プリムローズ -3-
宿へ帰ると、アンジェがピリピリとした様子になっていた。
「暗くなっても戻らなかったら、探しに行こうかと思ってました!」
と、改まった口調でライトに詰め寄る。子どもじゃないんだからと、ライトがもごもごいうと「こどもです!」と、すかさず怒気を含んだこえが飛んでくる。
「それに、アレンにだっていろいろと聞きたいことがあるんだよ」
まあ、座りなさい。と、自分はベットのふちに腰を掛けながらその前に椅子を二つ並べて、ライトとアレンを並べる。
「アレン、聞いた話だと、あんたは城で生まれたんだよね?」
「育ててくれた父にはそう聞いてます」
アンジェは腕組みをする。
「その額の封印をかけたのは母親。と、すると両親ともに魔道士として、城にいたと」
「……おそらくは。詳しいことを父も亡くなった母も話してはくれません。いつか時期が来たらとは、言われていますが」
「あんたたちが向かおうとしている山の民の里はどこなの?」
「湖の里です」
暁の王国には山中のあちらこちらに山の民の住む里があり、その土地を現すような美しい名前がついている。
アンジェが目を細めた。
「確かあそこには、たった一人生き残った白の魔道士の王ベレアースが、身を寄せていると聞くが……」
暁の国を開いた4人の魔道士。すべてを統べる鷲の姿の暁の王。蒼い魔道士隊を率いる狼の姿の王。白の魔道士隊を率いる虎の姿の王。黒の魔道士隊を率いる蛇の姿の王。数百年もの間、同じ真の姿を持つものがそれぞれの役割を引き継ぎ十七年前まで続いてきた王国。同じ姿を持つ者は、やはり血縁関係のあるものから出ることが多いから、どうしても、王族の中から次の後継者が出ていく。黒の魔道士が引き起こした反乱で、王族は根絶やしにされたというが、ただ一人、急な用件で、懇意にしていた山の民の里へ出かけていた白の魔道士のみが生き残ったということだ。今ではそこ、湖の里は、生き残った王国側の魔道士の最大、最後の砦と言われるようになっている。
「それで? 育ててくれた両親というのは人間なんだろう? 魔道士のあんたの親とどう繋がるのさ?」
「僕の育ての親は人間の兵士として暁の城で第一連隊に、所属していたと聞きます」
魔道士が支配する世界とはいえ、城の使用人にも人間は入っていたし、兵士には魔道士隊とは別に人間のみの部隊もあった。
「育ててくれた母は僕が生まれる少し前に、生まれて間もない子供を病で亡くしていたそうです。それを知っていた産みの母が、黒魔道士たちが城に入り込むさなか父に、この子を亡くした子の代わりに育てよ。と、命じられ、ぼくを連れて城から逃れたのです」
アンジェが眉根を寄せて額に指を当てた。
「アレン、魔道士とはいえ、みな、故郷もあれば家もある。城に住み、城の中で子まで生む魔道士というのは限られている。王族のみだ! 王族はあの日根絶やしにされたはず。私の知る中で死体にならなかった、もしくは死体の見つからなかった王族は3名のみ」
窓から入る光が角度を増し、影が長く伸びてゆく。
「もちろん、白の魔道士ベレアース様。彼は今、君の向かおうとしている山の民の里にいる。第2に暁の王の第二夫人として山の民の里から半年前に城へと入っていたエレンディル様。だが彼女は第一妃が出産を控えていることと、未だ十六という若さゆえに正式な結婚は先延ばしになっていたから、王族と言えるかどうかは定かではない。そして、その第一妃アレット王妃の子。反乱の起こるわずか一週間前に生まれている」
ひたと、アンジェの瞳がつかのまアレンを見つめる。だが、ふと目を逸らすといった。
「年齢的にはぴったりだ。だが、アレンとは条件が合わない。なぜならその子は……」
言いよどむと、また、アンジェがアレンに探るような視線を戻す。
言葉は途切れたまま空をさまよっている。
「ごめんなさい……だますつもりはなかったんだ」
アレンがうつむいた。
アンジェが、「やっぱり」と、ため息をついた。
「僕は、自分の体が、女の子だということは知っています。でも、生まれてから、いいえ、育ててくれた父と母のもとではずっと男の子として育てられていました。彼らの亡くした子が男の子だったんです。ぼくは今日まで、男の子だったから、だましてるという意識もなくて……。もし、ばれたらばれたでいいとは思っていたのですけれど」
アレンがようやく顔をあげると、びっくりして言葉が途切れた。目の前のアンジェの瞳から涙が流れていたのだ。
