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えんどう豆の上に寝たお姫様

作者: 文月みつか

 あるところに、婚期を迎えお姫様を探している王子様がおりました。


 この王子、とても理想が高く、自分の妃になるのは本当のお姫様でなければならないと考えていました。「本当の」お姫様とは、正直なところ明確な定義はありませんが、ともかく、王子と、その両親である王様と王妃様も納得するような、見た目も中身も美しい高貴な姫の中の姫という意味でしょう。


 王子は世界中を旅して探しましたが、そんな人物そうそうおりません。どのお姫様も何かしら欠点が見えてしまうのです。王子はとうとうあきらめ、肩を落としてお城に帰ってきました。



 ある晩、ひどい嵐がやってきました。雷がとどろき、雨が激しく降り注ぎ、川は氾濫し、とてもひどい有り様でした。まるで王子の胸中を表しているかのようでした。


 大きな窓に打ちつけ流れる雨を見て王子が感傷にひたっていたその頃、ひとりのお姫様が道をさ迷い歩いていました。寒さと雨をしのぐためにローブを羽織っていましたが、この嵐ではまるで役に立たず、腰下まであるふわふわの長い髪も、上質な布で仕立てたドレスも、ドレスに似合いのおろしたての靴も、すべてが台無しになっていました。しかしそんなことよりも姫の心にこたえたのは、母から譲りうけた真珠の髪留めが、嵐の混乱でどこかへいってしまったことでした。


「なんてことかしら! ただでさえくせっ毛なのに、髪留めがなかったら広がりほうだいじゃないの! でも、この雨なら関係ないか……」


 姫は挫けそうでしたが、元来タフなたちでしたので、どこか泊めてくれる宿を探して歩き回りました。


 やがてお城が見えてきました。黒雲に覆われていたため少々不気味でしたが、その城は立派なもので、姫が生まれ育ったところよりも数倍大きいようでした。


 ちょうど姫が見上げた時に稲光が走り、窓のひとつに人影が浮かび上がって、一瞬目が合ったような気がしました。しかし再び目を凝らしてもよく見えませんでした。月明かりもないうえに、窓には滝のように雨がながれていましたから。姫も全身びしょぬれでしたが、自分は一国の王女であることを思い出し、堂々と城門を叩きました。


 こんな夜に来るとはどんな物好きだろうと興味を持った王様は、自ら出迎えにいきました。するとまあ、なんとも哀れな身なりの娘が立っているではありませんか!


「こんばんは陛下、突然の訪問で申し訳ありません。わたくしは隣の隣のそのまた隣の国の王女です」


 姫は雨で重たくなったドレスの裾を持ち上げ、丁寧にお辞儀をしました。その間も絶えずしずくが滴り落ちています。


「どうか今晩、泊めていただけないでしょうか? 嵐のせいで見通しがきかず、道に迷ってしまったのです」


 王様は驚きましたが、このような嵐の夜に娘一人を外に追い出すのは大変忍びないことです。いえ、それ以前に沽券にかかわります。


「それはさぞかしつらい思いをしたであろう、今晩は私の城でゆっくり休むとよい。だがお嬢さん、あなたは本当に王女という身分なのだろうか?」


「まあ陛下、泊めていただける御恩には感謝しますが、わたくしは正真正銘、本物の王女です。どんな高貴な身分の者の上にも、雨は等しく降り注ぎますもの」


 その時の姫の笑顔があまりにも可憐だったもので、王様は問いただすのをやめにしました。この娘が「本当に」お姫様であるかということと、「本当の」お姫様であるかということは別問題ですが、仮に「本当は」お姫様でなかったとしても、「本当の」お姫様がいたらこんなふうではないかという、少々ややこしい考えが頭をめぐりました。


 このやりとりをそばで見ていた王妃様は、王様とは違って娘が「本当に」姫であることを服装や所作から見抜いていました。しかし、王妃様や王子がいうような「本当の」お姫様の判断基準は、身分や礼儀作法だけにとどまりません。


 そこで姫を試すために一計を案じることにしました。来客用の寝室に行き、召使いに命じてベッドから一切のリネンを引きはがし、そこに一粒のえんどう豆をおきました。そしてその上から20枚の敷布団を引き、さらにもう20枚やわらかい羽毛布団を重ねました。


