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《バルデルト王国・城内・王国騎士団詰所》
城内の一角、王国騎士団が鍛練を重ねる詰所は常にどこからともなく剣を振る音が絶え間なく響き渡る。血気盛んな若者共の声が周囲を囲う城壁や石造りの廊下に反射して、王城で唯一騒がしい場所といっても過言ではない。
しかし、今日は例外。
年に数回行われる王族参拝のパレードがある今日という日は、つまり民が王と王家の人間を直に目にすることができる大切な日だ。民と王族の限りなく近い接触に際し、王国騎士団のほとんどの人員が城下へと駆り出されている。
そうはいっても、ここは王国騎士団。自らの懐をガラ空きにするわけもなく、静かな詰所にはただ一人もしもの襲撃に備えて残らされた者がちゃんといた。
普段はたくさんの男たちが溢れる鍛練場で、今はただ一人が剣を振るっていた。
白銀の長い髪を揺らし、日光を反射する細剣が幾度となく空をきる。その者は王国騎士団でも数少ない女型の騎士服を纏い、7つある師団の団長だけが持つ自らの師団の腕章を身につけていた。
しかし、美しく弧を描くようにして振るわれた剣が突然そこでピタリと止まる。細剣を構えるようにして携えたその女騎士の視線の先には、詰所と城内をつなぐ石造りの外廊があるのみ。人がいればその石壁から上半身だけが見えるはず。しかし、彼女の視線の先には何もない。
「王家の方々は今頃民の前で挨拶をしている頃だと思っていたのですが……」
女騎士、リリア・ベルフェルトの静かな声が辺りに響く。石壁に反射する自らの声を耳にいれながらリリアは続きの言葉を外廊に向かって投げかけた。
「どうしてこんなところで骨を休めていらっしゃるんですか? キリヤ王子」
彼女が呼ぶ名はこのバルデルト王国第一王子の名だ。時期王候補の一人であるキリヤ・イェン・ウェルマイヤーがまさかこの事態において城内に留まっているはずがない。
しかし、リリアはしっかりとかの王子の気配をその身に感じ、彼なら公の行事であろうと何らかの理由付けをもって抜け出せることを知っていた。
リリアがそのまま外廊から目を離さずにいると、やれやれといった様子で黒に愛された容姿の男が顔を出す。石壁から上半身を見せた男はそのままリリアに笑いかけた。この場に似合わない王家の正装は、彼の姿にはとても似合う。
一月ぶりに見る愛しい笑顔にリリアの緊張は簡単に解けてしまった。
「さすがは第7師団団長。うまく隠れたつもりだったんだけどな」
この国では珍しい黒髪が揺れる。その黒髪と黒の瞳を見たいという理由で今日のこの日に城下に集う民もたくさんいるほどだ。
しかしそんな民の願いは届かず、肝心な『黒の王子』は一人の少女の前に姿を現した。呆れるリリアに対し、キリヤは石壁を軽々と飛び越えて鍛練場へと足を踏み入れていた。
「でも隠れてたのが俺と分かったのは、リリだからだろうけど」
リリアを『リリ』という愛称で呼び、キリヤは幸せそうに笑う。昔と変わらない笑顔を困り顔で見つめながら、リリアは携えた細剣を腰に収めた。
「城下でのパレードからいなくなったりして、デリウス様が探してるんじゃないですか?」
「デリウスにはちゃんと言ってきた。ついでに陛下と姉上にも」
デリウスというのは、キリヤ王子の側近の名だ。側近というよりほぼお目付役に近いのだが。いったい彼らをどういう言い訳で誤魔化してきたのかとリリアが目を細めれば、キリヤは悪戯っぽく肩を竦めてみせる。
「城にやり残した仕事があるから、少しの挨拶をもって帰ると告げたら、あっさり許してくれたさ」
爽やかな笑顔でキリヤはそう言う。そうして数メートルあったリリアとの距離を一気に詰め、そのまま彼は彼女をその胸に抱き寄せた。
「キリヤ王子!」
「2人のときくらい、その敬称はやめてくれよ」
騎士団の誰がいつ帰ってきてもおかしくない場所で、本来パレードにいるべきはずの王子に抱きとめられている。これはたかだか師団長にすぎないリリアにとって許された話ではない。だからリリアは精一杯の抵抗を試みるが、本気の力など出てこない。
「リリ」
師団長の任にあるリリアが本気で抵抗すれば、キリヤのことを突き放すことくらい容易い。けれどそれができないのはただ一つそこに忠誠より他の想いが存在するから。
「……バカ王子」
リリアはそう呟いてキリヤの黒一色の正装を握る。そんなリリアの銀色の長い髪を梳きながら、キリヤはクスリと小さく笑った。
「久しぶり。……会いたかった」
昨日まで城下から離れた街で一月ほどの任をこなしていたリリアがキリヤを目にするのは本当に久しいことだ。昨日帰還したところで、今日のパレードに際し、たとえ報告と称しても王族に会うことは叶わない。今日とてパレードの後の宴で空く時間などない。
おそらくそれを察して側近のデリウスも姉王女もキリヤが今このときにリリアのもとへ向かうことを許したのだろう。
「キリヤ王子。リリア・ベルフェルト、無事帰還しました」
先ほどまでとは違う、優しく柔らかな声でリリアはキリヤに囁いた。キリヤの手はリリアの綺麗な髪を梳き、流れのままに腰へと伸びる。日光で煌めく髪はキリヤの黒とは対照的な美しさを放ち、常に彼の目を奪う。
「なあ、リリ」
「はい」
「前々から思ってたことがあるんだけど」
そう言うキリヤの声はどこか楽しげだ。胸の中に囲ったリリアを横目に見つつ、キリヤの手がリリアの腰元で怪しく動いた。
「……っ!」
「女騎士の団服、スカートにするのはいいけど……短いと思わない?」
リリアの団服のスカートの裾をヒラヒラと捲りながらキリヤが彼女の耳元で問う。王子の特権か、遠慮のない動きにリリアの顔がどんどん赤くなっていく。
「さっきリリが鍛錬してるとき、何度も見えそうだったし。俺が団員だったらまず集中できな…」
「キリヤ王子」
ペラペラとためらうことなく喋り続けるキリヤを、リリアの低い声が制止させる。リリアの肩が震えるのを見て、キリヤも「まずい」と思ったのか逃げようとするが時すでに遅し。キリヤの胸ぐらはすでにリリアが掴んでいる。
「リリ。ストップ、誤解だか……」
「問答無用! この変態王子ーーーっ!」
城内に響くのは、木霊するリリアの叫び声と打撃音、そして一国の王子の呻き声。
空は快晴、城下が賑わう、そんな昼下がりのバルデルト王国のこと。




