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45.彼への我儘

今日はお客さんの少ない日らしく、私達が着いた時にはカウンターから離れた奥の座敷に1組だけで、千果さんは声を小さくしてプライベート用の口調で話し掛けてきた。

「今日は何を飲む?」

「明日も仕事なので、今日はやめておきます。」

そう断ると、

「どうせコウに送らせるんだから、飲めばいいのに。

 こんな都合の良いアッシー君いないと思わない?」

とからかう様に言う。流石にそれは思わないけど、千果さんの言い草が可笑しくて笑ってしまう。

立花さんはそんな私達の様子を見て、何やら神妙な面持ちをしている。

…いつの間にこんなに仲良くなったんだ?」

雰囲気の違う立花さんに、千果さんと顔を見合わせる。先日の、沙希ちゃんも交えた女子会の事を知らないから不思議に思ったんだろう。

「秘密。」

だって半分以上立花さんの話だったもの。本人に聞かせる訳にはいかないし、千果さんも同じつもりの様だ。千果さんの場合は「その方が面白い」とでも言うんだろうけど。

「ふーん。」

「拗ねてるわよ。フォローよろしく。」

千果さんはそう告げて座敷にお酒を運びに行った。拗ねてる、と指摘されたからかますます難しい顔をしているのが何だか可愛らしくて、

「ふふ、あら、どうしましょう?」

なんて本人に聞いてみた。そうしたら目を逸らして箸を伸ばすから、それがまた面白かった。


こんな事をして楽しんでいる場合じゃなかった。たわいもない話をしている時にそれに気が付いて、姿勢を正す。

「立花さん。」

「ん?」

いつもの反応を受けて一息に言う。

「今日の私の選択は間違ってなかったでしょうか?

 私自身が考えたとはいえ、皆の意見を聞かずに

 自分の気持ちだけで、すると決めてしまいました。

 窓は普通の窓でも良かったのに、

 自分の意見に拘りすぎたかな、って。」

年末までこの仕事1本だとはいえ、これまでの企画の事で他の課と連絡を取り合ったりもしなくてはならなくなるし、忙しくない訳ではない。その中で建築中の確認だけでなくシーグラスで窓をデコレートしていく時間も取られるとなると、皆の負担になってしまうんじゃないだろうか。

そしてこれから内装も考えていく上で、シーグラスを使う事は足枷にならないだろうか。

そう考えていくとこれからの事が不安でならなかった。

「良い選択をしたと思うよ。」

立花さんは静かに、でも強く答えてくれた。疑っているつもりはないけれど、聞き返してしまう。

「本当ですか……?」

「君の意見は君だけの意見かもしれない。

 他に同じ考えの人がいなかったら、

 君がそれを発信しなければ埋もれてしまうよ。」

実際6人がそれぞれに考えた店は1つとして被ってはいなかった。誰も気付かなかった点から新たなアイディアが生まれる事だって沢山ある。

「だからさ、君はもっと我儘になっても良いと思うよ。

 こうしたいんだ、ってもっと主張したら良い。

 もし暴走したらちゃんと止めるし、

 失敗してもちゃんとフォローするから。

 もっと我儘言ったら良い。」


仕事の話をしているって分かっているのに、思考が違う方向に流れていく。

立花さんといるととても我儘になって、そんな自分が嫌になる。だから隠しているのに、そんな優しい言葉をかけられたら、もう立花さんが見ている私じゃなくなるかもしれない。

私を見つめる瞳があまりに優しいから、そんな事さえ許してもらえる様な気がしてしまう。

嬉しくて、怖くて、涙が出そう。どうしてこんなにも暖かに私の心に触れるのだろう。

「無茶な事お願いしても、聞いてくれるんですか?」

涙を誤魔化す様にからかう。それでも平然と受け止めてくれる。

「あんまり無茶言われると困るけどね。

 叶える努力はするよ。」

「言わないだけで、私すごく我儘かもしれないですよ?」

本当にすごく我儘なんだ。きっと全部を曝け出したら煩わしくなる程に。だけどそんな私の危惧を笑って弾く。

「逆にどんな我儘が出るか楽しみだ。」

「驚く様な我儘、考えときます。」

1つ言うだけで驚いてしまうかもしれない。一体どんな事を言うか分からないのに、

「いつでもどうぞ。」

なんて言ってのける。

……それを言うのは私だけにして、って言ったら困りますか?



