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12.思わぬ共通点

翌日は幾分すっきりとした気持ちで仕事を始められた。今まで止まっていた手も少しずつではあるけれど動き出した。お母さんのアドバイス通り、友達を思い浮かべてみる。沙希ちゃんや夏依ちゃん。仕事仲間ではあるけど、大切な友達だ。でも2人をイメージしながらだとどうも、描き上げたものが可愛い雰囲気になってしまう。今はそこが悩みどころだ。


金曜になると、やっぱり男性も付けられるこのじゃないといけないよな、と考えて実を思い浮かべてみたりした。大人になった実とはまだ会っていないから、上手くイメージが湧かない。その日一日費やしてみたけれど、どうやら実では考えつかないらしい。別の視点から考えてみることにしようと決めた。


そして終業時間。やけに皆がばたばたと帰り支度を始める。というより沙希ちゃんが皆をせっついているみたい。何かあるの?と聞こうとしたけれど、笑うだけで凄い勢いで帰っていった。

まぁいいか。明日は何をしようかな。

「菅野。」

正面から声が掛かる。2人きりのブース。考えると少し緊張した。

「はい。」

返事をすると、立花さんは合わせた目を逸らして斜め下に視線をやる。何も言わない立花さんを不思議に思って呼び掛けると、はっと我に返った様で視線が戻される。

「悪い。あの、これから時間あるか?

 良かったら飯、食いに行かない?」

こんな事は初めて。皆での飲み会の経験は何度もあるし、仕事の出先でランチくらいなら2人で行った事はある。でもこれは完全に、プライベートのお誘いだ。

相手がどんな人なのか、知る努力をしなさい。お母さんの言葉を思い出す。

「はい。是非。」

口が先に答えていた。私は純粋に、プライベートの立花さんを知りたいと思った。

「そうか。……何食べたい?」

口元を綻ばせる立花さんに、考えるまでもなく答えは出る。

「千果さんの鯖寿司が。」

立花さんの好きなものの味を知りたかったから。



「千果ちゃーん。」

「はぁい。ちょっと待って下さいねぇ。」

お客さんの声に千果さんがカウンターを離れる。私達の前には数種類の小鉢。まずは野菜を食べるように、と千果さんが出してくれたものだ。一番の目的だった鯖寿司は旬じゃないと断られてしまった。女将さんとしては旬のものを食べて欲しいだろうからごもっともだけど、ちょっと残念だった。

