白の魔道士 -2-
ライトとアンジェは、王国の首都、暁の都にある、黒の王の館へ入っていた。王都は国の南方にあり、リヴィエリを流れるタタール川の河口近くにあった。黒の王は暁の王家を討って、自らが唯一の王となった後も、自分の住んでいた黒の館を拠点とし、黒の王国を築きつつあった。
アンジェは城に入ってからは、ライトのもとを離れ、元の主人エレンディルのもとにいることが多い。
城壁内の庭園は、さながら一つの里山、と言ったところで、エレンディルのもっとも愛する場所であり、アンジェは午後の散策の共をしているのであった。
「きょうは、ライトはあの人に呼ばれたのですね……」
あの人とは、黒の魔王その人のことだ。
「昨日から影様が城に入っております。本日のシャドウ様との会食にライト様の同席を求められたそうです」
シャドウと呼ばれる男。この城にいつもいるわけではない。いや、むしろいないときの方が多いのだが、時々現れては黒の王と行動を共にする。いつも覆面をかぶり決して顔を見た者はない。表向きは暁の王家を滅ぼし黒の帝国を築き上げたのはザーナヴェルト一人だが、この王国はザーナヴェルトと、このシャドウ、二人で作り上げたと言ってよかった。しかも、黒の王以外は誰もその正体を知らぬ男。
「エレンディル様」
アンジェは一歩下がり膝を付いた。
「アンジェ?」
「結局、私は戻ってきてしまいました。ライト様を守り通すことはできませんでした」
「いいの、いいの、アンジェ、どうか顔をあげて」
エレンディルもアンジェの前に思わず膝をつくと、彼女の手を両の手のひらで包んだ。
「ライトはちゃんと、ライトとして帰ってきてくれたわ。わたくし、それだけでいいの。それにね、アンジェ、わたくし最近わからなくなってしまうことがあるの」
エレンディルはアンジェに立つよう促し、自分もアンジェに手を添えられて立ち上がる。
「ねえ、十七年前は、ザーナヴェルトのことを憎みました。こんなひどい男はいないと思ったの。残忍で、自分の目的のために邪魔になるものには情けもかけない。こんな男が王となったら、どんな世の中がやってくるのかと思った」
エレンディルは遠い目をした。
「でも、世界は何ら変わりなく、あの後もずっと続いている。もちろん、しいたげられた者もいるし、今でも王家側だった魔道士たちは次々と殺されては行くけれど、ではその他大勢の民は?
一つの王家が滅ばされようが、別のものが王になろうが、この世界は特別変わったようには見えない。しかも、ザーナヴェルトは見事だった。王家のうちに裏切り者を忍ばせ、外からは自らが指揮を執り、一夜のうちにすべてを覆したのよ。戦火が長引けば不満も出るでしょうけれど、それすらない。彼は、山の民側に立った政策を打ち出しているから、今では旧王家に助力をするものより、黒の王側につく山の民の方が多いのではないかしら?」
アンジェもそれは感じていた。
「私、あなたたちを逃がした後、流行病にかかったの」
「聞き及んでおります。高熱がひかず、危ない状況だったと……申し訳ありません」
自分の主が苦しんでいるときに、そばにいることが出来なかったことへの後悔がアンジェにはあった。
「いいえ、それはいいのよ。あなたにここを離れてもらうのは、私の願いだったから。……熱がひいても、なかなか起き上がることが出来なくて、食事ものどを通らなくて、このまま死ぬのも悪くはないと思ったの」
「!!」
「でも、その時気づいたの。枕元に毎朝一輪ずつ、この庭に咲いている花が届けられているの。アンジェもライトもいなくなったのに、誰がこんなことをしているのだろうって思ったわ。ねえ、誰だったと思う?」
アンジェにも、その答えはわかるような気がしたが、心の中の一部分が、それを認めたくない! と、悲鳴を上げた。
「陛下です、って。それを聞いた時、なぜか悲しくなったの。あんなに私にひどいことをした人なのに、どうしてこんなことをするのだろうって。ただ、憎んでいたかった。身が引き裂かれるようだったわ。アンジェ、私は変わってしまったのかしら? あの人に心を動かされるなんて、許されることなのかしら?」
エレンディルが振り向くと、その頬は濡れていた。あご先からぽたぽたと雫が落ちてゆく。
アンジェは思わず立ち上がると思わず小さな彼女の肩を抱いた。
「どうかご自分を責めたりなされませんように……」
エレンディルは少女のように流れるしずくをぬぐおうともせず、アンジェの肩にその額を押し当てて嗚咽を漏らしていた。
アンジェは締め付けられるような思いで主を抱きとめながら、なぜかふと思い出した。
そういえばライトも女の子の枕もとに花を残していったっけ。
アンジェもまた、悲しいような、おかしいような、せつない気持ちを持て余しているのだった。
影と呼ばれる男。ふらりと時折城へやってきてはしばらく滞在して去ってゆく。
不思議なことにその男が城へ現れた時は黒の王の最も近くに侍り、黒の王も、彼をとても大切に扱っていた。だが、シャドウの存在は多くみなに知れ渡っているわけではない。戦に参戦している姿を見た者もなければ、公の場に姿を現したこともない。だから、シャドウを知る者は城内の限られた者達だけだ。以前はライトよりはその存在を知る者は多かっただろうが、少なくとも素顔を知る者は黒の王のみと言われている。
今宵、ライトは父と、シャドウとの三人での会食に同席を求められた。
ライトは十五の年になるまで、捨て置かれた黒の王の息子だ。十五を迎えるや、無理やり戦に放り込まれ、そののち、母の侍女だったアンジェと行方をくらます。十五歳で、鮮烈なアディーレ村掃討作戦を指揮するまでは、ライトの存在は全くと言っていいほど知る者はなかったが、今では王位継承者として、次第に認知されつつある。
もともと暁の王国では王になる者はその王家を表わす真の姿を持つものとされたが、黒の王ザーナヴェルトはそれを踏襲するつもりはないということを、周りに知らしめた。黒の王家のしるしは黒い蛇だ。ライトは、赤子の時から黒蛇ではないことが知れていた。それは真の姿よりも、血を重んじるということだった。
それにしても。
ライトは目の前に座るシャドウを見やった。
彼は、頭からすっぽりと頭巾のようなものをかぶっている。
(食事のときはどうするつもりなのかな?)
