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15.秘密の会話

「紹介したいお店、ですか?」

「うん。喫茶店なんだけどさ。

 仕事始めてからだからもう10年通ってる。」

「そんなにですか。」

「店も良いんだけど、マスターが本当に良い人で。

 相談に乗ってくれるし、父親みたいに思ってるんだ。

 ……向こうは嫌がるかもしれないけどさ。」


大通りを突き抜け裏道へと入っていく。立花さんにご両親がいない事は聞いている。「父親みたいに思っている」と頭を掻きながら話す立花さんが照れているのが分かった。私達に見せるのとは違う顔。マスター、素敵な方なんだろうな。


ここだ、という声に目をやると、そこには落ち着きのある佇まいの喫茶店。外のブラックボードには<baby's breath>と書かれている。確かかすみ草の事だったと思う。店の名前だろう。可愛らしい名前。ますますどんな方なのか楽しみ。

立花さんが重そうな扉を開くと、カランコロンと楽しげな音が鳴る。その背中に続いて足を踏み入れる。

まずはコーヒーの香り。扉が閉まり鐘の音も止むと心地良い静寂。その向こうから緩やかなメロディーに乗せて語りかける様に歌う声が流れてくる。

「幸多、いらっしゃい。」

「マスター、こんにちは。」

渋い声が親しげに立花さんの名前を呼ぶ。マスターと呼ばれた初老の男性。目尻に刻まれた皺が人となりを物語っていて、その柔和さに自然と笑顔になる。

促されて奥のテーブルまで進む。暖かみのあるウッド調のインテリア達。そこに溶け込む優しい色のランプ。微睡みの中の様な柔らかな空気が、ここには流れている。

「素敵な喫茶店ですね。」

「だろ?俺の一番好きな場所。」

そう言う立花さんの向こうから、マスターが近付いて来る。

「幸多、今日は素敵なお連れ様がいるんだね。」

「うん。どうしても連れて来たかったから。」

「そうか。改めていらっしゃいませ。」

その会話は本当の親子の様なそれで。そこに迎えられる気分は何だかそわそわする。

「ありがとうございます。菅野湖陽と申します。」

「ご丁寧にありがとう。マスターの景行聡かげゆきそうです。」

挨拶をすると皺を更に深くして微笑んでくれる。景行聡さん。このお店のマスターで、立花さんが父親と慕う人。

「コウ、もしやこの方かな?」

この方?私の事、何か話していたのかな?不思議に思って立花さんの横顔を見つめる。

「うん。この人が、」

そこまで言ってから私を見る。小さく笑ってマスターに静かに言う。

「俺の好きな人。」


全身の血液が倍速で循環し始めたみたい。心臓は今にも飛び出しそうで、それなのに頭の片隅で、愛されていると感じてしまった。俯いて、顔の熱が治まるように念じてみる。

「素敵な人だね。」

誰が、と言わなくても話の流れで否応なしに分かってしまうから、妙な居心地の悪さにどうしていいか分からなくなる。マスターが菅野さん、と私を優しく呼ぶ。それが少し、立花さんに似ていた。

