今日の宴の護衛の任、本当は下の団員にさせようと思っていたんだが、お前に変わってもらいたい」


 パレードの後には王家と王国貴族が集う宴が城内の一角で行わられる。城下と違い、危険が少ないことから王国騎士団でも下っ端の人間が護衛につくのが常のこと。わざわざ一師団の団長を任につかせるということに、少なからずリリアの顔つきが険しくなった。


「実は先ほど入った情報なんだが……」




✳︎✳︎✳︎




《バルデルト王国・城内・宴の間》


 夜が更け、王城に国内の貴族が集う。パレードの余韻に浸りつつ、宴の間では貴族の上品な笑い声が響き渡る。

 城下の派手な賑わいとは違い、城内の賑わいは一定の節度が保たれたまま。


「城下は楽しいけれど、城内の宴は面倒なのよねぇ」


 まだ王族が皆の前に顔を出す時間ではない。第1王女シャルロットは第1王子キリヤと2人だけの待合室にて、そんな本音をぶちまけた。


「同感です」


 第3子以下の義弟妹たちは他の待合室にて今頃貴族の媚売りの時間を楽しみにしていることだろう。

 憂鬱な第1位の王子と王女は溜息をつきながら来たる宴の時間を待っていた。


「それにしても、キリヤ。デリウスから変な話を聞いたけれど大丈夫なの?」

「姉上の心配には及びませんよ」


 探るようなシャルロットの視線をキリヤは笑顔でかわす。躊躇することなく告げられれば、シャルロットも弟にそれ以上の心配はしない。それよりも先行する心配事が別にあるのだ。


「そうね。そんなことよりも、いまだ薄く残ってる平手打ちの跡のほうが心配ね」

「……それは無視してください」


 先ほどまでの余裕げな顔が一変し、不服そうな顔でキリヤが答える。いつも清々しい顔ですべてのことをやってのけるキリヤが態度を変えるのは楽しいものだ。だからキリヤとあの女騎士が関わる話は常にシャルロットの興味の種になっている。


「一国の王子に平手なんて、本来は重刑ものだけど」

「リリはいいんですよ。そうするように言ってるんですから」


 他がどう思おうと、キリヤの中で明確な線引きがある。リリアの前だけでは昔からキリヤはただのキリヤ・イェン・ウェルマイヤーだ。王子という肩書きなどそこにない。


「今からあなたに挨拶しようとしている妃候補たちが聞いたら、悔し涙を流すでしょうね」

「それはリリより綺麗な娘がいるなら、の話でしょう」


 平民出の王国騎士団師団長に、洗練された貴族の娘が劣るのは納得しがたい話だろう。しかし、リリア・ベルフェルトという女騎士の美しさは第1王女シャルロットも認めるほどだ。むさ苦しい男だらけの詰所にとどめておくのは実にもったいない。彼女さえ望めば、シャルロットは自分付きの侍女にしたことだろう。けれどそんな美しい少女が選んだのは体を張って黒き王子を護ること。もはや、その決意すら清らかで美しい。


「まったく相手にならないなら、流す涙もないでしょう」


 そう言ってキリヤはソファーから重たい腰を上げる。そしてシャルロットの前に膝をつき手を差しのべた。それが紳士の礼儀。王家の人間として叩き込まれた紳士の所作に感嘆しつつ、シャルロットは弟王子の手をソッと掴んだ。




✳︎✳︎✳︎




 王を始め、王家の者が宴に顔を出すと、広間の賑わいが色を濃くする。しかしながら貴族たちの目の輝きは、城下の民とは意味が違う。ただ憧れと尊敬の眼差しで見つめる民とは反対に、貴族たちの眼差しは今から始まる王族とのお近づきの喜び、私利私欲に濡れた眼差しでしかない。


