エピローグ・明日へ -2-
ライトとアレンがタタール川の埠頭に繋がれた、船へ乗り込もうとすると、そこには船の持ち主のギルガロンが待ち構えていた。
アレンは彼に別れの抱擁をした。。
「ギルガロン様、今までいろいろとありがとうございました。」
ギルガロンもそれにこたえ
「今日は、素晴らしく美しいね。気を付けて行っておいで」
と、アレンの頭を優しくひとなでした。
「私はこの二年で君のことを本当の妹のように思えてきたんだよ。いつでも帰っておいで。……ライト、アレンを頼んだよ」
と、船に早々と乗り込もうとするライトの背中に声をかけた。
ライトは、振り返るとうなずいて笑顔を見せた。
アレンがこの船に乗るのは今回が初めてであったが、ライトは何度か乗船して船で働いていた。今回は、王都までリヴィエリからの王子誕生の祝いの品々を届けるのだ。そして、帰りには王都で仕入れた物資を積んでまた、リヴィエリへと帰るといういう予定だ。
だが、ライトとアレンは王都でみなと別れて、別の目的地へと向かう。
ライトとアレンが船に乗り込むと、すでにライトとなじみになっているイース、という男が二人に声をかけた。
「あんたがアレンか? 俺はイースだ! よろしくな」
ライトより少しだけ年上で、陽気で気のよさそうな男だ。
「ライト、俺は今朝彼女と別れてきたんだぜ? 船に乗ったら、しばらくは女っ気なしだ。あんまり見せつけてくれるなよなぁ」
と、二人を横目にイースがため息をついた。
「そんなに女が欲しけりゃ、もう一人、この船にいるだろ? 女」
ライトが軽口をたたいたが、そのセリフを聞いたイースは顔色を悪くした。
「も、もう一人の女だと!? 馬鹿言ってんじゃねえよ、俺だって命は惜しいんだぜ?」
震えまで来そうだ。……と、イースの後ろから声がかかった。
「誰もお前の命なんざ、欲しいとも思わないね!」
すぐ背後から掛けられたセリフに「ひいぃぃぃ!」と、イースが情けない顔で、逃げ出し、そこにいた一同は大声で笑った。
「アンジェ!!」
アレンは満面の笑みでイースの背後から現れた大柄な女の腕に飛び込んだ。
「よくきたね、アレン。またあんたと旅ができるなんて、夢みたいだよ」
アンジェは目をつむり、アレンの頭にそっと手を置き励ますように軽くたたいた。
「おおー、奇跡の歌姫! 後で俺たちにも歌を聴かせてくれよ」
などと、その場にいた男どもからの声もかかる。
「うん、もちろん」
アレンがにこやかに答える。
そして、船はリヴィエリの町を離れ、王都へ向け出港した。
その日の夜、ライトはアレンとアンジェの部屋を訪れた。船内には女二人のためにわざわざ一部屋をよういしてあった。
戸を開けると、すぐに中が見えないように薄いカーテンが下がっていた。
それを手で押しやりながらライトは部屋をのぞいた。
「寝たのか?」
ベットの傍らにはアンジェ座っていた。
「ああ、さすがに今日は疲れたらしい、すこし、熱を持っているようだ」
そうアンジェは答え、ライトと共にベットでうつぶせに横たわるアレンを見下ろした。
上半身、何も身に纏ってはいないアレンの背中が、ほの暗い光の中に浮かぶ。腰から下には布が掛けられていた。
その背は鋭い刃物ででたらめに引っ掻き回されたような、引き攣れた、痛々しい傷跡で埋め尽くされている。
白の王との戦いで負った傷だ。あの時。バルドロがいなければ、自分一人であったら、アレンをこの世にとどめておくことはできなかったに違いない。そう思うと、ライトの心臓はいまだに潰れそうになり、ぎゅっと悲鳴を上げる。
