白の魔道士 -1-
山中に少し入った、小川の流れるせせらぎの近くにアレンことミリアムたち一行は、簡単な野営地を作っていた。野営地と言っても、水源に近く少しばかり開けている場所にさっと、石など邪魔なものをどけて、竈を作り火をおこし、それぞれはその場でゴロゴロと横になるだけである。
山の民の里からは二名の山の民と五名の魔道士が合流した。ミリアム、バルドロ、ミラースと合わせて十名となった。
数こそ少ないようだが、ミラース以外はみな山の民、もしくは魔道士。魔力も、戦闘能力も並み以上のものばかりであったし、ミラースとて、人間の兵士でありながら、決して魔道士にも引けを取らない剣の腕を有していた。
二名の山の民の名はグライスとブランカと名乗った。グライスが兄。ブランカが妹。二人はどちらもさらさらとまっすぐ伸びた見事な金髪をしている。兄のグライスの方は肩甲骨のあたりで切りそろえられており、妹の方は腰まで伸ばした髪がまばゆいばかりだ。人間とはどこか異質と思わせる、白く、長い手足。二人とも、たいそう若く見えるが、山の民は総じて長命でいつまでも若く見えると言われている。「これから先ミリアム様の身の回りのお世話を仰せつかっています」と、二人は挨拶を述べた。五人の魔道士はグライスの配下のようだった。
夜も更けて、二人ずつ交代で見張りに立つ。いま、見張りに立っていたのは二名の魔道士だ。
一人が燃える火の様子を見ていた。
「なにか、嫌な感じがしないか?」
起きているもう一人に尋ねる。
「俺も少し前から、嫌な気配を感じるんだ」
二人はうなずき合うとそっと、他のものをおこす。彼ら魔道士は、人間の血が混じるとはいえ、鋭い魔力と感覚を持っている。
「バルドロ様、グライス様、先ほどから、嫌な気配を感じるのですが……」
そう声を掛けられ、二人は起きるとあたりに漂う気配に無言で剣を抜いた。残りの者も浅い眠りから覚めたようだ。
ブランカがミリアムとミラースも起こし、自らも剣を構える。
その時、先ほど眠りから覚めた魔道士の一人が「ぐおおおお」と、恐ろしい声を上げ、がっくりと膝をついた。
その魔道兵士の体から一匹の大きな蜘蛛がはい出した。
ガッ!
グライスが蜘蛛をめがけて剣を突き立てた。
蜘蛛は危険を察知したかのようにさっと身をかわし、次の瞬間、八人のただなかに黒のフードつきマントを着た魔道士が立っていた。蜘蛛から変態したのだ。
「黒の……魔道士っ!」
切りかかろうとした時、周囲からもわらわらと不吉な黒い人影が立ち上がった。
グライス配下の五人の魔道士たちがミリアムたちの前に壁を作るように立った。
「私どもが引き止めます」
すでに剣の交わる音が響く。
先ほど叫びをあげた魔道士も震える手に剣を握った。額には冷や汗がにじんでいる。
蜘蛛の魔道士が切りかかる。
「危ない!」
その剣をはねのけて、震える魔道士の前に飛び出したのはミリアムだった。
「動ける!?」
ミリアムが問う。問いながら黒の魔道士から繰り出される剣を必死で防ぐ。
おそらく毒だ。蜘蛛の毒だ。あの、毒蜘蛛の魔道士!
「申し訳ありません。私も魔道士なら、蜘蛛の毒ぐらいでは死にはしませぬゆえ」
今度はミリアムに向かって振り下ろされた剣をクモの毒にやられた魔道士が受け止め叫ぶ。
「グライス様早くミリアム様を!」
「すまない、死ぬな!」
グライスはミリアムの腰に手を回すと、抱え上げた。
「なにをする! 放せ。放せったら、放せー!」
ミリアムは足をばたつかせて叫んだ。
いったい何名の黒の魔道士がいるのか。
グライスがミリアムを、ブランカがミラースをかばいながら後退していく。
「ミリアム様、私の首に手を回してください。お願いです、そして決して離さないで!」
「いやだ!」
「聞き分けのないことを言わないでください、彼らを無駄死にさせたいのですか!?」
グライスの悲痛な叫びがミリアムの心を打ち、動きを止めた。
泣きながら、グライスの首に手を回した。
「ミリアム様、私たちは人間の姿でいるより、本来の姿の方が魔力も力も回復力もはるかに勝るのですよ」
そういうとグライスはミリアムを肩に載せたまま変態した。
「わあ……あ!」
振り落とされるかと思い、ミリアムはしっかりとグライスの首にしがみついた。
馬。灰色の馬!ミリアムを乗せたまま、斜面を登ってゆく。その灰色の馬をめがけて、黒の魔道士達のはなった思念が黒い矢となって降り注いだ。
「グライスー!」
ミリアムの悲鳴。
灰色の馬が立ち止り振り返る。ぶわ、と、灰色の馬から大きなエネルギーのようなものが発せられるのをミリアムは感じた。光と風がミリアムの体を突き抜け、二人めがけて降ってくる矢にぶつかると、矢は一瞬にして消え去った。
薄く白々と辺りが明るい。霧があたりに立ち込めて、服が肌に張り付く。
ミリアムのしがみついていた馬が歩みを止めた。
ミリアムは馬からそろりと湿った地面に足を下ろした。目の前には湖というには小さいと思うが湖面から白い靄が立ち上ってている。すぐ目の前の湖岸から橋が渡る。
湖の真ん中を貫く橋はその先の石垣に囲まれた大きな門の中に一直線に伸びてゆく。そしてその石垣の中に遠くうっすらと輪郭を現しているのは……城?