「幸多がお世話になっています。」

「いえっ、こちらこそ、とてもお世話になっていますっ。」

思わず閊えるのも気にしてはいられない。何とか言い切る。お付き合いしている人のご両親への挨拶というのはこういう感じなのか、とか考えてしまった。

「さて、いつもので良いのかな?」

「そうだな。菅野、嫌いなものあったか?」

「いえ、あ、りません。」

「お飲み物は何が宜しいかな?」

問われて答えなきゃと焦る。テーブルに置かれた小さなメニューにモカの字を見つけて、それを頼む。

「はい、では少々お待ちくださいね。」

行っちゃった…。他にもお客さんがいるのに、まるで2人きりの様で。朝よりもこれはしんどいかもしれない。


「菅野。」

失礼にも肩が跳ねて、気の抜けた返事を返す。少し困った様な顔をしてこちらを見る。

「ごめん、突然。

 でもマスターには前から菅野の事話してて。

 いつか会って欲しいって思ってたんだ。

 さっき菅野が好きなものを教えてくれて、

 俺も自分が好きな所に連れて行きたいって思ったんだ。」

その言葉も眼差しも息が止まる程真っ直ぐで、それだけで何故だか激しかった心臓が落ち着く。素直にここにいる事が嬉しいと、そう思った。

「素敵な所に連れて来てくださって、ありがとう

 ございます。立花さんのルーツがここにあるって

 よく分かります。」

下げた眉に揺れる瞳、小さく唇を噛んで、それから微笑んで。この顔はきっとまだ、誰も知らない。


「ん、美味し。」

予想以上の美味しさに目を見張る。思わず笑顔が溢れるのは、ただサンドイッチが美味しいから?

「だろ?」

自慢する様に言う。まるで子供みたい。今日は立花さんが何やら可愛い。

モカもサンドイッチによく合っていた。美味しい、と繰り返しながらのランチタイムを終えると、立花さんの携帯が着信を知らせる。苦い顔で逡巡する様子に、あまり嬉しくない相手らしいと分かる。

「電話ですか?」

「あぁ、千果から。」

千果から、だって。

「私は気にせず、出てください。」

「んー、分かった、ごめん。」

渋りながらも携帯を手に入口へと向かう背中を見つめる。私が言ったのに。私が出てくださいって言ったのに、どうして取り残された様な気持ちになるの?

扉に手を掛けこちらへ振り向くから、詮索する事をやめてぎこちなく笑い返した。


「菅野さん。」

マスターがゆったりとした動きでやって来る。

「とても美味しかったです。」

「お口に合った様で良かったです。」

そう言って、マスターは窓の向こうに目をやる。立花さんが電話を耳に当てたのが見えた。

「私がこんな事を言うのは少し違うとは思うがね。」

マスターがこちらを向く。

「あの子は貴女の事を、とても大切に思っている様だ。

 いずれ自分の過去を貴女に話す時が来るでしょう。

 それはあの子にとって思い出すのも辛い過去だ。

 だが、大切に思う貴女だからこそ聞いて欲しいと。

 その時はどうか、あの子の言葉を、受け止めてやって

 ほしい。ただ聞くだけでいいから。」

その真剣な表情は、立花さんを心から想っている事を伝えていた。過去。思い出すのも辛い程の固く閉ざしたそれを立花さんが私のために開けたいと望んだ時、私は。

「…はい。それが私にできる最上の事なら。」

無責任かもしれない。答えすら出さずにその時を願うのは間違いかもしれない。それでも私は、立花さんを知りたいと思うから。

「笑顔で、辛かった過去を受け止めたいです。」

「……ありがとう。やはり貴女は素敵な人です。

 もし。もしも貴女が幸多と共に歩む事を選んだら、

 その時はまたこうして2人で来てください。」

マスターはそう言ってから、少し楽しそうに笑って、

「これは無理強いではありませんよ?

 ですがあの子は。幸多はとても良い子です。」

と、小さな子供の事を話すみたいに言う。きっと本人が聞いたら怒っちゃうだろうな。

「よく、知っています。」

私は笑ってそう答えた。


「何の話?」

気付くと立花さんがすぐそこまで戻って来ていた。

「あぁ、幸多。大した話じゃないよ。

 口にあったか聞いていただけだ。ね?」

「はい。本当に美味しかったです。」

マスターの目配せに応じる。立花さんはマスターと私を交互に見ながら、その顔は何だか不機嫌そう。その顔は帰りの車中でも続いていた。

電話の内容があまり良いものではなかったのか、とも考えたけれど途中で千果さんの連絡先を教えてもらった時に違うと分かった。じゃ、私?何かいけなかった?

聞こうにも聞ける雰囲気ではなくて、冷たい沈黙が怖かった。


マスター、私はここで行き止まりでしょうか?


 

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