ライトやバルドロ、プリムローズ。魔力を持つ者で入れ替わり、アレンに癒しと痛みを止めるための力を注いだ。それでも、アレンがベットから身をおこせるようになるには三カ月ほども時間がかかった。ギルガロン邸にかくまわれ、数人の侍女と、ゴブレットの館の女たちが身の回りの世話をした。痛みはなかなかとれず、服を着ることもできなかったが、最近はようやく、昼の間は痛み止めの魔力のおかげもあって何とか普通に行動できるようになっていた。
「それじゃ、後は頼んだよ」
アンジェが部屋を出ていく。
「わるいな」
ライトが言うと、
「あー、わたしは男と雑魚寝でもちっとも構わないよ。逆にあいつらの方が迷惑なんじゃない? イースなんか、寝不足になるかもよ」
そういって、ドアを閉めた。
ライトはアレンの背にそっと己の手をのせた。
「あ……?」
アレンが目をさまし声を上げる。
「痛むか? 触れないほうが良ければ、手は触れない」
ふううっ、と、深いため息がアレンから漏れて
「ううん。だいじょうぶ」
と、枕に顔をうずめながらつぶやいた。
ライトはアレンの背に手を置いたまま、自分の持っている力を、彼女にそそぐ。
今までもギルガロンの手伝いなどで、アレンのもとにいることができない夜もあるが、それ以外は、夜毎、自分の意識を失うぎりぎりまで、彼女に自分の力を注ぎ切るようにしている。
「ライト……」
アレンは顔を傍らにいるライトの方へ向けた。
「なに?」
「あなたの、弟が生まれたんだね?」
突然の問いに戸惑ったものの、ライトはふっと笑った。
「実感わかないなあ。まあ、おやじとおふくろが仲良くやってるんならいいんじゃないかな?」
「それで……いいの?」
「え、なにが?」
「あなたは、あそこに帰れば、王様にだってなれたのよ」
ライトは思ってもなかったことを言われて、アレンの表情を見た。その表情から、彼女の心は読みとれなかった。ただ、ライトの答えを待つ。
「そんなものにはなりたくない」
憮然としてライトが言った。
「王になんてなったら、やりたいこともできないし、欲しいものも手に入らなくなる。俺は、自分の欲しいものは自分で手に入れる」
「やりたいこと?」
「そうだな、ギルガロンの仕事の手伝いは嫌いじゃない。船に乗るのも好きだな。いつか、海を進む船に乗ってみたいな。外の、此処ではない別の国を見てみたい。ああ、自分の船を持てたらいいかもな」
「ふうん。欲しいものは?」
「おまえ」
「……ばかばっかり」
アレンは枕の中に顔を隠してしまった。
耳元がほのかにピンク色にそまる。
自分の一糸まとわぬ背中をライトにさらすことに、羞恥心さえなくなっていたが、今はライトがそっと背にのせた手を動かしていくと、肩がわずかに震えた。
「くやしい。動揺してしまった……」
くくく……。と、ライトが笑う。
「……あ!」
アレンが声を上げた。
「ダメ、ライト、ちがうってば」
ライトは肩を揺らして笑っている。
「ライトー! 君、わざとやってるでしょう!? その、手! 手! そこ、こそばゆいから。違うから、あ! もう」
ぷーっ、とライトが噴出して、アレンの隣に突っ伏した。 己の魔力を彼女に注ぎ込み、実はかなり疲れ果てている。
「今日の治療は終わり!」
「ふー、疲れた」
アレンの肩から力が抜ける。
「疲れたのはこっち!」
ライトは仰向けに転がると、そのまま目を閉じる。
アレンがライトの手を取った握った。
「バルドロは今頃、どこを旅しているのかな?」
アレンがひとり呟く。
バルドロは、アレンが起き上れる程度になると、リヴィエリの町を出て行った。あちこち旅をしては、各地に逃げ延びた、かつての仲間を探し出して、その消息をアレンとライトに知らせてくれる。
「ライト?」
アレンがささやいたが、もうライトは眠ってしまったらしい。かれは、自分の力を使い果たすと、泥のように眠りについてしまう。いつもそう。
「おやすみ」
つないだライトの手の甲にキスをして、彼の腕をしっかりと抱え込むと、アレンもうとうとと目を閉じた。




