白の魔道士 -3-
今から一年ほど前に行われたアディーレ村掃討作戦。
ライトの父である黒の王ザーナヴェルト・リヴァイスはこの戦の指揮官として、自分の一人息子を据えることを決めた。
ライトはと言えば、今の今まで振り向きもされなかった父からの命に戸惑った。それに、暁の王家に近い感情を抱いている母とその護衛のアンジェによって育てられた彼が、父の戦に手を貸すことを好まなかった。
黒い王は自分の息子を戦に狩りだすことに手を拱いていた。ライトは父がどれほど宥めようが、声を荒げようが、頑として自分がその指揮官としてアディーレ村へ赴くことに首を立てには振らなかったのだ。
そんな折、シャドウが王都へとやってきた。
「まだ、ライト様は首を立てには振られませんか?」
シャドウが、黒き王ザーナヴェルトに尋ねた口調は柔らかく、多少笑みを含んでいるようですらあった。
「うむ。今回の件は奴に任せるのは無理ではないか? もう少し時間をかけねばならないかも知れぬな」
ザーナヴェルトは珍しく弱音を吐いた。
「そう聞いておりましたので、今日は良いものを手に入れてまいりました」
そう言いながら、護衛のものすらいない王の寝室でシャドウは頭からすっぽりとかぶった白い覆面を取り払った。はらりと銀色の髪がこぼれて、美貌の面が現れた。
シャドウは、ことり、と手に持っていた銀色に光る両手で包み込めるほどの箱を机の上に置いた。そして、ザーナヴェルトの正面に腰を掛ける。
「これは?」
ザーナヴェルトが容器を持ち上げながら、「空けてもいいか?」と、シャドウを見る。
シャドウは頷いた。
ぱかっ。
音をたてて開いた金属でできた箱の中にはほんの少量の乾燥させた葉のようなものが入っている。
「これは!?」
「知っておいででしたか? マラクの葉を乾燥させたものですよ。ゴットブレス、という名で呼ばれているとか。金よりも高価な薬です」
「実際にこの目で見るのは初めてだ。特定の山の民の里でしか育たぬ植物だと聞く」
「ええ。この薬をたいた煙を吸い込めば、嗅いだものは、心の垣根がなくなって、自分と他を区別することもできなくなるとか。自分の体から精神だけがはい出してしまうとか言われている薬ですよ。この薬の良いところは常習性が低いところで、使用した後も、副作用が少ないのです。薬を使われたということも、わかりずらい」
シャドウは銀色の容器をザーナヴェルトから取り上げると、ぱかん、と軽い音を立てて蓋をした。
「シャドウ……もしや、それを?」
「ええ。ライト様に使うのですよ? 薬だけでは心を操ることまでは簡単にはできませんが、薬でライト様の心へ侵入し、あなたの魔力でもって、真の誓いを立てさせるのです。ライト・ザーナヴェルト・リヴァイスはアディーレ村掃討作戦に指揮官として赴き、武器を持って向かってきたものを殲滅させる。そして、生きて王都の黒の城へ戻ってくると。
真の誓いは破ることができません。ライト様はただ操られるのではなく、ご自分の意識を保ったまま、出陣するのです」
そういうと、笑みの顔のまま、シャドウはザーナヴェルトの手の上に改めて、銀に光る器を載せたのだった。
ライトは薄暗い明かりもともさぬ自室で、机上に広げた書物に目を走らせることもなく、ただ、目の前の虚空を見つめていた。
(父に、己を操らせることは、させない。自分の意思で動かなくてはいけない。)
自分の意思で、もうすぐ自分は、出陣する。風吹く谷の人々を殺すために。
それに否を唱えれば?
また、真の誓いを立てさせられて、結局は己の手を血に染めるのだ。
自分の意識を父に握らせるようなことになったら、きっと、二度とミリアムを助けることもできなくなるかも知れない。
だから、俺は、俺の意思で父に協力をしていると、思わせなければいけない。
今度の戦いでは、手を緩めることはできない。
俺は俺の意思で、自分の手を血に染める。
薬によって、自分の心の守りを取り払われ、心の海の奥底に父を受け入れた不快と恐怖。
自分の中に響く父の声。いつしか、それが、父のものなのか、自分のものなのかわからなくなっていく感覚。
「……ぐっ!」
胃を酸っぱいものがせりあがってきて、ライトはこぶしを強く握りしめた。
爪が手のひらに食い込み、その痛みが意識を自分の中に引き戻す。
涙を流すことすら忘れた瞳は、ただからからと乾いて、さらにライトの痛みを深くしていった……。