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27.息が詰まる程

翌日の朝、家で気合を入れてきたけれど会社が見えてくると少しずつ緊張感が増していく。

挨拶をしたら、まず何を言おう。とりあえず昨日の事をきちんと謝って、それから今後思った事は曖昧にではなくちゃんと言葉にするって言ったら、伝わるだろうか。

深呼吸、深呼吸。笑顔。……だめだ、緊張で体温が奪われる。頑張れ、私。


ブースにはまだ誰もいない。また一つ深呼吸をして鍵を開ける。入ろうとドアノブに手をかけた。

「菅野!」

弾ける様な声で後ろから名前を呼ばれる。驚きと緊張のピークで勝手に肩が跳ねる。続いておはよう、と声が聞こえて体ごと振り返る。

「おはようございます。……立花さん。

 あの、昨日は、」

「あぁ、いいから。謝らないで。」

そう言いながら私の横に来てドアを開く。開かれたら入るしかなくて一歩前へと踏み出した。

謝罪の言葉は呆気なく止められて、それだけで私の脳内設計はがたがたと崩れていった。次の言葉を見つける事すら難しい。ブースのドアがパタリと閉まる。

「分かってないと思うけど、正直嬉しかったから。

 君が俺の事を少しでも考えてくれてたって事。」

本当に嬉しそうに微笑むから、曲がった感情さえ肯定されている様で胸の奥が苦しくなる。

「昨日言った事、覚えてる?」

「え?」

「俺の事好きにならなくてもいいから、

 近くにいさせて、って言ったの。」

どんな気持ちでこの言葉を繰り返すのだろう。忘れる訳がなかった。

「あれ、訂正する。

 俺の事、好きになった上で、隣にいて。」

射抜く様に私を見つめる瞳は、熱と慈しみと甘さが混同していて目が離せない。頭の中がぼやけて無意識に頷いてしまいそう。力の抜けた右手が向かい合った左手でそっと握られたのが、見なくても分かった。柔らかな肌と節張った指の感触。伝わる体温が熱いのに心地良い。

「それだけ、覚えておいて。」

はっきりとした声は意志の強さを表していて、これが本当の気持ちだと言われているみたいで。伝えられた言葉からも、合わされた目からも、触れられた手からも。愛みたいなものを感じ取ってしまう。息も止まる程に胸が苦しい。

やがて微笑んだまま手が離れていく。背中を向けられてもなお、私の視線は惹き付けられたまま立花さんを追っていく。冷やされた空気に触れた右手から熱が奪い取られるのを感じて、左手でしっかりと包み込んだ。


「おはようございまーす。」

沙希ちゃんの声が突然響く。ドアの開く音は全く聞こえなかった。

「おはよう。」

「ッ、おはよう。沙希ちゃん。痛ッ……。」

一拍遅れて挨拶をしながら振り返ると、デスクとの距離感が掴めず左手をしたたかに打った。手にいらない熱が加わった。

「大丈夫か!?」

「大丈夫!?」

「……大丈夫です。」

2人が叫ぶ様に心配してくれる。嬉しさよりも恥ずかしさが勝る。何やってんだろう。びりびりする痛みをなくそうと摩ってみる。何だか変な空気にしてしまった。

「こ、コーヒー、淹れますね!」

一言告げて給湯室に逃げ込む。

1人の空間にほっと息をついたけれど、少し向こうから話し声がうっすらと聞こえて寂しくなった。頬を叩いて自分を奮い立たせる。美味しいコーヒー、淹れるぞ!



美味しいと意気込んでもいつもと何か違う訳じゃないけど。気持ちの持ち様だよね。

コーヒーを注いだそれぞれのマグカップをお盆に載せて戻る。すると、立ったまま楽しそうに笑う立花さんとその正面で唸りながらデスクに突っ伏す沙希ちゃんという、思ってもみない構図。近付くと低い唸り声がより鮮明に聞こえる。

「え、沙希ちゃん?どうしたの?」

「もう立花さん、嫌い!!」

沙希ちゃんは厳しい顔で立ち上がったかと思うと、駆け寄ってきて私を背中から抱き締める。こんな短い時間に嫌いとまで言われるって何があったんだろう。

「立花さん、何かしたんですか?」

「いやいや、元はと言えば金城が!」

必死で弁解しようとする立花さんに面白くなる。私も少しは強く出てみても良いかな。

「立花さんの方が年上なんですから、

 譲歩してあげてください。」

「えぇー……。」

不満げな態度を示すから、母親の様な気持ちで視線を送る。

「……気を付けます。」

肩を落として、まだ不服そうにしながら言う姿は子供みたい。可愛いなんて思ったらやっぱり失礼だろうか。もう何度も思っているけれど。立花さんは私の横に目線をずらして睨む様に眉間に皺を寄せた。

「……金城、夏休み明けの仕事、楽しみにしとけよ……。」

低い声が告げる。沙希ちゃんは怖いのか腕に力が込もる。苦しいからやめて……。

「おっはようございまーす。」

いつも以上に快活な挨拶をする林田君が救世主に見えた。



「林田君、何か良い事あったの?」

朝の挨拶からずっと聞いてみようと思っていたけれど、タイミングが掴めずに終業時間になってしまった。どこか寄る所があるらしい林田君が、途中まで一緒に行こうと誘ってくれてやっと聞けた。

「え、分かっちゃう?」

「うーん、何となくだけど。」

本当に何となく。挨拶がいつも以上に元気で、元からよく笑う人だけどいつもより笑みが深いというか。

林田君はそんな私の答えに、大きくうんうん、と頷く。

「菅野ちゃん、よく見てるねー。もしや俺の事、好き?」

「へ?」

「でも、ごめんね!俺には千果さんという大切な人が

 いるからさっ。その気持ちには答えられないんだ!」

歩道を踊る様に歩くから、ちょっと隣にいるのが恥ずかしい…。勝手に話進んでいるし。本当はそんな事思っていないんだろうけど。

「千果さんと何かあったの?」

「聞いてくれる?!」

食い気味に言われて小刻みに頷く。聞いてほしかったらしい。

「実はさぁ、この前立花さんと飯行った時に、千果さんが

 最近中華にハマってるって聞いて、次の日に早速みのりに

 行ってお誘いした訳よ。今度食事に行きませんかって。

 確率は半々ってとこだなって思ってたんだけど!

 なんと即OK頂いて、それが昨日だったんだよ!!

 私服姿の千果さんも綺麗だったな……。」

「わぁ、おめでとう!良かったね。

 ……でも平日の夜なのにみのりはどうしたの?」

疑問を浮かべる私とは対照的に少し恥ずかしそうにしている。照れているのかな?

「それがさ……休みにしたんだって!

 やばくね?俺とのご飯のために店休みにしたとかさ。

 メニューが中華だったからだけじゃないと思うよね?

 ちょっと俺、自信持っちゃっても良いかな?」

林田君から誘われた食事のために、たった1人で切り盛りするみのりをお休みにした千果さん。これってやっぱり、そういう事だよね?

「うん。きっと林田君だからだよ。」

「……そうだと、いいなぁ。」

そう呟いて空を見上げる林田君はとても幸せそうに笑っていて、はっとする。千果さんも同じ気持ちなら素敵だななんて無責任に考えてみる。でもみのりで毎回褒める林田君に向けられる千果さんの瞳は、特別優しく見える。

千果さんも今こんな風に笑っていたら、素敵だな。


 

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