「もし本当のお姫様ならば、この豆の異物感に気づくくらいに繊細なはず。すぐにはっきりするでしょうよ」


 王妃様はひとりつぶやきました。決して王様が姫の前で締まりのない顔をしたことへの腹いせではありません。あくまで王子にふさわしい結婚相手を見つけるためです。ええ、そうですとも。


 そういうわけで、その晩姫はこの異様なベッドで眠ることになりました。あまりにおかしな光景でしたので失礼のないように王妃様にわけを尋ねてみますと、


「わたくしたちの城では、初めて来訪したお客様には歓迎の意をこめてありったけのベッドメイキングをしますのよ」とのこと。


 それにしたってやりすぎだろうとふつうは思うのでしょうが、姫は納得しました。わけのわからないしきたりや慣習は、姫がいたお城にも山ほどあったからです。たとえば、年ごろになった王女を無一文で遠くの街に放り出すといったような……


「お心遣い感謝いたします」


「いいのよ。今日は疲れたでしょうからゆっくりおやすみなさいな」


「お言葉に甘えさせていただきますわ」


 姫はもうくたくたでしたので、それからすぐにベッドに登りました。ええ、登ったのです、梯子を使って。何しろ姫の身長をゆうに超える高さでしたから。


「寝ているうちに落っこちでもしたらたまったものじゃないわね」


 姫は試しに寝返りを打ってみました。十分な広さがありましたので、よほどのことがなければ落ちる心配はなさそうです。幸い姫の寝相はよいほうでした。


 しかし、全く別の問題が起きました。寝返りを打つたびに、何か固いものが体に当たり痛くてしょうがないのです。布団に何かがはさまっているのかと思い1枚めくって探ってみますが、特にそのようなものは見つかりません。


「もしかしたらこれは王妃様の陰謀かしら? そういえば私が王様にご挨拶しているときあまりいい顔をされていなかったわ。何か気に障ることをしてしまったのかもしれない。……ああ、だめよ、そんなこと考えるなんて失礼だわ!」


 寝返りを打っては小さく悲鳴をあげ、心の中で葛藤を繰り返しているうちに、とうとう夜が明けてしまいました。


 ゆうべの嵐は過ぎ去り、嘘のように明るい朝日が顔をのぞかせています。耳をすませば小鳥たちのさえずる声も聴こえるのですが、姫は寝不足でそれどころではありませんでした。いつもは淡いバラのごとく血色の好いほっぺたなのですが、かわいそうにやつれて真っ白です。


「元気が取り柄の私がこんな姿で帰ってきたら、お父様もあんな馬鹿げた慣習は捨てようという気になるかもしれないわね」


 姫はおぼつかない足取りで梯子を降りました。


 間もなく小間使いがやってきて身の回りの世話を始めました。このおしゃべり好きの小間使いは、化粧台の前に姫を座らせ、長くて素晴らしい髪をとかしながらずいぶんと熱心に城内の噂話を聞かせていたのですが、途中で姫が眠ってしまったことに気づくと、お疲れなのだろうと察し、静かに作業に専念しました。見かけ以上に硬くてくせの強い髪をとかすのに苦心したせいでもありました。


「もしこのお姫様が王子様のお嫁にくることになったとしたら、毎日さぞかし大変でしょうね。あらやだ、またひっかかってしまったわ。おや、これは……」



 ところで、昨晩よく眠れていない人物がもう一人おりました。世界中のあらゆるお姫様に会っては「本当の」お姫様ではないと嘆いていた、王子様のことです。しかし今、王子の心を占めているのは「本当の」お姫様がどうこうという話ではありませんでした。彼は生まれて初めて恋をしていたのです! 相手は、あの昨晩突然やってきたお姫様です。


 一目惚れでした。窓辺でほんの一瞬目が合った時から。


「あのまっすぐな瞳がこちらを向いたとき、雷に打たれたような衝撃を受けた。この胸の高鳴りはもう抑えられそうもない。昨日はついに話しかける勇気が出なかったが、今日こそはきちんと挨拶をし、この胸のうちを伝えよう」