「では、君があの子なのか……!」
「アンジェ?」
ライトが気遣わしげにアンジェの肩に手を置いた。
「私は! 私も、城で兵士として働いていた。私は要人の警護などに当たる特殊部隊だ。生まれたばかりの君に逢った!」
言葉に詰まると、アンジェはアレンを抱きしめた。
「大きくなった。君は、白い産着にくるまれて、とても小さかった。処刑されたものの中に赤子の死体はなかったと。それでもまさか、生きてまた君と会えるとは思っていなかったのだ。君の名は、ミリアム。ミリアム・ガーラント!」
その夜、アンジェはリヴィエリの町を一通り見ておきたいと、町へ出て行った。
今度はライトとアレンが宿で留守番をすることになった。
しばらくして腹ごしらえのために二人は一階の食堂に降りることにした。
「せっかくだし、買ってきた服に着替えたら?」
ライトの提案にアレンは頷く。
ライトが着替えの邪魔にならないように先に下へ降りて行こうとしたとき、
「ライト!」
と、アレンが呼びとめた。
「今まで嘘ついてて、ごめん」
少し思いつめたような表情をアレンが見せる。
「君が謝る必要はない。……だって、俺、最初から知ってたから」
ライトは後ろを振り向くと、いたずらを白状する子どものような笑顔で言った。
アレンは混乱した。
「最初から?」
「最初から」
「……って、いつ?」
ライトの言葉の意味が分からない。
「だから、最初の最初から。アレンが男の子に見えたことはない」
「!?」
頭の中がクエスチョンだらけになったアレンを置いて、ライトが部屋を出て行った。
一人部屋に残されたアレンはかなりの混乱をきたしていた。
今まで生きてきて、女の子であると、疑われたことはなかったのだ。
(それとも、何人かはひそかに疑っていたのだろうか!? まあ、確かにこのところ、小さいころと違って男の子を通すのも無理があるとは思っていのだけど。アンジェみたいな体格だったらよかったなあ。)
というより、自分自身の気持ちが女の子であると思ったことがない。
剣だって、同じ村に住む男の子の中でも一番強かったし、いつも父に鍛えられていたから、体力だって負けなかった。女の子にも、人気があったくらいだ。
ただ、そうであったのかと知ったうえで、今までのライトとのやり取りを思い出してみた。着替えの手が止まる。手を広げてまじまじと自分の体を見る。
「え? ええええ???」
頭の中は、ますます混乱していった。火がついたようにかっと熱くなる。きっと、ここに誰かいたら、熱でもあるのではないかと思われたに違いない。
階下へ降りるとライトは人目を避けてか部屋の隅の衝立の後ろの方の席についていたので、少し見つけるのに手間取った。アレンは自分の体が自分の体ではないようで、手と足が一緒に出てるのではないか? と思った。機械仕掛けのようにライトの向かいの席に着くと、なぜか顔を合わせられなくてうつむく。
くくくく。と、苦しそうな笑い声が上がると、目の前のライトが体を二つに折ってテーブルの上に突っ伏している。
「な?」
「いや、防護壁張った時の反応も、面白い子だなー、と思ったけど……」
肩が小刻みに震える。
アレンは、これ以上頭に血は登るまいと思っていたのだが、別な意味でかっとなった。
思わずテーブルの下でライトのすねを思い切り蹴とばした。皮の長靴を履いているから、痛さが伝わらないといけないので、思い切り力を込めて蹴り飛ばした。
「性格悪い!」
「あ……っつ!!」
ライトが今度は突っ伏したまま悶絶している。そこそこ破壊力があったらしいのでアレンは満足そうに笑った。
とりあえず食べ物と飲み物を注文して食事を始める。
「今日は父は来なかった。明日、会えるだろうか?」
「なあ、なんで急に山の民の里へ行くことにしたんだ?」
「父は、もう少し早く連れて行くはずだったと言っていたけれど、このまま、ぼくと親子として暮らしていければ……と。ぼくもそれを望んでいたし。山の民の里に足が向かないまま、ぼくは十七の誕生日を迎えた」
「実はお姫様なんだから、せめて、私とか……」
アレンから軽く足が飛んできた。この攻撃が気に入ったらしい。
「でも、これ」
アレンが自分の額を指差す。
「封印が薄れ始めて、父が、このまま自分の手元に置いておくより、白の魔道士のいる里へ行って僕を託した方がいいと言ったんだ」
アレンは、不安そうに窓の外に目をやった。