別妻について
今更ながらですが、「戦国に皇軍、来訪す」の一部の描写等について、完全に誤っていた、と私自身が反省する事態が起きています。
今更の告解ですが、戦国時代の日本の婚姻関係について、私は一夫一妻が基本で、それ以外に男性が、いわゆる妾を持つのが大らかに見られていた、と理解していて。
それに基づいて、「戦国に皇軍、来訪す」の夫婦、男女関係を描いています。
ですが、ゆうきまさみ氏の「新九郎、奔る」という漫画を読んで、更に、それに関する感想等を読んでみると、戦国時代の日本では、正妻と妾以外に別妻という夫婦、男女関係があるのを教示されました。
それで、慌ててネットで調べてみると、それが本当なのが判明することに。
本当に私の無知について恥じ入るしか無いです。
そもそも論になりかねませんが、江戸時代の徳川幕府の武家諸法度制定によって、妻は一人、それ以外の男女関係は全て妾関係というのが定まったようです。
その為に、淀殿にしても単なる妾に過ぎない、という描写が江戸時代に行われるようになり、それが21世紀の現在に至るまで、尾を引いているとか。
この際に江戸時代より前、戦国時代の日本の男女関係について、豊臣秀吉の女性関係を一例として述べるならば、お寧が秀吉の正妻、淀殿、松の丸殿(京極竜子)、三の丸殿(織田信長の娘)、加賀殿(前田利家の娘)の4人が秀吉の別妻で、それ以外の女性は秀吉の妾、ということになるようです。
そんなに妻を5人も抱えて良いのか、と現代でしたら、非難轟々の話になりますが。
戦国時代の日本では、正妻は一人だが、別妻は複数抱えてもよい、という社会だったようです。
勿論、別妻を複数抱えるとなると、それこそ夫は正妻以外に別妻まで、更に言えば、正妻や別妻、妾が産んだ子どもまでも養い育てる義務が生じる、とのことで。
世知辛い話をすれば、それだけの生活を営もうとしては、余程の資産、収入がある男で無ければ、別妻を抱える等は無理だな、と私はどうにも考えてしまいます。
更に細かい余談をすれば、戦国時代には市役所等で婚姻届を出す等の義務は無く、法律婚は存在していませんし、中近世の中西欧諸国のように、教会での結婚式で婚姻が認められていたような宗教婚も、古代から近世に至るまでの日本史では存在しなかった、と言っても過言では無かった気が私はしています。
結局のところ、この辺りは何を以て、婚姻が成立したといえるのか、という問題に究極はなることで、それこそ世界各地、更には時代の慣習や宗教等で異なるとしか、言いようが無く。
本当に判断が難しい、としか、私には言いようが無いのですが。
私なりの現時点での判断で言えば、「戦国に皇軍、来訪す」の執筆開始時点で、その辺りを理解した上で、「戦国に皇軍、来訪す」のシリーズを描くことになっていれば。
プリチャ(永賢尼)は別妻扱いになって、当然に張娃(上里愛子)も正妻として、それを是認して、上里松一と3人の男女が共同で夫婦生活を送ることになっていたな。
上里清と理子、アーイシャ・アンマールこと広橋愛の三角関係も違う形になって、広橋愛は上里清の別妻になって、当然に鷹司(上里)美子は、上里清と広橋愛の娘のままになって、日本に赴くことになって、後半の上里家の家族関係は完全に違う形になった気が。
等々の想い、考えが浮かんでなりません。
そんなことになっていたら、現在の「戦国に皇軍、来訪す」とは完全に違った話になっていたのは間違いなく、その結果として、更なる好評を博すことになったか、更なる大爆死といわれる事態になったか、今となっては謎ですが。
本当に別妻というのを知らずに描いてしまい、すみませんと謝ります。
御感想等をお待ちしています。