 このように王子は固く決心をしていたのですが、その時は思ったよりもだいぶ早くやってきたため、またしても機を逸してしまいました。


「あら王子様、ごきげんよう」


 寝室を出て大広間へ向かう途中の姫でした。髪も服装も整った姫の姿は、昨日とは打って変わってお姫様にふさわしいものになっていました。いつものようにお辞儀をしようとしましたが、今朝は体調が優れませんので、少しよろけてしまいました。王子が慌てて腕を支えます。


「失礼いたしました。どうも昨日の疲れが抜けきっていないようで……もう大丈夫ですわ」


「大丈夫なものですか。無理せず私の肩におつかまりなさい」


 姫は困ったように微笑んでいましたが、王子が頑として道を阻んでいましたので、遠慮がちに王子の腕を取りました。なんと色白で美しく儚げなのだろうと王子は思いました。


 大広間では朝食の用意が整っていました。すでに王様とお妃様も席についており、王子が姫と一緒に腕を組んで現れたことに度肝を抜かれました。


「お待たせして申し訳ありません。少々廊下でふらついていたところ、王子様が親切に支えてくださったのです」


「ふらついていただって? 具合が悪いのかね?」


 王様は心配して尋ねました。いえ、沽券は関係ありません。身なりの整った姫が青白い顔で目の前にいたら、誰だって心から心配しますもの。


「大したことはございません。ただ、ゆうべはよく眠れなかったもので……」


 それを聞いて眉をひそめたのは、王妃様でした。


「眠れなかったですって? わたくしたちが歓迎の意をこめてあれだけふかふかの布団を重ねたベッドの上で?」


「いいえ、決してベッドのせいではありませんわ! あんなふうにもてなしていただいたのは初めてなので驚きましたけれど……」


 王妃様は気を静めて、姫も席について食事をとるように言いました。


「どうかしら、うちのコックの腕前は。なかなかのものでしょう?」


「ええ、とてもおいしゅうございます」


 姫はえんどう豆のスープをすくって言いました。いつもなら3度はおかわりのコールをするところですが、今朝はあまり食欲がなく、人並みの量で充分でした。


「ねえ、正直に言ってちょうだい。ゆうべはベッドのせいでよく眠れなかったのじゃないの?」


「母上、なぜそんなことを気にするのです。姫が困っているではないですか。それに、驚くほど布団を重ねたって、いったいどんなベッドメイキングをさせたのです?」


 王子が口をはさみますと、王妃様はウサギのローストにさくっとフォークを刺しました。男は黙っていろという警告です。


 空気の重さに耐えかねた姫は、正直に話すことにしました。


「その……寝返りを打つたびに何か固いものが背中に当たって、痛くて仕方なかったのです。体中にあざができてしまいました……でも、布団をめくってみても何もなかったので、やはり気のせいだったのですわ。本当に疲れているときって、ありもしないものに悩まされることがありますもの」


 これを聞いた王妃様は、姫の驚くべき繊細さを認めざるをえませんでした。


「ありもしないものが原因ならあざはできないでしょう」


 小さくため息をついて、ベッドの上においてあった一粒のえんどう豆について話します。これには王様も王子様もびっくりです。でもいちばんびっくりしていたのはほかでもない姫でした。何しろ繊細だとほめられたのは生まれて初めてでしたから。むしろ、姉妹の中ではいちばんたくましくて丈夫だと言われて育ちましたから。


「王妃様、わたくしやはり自分がそこまで繊細だとは思えないのですが……」


「あなたは繊細さのほかに謙虚さも持ち合わせているようね。これ以上に本当のお姫様と呼ぶのにふさわしい姫はいないわ。王子、理想の結婚相手にようやくめぐり会えましたね」


 王子はゆっくりと一度まばたきをし、決心したように言いました。


「母上、実はもう、この方が本当のお姫様かどうかなどどうでもよいのです。一目見たときから、わたしの心は決まっていました」


 王子はゆっくりと席を立ちあがると、姫の前にひざまずきました。


「どうかわたしと結婚してください。」


 唐突なプロポーズにあっけにとられた姫ですが、頭の片隅ではすばやく計算をしていました。少し偏屈で夢想家、容姿は好みとは違うけれどかなり整っている、家柄は申し分ない……わずかに天秤が傾きました。