あまりにも大きい。
山の壁面に張り付くように巨大な城が見えた。
呆然と城を見上げるミリアムの耳にゆっくりとした馬のひずめの音が届く。
後ろを振り返るとグライスはすでに人型に戻っており、代わりに父、ミラースをその背に載せた美しい白馬が現れた。
「父さん、無事だったんですね。……よかった!」
ミラースが転がる様に白馬から降りた。
「大丈夫?けがは?」
「いや、私は大丈夫だ。それよりほかのものは?」
周囲は恐ろしいほど静かで生き物の気配さえしないかのように思える。
「わかりません。もし、生きているのなら、戻ってくるでしょう。あのバルドロ様が簡単にやられるとは思えません」
グライスが言った。
「ミリアム様、ここが私たち、山の民の住む湖の里です」
人間の姿に戻ったブランカが告げ、ミリアムを奥へと誘っていった。
結局、その後里へ戻りついたのはバルドロと、あと一人の魔道士のみであった。
この里は南側を湖に沼に囲まれ橋を渡った先には小さな町ひとつを取り囲むように城壁が張り巡らされていた。城壁の中に人々の生活する空間もあり背後に山が迫る北側に城があった。山と一体化したかのような巨大な不思議な城だった。
ミリアムがまず案内されたのは数人の魔道士の集まる部屋だった。石に囲まれた冷たい感じのする部屋だ。椅子すらなく、みなが立ってミリアム一行を迎えた。
そこには数人の魔道士が集まっていた。
部屋に入るとグライスがその場に集まった者に一礼する。ブランカもわきに控えて一礼した。
「皆様、ミリアム様をお連れいたしました。途中野営地にて黒の魔道士の奇襲にあい、魔道士四名が犠牲となりました」
そこに居合わせた者からどよめきが起こった。
「ミリアム様、こちらはこの里での代表者の方々です」
一名の山の民の代表とバルドロを入れて三人の魔道士。そして最後に白の魔道士ベレアース、その人がいた。
白の魔道士のしるしはもちろん白。そして、真の姿は虎。彼は、丈の長い真っ白なフードつきのマントを着ていた。ミリアムに向けて一歩進み出ると、フードを取ってひざを折った。
フードからあらわれたキラキラと輝く銀髪。それを後ろに一つにまとめた、美しい男が現れた。年齢を感じさせるものの、はっとするような美貌だ。薄い唇、切れ長の目。瞳は吸い込まれるようなエメラルドグリーン。
「ミリアム様、お久しゅうございます。あの小さかったあなたにまさか、こうしてお会いできるとは、あなたの父上は私の弟に当たりますので、あなたは私の姪ということになります」
穏やかな微笑をミリアムに向ける。
一通りみなの紹介が終わると、ミリアムはひとりで部屋の中央に立たされた。
「あなたはまだ、封印が解けていない状態ということです。もし、お許しが頂けるなら、わたくしにその封印を解かせてはいただけませぬか?」
ベレアースが言う。
机も椅子もないこの寒々としたがらんと広い部屋は、おそらくミリアムの封印を解くための部屋なのだ。
問いかけの形をとってはいるが、ミリアムに拒む理由もない。
「お願いいたします」
「では」
ベレアース以外の里の代表の四名とグライス、ブランカきょうだい。そしてミラースが部屋の隅へ退く。
何しろ、ミリアムがいったいどんな姿に変態するのか、だれにもわかってはいないのだ。
ベレアースがその細く美しい指でミリアムの額にかかるくすんだ金髪を払った。薄桃色の親指を押し付けたかのようなあざのようなものが顕になる。
ベレアースがそこに自分の手のひらを載せた。
鋭い痛みがミリアムに走った。
声をあげそうになって、こらえる。
ミリアムの額から薄桃色の色素がふっと浮き上がり、ミリアムは額からずるずると何かが抜け出ていくような感覚と痛みに顔をゆがめた。そして、そのうす桃の物体がすうっとミリアムの頭上で霧散した。そしてミリアム自身の姿も霧に包まれたようになり、それがまたまとまって黒い影を現してゆく。
「おお……なんと!」
「なんてこと!」
ミリアムを取り囲んだものの中から声が漏れた。
「なんと、不吉な……!」
呟きが響いた。
部屋の中央に現れたもの。
存在するはずのない鳥。不吉な出来事の象徴とされる幻の、黒鳥が一羽。
そしてまた、一瞬の後に黒鳥はミリアムに姿を変えた。
「アルデスさま!」
不吉とつぶやいたものへ向けてブランカが声を荒げた。
その場にいた者は凍りついたような沈黙に包まれた。
ベレアースがその沈黙を破った。
「ミリアム様、大変美しいお姿です。黒い……鳥。ただ、アルデス殿の言葉が象徴するように、我々の中には黒鳥は不幸を呼ぶ鳥として忌み嫌うものも多いのは現実です。このようにいうことをお許し下さい」
ミリアムにちらりと目をやりまつ毛を伏せ、言葉をつなぐ。
「中には、今度の悲劇はミリアム様が呼び込んだのではないか、というような噂も立ちかねません。あの戦いはミリアム様が生まれてすぐでしたから」
「ばかな!」
ミラースが震える。
「私も、そのような状況を作るのは本意ではございません。私も苦しい。でも、あえて言わせていただきます。ミリアム様の真の姿を伏せるのです。私どもは普段は人型をしておりますゆえ、取り繕うことは可能かと……」
同意する声がいくつか聞こえる。
ミリアムの真の姿が黒鳥であったということは、このままでは、ミリアムを旗印として担ぎ上げようとする計画自体がとん挫しかねない事実だったのだ。
ミリアムの存在は、もうすでに、彼女のものであって彼女のものではない。うなずくよりなかった。