私達が話している間にもお客さんの出入りが何度もあったらしく、続けざまに帰って行くお客さんと見送る千果さんの声が後ろで聞こえてきた。それでどうやら客は私達だけになった様で千果さんがカウンターに戻って来た。

「ねぇ、泣きたい時にお薦めの本、教えてよ。

 あんた達の好きな、世良何とかのでいいから。」

後半の投げやりな感じに、あまり興味がないんだろうなと考える。

「何かあったのか?」

「そこは聞かぬが花でしょ。」

「本、読めるのか?」

「失礼ね。読まないだけで読めない訳じゃないわ。」

その会話から千果さんは幼馴染の立花さんが驚く程、本を読まない人だと分かった。確かに泣きたい理由を聞くのは無粋だろう。ふと林田君の顔が過ぎった。

「泣けるってよく言われてるのは、

 『かりそめの愛』かな?」

そう尋ねられて悩む。泣ける、と売り出された本だし私も読んで泣いたけど、あんなに悲しい話で良いのだろうか。泣けたらいいと言うのなら薦めるけれど。

「確かに泣けますけど、悲しい涙ですからね。

 千果さん、どういうのが良いですか?」

「どんなのでも良いんだけどねぇ。

 泣いてスッキリしたいって言うか。

 いわゆるデトックス効果?みたいな。」

スッキリしたいならあまりお薦めできないかな。それならやっぱり読み終わってほっとできるアレだろうか。

「『ゼラニウムが咲いたから』でしょうか。」

「俺もそう思った。」

立花さんも賛同してくれる。あの話はきっと誰が読んでも疑問を残さず落ち着いた気持ちで終われると思う。

「そんなにいいの?」

「はい。最初は少し重めに感じるかもしれないですけど。」

「デトックスになると思うぞ。」

千果さんは少し考えて、

「その本ってまだ本屋にある?」

と聞いてきた。どうやらそれを読む事に決めたらしい。記憶を巡らす。

「あー、どうだったかな?」

「確か1990年代発行の本なので、古本屋行きですかね……。

 本当に良い本なのに……。」

もっと評価されるべきだと思う。いつまでも古臭くならない作風だから、読む人を選ばないのが世良颯人の作品の良いところだ。

「そう。じゃ古本屋行ってみる。

 って、この辺に古本屋なんてあったかしら。」

立花さんでさえ首を傾げている。意外に知らないんだな。


「ありますよ。駅の裏で分かりづらいんですけど。」

メモ用紙をもらって駅からの地図を書く。2人共この店の存在さえ知らないらしい。

「風見書店っていうお店で、結構小さいんですけど

 品揃え豊富ですし、綺麗に整理されてるので見やすい

 良いお店です。角の自動販売機が目印です。」

「ありがとう。行ってみるわね。」

あの本が千果さんの琴線に触れるといいな。そして世良颯人の作品の魅力に気付いてくれたら尚の事嬉しい。

「菅野は古本屋もよく行くんだな。」

そう問われて頷く。最近は行けてないけど、店主のおじさんの得意料理がビーフシチューだと知っているくらいには常連だ。

「はい。古くて知らない本を発掘するのも好きなんです。

 立花さんはあまり行きませんか?」

「この辺では行かないな。他県でよく行く店はあるけど。

 あとは地方でする古本市に行ったりするかな。」

「そうなんですか。すごいですね。」

古本市は聞いた事はあるけど行ってみた事はない。きっと楽しいんだろうな。何時間でもいられるんじゃないかと思う。

「今度、その古本屋連れて行ってくれる?」

私もお願いしようとして先を越されてしまう。こんなに近くの古本屋で良いならいつでも。

「はい。勿論です。

 あの、私も今度その古本市連れて行ってもらえますか?」

「あぁ、あんまり回数ないけどある時は誘うな?」

「はい。お願いします。」

私の1つ目の我儘にすぐ応じてくれた。気になっていた古本市に立花さんと行ける。地方だって行っていたから少し足を伸ばすのだろうけど、旅行に行くみたいで絶対楽しさ倍増。

いつ行けるか分からないのにこうして言葉を交わすだけで、その約束が必ず実現すると思えるから不思議。

……絶対に、一緒に行きましょうね?

 

 

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