しかも会社ではあまり思わなかったけど、千果さんが離れて立花さんと2人きりである事を思い出す。せめて鯖寿司で意識をそっちに向けたかった。


「酒、飲んでもいいからな。いつもあんまり飲めないだろ?」

立花さんが言う。プライベートな立花さんだ。何となくだけど分かる。どうしようかな。でもタクシーで帰るし折角だから。

「そうですね。ありがとうございます。

 千果さん、美味しい日本酒ありますか?」

タイミング良く戻ってきた千果さんに聞いてみる。

「ありますよー。

 私のおすすめで、涼冠というんですけどね。

 冷やしで飲む日本酒なんです。

 小瓶しかないんで、飲みすぎなくていいですよ。」

お酒好きの千果さんが言うなら間違いないだろう。飲みすぎなくていいというのも魅力的。一応上司と来ているのに飲みすぎるのは駄目だよね。

「ふふ、じゃあそれを。」

「はい、お待ち下さいね。」

そう言って瓶の蓋を外してから、2つのガラスのお猪口と一緒に出してくれる。

「いや、俺はいい。」

どうしたのかな、調子が悪い?私の心を代弁して、千果さんが聞く。

「飲まれないんですか?」

「送っていくから。」

その返答に主語はなかったけれど、私をである事は明らか。慌てて止める。

「立花さん、いいですよ。タクシーで帰りますから。」

「でも俺が誘ったし。」


さっきまでとは違う上司の顔で言われる。でも今日はここで引き下がらない。知るなら同じものを楽しみたいし、正直素面でいられるとより緊張する。

「寧ろ折角誘って頂いたので、一緒に飲みたいです。」

「……じゃ、飲む、かな。」

一瞬考える仕草をした立花さんは苦い顔で折れてくれた。

「瓶のデザインも可愛いですね。」

透き通る淡いブルーの小瓶。可愛らしい涼冠の文字。立花さんのお猪口に酌をする。今までの飲み会ではこういう事はなかったから、手が震えそう。

「ありがとう。貸して。」

そう言って私に酌をしてくれる。恐縮してしまう反面、上司と部下ではなく対等に向かい合えそう。心持ち穏やかにお猪口を傾けると、良く冷やされたお酒がすぅっと入ってくる。舌触りは柔らかで、爽やかな甘みが鼻を抜け、後には独特な苦味や渋みもあるけどくどくない。

「良い酒だな。」

「はい。美味しいです。」

緊張は拭えない。けれどこの空気がどうしようもなく私を落ち着かせて、心地良さに笑みが溢れた。


お酒と食事を楽しんでいると、立花さんが口を開く。

「……菅野は、休みの日は何してるんだ?」

「お休みは仕事に使えそうなアイディアを探しに出ますね。」

外国発祥の雑貨屋を回ったり、美術館に行く事も。

「……本当に仕事好きだな。まぁ、分かるけど。」

立花さんもそうなのだろう。この仕事をしていると自然とそうなってしまう気がする。

「趣味とかないのか?」

趣味と言ったら読書くらいのものだ。子供の頃からずっと。

「へぇ、好きな作家は?」

聞かれて答えようか迷う。だって知っていると言う人にまだ出会ったことがない。でも答えないのもおかしいよね。

「えと、世良颯人ってご存知ですか?」

「知ってる。俺も好きでデビュー作から全部持ってる。」

え、デビュー作から全部ってすごすぎる。こんな身近に知っている人がいるなんて!!

「本当ですか!?周りに知ってる人、全然いないんです!!」

思わず声が大きくなってしまう。他のお客さんもいるのに。少し声を落とす。


「立花さんはどの作品が好きですか?」

「『吹き荒ぶ荒野の中で』かな。

 サイコホラーだったけど、臨場感すごかったし。」

そのチョイス。好み似ているかも。泣けるんだよね、あれ。

「確かにあれは良かったです。

 犯人の妹が駆け寄るシーンは思わず泣いちゃいます。」

「菅野が好きなのは?」

沢山ありすぎて絞るのが難しい。どれも好きですけど、と前置きしてから

「……一番は『転身』ですかね。

 あんな探偵、他の人では描けないと思います。」

と答える。自分の芯をしっかりと持った探偵。彼は私の永遠の憧れだ。

「意外だな。『白羽の矢』とかかと思った。」

『白羽の矢』は学園ミステリ。高校生達が学校で起こる事件を解決する話で、確かに面白いんだけど。

「それも良いんですけどね。刑事さんが怖くて。」

「あぁ、分かる。」

笑って同意してくれる。やっぱり好みが似ているみたい。こんな共通点があったなんて。立花さんも少し嬉しそうで、お酒がどんどん進んでしまう。


「でも、全作品持ってるなんてすごいですね。」

「無類の本好きだからな。壁一面本棚なんだ。」

「え!すごい!!私それ子供の頃からの夢なんです。」

また声が大きくなる。だって羨ましい。本当にずっと思い描いてきたから。

「いいなー。今まで借りる方が多かったので、

 あんまり持ってなくて。あと10冊増やしたら、

 大きい本棚買おうって思ってるんです。」

立花さんにこんな話をしている事が不思議でならないんだけど、話したくてたまらない。好きなものが一緒だったからかな。


あぁ、眠たい。飲みすぎてしまったかな。話に集中しすぎて自分がどれだけ飲んだかも確認していない。帰らなきゃ迷惑がかかる。分かっているのに。

重たい瞼をもう、上げることはできない。


 

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