「喜んで」


 姫は王子の手にそっと自分のを重ねました。交渉成立です。


「やれやれ、食べ終わる前なのに腹がいっぱいだ」


 だんまりから解放された王様がほっとしたように言いました。




 婚礼の儀の準備は滞りなく進みまして、姫は式のための衣装合わせをしていました。


「まったく、人生何が起こるかわからないものね。いまだにどうして自分が結婚することになったのか不思議だわ」


「そんなに不思議なことじゃございませんよ。姫様はとてもおきれいですもの!」


 いまや姫のよきおしゃべり相手となった小間使いは、得意げに姫の髪を結いあげながら言います。


「姫様のご両親も、きっと大喜びなさっているんでしょう?」


 姫はため息をついて答えます。


「ええ、願ってもない玉の輿だって城中大騒ぎよ。お父様がかわいい子には旅をさせてみるものだと言ってあのおかしな慣習を残す決意を固めてしまったものだから、妹たちには山ほど文句を言われたけれど。姉様は頑丈にできてるからいいだろうけど、私たちはか弱い乙女なのよ、ってね」


 小間使いはとんでもないといった様子で髪飾りの入ったケースをぱかっと開けます。


「お噂では、姫様は200枚の敷布団と200枚の羽毛布団の下にあるえんどう豆で体にあざができてしまうと聞いておりますよ。十分すぎるほど繊細です!」


 噂とは恐ろしいもので、わずか10日たらずで10倍にも話が膨れ上がってしまうようです。きっと75日後にはひとつの伝説になっていることでしょう。しかし姫はやはり納得していませんでした。話の膨れ上がった部分を訂正し、なお自分でも信じられないのだと言います。


「ふだんは誰かが起こしたって気づきもしないのに、あの日は一睡もできなかったのよ。やっぱりこんなの、何かの間違いだわ」


「そんなにむきにならなくてもいいじゃないですか。姫様は謙虚で繊細! さあ、このめでたい日につける髪飾りはどれになさいます?」


 小間使いはケースに並んだ美しい髪飾りを姫に見せて言いました。姫は顎に手を当ててしげしげと眺めていましたが、やがてあっと声をあげました。


「この髪留めがどうしてここにあるの!? てっきりあの嵐の晩になくしたと思っていたのに!」


 姫は手に取って確かめてみました。間違いなく、母から譲りうけた真珠の髪留めです。すると小間使いが肩を縮めてすまなそうに言いました。


「申し訳ありません! 実は姫様の髪を初めてとかしたときに絡まっていたのを見つけたのですが、よく眠ってらしたのでご報告は後にしようと思ったんです。今思い出しました……」


「謝ることなんてないわ。見つけてくれてありがとう! とても大事なものなの。そう、この髪留めがねえ、ふふふ……」


 髪留めがどうしたのだと聞く余裕は小間使いにはありませんでした。あの時それをこっそりポケットに入れて持ち帰り、鏡の前で身につけて楽しんでいたのが後ろめたかったせいです。結局ばれるのが怖くなり黙ってケースに入れておいたのでした。


「決めた、これにするわ。目立つようにつけてちょうだい」


「か、かしこまりました。白いドレスにはぴったりですね」



 ほどなくして婚礼の儀が執り行われました。王子の希望によりそれはそれは盛大に祝われ式は大成功とあいなりましたが、ここではただ素晴らしかったとだけ言っておくことにします。他人の幸福など書き連ねても面白くもなんともありませんから。二人はこれからも末永く一緒に暮らし、互いの本当の姿に気づいていくことでしょう。


 ひとつ付け加えておきますと、姫が嫁ぐきっかけとなったえんどう豆――実際は豆でなく髪留めだったわけですが、このさい王子たちには黙っておきましょう――は今でも博物館に展示されているということです。腕利きのコックが間違ってスープの中に放り込んでいなければね。


 ……ですから、これは本当にあった話なんですってば!


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