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―――学校には、滑り込みで間に合った。
「刻人がギリギリで登校なんて、珍しいじゃん。しかも、汗ダクだし。なにかあったのか」
「おはよう、芥子間。今日は寝坊しちゃってさ。頑張って走ってなんとか間になったよ」
学校まで全力疾走したせいで、息絶え絶えになった刻人は答えた。無理がたかったのか、しばらくは喋るのも億劫なほど疲れている。机に突っ伏して、先生が来るまで絶対に動かないと刻人は決意した。
「今日の一時間目の英語、宿題がでてたけどやってきたか」
…やっていなかった。宿題の存在そのものを忘れていた。
「あーそりゃ災難なことになるな。英語の三島は小うるさいからな。たぶん、ペナルティでるぞ」
勘弁して欲しい。朝から寝坊とかで精神的にも肉体的にも限界なのに、さらに追い打ちをかけるのですか。
「授業開始まであと1分。写す時間すらないね。ご愁傷様です」
そう言って芥子間は自分の席に帰っていった。なんとも友達がいのないヤツである。無理だとわかっていても、少しくらい写させてくれてもいいのに。普段助けてもらうことが多いので、あんまり言えないがな。そうこうしている内に、非常なチャイムが鳴り、机に突っ伏したまま刻人は大きくため息をついた。
◇
朝の出来事が嘘であったかのように、いつもどおりの日常が過ぎていく。昼休みには、朝のことを疑問に思うことすらやめ、夢であったということで自分を落ち着けることに決めた。怪物とのバトルなんて、少年漫画の中だけで十分なはずだ。英語の三島からは、宿題を忘れたペナルティとして、元の宿題の2倍の量の課題をもらったが、それも勉強だと考えれば、逆にプラスだ。そう、今日はそんな悪い日ではなかったのだ。朝の疲れも放課後には消えてなくなり、ポジティブシンキングに無理やり持っていき、晴れやかな気分に放課後を刻人はむかえる。
帰宅するために下駄箱で上履きから靴に履き替えていると、校門付近が騒がしいことに気づく。どうやら、校門で野次馬が発生しているようで、野次馬の割合は男子が多い。刻人も気になりはしたが、本日は非日常体験を十分に堪能していたので、野次馬になるのはやめて、変えることに決めた。
下駄箱から出て、校門に向かい、野次馬の横を通り過ぎようとすると、大きなざわめきが起こる。横目で刻人が様子をうかがうと、野次馬の中心人物が移動しているようだ。それも、自分の方に。その人物は、女性で、周りの男子より少し低い位なので、顔を一瞬見ることができた。とても整った顔で、意思の強そうな瞳をしていた。フレームの大きい黒い野暮ったいメガネが強烈に合っていない。あんなに美人の知り合いはいないな、と刻人は判断し、その場を去ろうとしたら、ちょっと待ちなさいと言われて、手をつかまれた。
そのとき繋いだ手の感触と温かさが、朝の記憶をフラッシュバックさせた。朝は色々非現実的な出来事が起こって、助けてくれた女の子の顔をよく見ることができなかったが、怪物に飛び蹴りをして刻人を助けた女の子はこの子なのだろう。
「話があるからちょっと来て」
もとからこちらの返事を期待していないのか、有無を言わせず少女は刻人を引っ張っていく。野次馬は驚きを隠せない様子で、二人も見ていたが、当の刻人も驚きを禁じ得なかった。刻人の中では、朝の出来事は夢であると片がついており、彼女はいわば夢の住人であり、現実には存在しないはずだった。どうやら、非現実を受け入れなければいけないのかもしれない。
彼女が連れて行った先は、通学路から少しだけ外れた喫茶店だった。店員に奥のテーブルへ案内され、彼女と向かい合って座る。チェーン店ではなく、学生では少し入りづらいシックな雰囲気で、財布にお金入っていたか心配になってきた。
「コーヒーの値段はそのへんのチェーン店のカフェと変わらないから心配しないで大丈夫よ。でも、味はチェーン店のと比べて格段に美味しいから、気に入ってるんだ」
お金の心配をしていたのが、顔に出ていたようで恥ずかしい。彼女はブレンドコーヒーとチョコレートパフェを注文したので、少し真似して刻人はブレンドコーヒーを注文した。気を取りなおして、こちらから話を切り出す。
「俺を引っ張ってきたのは、朝の事と関係してるってことでいいんですよね」
「そういうこと。察しがよくて助かるわ。それよりまずは自己紹介よね。私は締崎響。すめらぎ高校の2年生。よろしくね」
すめらぎ高校は有名でレベルの高い進学校である。元は由緒正しき両家の息女のみが通うお嬢様学校だったらしいが、最近になって共学化された。共学化されたことにより、さらに人気が上がり、学力のレベルは上がったらしい。このお嬢さんは、見た目だけではなく中身のレベルの高いようだ。少し気後れしつつ、名前と今枝高校の2年生であることを告げた。