普通、食事のときは給仕がついて、働くものだが、今日はすべての料理をテーブルに並べると、給仕たちはみな下がるよう指示された。
「合図があるまでは、入室を禁じる」
と、ザーナヴェルトは言った。
みなが下がると、ザーナヴェルトはライトに向かっていった。
「お前が父の元へ戻ってからもう少しでひと月が経つ。いよいよ、白の魔道士、および王家の生き残りのミリアム王女の討伐にとりかかる時期が来ている」
ライトと、シャドウは黒の王を見た。
「ライトには今回、わが軍の全指揮を任せようと思う。ただ、お前は若い。ここにいるシャドウと連携をしていかねばなるまい」
そういうと、シャドウへ目を向けた。
シャドウは王に一礼をするとライトへ目を向ける。
「ライト・ザーナヴェルト・リヴァイス様、私は黒の王家の影。シャドウと申します。以後、お見知りおきを」
というと、覆面に手を伸ばし、それを取り払った。後ろにまとめた銀髪がはらりと流れた。覆面の下から現れた面立ち。年齢を感じさせるものの、美しいと思わせるものがある。薄い唇、切れ長のエメラルドグリーンの瞳。
「またの名を、白の魔道士の王ベレアース・ガーラント」
ライトの動きが止まった。
白の魔道士の王。先の暁の王の実の兄。そして、今は黒の王の支配下になることを拒む者達をミリアムとともに率いている本人ではないのか?
「ライト、お前のそこまで驚愕する顔は初めて見た」
父が楽しげに息子へ言った。
「いったいいつから父と手を組んでいるのです?」
ライトの手にはじっとりと冷や汗が浮かんでいた。
「初めから」
ベレアースは穏やかな笑みをたたえながら言った。
「その名の通り、私は影です。暁の王家をあなたの父君は外から、私は内から崩したわけです。白の王の部隊は最初から黒の王と通じていたのですよ、今では黒の魔道士の部隊にそのほとんどは組み込まれています。わたしとともに湖の里に入り込んでいる者もおりますが。」
話を聞きながら、ライトはすこしずつ自分を落ち着ける。手の汗がひいてゆく。
「父上、私は前から一つ、聞きたいことがあったのです」
「なんだ」
「十七年前、あの戦いはなぜ起きたのか? 父もあなたも、暁の四王家のうちの一つを担ってらしたはず。そのお二人が、なぜ謀反と言われるようなことをしたのか、わたしには理解できないのです」
父は黙って息子を見ていた。
しばらくの沈黙の後ベレアースが口を開いた。
「ライト様、この暁の大地に生まれた暁の王国。魔道士が人々を支配する世界。数百年の間、人間たちは安全に支配され、栄えてきました。戦のなくなったそのエネルギーは、未開の土地を開拓し、町を作り、人口を増やしてゆく。ライト様は、その一方で山の民が人口を減らし少しずつ消えて行っているのをご存知でしょうか?」
「……いや」
「私たち魔道士は、山の民と人間の血をひく者です。山の民が消えて行くということは、その先には私たちの存在も消えて行くということではないでしょうか? 私は焦っていたのかもしれない。山の民を保護し、人間たちを厳しくコントロールしていくよう暁の王や蒼の王に働きかけたがその望みはなかなか聞き入れてもらえなかった。彼らには現状を打破する勇気がなかったのです。ただ、貴方の父君が私の考えに同意をしてくれたのです。それが、ことの始まりと言っていいでしょう。私とあなたの父君は何度もこの国の将来について語り合ううちに、計画は形をとっていったのです」
そういうと、ベレアースが用意されていたグラスに注がれた酒に口を付けた。
父が口を開いた。
「山の民の中にはそれを知って、我々に力を貸すものも多い。ただ、中には前王家に義理立てをして、敵方に回る者もいるがな。ミリアム王女が現れたことで、次第に湖の里にそういった、我々に反感を持っているものが集まりだしている」
「あなたはどうするのだ。白の魔道士」
ライトはベレアースの瞳をひたと見つめて言った。
「前と同じです。黒鳥の乙女、ミリアム王女の敵は外だけではなくうちにもいるということです。今回の作戦が終われば彼女は散り、白の魔道士という存在もこの世から消える。まあ、私は散ってしまうわけではありませんが……。
ミリアム王女の真の姿が黒鳥であったことには、私も驚かされました。今は表向きは白鳥の乙女と呼ばれておりますね。」
「ライト、お前のために一つ戦いを用意した」
ザーナヴェルトが話の終了を告げるようにきっぱりとした声色で行った。
「いま、我々の支配下にはいることを拒む山の民たちは規模の小さいものから湖の里へ集結し始めている。風吹く里もその一つだ。近く移動を始めるとのこと。それを叩け。お前の存在を知らしめるための戦いとする」
父の命令にライトは、感情を殺した。
「はい」
その瞳は揺るがず。静かにそこに存在した。




