黒い悪魔 -2-
裏庭は、美しい花畑になっていて井戸と、奥まったところに東屋がある。その周りには樹木も何本か植えられている。その東屋で椅子に座ってテーブルの上にあごを載せてふてくされているミリアムがいた。その姿も、女の子というよりは、無理やりきれいなドレスを着せられてしまった男の子だった。椅子に座る姿勢からして、どこか違うのだ。かえって、今までの男の子のようないでたちの方がミリアムの持つかわいらしさがちらちらと見えるようだった。ミリアムの足元に3匹の猫がたむろしている。
「……ごめん」
ライトは背後から声をかけて隣に腰を下ろした。
「君も着るがいい」
「?」
「ライトもドレスを着てみろ。ぼくの気持ちがわかる」
「え? い、いやー、ぼく、身も心も男の子だしぃ?」
「ぼくだって、身……は置いといて、心は男の子だ!」
ライトは、ミリアムに横目でにらまれて、なぜか無意味な笑顔を見せてしまうのだった。
「ライト」
ミリアムはテーブルの上に組んだ自分の腕の中に顔を隠してしまった。
「君たちはこれからどうする? ぼくは、君たちのことを何も知らない」
「おれ?」
「一緒に行くことはできるの?」
しばしの沈黙が流れる。
「俺は、黒の魔道士のやり方は好きじゃないけど……だからと言って、いまさら王家復興とかを考えている、一部の山の民や生き残りの魔道士達にも興味はない。たとえばさ、この町を見てみろよ。支配者が変わったって、何も変わらず、別に不便になったわけでも、黒の魔道士にひどい仕打ちをされてるわけでもない。けど、ここでまた、大きな戦にでもなったら? 戦火がここまで及ばないと誰が言える?まー、魔道士狩りだけはいただけないけどね。それは、前の暁の王家だって同じようなモンだったろ?」
腕の間から少し顔をあげたミリアムの瞳が潤んでいた。
「僕だって、父さんと牛や鶏の世話をして、少しばかりの畑を耕して、それで、幸せだったよ。でも、ぼくは山の民の里へ行ったらもう二度と、そこへは戻れないんだ。そうだろう?」
「……だろうな。」
曇り空から、ひたり、ひたり、と、水がしたたり落ちてくる。肌寒い風が東屋を囲む緑の木々を揺らした。
「よし、俺が一つ約束してやる」
ライトは言うと立ち上がって腰の剣を抜き放った。
ミリアムの前にひざまずくと。抜身の剣を両手で頭上に捧げ持った。
それは、昔の騎士が忠誠を誓う時のやり方だ。魔道士の時代になって、騎士というものが無くなったけれど、その作法だけは今でも度々行われたし、子どもたちも幼いころからごっこ遊びなどで良くやるのだ。
「俺は君を、守ることを誓う」
ライトは、ただそれだけを言った。
ミリアムは体を起こして少しばかり小首をかしげてライトの言葉を聞いた。
静かに立ち上がるとライトの手から剣を受け取る。両手で柄を持ち、一度顔の前で構えてからライトの肩に切っ先を軽くあてた。
「あなたの誓いを受け入れよう」
ライトが顔をあげ、しばらく見つめあった後、緊張がほどける。
「普通は忠誠を誓うものじゃないの?」
剣を返しながらミリアムが尋ねる。
そのうえ、かなり言葉は省略されているようだったし……。
ミリアムが言う。
ライトも笑った
「守れそうもないものを誓ってもしょうがない」
では、今の誓いはきっと守ってくれるのか? と、思う。
「ありがとう。」
ミリアムはにっこりと笑った。
次の日、一羽のハヤブサが、「ゴブレットの館」の裏庭に舞い降りた。
ハヤブサのバルドロ。
プリムローズに呼びつけられてやってきた男はそこで、かつての剣の教え子、アンジェと、仕えた王家の忘れ形見ミリアムとの再会を果たす。
ゴブレットの館は一時喜びに包まれた。
ミリアムを、なるべく早く、安全な山の民の館まで連れて行きたいというのはみなの意見だったが、たった一人の王家の人間を危険にさらしたくないと、山の民の里にはハヤブサの使いで援軍を要請しつつ、出立は明日の朝を待ってと言うことになった。
バルドロはいかにも鍛えぬいた兵士らしくいかつい顔つきと引き締まった体をしていたが、小柄な男だった。顔に深く刻まれたしわが今までの苦労を物語っているようだ。
バルドロはアンジェとの再会をことのほか喜んだ。アンジェは魔道士でこそなかったが、簡単な魔法と、剣の扱いをバルドロが徹底的に教え込んだ自慢の教え子だったようだ。あの戦いの後行方知れずとなっており、もう、生きてはいないと思っていたのだ。
「ゴブレットの館」のゆったりとした店の中では、到着したバルドロを囲んで話に花が咲いていた。ソファに腰かけるものもいれば、ふわふわのカーペットの上にじかに腰を下ろしている者もいる。
「アンジェ、お前はあの戦いのとき確か、霧の谷からやってきた第二王妃となるはずだったエレンディル様の侍女兼護衛として城へあがっていたのだったな」
「はい。あの夜、奇襲が起こった時も姫のおそばに居りました。ただ、護衛とはいえ、あのような戦闘を想定してはおりませんから、私は、薄絹を身に着けたのみで剣を取り、姫のおそばで戦いました。傷つき、血が流れ、立っているのもやっとという状態になった時、あの男が目の前に現れたのです。黒の魔道士の王、ザーナヴェルト・リヴァイス」
「奴に会ったのか!」
「一瞬です。私は、奴と目を合わせたまま、剣を一太刀も振るうこともできず倒れました。私の後ろで泣きながら震えていた姫が、私の体の上にかばうように覆いかぶさるのを感じました。そして私の意識はなくなってしまったのです。気づいたときはもう、姫の姿はどこにも無く、私は生き延びてしまいました。お恥ずかしい話です」
「そうであったか……。良くあの状況下で逃げ延びることができた。ミリアム様が見つかった以上、エレンディル姫は亡きがらの見つかっていない、最後の王族というわけだ。しかも、最後の瞬間ザーナヴェルトと対峙していたのだな……」
バルドロの眉間のしわが深くなる。
昨日からの雨は上がり、さわやかな春の光が部屋の中へと差し込んでいるにもかかわらず、静かな重苦しい雰囲気だった。
「そうそう、皆さんは黒い悪魔と呼ばれるものをご存知かな?」
と、バルドロが重々しく口を開いた。
「くろいあくま?」
プリムローズが繰り返す。その口調が知らない、と告げていた。
「そう、近頃黒の魔道士と敵対している山の民の間で流れる噂なのですが……ちょうど一年前のことです」