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53.愛しさについて

出勤前、昨日の上尾さんの言葉を思い返していた。

―ちゃんと言葉にしないと本当の気持ちは伝わらない。

―見て話して行動を共にして、相手の本質を知る事。

何も知らない、何も見えていない状態であれこれ考えるのはもうやめにしよう。落ち込んでばかりいるのも。

願いを叶えるには思い続けるだけじゃだめだ。他力本願も当てにならない。思い続けて、努力をしなくちゃ。私の願いは私にしか叶えられないのだから。

何度も浮かんでは淡く散っていった決意をもう一度固める。

彼の真似をして両頬をパチンと叩いたら、何だってやれる気がした。



廊下からブースの電気が付いているのに気が付いて、今日沙希ちゃん早いんだなって思ってドアを開けたら、全然違う人が立っていた。

「あ、おはよう、ございます。」

驚きすぎて挨拶すらまともにできないのが恥ずかしい。今日は特別な何かがあっただろうか。

「おはよう。来てすぐに悪いんだけど、

 休憩室付き合ってくれない?」

立花さんはとても落ち着いた様子でそう言う。昨日の上尾さんに続いて立花さんからも個人的な呼び出し。内容なんて思い付きもしないけど、努力をすると決めたからにはどんな言葉も受け止めようと思う。今ならそれができるだろう。私はしっかりと頷いた。

立花さんの後を追って、歩き出す。こんな何でもない事がとても特別な事みたい。

スーツ越しにも分かる逞しい背中が優しく私を呼んでくれている様で、そんな事を思う自分が何だか可笑しかった。



休憩室に入ると椅子に掛ける様にと勧められて素直に応じる。いつだったかもこんな風に休憩室で話をしたな。……あれはコンパクトを貰った時だったと思い返す。

「あの、何て言っていいか分からないんだけど……。」

立花さんは隣に腰掛けたものの忙しなく立ち上がり、窓際へと移動する。ブースで挨拶を交わした時と違う様子に疑問も浮かぶけど、緊張している様にも見えて私も背筋を伸ばした。

「君が何と戦ってるのか俺には分からないけど、

 俺はいつも君の力になりたいし、君を助けたい。」

こちらには背を向けてゆっくり呟かれる言葉に、何となくだけど目的が分かる。

「君に一番に頼られる人になりたい。

 俺じゃだめな時もそりゃあると思うけど、

 千果じゃなく俺を、頼ってほしい。」

いつも先回りして私の手を引いてくれる。私が近付きたいと思う度、この人は自分から進み出てくれる。

だけどいつだって控えめで、離れる余地を与えてくれる。でも私は我儘だからもっと強引でいてくれたら迷いなく飛び込めるのに、なんてふと思ったりするんだ。

「……昨日、いやもう今日か。千果から電話があって。

 君は俺のために戦っているから、見ていろって言われた。

 その時は気が付かなかったけど、今になって

 あいつは君の事情を知っているんだ、って気付いた。

 俺の方が一緒にいる時間長いのに、

 俺には言えなくて千果には言える事があるんだ、って。」

「それは……!」

こんな事言える筈がない。反論しようと口を開くもいや、と遮られる。

「分かってる。ただの嫉妬だから。

 男と女では相談できる事できない事があるっていうのは

 当たり前の事だから、良いんだ。

 でも俺は君の事をちゃんと分かりたいって思ってるくせに

 君が俺を見るその目の意味に何も思い当たらないし、

 聞く事もできなくて足踏みして。

 またちょっと逃げ腰になってた。」

私が疑いの目を向ける度にそうやって不安にさせていたのかと思ったら申し訳なくて、でも同じ様に分かりたいって思っていてくれた事に嬉しくもあって。鼻の奥がツンとする。


「君を好きでいても良いのかなって、ちょっと思ったり。

 でもやっぱり君を好きじゃなくなる事はなくて。

 寧ろ君の事ばかり考えてるよ。」

沙希ちゃんが言った言葉を今やっと理解した。すぐに消えてしまう様な気持ちじゃない。本当に深く、強く、揺るぎなく胸に抱えてくれているものなんだと、確かに分かった。目が合い視線が絡む。

「もう何日もまともに話をしてない。君と話をしたい。

 世間話でも、仕事の話でも、愚痴でも。

 何でもいいから話をしたい。笑ってほしい。

 ……今日の夜、時間をくれませんか?」

見つめ合った瞳から優しさと愛しさが溢れて見えて、心が温かい雫で満ちる。あぁ、これが愛しいって事なのかなって、漠然とだけど頭の隅で思った。


「質問、でも良いですか?」

もっと可愛げのある事を言えたらいいのに。でもこれだって私で、そんな私でも好きだと言ってくれるから、今までよりも正直でありたい。

「え?」

「お話は質問でも良いんですか?」

「うん、勿論。君が聞きたい事何でも。」

「答えづらい事でも?」

食い気味に問い詰める様に投げかける。どうせ子供っぽいとでも思われたんだろう、目を細めて小さく笑う。

「何を聞くつもりなの?

 でも君が聞く事なら何でも答えられるよ。」

そんな事言って後で後悔しても遅いんだから。私は約束を取り付けた子供みたいに念押しで聞く。

「言いましたね?もう答えられない、はなしですから。」

「分かった。」

「覚悟してくださいね。」

言い合ったら自然と、本当に自然と笑みが溢れる。

私達はいつも同じ失敗を繰り返しては、誰かが助けてくれなきゃ正常な思考を保つ事すらままならないのに、どうしたってやっぱり一緒にいたい気持ちには変えられなくて。

周りに迷惑をかけながら、その優しさに甘えながら、少しずつ前に進んでいく。

もう少し頑張って触れ合えるまでに近付けたら、迷いなく飛び込んでいくから、その時は受け止めてほしい。

夢うつつに感じた、私を抱き抱える暖かな腕の感触を思い出していた。



「この時間までどこ行ってたんスか!!」

「何かあったのかって心配しましたよ!」

「2人とも携帯置いたままいなくならないでください。」

「もー。今から探しに行こうかと思ってたんですよー。」

ブースに戻ると激しく詰め寄られる。休憩室にいる間に9時を過ぎていたらしく、荷物を置いたままで戻って来ない私達をかなり心配していてくれたみたい。

「ごめんなさい……。」

「すみません……。」

謝るしかない。時間の事、全然気にしていなかったもん。いや、まさかそんなに時間が経っているともおもわなかったから。

「まぁ、2人だから大丈夫かとは思ったんですけど。」

「寧ろ時間厳守の2人だからこそどうしたのかって。」

「悪い。休憩室にいたから。」

「あぁ、あそこ時計ないですしね。」

バッグの中に入れっぱなしだった携帯には、沙希ちゃんから3度も不在着信が残っていた。ちらと窺うと少し意地悪な顔で笑われた。心配させてごめんね。……ありがとう。

「さっき、島崎が来てたんです。

 立花さんにお願いしたい事があったらしくて。」

「そうか、行ってきた方が良いかな。」

「それなら私も行きましょう。」

広報課は危険がいっぱいだし、またこの前みたいな事になったら嫌だ。立花さんを守らなきゃ。

「後でまた来るって言ってたんで待ってたらいいですよ。」

そう聞いて安心した。正直勢いに負けてしまいそうで怖いから。

「さて、じゃ仕事するか。」

その弾む様な声に、妙に心がわくわくした。


 

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