「斑鳩刻人くんね。なら、刻人くんって呼んでいい。私も下の名前で呼んでくれていいから。同い年だから、お互い敬語はやめようか」
「わかった、響さんって呼ぶよ。響さんは、あの空間や人影、それに怪物のことを知ってるってことだよね」
「うん、正確に全て把握しているわけじゃないけど、大筋はわかってるし対処法も知ってる。朝の様子を見る限り、刻人くんはまるっきり知らないのかな」
「今朝はじめて巻き込まれて、何も知らない状態。だから、1から教えて欲しい」
響はすぐには説明しようとはしなかった。話す内容をまとめるためか一度視線を上にはずしから、話しだした。
「説明をはじめる前に言っておくけど、私も全てを知ってるわけじゃないの。私があの世界に巻き込まれたのは半年前。その間に自分が経験してわかったことと、出会った数人の同じ境遇の人達から聞いて知ったことを話すね。
あの蒼い世界は、現実とは別の世界で、現実の一瞬を切り取って形成される。あの世界で存在することができるのは、特定の条件をクリアした人間と、赤い怪物。それ以外の生物は、黒いパネルのような触ることのできない影になってしまう。
蒼い世界の形成には、2つのパターンがある。怪物が作るパターンと人が作るパターン。今朝のは前者の怪物が作ったもので、それに刻人くんは条件を満たしていたため、巻き込まれた。後者は、条件を満たした人間がコツを掴めばできるようになる。ちなみに私もできる。精神だけ別世界に飛ぶことになるから、現実世界での時間の経過はほぼゼロ。
何度も出てきて、気になっているだろう蒼い世界で存在するための条件は、実はわかってないんだ。ごめんね、引っ張ったのにこんなオチで。ただ、わかっていることもあるんだ。蒼い世界で存在出来る人は、そこでなんらかの能力を使うことができる。この能力のことは”ウィル”って呼ばれてるらしいよ。
私の能力は、実際に見せることができる場面で説明することにするよ。たぶん、君もなんらかの能力をあの世界で使えるはずだよ。今度行った時にやってみな。そうしないとあの世界で生き残れないから」
「生き残る?そういえば、あの世界で怪物に殺されたらどうなるの」
「別に現実でも死ぬっことはないよ。ただ、精神的にダメージを受ける、それだけ」
「ふーん。やけにリアルな夢空間というわけだ。特に害はなさそうだね」
「…害は、ないことはないんだ。とりあえず、対抗手段がないなら、怪物からは逃げること」
会話中に響は少し暗い表情をしたが、最後は強い意思を宿した瞳で刻人に怪物から逃げることを勧めた。話が途切れたちょうどいいタイミングで、注文していたコーヒーとパフェがきた。コーヒーを飲みつつ今聞いた話を頭の中でまとめる。蒼い世界のこと、怪物のこと、能力のこと、なんとなくではあるが、理解はできたが、いくつかわからないことが残った。それは響が知らないことなのか、それともあえて隠しているのか。ただ、それは知らなくても知っても現状を変える要因とはならないので、黙っておいた。ほぼ初対面の人間に対して、これだけ親切に信じてもらえるかわからない突拍子もない話をしてくれたんだ、あまり突っ込むべきではない。
「色々教えてくれて、ありがとう。戸惑いが薄れたし、今後巻き込まれてもなんとかなりそう」
「かなり世迷言な話だから信じてくれるか心配だったんだけど、すんなり納得したものね」
「すでに一回体験してるからね。それに俺を騙したって響さんに特はないだろうし」
「人を騙しておちょくるのを楽しむ性格の悪い人間かもよ」
響さんは美人だし、一度騙されてみたいけどね。そんなことは言えるわけないので、苦笑いでごまかした。その反応が気に入らなかったのか、少し拗ねた表情を響はした。それは今まで彼女から感じていた雰囲気とギャップがあるもので、不覚にも可愛いと本気で思ってしまった。見た目や頭だけじゃなくて、性格もレベルが高い人みたいである。これは周りが黙ってないだろうな。
◇
今朝の説明が終わった後、30分ほど世間話をして彼女とはわかれた。説明中は内容を理解することに思考の全てを使っていたから良かったが、世間話ではそうではなかったため、緊張してしまい、何を話したか覚えていない。何度か笑われた記憶があるので、たぶん何度もとちったのだろう。何か聞きたいことがあったら連絡して、と携帯のアドレスを交換したが、連絡することはあるのだろうか。相手は気後れするほどの美人なので、自分には連絡するだけでもハードルは高かった。
今日は疲れた。緊張とストレスによる疲労が体にどっしりとのしかかる。家に帰って夕食を食べるとすぐ、寝てしまった。英語の課題はやらなかった。