 広間の前方に立つキリヤはシャンデリアの輝きを憂うようにして見つめながら、来たる多くの伯爵と令嬢の挨拶に耳を傾けた。


「キリヤ王子殿下。久方ぶりにお目にかかります」

「これはこれは、ファズリア伯爵。そちらにおられるのはファズリア家の御令嬢か」


 今しがた他の名家の貴族と挨拶を済ませたばかりのキリヤの元に新たな貴族が顔を出す。紹介までの要らぬ世間話が面倒であるため、キリヤは伯爵からの紹介を待たず、そばにいる着飾った娘に視線を向けた。


「我がファズリア家の長女、ピスティにございます。ほら、ご挨拶を」


 そう言って伯爵は一歩下がり、まるで献上するかのようにして自らの娘をキリヤに差し出す。目の前に現れた普通に美しい娘を見て、キリヤは薄い笑みを浮かべた。


「お美しい御令嬢だ。将来はさぞ美しい女性になられることだろう」


 嫌味のない爽やかな笑顔でキリヤが告げれば、令嬢は頬を赤く染める。その姿を素直に可愛いと感じることはあっても愛しいとは思わない。キリヤはそのまま話を切り上げるかのように、隣の伯爵へと視線を移した。


「それでは伯爵。またの機会にお話でも」

「え? あ、キリヤ王子殿下! あの……」


 あっさりと背を向けられるとは思っていなかったらしく、伯爵が慌てたようにしてキリヤのことを呼び止める。しかし、キリヤは何事にも気づいていないかのような笑顔で小首を傾げてみせた。


「まだ何か?」

「い、いえ……。その、ピスティも年頃の娘ですので、王子殿下も我々との会話より話が弾むのではと……」


 できる限りオブラートに包み、自らの娘をキリヤへと勧めてくる。伯爵の見え透いた考えも、意味のない遠慮もすべてを分かっていて、キリヤは変わらず王子然とした態度を崩さない。


「それは有難いお心遣いだ」

「ならば……」

「だが、私を会話で楽しませる人間ならもうずっとそばに据え置いているのでご安心を」


 伯爵に言葉を紡がせず、キリヤは淡々と突き放すようにして事実を伝える。キリヤにとって、目の前にいるピスティという女性もそれほど彼を楽しませる会話ができるような女性には見えない。

 昔からキリヤを本当に笑顔にしてくれる人間はただ一人に決まっている。


「で、デリウス様やラスターク様は王子殿下よりも少々年を重ねていらっしゃるでしょう? それに何より女の方とできる話はまた別の趣が……」


 どうやら伯爵はキリヤの話し相手を側近のデリウスや総団長のラスタークと勘違いしたらしい。キリヤが常に据え置いている家臣とすればその2人くらいなのだからそう思われても仕方がない。


「申し訳ない、伯爵。その者はおそらくこの国でも五本の指に入るほどの美しい姫君だ。安心なされよ」


 最大の牽制をもってキリヤは伯爵を退ける。

 颯爽と伯爵から逃げていくキリヤを今度呼び止めたのは伯爵でも男爵でもなく、キリヤのよく知るお目付役だ。


「どうした、デリウス」


 男にしてはやや長い金色の髪を揺らし、デリウスがキリヤ王子の前に立ちはだかる。その傍らにはドレスを着た娘が立っている。俯いていてその顔は見えないが、雰囲気からしても美しいことは伝わっていた。

 しかし、他の者ならまだしもキリヤの心を知っているデリウスが傍らに見知らぬ娘を連れているのは解せない。妃候補に勧める気なら尚のことだ。

 キリヤがデリウスから視線を外し、その娘の姿を訝しむように見つめていると、デリウスはクスリと笑い、先ほどの伯爵と同じような所作でキリヤの前にその娘を差し出してきた。


「デリウス、これはどういうつもりだ」

「殿下。宴がお暇でいらっしゃるなら、この娘と少々お話をされるとよろしいのでは?」


 デリウスの笑顔をキリヤは睨みつける。そして断る気満々でデリウスの仕向けてきた娘に視線を落とすと、キリヤは今度こそ固まって動けなくなった。


「お、まえ……っ」

「……王子殿下。……お初にお目にかかります」


 ぎこちない挨拶を口にしながら娘が顔をあげる。その顔はキリヤにとって、この城内の誰よりも美しく愛おしいものだった。

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